13.ざわめく心
幸せとは何か?
お金をいっぱい持っている事?たくさんの友達に囲まれている事?大好きな人と一緒に過ごす事?美味しい物を好きなだけ食べる事?夢に向かって進める事?何気ない平凡な日常を送る事?長生きする事?
そのどれもがきっと正解で、同時に不正解なのだろう。
たぶんいくら考えた所で答えはでない。幸せとは人の数だけ存在し、時と共に変わっていくものだから。
では涼音にとっての幸せは何だろうか?
そして亮司にとっての幸せとは?
答えは結局わからないまま。
ただ、今この瞬間。
二人が共に過ごすその時間が、お互いにとって何にも代えがたい大切なモノである事だけは間違いないだろう。
主人と奴隷。
二人の間に生まれた感情は、恋とも愛とも言えない不確かな何か。
それでも確かに二人はお互いを必要としていたのだ。
あの日から二人の間で何かが変わった。
主人と奴隷でありながら、まるで恋人のように二人は寄り添い合う。その表情はとても穏やかであり、楽し気であり、同時に儚げであった。
今の関係がいつか壊れてしまうのではないかと、二人共々心のどこかで怯えていた。その反面、永遠に続いて欲しいと願ってやまない。
ゆっくりと流れる時の中で、二人は少しずつ絆を深めていった。
時折交わす軽い口づけ以外の進展はなく、プラトニックなままの関係ではあったが、心の繋がりを感じるには、それで十分だった。
二人にとって穏やかで暖かな冬が終わり、新たな季節が花開く。
「花見にでも行こうか」
亮司の言葉に涼音が頷き、手を繋いで家を出る。
穏やかな春の日差しの下を二人並んでゆっくりと歩く。互いに歩調を合わせるように。
それはまるでこれまでの二人を表しているような慈愛に満ちたものだった。
「ありがとうございます」
「なにが?」
突然の言葉に首を傾げる亮司に涼音が微笑んだ。
「さぁ、何でしょう。ただ何となく言いたくなったんです」
僅かに頬を朱に染めながら涼音が頭上の桜を仰ぎ見た。それに釣られるように亮司も満開の桜へと視線を向ける。そこでは青空をバックに咲き乱れる薄ピンク色の花びらが、風に揺られてヒラヒラと舞っていた。
涼音はチラリと亮司の様子を盗み見て、頬を緩めた。
初めて会った時に感じた作ったような笑顔はもうそこにはない。優し気で穏やかな表情が見て取れたからだ。
そして同時に寂しさを感じる。
亮司の瞳の奥に悲しみの感情が見え隠れてしている事に気付いたのだ。
きっと今この瞬間も、過去を思い出しているのだろう。大切だったという別れた奥さんや子供の事を。何となくそれが分かって、胸が苦しくなった。
自分にとって亮司という存在は、主人であると同時に初恋の相手であり、恋人であり、家族であり、唯一の理解者である。
それが本来の立場ではあり得ない歪んだ何かだとしても、涼音にとっては関係ない事で、今のこの気持ちが全てなのだ。
だからこそ、何も出来ない自分が嫌だった。
亮司の為に何かしてあげたくて、でも何もできなくて、涼音はただただ繋いでいたその手をギュッとした。
すると何を思ったのか、同じようにギュッと握り返された手。
驚いて亮司の方を見れば、照れたように笑う横顔が目に映った。
――幸せだ。
胸いっぱいに広がったその気持ちが、笑顔となって自然にあふれた。
再び見上げた桜は、さっきよりもずっとずっと綺麗に見えた。
穏やかな春の日。
そこら中で咲き誇る桜の花。
その光景はとても綺麗で、とても儚い。
開いた花が強い風に煽られて宙を舞う。
それは春の終わりに唐突に訪れた。
亮司の親友だった男と別れた奥さんとの間に生まれた子供。亮司が自分の娘だと信じて育てていた存在。
その少女が突然、二人が住む家にやってきたのだ。
「ここに住ませてください」
必死な表情で頭を下げる少女の姿が、二人の心を掻き乱す。




