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16.情緒不安定

 アッシュはルキの手を引いて家路についていたのだが、その間もルキの尻尾は垂れ下がったままでいつもの元気の欠片もなかった。

 そんなルキを見てアッシュはいつもよりも重症だな。と思いながらどうやって元の調子に戻そうかと思案していた。

 ルキがこうした状態になることはアッシュにとっては珍しいことではない。具体的に言うと二ヶ月に一回くらいはこんな状態になってしまう。

 主にアッシュがルキを頼り、ルキがついうっかりそれを忘れたり、ついやりすぎてしまったり、とりあえずアッシュの頼みごとを果たすことが出来ず、自責の念や覚える必要のない罪悪感、それらによる焦燥感に追い詰められるとこうなってしまうことが多い。

 もしくは何かしらの不都合なことを起こしてしまい、アッシュに嫌われてしまうのでは? と考えた場合もこうなってしまう。

 非常に簡潔に、そして投げやりに言うのであればルキはアッシュに関してはメンタルがクソ雑魚ナメクジなところがあったりする。


 とにかく、そんなルキを連れてアッシュが自宅に戻ると扉を開けた時点で僅かに酒気を孕んだ空気が鼻孔を擽った。それと同時にアッシュは自身の手を握るルキの力が強くなったのを感じた。

 アッシュにとっては僅かであっても、鼻の利くルキにとってはより強く酒の匂いを感じてしまった。そのせいで妙な緊張状態になってしまったことによる反応だった。

 そんなルキを安心させるためにその手を握り返してからアッシュはため息を零す。


「イシュタリアめ……流石に飲みすぎだろ……」


 嫌そうな声でそう言ってからアッシュはイシュタリアがいるであろうリビングへと向かうとそこには床にぐでーっと伸びたイシュタリアが転がっていた。

 周囲には酒瓶がいくつも転がっていてこれが駄女神と言われる所以だろうか。


「はぁ……おい、イシュタリア」


 先ほどよりも酒の匂いが濃くなっているせいかルキはアッシュの背に隠れるようにしてアッシュに抱き着き、そうしてアッシュの背に顔を押し付けるようにしてその匂いを吸わないように抵抗していた。

 その行動自体は普段のルキでもしそうなことなのだが、今回は本当に酒の匂いを嫌ってのことなのでアッシュは振り払おうとはしなかった。


 そしてイシュタリアだがアッシュに名前を呼ばれても一切の反応を示さなかった。

 どうしたのだろうか、とアッシュは疑問に思いながら一歩近寄ると先ほどまでは見えなかったのだがソファにはシャロが丸くなって横になりすやすやと寝息を立てていた。

 それだけならばアッシュは特に気にすることもなかったが、シャロからも微かに酒の匂いがしていた。


「もしかして……」


 嫌な予感を抱えながらアッシュがシャロの顔を覗き込むと頬に赤みが差していることがわかった。


「いや、流石にイシュタリアとはいえ……」


 アッシュは瞳に魔力を巡らせ知識の瞳の加護の力を使ってシャロを見ると酒を飲んだことにより酔って眠っていることがわかった。

 その事実にアッシュは頭を抱えそうになりながらもとりあえず風邪だけはひかないようにと玩具箱(トイボックス)から毛布を取り出してイシュタリアとシャロにかけた。

 アッシュとしては本当なら子供に飲酒をさせたイシュタリアに対して説教の一つでもしたいと思っているのだが、今はルキを落ち着かせることを優先するのと、酔い潰れて眠っているイシュタリアを叩き起こすのが面倒になっていた。


「本当にこの駄女神は……」


 苦々しい表情を浮かべてそう言ったアッシュは一度頭を左右に振って自身に抱き着いているルキに言葉をかける。


「とりあえず、風呂だな。湯船にでも浸かってゆっくりすれば落ち着くさ」


 言いながらそっと抱き着いているルキの手を解いてからルキを見た。


「……うん、ここはお酒臭いから早く行こ?」


 軽い幼児退行のせいか普段とは全く違う言葉遣いになっているルキに対して内心で頭を抱えながらアッシュはそんなルキの手を引いて浴室へと移動した。

 ついでにこの時点でアッシュの目が幾らか死んでいるのだがルキがそれに気づく様子はなく、当然眠っているイシュタリアとシャロには知る由もなかった。

 それと内心でイシュタリアに対してどうしてくれようかと八つ当たりに近い私怨を沸々と募らせていることも、当然知る者はいなかった。



 ルキを浴室、というか脱衣所まで連れて移動したアッシュはとりあえずルキが湯船に浸かっている間にイシュタリアが飲み散らかした酒瓶を片付けようか。と考えていた。

 いやその前にイシュタリアを部屋に投げ込んで、シャロを起こしてから水を飲ませて部屋に戻るように言うのが先か。片付けはそれからでも大丈夫だ。それが終わってからルキが出てくるのを待って元々そういう約束をしてしまったのだから添い寝してどうにか落ち着かせなければ。とアッシュが更に思考を巡らせていたのだが、とあることに気づいてその思考が止まった。

 何故かルキが自分の服の袖をつまんでいる、ということに。


「ルキ?」


「アッシュは……」


「俺は?」


「一緒に入らないの?」


 その言葉にアッシュは思考どころか動きが止まってしまった。いや、その言葉にというよりも自分を上目遣いで見上げるルキの瞳が涙で潤んでいるのに気づいたから、と言った方が正しい。

 もし自分は入らない、とルキに答えた場合どうなるのか。考えるまでもなく少し落ち着いたのにまた泣き出してしまう。それがわかっているアッシュに選択肢など全くなかった。

 というよりも身内に対してどうしようもないほどに甘く、そしてクソ雑魚なこともあってアッシュが断れるはずもない。


「あー、そうだなー……ルキは一緒に入って欲しい、ってことで良いんだよな?」


「うん……ダメ?」


 普段のルキであればぐいぐいと手を引くのだが、今のルキは潤んだ瞳で上目遣い。というその手の趣味の人間には会心の一撃を叩き込むようなやり方でアッシュと入浴をしようとしていた。

 尚、アッシュにはその手の趣味はないのだが身内に対してクソ雑魚であり、幼い頃から面倒を見てきた弟のようなルキの言葉を聞いて断れるはずもなかった。


「そう、だな……うん、一緒に入るか……」


 そうするしかない、と諦めてアッシュがそう返すとルキはパァッと表情を明るくしてたった一言こう言った。


「やった……っ!」


「嬉しそうだなー……」


 アッシュの言うように嬉しそうなルキと、死んだ目でそう言葉を零したアッシュ。

 対照的な二人だったがそうするしかないと諦めたアッシュはさっさと服を脱ぐと、腰にタオルを巻いてルキよりも先に浴室へと入って行った。


 浴室は家の大きさからは想像もつかない程に広くなっていて、二人で入っても余裕があるほどに広かった。というよりも大人が五人ほど同時に入ったとしても尚余裕があるほど広い。

 浴室がこれほどに広いのには理由があった。それも非常にくだらない理由だ。

 酔いつぶれて床で眠っていそうな女神がお風呂は広い方が良いわよね! ということを言って勝手に空間を広げて改築してしまった、という本当にどうしようもない理由だ。


 そんな浴室に入れば特に準備をしたわけでもないのに湯船にはたっぷりの湯が張られていた。

 これもイシュタリアが好きな時に入れるように、ということで勝手に改造した結果なのだがアッシュは何をしたのか、詳しくは聞いていなかった。

 聞いたところで意味がないと思ったことと、割と便利なのでそれはそれで良いかな。と考えたからだ。とはいえ半分以上はイシュタリアのすることだから、と諦めているだけだったりする。


 とにかく、そうした女神によって魔改築された浴室にアッシュが入ってすぐにルキも入ってきた。

 アッシュと同じように腰にタオルを巻き、小さくではあるが左右に尻尾を揺らしている。それを見て尻尾を揺らせる程度には落ち着いているのだな、と思いながらアッシュは蛇口のレバーの代わりになっている魔石に手を翳して温かいお湯を出す。

 それが丁度良い温度になったところでアッシュはルキを手招きするとバスチェアへと座らせた。


「さ、まずは身体を洗わないとな」


「うん、わかった」


 アッシュの手招きのままにルキはバスチェアへと腰かけた。

 するとアッシュは片膝立ちになり一度シャワーでルキの背を流してから近くの棚に置いてある石鹸とボディタオルを手にしてそれを泡立て始めた。

 幼い頃はルキと共に入浴し、その世話をしていたこともあってアッシュは非常に手慣れた様子だった。そして泡立てるのが終わるとルキの背にそれをあてがうと強すぎず、弱すぎないようにと気を遣いながら背を洗い始めた。


「こうしてアッシュに背中を流してもらうのって、いつぶりだろ?」


「どうだろうな。まだまだ子供の頃だったと思うけど。いや、今でもルキは子供だけどさ」


「アッシュはすぐにそうやって子供扱いするんだから……」


 アッシュからは見えなかったが、ルキはそう言ってから拗ねたように唇を尖らせてしまっていた。

 だがアッシュが丁寧に背中を流してくれている感覚にすぐに頬を緩ませ、先ほどよりも大きく尻尾を揺らし始めていた。

 その尻尾が微妙にアッシュにぺしぺしと当たっているのだが、そういえば尻尾を洗うのも自分がやっていたな。ということを思い出したアッシュは後でそちらも洗わなければならないか、と考えていた。


「アッシュ、アッシュ」


「どうしたんだ、ルキ」


「後で俺もアッシュの背中、流すからな!」


「あー、そうだな。だったらよろしく頼む」


「おう! 任せてくれ!」


 別に断る理由もないな、と考えてアッシュが言葉を返すとルキは非常に嬉しそうにそう言った。

 それを聞きながらルキもだいぶ元気になってくれたな。と思ったのだがすぐにその手を止めた。


「アッシュ?」


 いきなり手を止めたアッシュを訝しんでルキが振り返りながら名前を呼ぶとアッシュはじっとルキを見つめていた。

 そんなアッシュの様子に一体どうしたのだろうか、とルキが首を傾げるとアッシュはため息を零してから口を開いた。


「ルキ……元気になったな。もう元通りだろ?」


「…………そ、そんなことはないと思うんだけどなー?」


 ルキは冷や汗を流しながらそう言ってから顔を背けた。その行動自体がアッシュに対する答えになっていることにルキは気づいていないようだ。


「いや、元気になったんだったらそれで良いけどさ。こんな状態になったなら別に出て行くとかはしないしな」


「え? あ、それなら良かった……えっと、アッシュ?」


「今度は何だ?」


「えっと……探してくれって頼まれたのに、忘れてて本当にごめん!」


「そのことなら大丈夫だ。一応俺の方でも探してみてたからな」


「あー……そっか、そうだよな……」


 情緒不安定になり幼児退行していたルキだったが、アッシュが思っていたよりも早く落ち着き、元気になったようで、非常に言いづらそうに頼みごとを忘れていたことを謝った。

 それに対してアッシュが自分でも探していた、という言葉を返すとルキは落ち込んだように項垂れ、尻尾も力なく垂れさがってしまった。


「アッシュの役に立てるって思ったのに、何やってんだろうなぁ……」


 いや、落ち込んでいるというよりも凹んでいる。という方が正しいのかもしれない。


「アッシュに助けてもらった日から今までずっとアッシュに色々してもらってばかりで、俺だってアッシュの役に立ちたいし、力になりたいのに……肝心なところで馬鹿なことばっかりやってる……」


 落ち着いて元気になった。そう思っていたがどうにもルキはまだ幾らか情緒不安定なままのようだった。

 幼児退行をしていないだけでルキはいつものような元気な様子は欠片もなく、それどころか落ち込んでネガティブな状態になっている。

 それを理解したアッシュは本当に大変なのはこれからか。と内心で頭を痛めながらどうするべきなのかを考えた。

風呂回は次回に持ち越し。

きっとアッシュとルキがいちゃつく可能性があるかもしれない。


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