14.凛
お父さんだと思っていた人は、お父さんじゃなかった。
本当のお父さんは、家によく遊びに来ていたおじさんだった。
何が何だか分からないまま、いつの間にか苗字が坂谷から田中へと変わっていた。
『凛ちゃん分かった?』
お母さんのその言葉が何度も何度も頭の中で繰り返されていた。
凛はお父さんが大好きだった。
本当のお父さんではないと言われても簡単には信じられない。離婚するからもう会えなくなると言われて混乱した。
どうして離婚するの?
どうして会えないの?
どうして?
ねぇ、どうして?
どれだけ聞いても納得のいく答えは返ってこなかった。
ただ大好きなお父さんの目に、すでに自分が映っていない事だけが直感的に理解できた。
凛は子供ながらに絶望を知った。
『凛ごめんな。良い子にしてるんだぞ』
そう言ってお父さんは、またねと手を振った。
だからだろうか。
凛はお父さんがどこかへ行ってしまうのは、自分が悪い子だったからだと理由付けた。
お父さんと離れ離れになり、お母さんとおじさんの三人での生活が始まった。
新しくお父さんになったおじさんは優しかったし、お母さんは今まで通りだった。ただ大好きなお父さんがいなくなっただけで、それ以外は変わらない。
お父さんと会えないのは寂しいけど、自分が悪い子だったのだから仕方がない。
新しい環境の中、凛は良い子でいようと頑張った。
良い子でいれば、今度はもう離れ離れになったりしないから。
そう思っていた。
しかし凛の想いは虚しくも崩れ去ってしまう。
長年続いた不倫関係は、亮司の存在あってのモノだったのかもしれない。障害がなくなった二人の間では、あれほどまでに燃え上っていた気持ちが嘘のように消え去ってしまった。
新しい生活が始まって僅か数か月でおじさんは去って行き、凛はお母さんと二人で生活する事になった。それでも凛は必死で良い子でいようと努めた。
これでお母さんまでいなくなったら、本当に一人になってしまうから。
だから……。
「凛はお父さんに会いたい?」
その言葉を聞いた時、凛は満面の笑みで頷いた。
良い子にしてたから、また前みたいにお父さんとお母さんと一緒に暮らせるのだと思ったのだ。
その事が何よりも嬉しくて、その時の凛はお母さんの目に自分が映っていない事に気付けなかった。
お気に入りの服を着て、お母さんと一緒に電車に乗った。
遠い所に住んでるというお父さんに会う為だ。
初めての場所だけど、お父さんに会えるならどうだって良かった。
早くお父さんに会いたい。
お父さんに会ったら、良い子になった自分を見て貰おう。
お父さんに会ったら、新しいお友達ができた事をお話ししよう。
お父さんに会ったら……。
「お父さんによろしくね」
「え?」
予想だにしていなかったお母さんの言葉に、凛は目を見開いた。
そして初めてお母さんの目が、あの時のお父さんと同じだという事に気が付いた。
――捨てられた。
その事に気付いた時にはとっくに手遅れ。
今いるのは知らない場所で、お母さんは自分を置いてどこかへ行こうとしているのだ。
「行っちゃやだ!」
凛は必死でお母さんの足にしがみ付いた。
「お願いだから。良い子にするから。どっかに行かないで。一人にしないで……」
涙を流して懇願した。
しかし……。
「うるさい!」
想像し得ない強い言葉に、身体の力が一気に抜けた。
そして凛はその場にしゃがみ込んでしまった。
「あそこにお父さんがいるから」
そう言って指さした先には白くて新しい建物があった。
お母さんは、お父さんの家の部屋番号を告げて手紙を押し付けると、凛を置いて足早に去って行ってしまった。
「元気でね。バイバイ」
顔も見ずに告げられたその言葉が凛の胸に深く突き刺さったのだった。




