【連載あり】園遊会で「君は私の隣には相応しくない」と笑った婚約者に、侍女が脳天花束をお届けしました
王宮主催の園遊会には、春そのものが集められていた。
淡い天幕の下、芝生には白い卓が並び、その一つには婚約披露を祝う大きな花束が生けられている。
本日、そこで並ぶ予定だったのは、ロザリー・クロフォード子爵令嬢と、ルーファス・エルデン伯爵令息。両家ではすでに婚約の合意が交わされ、二人は国王夫妻へ挨拶したのち、社交界へ正式に披露される手筈となっていた。
そのはずだった。
「ロザリー」
ルーファスは呼びかけながらも、彼女を見てはいなかった。
彼の隣には、赤毛の令嬢が立っている。
イザベル・メイス男爵令嬢。
勝ち誇っているというより、いささか居心地が悪そうに、ルーファスの腕へ手を添えていた。
その姿を見ても、ロザリーは足を止めなかった。淡い藤色のドレスの裾を乱さぬよう歩き、予定されていた場所へ立つ。一歩後ろには、侍女のマリアが控えていた。
「お待たせいたしました、ルーファス様」
ロザリーが穏やかに挨拶すると、ルーファスは満足そうに顎を上げた。
人の視線を集めることに慣れた男だった。
整えられた金髪。よく通る声。自分の横顔がもっとも美しく見える角度まで、彼は熟知している。今も周囲の貴族たちがこちらを見ていることに気づいていた。
むしろ、そのためにこの場を選んだのだ。
「ちょうどよかった。君には、私の考えを伝えておこうと思っていた」
「お考え、でございますか」
「ああ」
ルーファスはイザベルの腰へ手を回した。
イザベルの肩がわずかに強張ったが、彼は気づかなかった。
「今日、私は君と並び、婚約者として皆に紹介される予定だった」
「そのように伺っております」
「だが、考え直した」
周囲のざわめきが小さくなる。
ルーファスは、舞台の中央へ立った役者のように微笑んだ。
「君は私の隣には相応しくない」
ロザリーは静かに瞬きをした。
今日それを言うのなら、仕立屋へ払った特急料金は返してほしい。
ルーファスはその反応を、言葉も出ないほどの衝撃だと受け取ったらしい。ますます優しげな顔を作る。
「誤解しないでほしい。君が劣っていると言っているわけではない」
言っている。
周囲にいた者の多くが、同時にそう思った。
「ただ、私の隣に立つ女性には、それ相応の華が必要だ。君は慎ましく、礼儀正しく、妻としては申し分ないだろう。だが、私とともに社交界を導くには、少々地味すぎる」
ルーファスは自らの胸元へ触れた。銀糸の刺繍が陽光を反射し、その仕草に合わせるように彼の笑みも輝きを増す。
「私ほど注目を集める人間の傍らには、それに釣り合う女性が必要なのだよ」
「それが、イザベル様であると」
「そういうことだ」
イザベルは困ったように笑った。
「わ、私、ルーファス様から、どうしても一緒に来てほしいと言われて……」
ロザリーは彼女を責めることなく、小さく頷いた。
どうやらルーファスにとって、隣に立つ女性は胸元の飾りと同じらしい。季節ごとに替えるつもりなのだろうか。
その後ろで、マリアが半歩前へ出る。
「お嬢様」
「何かしら、マリア」
マリアは声を潜めた。
「転ぶふりをして、頭突きをしてまいります」
「本当に転ぶからやめなさい」
「ですが、お嬢様を公衆の面前で侮辱した者を、このまま放置するのは侍女として――」
「園遊会で頭突きをする侍女を持った覚えはありません」
「まだ、しておりません」
「今後もしないでちょうだい」
「善処いたします」
「約束なさい」
マリアは答えなかった。
ロザリーが振り返ると、彼女は園遊会の空に浮かぶ雲を観察していた。
ルーファスが眉を寄せる。
「聞いているのか、ロザリー」
「ええ。よく分かりました」
ロザリーは彼へ向き直った。
「ルーファス様は、ご自身の隣に置く女性を、その日の装いと華やかさで選ばれるのですね」
「そのような浅い話ではない。これは社交における適性の問題だ」
「なるほど」
「君には理解しにくいかもしれないが、人の上に立つ者には見栄えも必要なのだよ」
「人を見る目よりも?」
ルーファスの笑みが、一瞬だけ止まった。
周囲から、その間を埋めるような小さな咳払いが聞こえる。
ロザリーはそれ以上、言い返さなかった。
彼女は争うためにこの場へ来たのではない。婚約の披露に臨むために来たのだ。その相手が、自ら披露する価値のない人間であると示した。
ならば、それで十分だった。
「承知いたしました。父には、ルーファス様のお考えをそのままお伝えいたします」
「待ちたまえ」
初めて、ルーファスの顔から余裕が消えた。
「なぜ子爵へ話を大きくする必要がある」
「婚約は、両家で交わしたお約束ですから」
「私はまだ、婚約を破棄するとは言っていない」
「では、私が隣に相応しくないまま、婚約は続けるおつもりですか?」
ルーファスは言葉に詰まった。
どうやら彼の中では、ロザリーが涙ながらに考え直してほしいと訴え、自分が寛大にも許してやるところまでが、一つの場面として完成していたらしい。
ロザリーが予定された役を演じなかったため、次の台詞が出てこない。
周囲の視線が変わり始めた。
敬意でも憧れでもない。
ルーファスは気づかないふりをするように髪をかき上げた。
「とにかく、今日の披露は延期だ。君も少し、自分に何が足りないか考えるといい」
「かしこまりました」
ロザリーは一礼した。
「マリア、行きますわよ」
「はい、お嬢様」
マリアはルーファスへ鋭い視線を残しつつ、主人のあとを追おうとした。
そのときだった。
芝生のわずかな窪みに、マリアの靴先が引っかかった。
「あ」
世界から、音が消えた。
マリアの身体が傾く。転ぶふりではない。紛れもなく、本当に転んでいる。
咄嗟に伸ばした手が伯爵夫人の背へ触れ、白い羽根扇が宙へ離れた。夫人は隣の老子爵へ倒れかかり、老子爵の杖が白い卓の脚を打つ。
卓が揺れた。
中央の白磁の花瓶が、ゆっくりと傾く。
花瓶の縁からこぼれた水は、陽光を含んだ透明な膜となって空中へ広がった。
その先には、倒れかけたマリアがいる。
「マリア!」
ロザリーは考えるより先に動いていた。
一歩踏み込み、マリアを抱き留める。自らの身体を盾にするように、その前へ入った。
冷たい水が、ロザリーの肩から胸元へ降りかかる。藤色の布が濃く染まり、細かな水滴が髪を飾った。
同時に、花瓶から抜けた花束が宙へ放り出された。
赤い薔薇。
白い百合。
黄色い小花。
色彩の塊がゆっくりと回転し、花弁が一枚、また一枚と離れていく。
祝福のために束ねられた花々は、まるで自らの行き先を知っているかのように、茎を前へ向けた。
その先に立っていたのは、ルーファスだった。
彼は自分へ飛んでくる花束を見て、薄く微笑んだ。
園遊会で、衆目の集まる中、祝福の花束がまっすぐ自分へ向かってくる。婚約披露が延期になろうとも、この場の主役が誰なのか、王宮もよく分かっているらしい。
ルーファスは花束を受け取るように顎を上げ、誇らしげに胸を張った。
花束は優雅な弧を描き――
サクッ。
整えられた金髪の上へ、見事に突き刺さった。
時間が戻った。
銀の匙が卓へ落ちる。伯爵夫人の扇が芝生へ着地し、老子爵の片眼鏡が胸元を打った。
そして、花束を頭に咲かせたルーファスが、その場に立ち尽くしていた。
赤、白、黄色。
どの花も春の日差しを受けて美しく輝いている。
不思議なほど、よく似合っていた。
誰も声を出さなかった。
最初に沈黙を破ったのは、イザベルだった。彼女は隣に立つルーファスを見上げ、目を丸くしていた。
「まあ……」
口元へ手を当てる。
「頭が、お花畑……」
その言葉は、静まり返った園遊会によく響いた。
どこかで、扇の骨が小さく鳴った。ひとりの令嬢が急に咳き込み、隣の夫人が慌ててその背を撫でる。老子爵は口髭を押さえたまま、なぜか空を見上げていた。
ルーファスがゆっくりと彼女を見る。
「何だと?」
「い、いえ。その、花束が……頭に……」
ルーファスはようやく、自らの頭へ手を伸ばした。
花束に触れた瞬間、周囲の令嬢たちが一斉に顔を伏せる。
肩が震えている者もいた。
ルーファスの顔が赤くなる。
「誰だ! 誰がこのような無礼を!」
「申し訳ございません」
マリアはいつもと変わらない声で言った。
しかし彼女は、すぐにルーファスのもとへは行かなかった。濡れたロザリーの前へ膝をつき、ハンカチを取り出す。
「お嬢様、お怪我はございませんか。すぐにお召し物を――」
ハンカチを持つ手だけが、ロザリーの濡れた袖を何度も往復した。
「本当に申し訳ございません。私が足元をよく見ていなかったために」
「マリア」
「はい」
「あなたは濡れていない?」
マリアの手が止まった。
「私は、お嬢様に庇っていただきましたので」
「なら、よかったわ」
ロザリーは濡れた髪を耳へかけ、微笑んだ。
「あなたが風邪を引いたら困るもの」
マリアの手が止まった。
三秒ほど動かなかったあと、彼女は濡れていない場所まで丁寧に拭き始めた。
「……お召し替えを、ご用意いたします」
周囲の人々は、そのやり取りを黙って見ていた。
濡れたドレスを意に介さず、侍女の身を案じる令嬢。
頭に花束を刺したまま、誰を怒鳴りつけるべきか探している令息。
先ほどまでルーファスが語っていた「隣に立つ者の華」について、誰もが別の答えを得ていた。
「ルーファス!」
低く、よく通る声がした。
人垣が割れ、エルデン伯爵が現れる。
国王との挨拶を終え、息子の婚約披露へ立ち会うためにやってきたのだろう。
伯爵は足を止めた。
頭に花束を咲かせた息子を見る。
濡れたロザリーを見る。
その足元で、無表情のままロザリーの袖を拭き続けているマリアを見る。
最後に、息子の腕に添えられたイザベルの手を見た。
ほんの数秒で、何が起きたかをほぼ理解したようだった。
「父上、これは――」
「黙れ」
怒鳴ったわけではない。
それでもルーファスは口を閉じた。
伯爵はロザリーの前へ進み、深く頭を下げた。
「クロフォード子爵令嬢。愚息が取り返しのつかぬ無礼を働いたようだ」
「伯爵様」
「事情は後ほど、改めて確認する。だが、この場で貴女が受けた侮辱について、まずは父として謝罪させてほしい」
ロザリーも一礼を返した。
「伯爵様に頭を下げていただくことではございません」
「いや。息子の不始末は、父である私の不始末でもある」
伯爵は姿勢を戻すと、今度はマリアを見た。
「そちらの侍女にも怪我はないか」
「は、はい。お嬢様が庇ってくださいましたので」
「そうか」
伯爵の視線が再び息子へ向く。
その目には、声を荒らげるよりも深い怒りがあった。
「帰るぞ、ルーファス」
「お待ちください、父上。まだ皆への説明が――」
「お前の頭を見れば、十分に説明はつく」
数人の肩が跳ねた。
ルーファスは花束へ手をかける。
「では、せめてこれを抜いてから――」
「抜くな」
「なぜです」
伯爵は息子の腕をつかんだ。
「お前によく似合っている」
ルーファスは絶句した。
伯爵はそのまま、息子を引きずるように歩き始める。
「父上、自分で歩けます!」
「ならば歩け」
「花だけでも!」
「抜くなと言った」
頭上の花束を大きく揺らしながら、ルーファスは園遊会を連行されていく。
人々は固唾を呑み、その後ろ姿を見送った。
笑ってはならない。
ここは王宮主催の園遊会であり、伯爵家の令息が父親に引きずられている最中でもある。誰もが必死に礼節を守っていた。
そのとき。
揺れる花束から、黄色い花弁が一枚、ひらりと散った。
とうとう我慢の限界を迎えたらしい。
園遊会に、扇の花が一斉に開いた。
白、青、薄紅。
色とりどりの扇が、笑みを隠すように広がっていく。
ロザリーはその光景を見回し、小さく息を吐いた。それからマリアへ手を差し出す。
「マリア、行きますわよ」
「はい、お嬢様」
マリアはその手を取り、立ち上がった。
二人は並んで歩き出す。濡れたドレスから、時折、小さな水滴が芝生へ落ちた。
「お嬢様」
「何かしら」
「先ほどは、お止めいただいてありがとうございました」
「何の話?」
「頭突きです」
ロザリーは足を止めずに答えた。
「本当に転んだでしょう」
「はい。お嬢様のご慧眼には感服いたしました」
「感服する前に、足元を見なさい」
「次からは気をつけます」
「次があるの?」
マリアは少し考えた。
「頭突きの機会でございますか?」
「転ぶ機会です」
「あちらは、なるべくないようにいたします」
「あちら?」
ロザリーが振り返る。
マリアは何事もなかったように微笑んだ。
「参りましょう、お嬢様。お召し替えをご用意いたします」
ロザリーはしばらく彼女を見つめていたが、やがて諦めたように前を向いた。
その日、ロザリーとルーファスの婚約披露は中止となった。
後日、両家の協議により、婚約そのものも白紙へ戻された。エルデン伯爵は息子の非を認め、クロフォード子爵家へ正式に謝罪したという。
社交界ではしばらくの間、ルーファスの名が話題に上るたび、令嬢たちの扇が開いた。
なお、王宮の園丁は、飛んだ花束が人の頭へ刺さるなど通常はあり得ないと証言した。
それを聞いたマリアは、真剣な顔で頷いた。
「では、やはりお届けするべき場所へ届いたのでしょう」
ロザリーは何も答えず、彼女の額を指先で軽く押した。
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前作、連載版はタイトル上のシリーズ「恋愛小説のはずでしたー侍女のお届け」にあります。
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