91.聖女の条件
質問をする、と言っていたアッシュだったが少しだけ何を聞こうか、と考えた。
「そうだな……本題以外から聞いてみるか」
だがすぐに聞くことを決めたのかそう言ってからファルシュに向けてこう言った。
「イスタトアだったな。あいつ、聖女としての力ってのはほとんどないのに良く聖女になれたな」
「……アッシュ様であれば気づいてしまいますよね……えぇ、イスタトア様は本来聖女になることは出来ません」
アッシュの言葉に観念したように一度小さく息を吐き、それからファルシュはそう答えた。
「イスタトア様は聖職者としては確かに強い力を持っています。ですがそれがイコールで聖女としての力がある、ということにはなりません」
そこまで口にしてファルシュは何処か悲しそうに言葉を続ける。
「イスタトア様は幼い頃から聖女という存在に強い憧れを抱いていました。そして聖女としての修業を両親や大司教様の下で行っていました」
「聖女候補でもないのに、か?」
「はい。ですが大司教様がその指揮を執っている。ということもあって黙認されていたのです」
「えっと……私は詳しく知らないのですが……聖女としての修業というのは、聖女候補以外がしてはいけないのですか?」
「その通りです。というのも……その修行の一環として歴代の聖女が魔法によって残した記憶を読み解く。というものがあるのですが……」
「他人の、それも歴代の聖女たちの記憶か……人が耐えられるものなのか?」
「いえ……普通は耐えられません。これを耐えるためにはある程度の素養があり、そして修業を積むことによって精神を鍛える必要があります。歴代の聖女たちの記憶の中には安易に人が知るべきではない事柄もありますから、それに耐えられなければ精神が崩壊するのだと、そう聞いていました」
そう言ってからファルシュは大きなため息を零した。
「実のところ、私の前にその記憶を読み解くことが出来た方は百二十年前の聖女とのことでした」
「え……? で、でも今までちゃんと聖女はいたはずですよ?」
「それはある程度実力を持った聖職者を聖女と偽っていただけのことです。私が記憶を読み解くことに成功した際など、誰もが信じられない、と言った様子でしたよ。まぁ、一番信じられなかったのは私自身なのですが」
そんな言葉と共にファルシュは苦笑を漏らし、当時のことを思い出していた。
百二十年もの間、記憶を読み解く者はいなかった。きっと自身も同じで、読み解くことが出来るはずがない。きっと今までの聖女候補と同じで精神の崩壊と共に人生に幕を引く。そう考えていた。
それなのに蓋を開けてみれば聖女たちの残した記憶を読み解くことが出来ていて、その後百二十年ぶりの本当の聖女になっていた。
ファルシュは当時のことを想起しながら言葉を続ける。
「それから私は聖女としての責務を果たしながら、次代の聖女を見つけ出さなければならなくなったのです」
「次代の聖女……」
「それがクロエか」
「はい、素質としては問題ありません。あとは修業を重ねて聖女たちの記憶を読み解くことが出来れば、ということです。とはいえ……問題は色々とありますが」
「問題、ですか?」
「はい、聖女となるには色々と条件がありますからね」
そう言ってからファルシュはその条件を一つずつ指折り挙げていく。
「一つ、清らかな体であること。一つ、イシュタリア様への信仰心を忘れないこと。一つ、誰もが見本とするように規律正しくあること。と、続けても良いのですが……とにかく数多くあるのです」
「えっと……それって、聖女としては当然のことのような……?」
「えぇ、そうですよ。当然のことを、当然のように行う。それは言葉にするよりもずっと難しいことだとは思いませんか?」
「それは……はい、確かにそうですよね……」
「そして聖女はその当然のことが出来なければなりません。実のところ、まずこの時点で相当に苦労してしまいます」
ファルシュは苦笑を漏らしながらそう言って、小さくため息を零した。
「実を言うとイスタトア様はそれらを行えてはいないのです。その、言い方は悪いかもしれませんがイスタトア様はどうにも幼さが残っていて……」
「あぁ、何となくわかるな、それ」
「いえ、悪いことではないのですよ? ただ聖女として、となるとどうしても……」
聖女として求められる姿はイシュタリアの信徒として誰もが見本とするような姿であり、イスタトアのように幼さが残っている姿ではない。
とはいえイスタトアは元々聖女候補ではなく、あくまでも聖女と偽るために大司教が手を加えている。というだけに過ぎないのでそこまでは求めていないのかもしれない。
「はぁ……何にしても、イスタトア様では聖女としてあり続けるのは不可能であり、私も聖女として生き続けるのは難しく……そんな折、クロエさんを見つけることが出来たのです」
「そうだったのですね……」
「……まぁ、その辺りの話はもう良いか。他に聞きたいことだってあるんだしさ」
イスタトアの話から聖女に関する話に変わっていたが、それについて多少の興味があったアッシュは咎めることなくその話を聞いていた。
だがこのまま放っておくと延々と話がずれていくだろうな、とアッシュは判断して話を戻すことにした。
「さて、次の質問だけど……聖女ってのは聖処女のことを指す言葉。で良いんだよな?」
「はい……その通りです。ですから、清らかな体であること、という条件があります」
「だったらおかしいよな」
「……何が、おかしいのでしょうか?」
「俺はファルシュの子供と会ったことがある」
アッシュがそう言うと、何を言っているのかわからない。というようにクロエは目を見開いてアッシュを見た。
もしアッシュの言葉通りならば、どうしてファルシュは聖女のままなのだろうか、と。そしてファルシュがどういった反応をするのかとファルシュを見た。
するとファルシュはアッシュの言葉に困ったように小さく息を吐いた。
「そのことに関してですが……どうして私の子供だと判断したのか、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「イシュタリアの加護の中にはこの世界の物を情報として視ることの出来るようになる、知識の瞳の加護ってのがある。それを使えば親子の繋がりくらいは見えるさ」
本来であれば信じがたい話であったとしても、イシュタリアの加護に力。そう言われてしまえば、そういうものなのかとファルシュとクロエは納得するしかなかった。
いや、それよりもそれほどの加護を与えることが出来るとはさすがはイシュタリア様だ、とすら考えていた。
「そう、ですか……そういうことでしたら誤魔化すことなど出来ませんね……」
観念したように言ってからファルシュはアッシュを真っ直ぐに見つめ、口を開く。
「アッシュさんの言うように、私には子供がいます。ですから本来であれば聖女としての条件を破ることになり、聖女としてあり続けることは出来ません」
「そ、それならどうしてファルシュ様は……」
「先ほども言ったように、百二十年ぶりの聖女だからです。教会は次なる聖女が見つかるまでは私は聖女であり続けるように、としたのです」
そうした言葉を口にするファルシュは何処となく疲れているようにアッシュには見えていた。もしくは寂しそうに、という言葉でも良いだろう。
どうしてなのだろうか、と少しだけアッシュは考えてすぐにその答えを出した。
「あぁ……聖処女なのに子供がいるってのは良くないからか。だから子供を遠ざけることになって、そのことをずっと気にしてるんだな」
「はい……元々は聖女という責務を果たすべく、と生きていましたが……その、心の底より愛おしいと想える殿方と出会いまして……」
ファルシュは照れたような、気恥ずかしいような、頬を僅かに赤く染めてもじもじとしながらそう言った。その姿は恋をする乙女のそれであり、ファルシュの容姿も相まって見る者の目を引き、場合によっては見惚れてしまうだろう。
アッシュはそれを見て惚気てくれるな、と流したがクロエはファルシュの心の底より愛おしいと思える殿方という言葉を聞いてアッシュのことをちらちらと見ていた。
「何にしてもそいつと出会って聖女であり続けることが難しくなった。それなのに教会は聖女としてのファルシュを手放すことが出来なくて、そいつとは別れさせられて子供も遠方に、って流れで良いのか?」
「えぇ、その通りです。と、言いたかったのですが……残念ながらその方とは別れたのではなく、病によって命を落としてしまったのです」
「病?」
「突発性睡夢症候群という病をご存じでしょうか?」
「あぁ……一度眠りに落ちて二度と目覚めなくなる病か……」
突発性睡夢症候群。何の前触れもなく眠りに落ち、その後二度と目が覚めることなく衰弱死してしまう、死の病。
それはこの世界の人々から恐れられる病であると同時に、文字通り眠るように死に至ることから自分が死ぬならばそのように死にたい。と考える人間も少なくない。
「あれは普通の人間には防ぐことは出来ないからな……」
「はい……そしてあの方はそのまま亡くなり、たった一人の子供を私は、捨ててしまうことになったのです……」
事情を考えればそうするしかなかった、とも言える。
「本当は聖女としての責務を投げ出し、聖都から子供と共に逃げ出すことも出来ました。それなのに私はそうはせず、あの子を……」
だがファルシュにとっては自分が子供を捨てた。という認識をしているようでその言葉には後悔の念ばかりが浮かんでいた。
「でもファルシュの子供はずいぶんと幸せそうだったけどな。まぁ、本人は色々と考えてるみたいだったけどさ」
「そう、ですか……アッシュさんがそう言うのであれば、きっとそうなのかもしれません。ですが……」
「自分のことを恨んでるんじゃないのか、そう思うと不安か」
「はい……いえ、恨まれても当然のことなのですが……それでも、あの子はどう考えているのだろうかと……」
もはやファルシュに聖女としての姿は面影もなく、ただ子供が自分のことをどう考えているのかと不安になっている母親の姿がそこにはあった。
アッシュはそんなファルシュの様子を見ながらクロエに目を向ける。するとクロエはファルシュのことを心配そうに見ていた。
力があれば良いってもんじゃないんですよ!




