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恋愛小説のはずでしたー侍女のお届け

【連載あり】園遊会で「君は私の隣には相応しくない」と笑った婚約者に、侍女が脳天花束をお届けしました

作者: 堀吉 蔵人
掲載日:2026/07/13

 王宮主催の園遊会には、春そのものが集められていた。


 淡い天幕の下、芝生には白い卓が並び、その一つには婚約披露を祝う大きな花束が生けられている。


 本日、そこで並ぶ予定だったのは、ロザリー・クロフォード子爵令嬢と、ルーファス・エルデン伯爵令息。両家ではすでに婚約の合意が交わされ、二人は国王夫妻へ挨拶したのち、社交界へ正式に披露される手筈となっていた。


 そのはずだった。


「ロザリー」


 ルーファスは呼びかけながらも、彼女を見てはいなかった。


 彼の隣には、赤毛の令嬢が立っている。


 イザベル・メイス男爵令嬢。


 勝ち誇っているというより、いささか居心地が悪そうに、ルーファスの腕へ手を添えていた。


 その姿を見ても、ロザリーは足を止めなかった。淡い藤色のドレスの裾を乱さぬよう歩き、予定されていた場所へ立つ。一歩後ろには、侍女のマリアが控えていた。


「お待たせいたしました、ルーファス様」


 ロザリーが穏やかに挨拶すると、ルーファスは満足そうに顎を上げた。


 人の視線を集めることに慣れた男だった。


 整えられた金髪。よく通る声。自分の横顔がもっとも美しく見える角度まで、彼は熟知している。今も周囲の貴族たちがこちらを見ていることに気づいていた。


 むしろ、そのためにこの場を選んだのだ。


「ちょうどよかった。君には、私の考えを伝えておこうと思っていた」


「お考え、でございますか」


「ああ」


 ルーファスはイザベルの腰へ手を回した。


 イザベルの肩がわずかに強張ったが、彼は気づかなかった。


「今日、私は君と並び、婚約者として皆に紹介される予定だった」


「そのように伺っております」


「だが、考え直した」


 周囲のざわめきが小さくなる。


 ルーファスは、舞台の中央へ立った役者のように微笑んだ。


「君は私の隣には相応しくない」


 ロザリーは静かに瞬きをした。


 今日それを言うのなら、仕立屋へ払った特急料金は返してほしい。


 ルーファスはその反応を、言葉も出ないほどの衝撃だと受け取ったらしい。ますます優しげな顔を作る。


「誤解しないでほしい。君が劣っていると言っているわけではない」


 言っている。


 周囲にいた者の多くが、同時にそう思った。


「ただ、私の隣に立つ女性には、それ相応の華が必要だ。君は慎ましく、礼儀正しく、妻としては申し分ないだろう。だが、私とともに社交界を導くには、少々地味すぎる」


 ルーファスは自らの胸元へ触れた。銀糸の刺繍が陽光を反射し、その仕草に合わせるように彼の笑みも輝きを増す。


「私ほど注目を集める人間の傍らには、それに釣り合う女性が必要なのだよ」


「それが、イザベル様であると」


「そういうことだ」


 イザベルは困ったように笑った。


「わ、私、ルーファス様から、どうしても一緒に来てほしいと言われて……」


 ロザリーは彼女を責めることなく、小さく頷いた。


 どうやらルーファスにとって、隣に立つ女性は胸元の飾りと同じらしい。季節ごとに替えるつもりなのだろうか。


 その後ろで、マリアが半歩前へ出る。


「お嬢様」


「何かしら、マリア」


 マリアは声を潜めた。


「転ぶふりをして、頭突きをしてまいります」


「本当に転ぶからやめなさい」


「ですが、お嬢様を公衆の面前で侮辱した者を、このまま放置するのは侍女として――」


「園遊会で頭突きをする侍女を持った覚えはありません」


「まだ、しておりません」


「今後もしないでちょうだい」


「善処いたします」


「約束なさい」


 マリアは答えなかった。


 ロザリーが振り返ると、彼女は園遊会の空に浮かぶ雲を観察していた。


 ルーファスが眉を寄せる。


「聞いているのか、ロザリー」


「ええ。よく分かりました」


 ロザリーは彼へ向き直った。


「ルーファス様は、ご自身の隣に置く女性を、その日の装いと華やかさで選ばれるのですね」


「そのような浅い話ではない。これは社交における適性の問題だ」


「なるほど」


「君には理解しにくいかもしれないが、人の上に立つ者には見栄えも必要なのだよ」


「人を見る目よりも?」


 ルーファスの笑みが、一瞬だけ止まった。


 周囲から、その間を埋めるような小さな咳払いが聞こえる。


 ロザリーはそれ以上、言い返さなかった。


 彼女は争うためにこの場へ来たのではない。婚約の披露に臨むために来たのだ。その相手が、自ら披露する価値のない人間であると示した。


 ならば、それで十分だった。


「承知いたしました。父には、ルーファス様のお考えをそのままお伝えいたします」


「待ちたまえ」


 初めて、ルーファスの顔から余裕が消えた。


「なぜ子爵へ話を大きくする必要がある」


「婚約は、両家で交わしたお約束ですから」


「私はまだ、婚約を破棄するとは言っていない」


「では、私が隣に相応しくないまま、婚約は続けるおつもりですか?」


 ルーファスは言葉に詰まった。


 どうやら彼の中では、ロザリーが涙ながらに考え直してほしいと訴え、自分が寛大にも許してやるところまでが、一つの場面として完成していたらしい。


 ロザリーが予定された役を演じなかったため、次の台詞が出てこない。


 周囲の視線が変わり始めた。


 敬意でも憧れでもない。


 ルーファスは気づかないふりをするように髪をかき上げた。


「とにかく、今日の披露は延期だ。君も少し、自分に何が足りないか考えるといい」


「かしこまりました」


 ロザリーは一礼した。


「マリア、行きますわよ」


「はい、お嬢様」


 マリアはルーファスへ鋭い視線を残しつつ、主人のあとを追おうとした。


 そのときだった。


 芝生のわずかな窪みに、マリアの靴先が引っかかった。


「あ」


 世界から、音が消えた。


 マリアの身体が傾く。転ぶふりではない。紛れもなく、本当に転んでいる。


 咄嗟に伸ばした手が伯爵夫人の背へ触れ、白い羽根扇が宙へ離れた。夫人は隣の老子爵へ倒れかかり、老子爵の杖が白い卓の脚を打つ。


 卓が揺れた。


 中央の白磁の花瓶が、ゆっくりと傾く。


 花瓶の縁からこぼれた水は、陽光を含んだ透明な膜となって空中へ広がった。


 その先には、倒れかけたマリアがいる。


「マリア!」


 ロザリーは考えるより先に動いていた。


 一歩踏み込み、マリアを抱き留める。自らの身体を盾にするように、その前へ入った。


 冷たい水が、ロザリーの肩から胸元へ降りかかる。藤色の布が濃く染まり、細かな水滴が髪を飾った。


 同時に、花瓶から抜けた花束が宙へ放り出された。


 赤い薔薇。


 白い百合。


 黄色い小花。


 色彩の塊がゆっくりと回転し、花弁が一枚、また一枚と離れていく。


 祝福のために束ねられた花々は、まるで自らの行き先を知っているかのように、茎を前へ向けた。


 その先に立っていたのは、ルーファスだった。


 彼は自分へ飛んでくる花束を見て、薄く微笑んだ。


 園遊会で、衆目の集まる中、祝福の花束がまっすぐ自分へ向かってくる。婚約披露が延期になろうとも、この場の主役が誰なのか、王宮もよく分かっているらしい。


 ルーファスは花束を受け取るように顎を上げ、誇らしげに胸を張った。


 花束は優雅な弧を描き――


 サクッ。


 整えられた金髪の上へ、見事に突き刺さった。


 時間が戻った。


 銀の匙が卓へ落ちる。伯爵夫人の扇が芝生へ着地し、老子爵の片眼鏡が胸元を打った。


 そして、花束を頭に咲かせたルーファスが、その場に立ち尽くしていた。


 赤、白、黄色。


 どの花も春の日差しを受けて美しく輝いている。


 不思議なほど、よく似合っていた。


 誰も声を出さなかった。


 最初に沈黙を破ったのは、イザベルだった。彼女は隣に立つルーファスを見上げ、目を丸くしていた。


「まあ……」


 口元へ手を当てる。


「頭が、お花畑……」


 その言葉は、静まり返った園遊会によく響いた。


 どこかで、扇の骨が小さく鳴った。ひとりの令嬢が急に咳き込み、隣の夫人が慌ててその背を撫でる。老子爵は口髭を押さえたまま、なぜか空を見上げていた。


 ルーファスがゆっくりと彼女を見る。


「何だと?」


「い、いえ。その、花束が……頭に……」


 ルーファスはようやく、自らの頭へ手を伸ばした。


 花束に触れた瞬間、周囲の令嬢たちが一斉に顔を伏せる。


 肩が震えている者もいた。


 ルーファスの顔が赤くなる。


「誰だ! 誰がこのような無礼を!」


「申し訳ございません」


 マリアはいつもと変わらない声で言った。


 しかし彼女は、すぐにルーファスのもとへは行かなかった。濡れたロザリーの前へ膝をつき、ハンカチを取り出す。


「お嬢様、お怪我はございませんか。すぐにお召し物を――」


 ハンカチを持つ手だけが、ロザリーの濡れた袖を何度も往復した。


「本当に申し訳ございません。私が足元をよく見ていなかったために」


「マリア」


「はい」


「あなたは濡れていない?」


 マリアの手が止まった。


「私は、お嬢様に庇っていただきましたので」


「なら、よかったわ」


 ロザリーは濡れた髪を耳へかけ、微笑んだ。


「あなたが風邪を引いたら困るもの」


 マリアの手が止まった。


 三秒ほど動かなかったあと、彼女は濡れていない場所まで丁寧に拭き始めた。


「……お召し替えを、ご用意いたします」


 周囲の人々は、そのやり取りを黙って見ていた。


 濡れたドレスを意に介さず、侍女の身を案じる令嬢。


 頭に花束を刺したまま、誰を怒鳴りつけるべきか探している令息。


 先ほどまでルーファスが語っていた「隣に立つ者の華」について、誰もが別の答えを得ていた。


「ルーファス!」


 低く、よく通る声がした。


 人垣が割れ、エルデン伯爵が現れる。


 国王との挨拶を終え、息子の婚約披露へ立ち会うためにやってきたのだろう。


 伯爵は足を止めた。


 頭に花束を咲かせた息子を見る。


 濡れたロザリーを見る。


 その足元で、無表情のままロザリーの袖を拭き続けているマリアを見る。


 最後に、息子の腕に添えられたイザベルの手を見た。


 ほんの数秒で、何が起きたかをほぼ理解したようだった。


「父上、これは――」


「黙れ」


 怒鳴ったわけではない。


 それでもルーファスは口を閉じた。


 伯爵はロザリーの前へ進み、深く頭を下げた。


「クロフォード子爵令嬢。愚息が取り返しのつかぬ無礼を働いたようだ」


「伯爵様」


「事情は後ほど、改めて確認する。だが、この場で貴女が受けた侮辱について、まずは父として謝罪させてほしい」


 ロザリーも一礼を返した。


「伯爵様に頭を下げていただくことではございません」


「いや。息子の不始末は、父である私の不始末でもある」


 伯爵は姿勢を戻すと、今度はマリアを見た。


「そちらの侍女にも怪我はないか」


「は、はい。お嬢様が庇ってくださいましたので」


「そうか」


 伯爵の視線が再び息子へ向く。


 その目には、声を荒らげるよりも深い怒りがあった。


「帰るぞ、ルーファス」


「お待ちください、父上。まだ皆への説明が――」


「お前の頭を見れば、十分に説明はつく」


 数人の肩が跳ねた。


 ルーファスは花束へ手をかける。


「では、せめてこれを抜いてから――」


「抜くな」


「なぜです」


 伯爵は息子の腕をつかんだ。


「お前によく似合っている」


 ルーファスは絶句した。


 伯爵はそのまま、息子を引きずるように歩き始める。


「父上、自分で歩けます!」


「ならば歩け」


「花だけでも!」


「抜くなと言った」


 頭上の花束を大きく揺らしながら、ルーファスは園遊会を連行されていく。


 人々は固唾を呑み、その後ろ姿を見送った。


 笑ってはならない。


 ここは王宮主催の園遊会であり、伯爵家の令息が父親に引きずられている最中でもある。誰もが必死に礼節を守っていた。


 そのとき。


 揺れる花束から、黄色い花弁が一枚、ひらりと散った。


 とうとう我慢の限界を迎えたらしい。


 園遊会に、扇の花が一斉に開いた。


 白、青、薄紅。


 色とりどりの扇が、笑みを隠すように広がっていく。


 ロザリーはその光景を見回し、小さく息を吐いた。それからマリアへ手を差し出す。


「マリア、行きますわよ」


「はい、お嬢様」


 マリアはその手を取り、立ち上がった。


 二人は並んで歩き出す。濡れたドレスから、時折、小さな水滴が芝生へ落ちた。


「お嬢様」


「何かしら」


「先ほどは、お止めいただいてありがとうございました」


「何の話?」


「頭突きです」


 ロザリーは足を止めずに答えた。


「本当に転んだでしょう」


「はい。お嬢様のご慧眼には感服いたしました」


「感服する前に、足元を見なさい」


「次からは気をつけます」


「次があるの?」


 マリアは少し考えた。


「頭突きの機会でございますか?」


「転ぶ機会です」


「あちらは、なるべくないようにいたします」


「あちら?」


 ロザリーが振り返る。


 マリアは何事もなかったように微笑んだ。


「参りましょう、お嬢様。お召し替えをご用意いたします」


 ロザリーはしばらく彼女を見つめていたが、やがて諦めたように前を向いた。


 その日、ロザリーとルーファスの婚約披露は中止となった。


 後日、両家の協議により、婚約そのものも白紙へ戻された。エルデン伯爵は息子の非を認め、クロフォード子爵家へ正式に謝罪したという。


 社交界ではしばらくの間、ルーファスの名が話題に上るたび、令嬢たちの扇が開いた。


 なお、王宮の園丁は、飛んだ花束が人の頭へ刺さるなど通常はあり得ないと証言した。


 それを聞いたマリアは、真剣な顔で頷いた。


「では、やはりお届けするべき場所へ届いたのでしょう」


 ロザリーは何も答えず、彼女の額を指先で軽く押した。


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前作、連載版はタイトル上のシリーズ「恋愛小説のはずでしたー侍女のお届け」にあります。

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扇を拡げると『天晴れ!』とか『爆笑』とか文字が見えたり…?
厳選して研ぎ澄ませたネタを丁寧に盛り付けて引き立たせて届けられた料理の如き味わいw
エルデン伯爵が子育てを失敗しているところ以外とても面白かったです
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