閑話2 アルベールとクールナン侯爵
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「放せ! 放せっつってんだろ!?」
「いえ、今父様を解放したら、俺が母様に殺されるので、絶対に無理です。俺も命が惜しいので」
クールナン侯爵家の屋敷の階段をのぼりながら、俺はそう言う。ちなみに、俺は今実の父親を担いでいる。母様譲りのこの怪力はいろいろと便利だ。……父様は決して小柄ではないので、大変なのは大変ですけれど。
「ティナが! ティナが!」
「……俺だって、出来れば父様なんて放り出して、シュゼット嬢の元に向かいたいですよ」
父様は顔だけの人間だ。いや、多分世間一般的には有能な部類に入るのだろうけれど、俺からしたら顔だけ。顔以外に取り柄がない。
父様のその顔の良さは、未だに社交界を騒がせている。しかし、父様の愛情が病的に重いことは有名なので、誰もが「観賞用」だと割り切っている。誰も、母様から父様を奪おうとはしない。その一途さは認めるが、母様の地雷をいとも簡単に踏み抜くのはやめていただきたい。切実に。屋敷の中の茎が凍てつくから。
どうでもいいが、父様の名前はファース・クールナンという。この名前は俺の祖父が付けたらしい。意味は……知らない方がいいと思う。俺の名前の意味を聞いた時、そう思いましたから。……どうして、自分の妻と似たような名前を付けるのでしょうか。そう思って遠い目をしたのは記憶に新しい。……ですが、俺もたぶん子供が出来たらシュゼット嬢に似たような響きの名前を付けるのでしょうね。だから、強くは言えないのですが。
「……しかし、前々から思っていたけれど、お前の婚約者ちょっと地味じゃないか? いや、上の中ぐらいのレベルはあるけれどな。けど、ティナほど華がないというか……」
「落としますよ」
「いや、悪い意味じゃないってば! お前はどうしてそう短気なんだ!」
「父様に似たのでしょうね。母様のことになると、話も聞かずに飛び出すのですから」
どうにも、このクールナン侯爵家の男はこういう生き物らしい。一途に同じ女性を愛し続ける。そう言えば、聞こえはいいかもしれません。でも、その愛情は病的に重いのが常。中には監禁に走ろうとした人もいるとか、なんとか……。いや、俺もシュゼット嬢が俺の元から逃げるのならば、そうしますけれどね? でも、出来れば取りたくない選択です。シュゼット嬢に、嫌われてしまいそうですから。
「……アルベールにも子が出来たら、きっとお前みたいになるのだろうな。……いや、恐ろしい」
「自分の息子を捕まえて何言っているのですか。俺の子供はシュゼット嬢にそっくりな女の子ですから。この血筋は関係ありません」
「お前、このクールナン侯爵家の血筋を甘く見ているな? かれこれ二百年、女児は生まれていないぞ? 男家系の見本みたいな家だぞ? 女の子なんて生まれるわけがないだろ!」
俺の肩の上で暴れる父様に、冷たい視線を向ける。何故そこまで暴れるのかといえば、父様も女の子が欲しかったそうだ。出来れば、母様そっくりの。でも、生まれたのは俺。その時、このクールナン侯爵家の血筋の恐ろしさを知ったらしい。……いや、恐ろしさはもっと別のところにある気もするのですが……。
「そもそも、だったら俺以外にも子供作ればよかったじゃないですか」
「バカを言うな。子供は一人で十分だ。跡取りさえいればいいからな。じゃないと、ティナが俺に構ってくれなくなる」
「自信満々に言って、理由はそれですか。母様に呆れられますよ」
「大丈夫、ティナはこの俺の気持ちを知っている。泣きついたら叶えてくれたからな。やっぱりティナは優しいんだ」
「……母様の苦労が、よく見えますよ」
心の中でため息をつきながら、俺はそんなことを言う。そもそも、このクールナン侯爵家の子供はいつも一人か二人のみ。それは、妻を独占したいこの家の男が原因だとかなんとか。いや、俺はそういうことは考えませんけれどね。シュゼット嬢にそっくりな子だったら、何人いてもいいです。本当に。養えるだけの財力はありますから。
「そもそもだな。お前、婚約者に婚約の解消を求められたのだろう? 俺に文句を言える立場じゃないだろ。こっちが頑張ってまとめてやったというのに……」
「それはそうですけれど、まだ婚約の解消が決まったわけではありませんから。今から挽回します」
「無理だろ。やるならば、徹底的にするしかないだろうしな。敷地内に不法侵入して毎日同じ時間に求婚するとか、手紙を送るまくるとか。それこそ、引っ付いて離れないとかしないと無理だろう」
「父様のアドバイスは参考にならないことに気が付きました。シュゼット嬢に怒られたので」
父様から聞いたアドバイスをすれば、シュゼット嬢に怒られる。何故かはよくわからなかったのだけれど、きっとシュゼット嬢にはその方法が合わなかったのだろうと判断した。……というか、不法侵入って普通に犯罪じゃないですか。何やっているのでしょうか、この人……。
「不法侵入って、犯罪では?」
「いや、見つからなければ犯罪じゃない! まぁ、求婚するわけだしティナ本人には見つからないといけないわけだったけれど」
「それでよく怒られませんでしたね」
「毎回ほうきで頭を叩かれた。だが、あれは愛情の裏返し。ティナは照れ屋だから……!」
……この人、ポジティブ過ぎません? しかも、母様の実家は当時かなり落ちぶれていたらしいですし、その所為で警備が手薄になっていただけなのでは……? カイレ子爵家はそこまでではないですし、普通に警備がいるから無理ですね。
「……まぁ、せいぜい殺されないようにしてくださいね。俺、まだ家督を継ぎたくないので」
「あぁ、殺されないように頑張る。俺、ティナと長生きするからな」
そんなことを叫ぶ父様を部屋に押し込んで、俺はシュゼット嬢のところに戻ろうとする。……しかし、母様余計なことを言っていないでしょうね? そう思ったら、なんだか怖くなって。自然と早足になってしまう。……シュゼット嬢に嫌われたら、生きていけない。それこそ、死ぬしかない。この病的に重い愛情がこの血筋の特徴なのだとすれば、この愛情はきっと薄れない。だから、一生シュゼット嬢に付き合っていただくしかない。
絶対に、逃がしませんから。
そう、俺は自分の心に刻みつけた。ずっと、ずっと、シュゼット嬢に一緒にいるために――……。