神話の終わり
「ーそうして、神様とその恋人は二人で永い眠りにつきました。おしまい」
「えー、それで終わり?その後どうなったの?」
娘が不満げに言う。
その膨らんだ頬が可愛くて、母親は笑った。
小さな頭を撫でてやる。
「さあ、どうなったのかなあ。たぶん、今も眠ってこの世界を浄化し続けてくださってると母さんは思うなあ」
娘を抱っこして、母親は馬車から外に顔を覗かした。
澄み渡る青空。
心地よい風が吹く。
「ほら、見てごらん。あれがネレの丘よ」
「山みたい。おっきいね」
隊商の馬車が停まった。
親子は馬車から降りた。
「テレサ、おばあちゃん呼んできて。丘が見えたって言ったら喜ぶから」
「はあい」
素直に他の停まった馬車に駆けていく娘の背を見てから、母親は丘を見上げた。
次々と隊商の馬車から降りた人々が、同じように丘を見上げている。
鬱蒼と樹木が生え、岩に阻まれた丘は、聖域として人々の侵入を拒んでいる。
娘の可愛らしい声が聴こえる。
「おばあちゃあん、ナディアおばあちゃん、あのね、丘が見えたよ。起きて」
手を合わせて、うつむき祈る。
いつからそこが聖域と称されるようになったのかは定かではない。
だが、その近くを訪れる人々は、必ずその丘に向かい、祈りを捧げるのが習わしだ。
高齢の祖母の手を引き、娘が戻って来た。
「おばあちゃん、見える?」
「ああ、見える…。ほうらテレサ、手を合わせて…祈りなさいな」
孫の手のひらに、しわだらけの手を添えてやる。
「何を祈るの?」
よくわからないといった孫に、ナディアは微笑んだ。
「希望を、祈ってごらん。ゼイノス様はきっと喜ばれるから」
「希望?うーん…」
小さな手を合わせて、テレサは思い付いて祈った。
「おばあちゃんが、元気でずっと長生きできますように!」
願いは希望
祈りは希望
世界を浄化するもの
****************
……………………まぶしい
「…良い天気」
「…そうだね」
鉛のように身体が重く、力が入らない。
澄んだ青空をぼんやり見上げて、私は掠れた声を出した。
そろそろと手を動かしてみる。
自分の身体じゃないみたいに感覚が麻痺している。
「いい風…」
「ホントだ…」
なんだろ?
さっきから会話のように、誰かが返事をしているような…
「誰かいる?いるわけないか」
仰向けで、思うように動かない身体に歯噛みしつつ、目だけで周りを見渡す。
どこだっけ?
壁のように、樹木や草花に取り囲まれているようだ。
「…ここにいるんだけど」
また聴こえた。
若い男の声だ。
そう思っていたら、頬を軽く指で摘ままれた。
「きゃああ!」
転がるようにして、上半身を起こした。
すぐにグラングランと目が回った。
「大丈夫か?」
腕を掴まれて支えられる。
薄く目を開けると、目の前に座り込んでいる男がいた。
どうやら彼を下敷きにして、私は倒れていたようだ。
「はあ……俺も目が回る」
額に片手を当て、彼も目を瞬かせてから、ゆっくりと目を開いた。
こちらをじっと見てくる男に、つい見とれてしまった。
目尻の少し上がった涼やかな瞳。
鼻筋の通った綺麗な顔。
男が照れたように頬を掻いて呟いた。
「…めっちゃ美人」
「え?」
「君、名前は?」
ゆっくり立ち上がって彼が問い掛けるのに、首を傾げる。
「名前…わ、忘れた」
あれ?
出てこない。
確かに名前はあったはずなのに。
そういえば、いつから、なぜここにいるのか?
今までの記憶…
記憶は…
「何も、思い出せない…」
泣きそうになって、声が震えた。
困った顔をした彼が、ためらいもせずに頭を撫でてきた。
「大丈夫、俺もわからないから」
「え?!」
見上げていると、彼が手を差し出してきた。
「取り合えず、ここから出ようか。おいで…」
そっと彼の手を握った。
よろよろと立ち上がると、背中を支えられた。
「ありが、と…」
振り向けば、すぐそばに彼の顔があった。
胸が締め付けられるような、不思議な感覚がした。
彼も同じだったらしい。
目を見開き、じっとこちらを見つめてくる。
それから、ふっと笑った。
「…君と以前も会ったことがあるかも。…うん、なんだか久しぶり?いや、懐かしい、かな?」
ふいに視界がぼやける。
「あ…私…」
理由もなく、涙が溢れてきて止まらなくなってきた。
驚いた彼が、涙を拭おうと頬を指で何度もなぞる。
「泣かないで」
記憶がないから、不安で泣いたと思ったのだろうか。
慌てて彼が言った。
「大丈夫だから。一緒にいるから、泣かないで」
彼の腕がおずおずと頭を抱いてくれて、思いがけず深い安らぎに包まれる。
なんだろう。
泣いてるのに、嬉しいのは?
私は息を吐き出した。
私を抱える彼の腕に、遠慮がちに手をもっていき、そっと添えてみた。
その途端、懐かしくてたまらなくなった。
おかしいな。
でも、小さく彼の胸の辺りに呟いてみた。私はなぜか、この言葉を用意していたようだ。
「おかえり」
<完>
ここまで読んでくださって本当にありがとうございました!
また別の作品で出会えたら、嬉しいです。




