レィスアル
「僕はもう我慢できない」
暖炉の火を見つめたまま、ダルフェイが言った。
レィスアルが来てから一週間。
遠慮なく浴びせかけられる暴言に、はじめは黙って耐えていたダルフェイも、ついに頭にきたようだった。
「たとえ君がゆるしたとしても、僕はゆるせない。僕があの女を殺したとしても、神はきっと目を瞑っていてくれるはずだ。そうでしょう?! ラルムッ」
そう吐き捨て私を振り返ったダルフェイの目は、まるで救いを求める迷い子のように、深い苦悩に満ちていた。
心優しい彼を、ここまで追い詰めてしまったのは、果たしてレィスアルなのか、それとも……私なのだろうか。
黙って頭を横に振ると、ダルフェイはその表情をさらに悲痛に歪めて、私の肩を揺さぶりながら叫んだ。
「どうして……!」
傷口をつかまれ、思わず顔をしかめると、ダルフェイはハッとしたようにその手を引いた。
だが、それで彼の怒りが収まったわけではない。
「どうしてッ!? ラルム……君はもしかして、今でもあの人のことが、好きなの?」
今にも泣き出しそうな顔をして、ダルフェイは床に膝をついた。母に救いを求める幼子のようにすがりつく胡桃色の髪を、私はできる限りの愛情を込めて優しく撫でた。
「……ダルフェイ」
そう呼びかけると、涙に濡れた金色の瞳が私を見上げた。
私は言った。
「お前と出会い、愛し愛されることの喜びを知り、過去を過去として受け入れられるようになったとき、私は初めて知ったのだ。憎しみを憎しみを持って克服することは、決してできないということを」
彼女を殺せば、一時気が晴れたとしても、その後は永遠に罪に対する後悔に苛まれなければならないだろう。心優しいダルフェイだからこそ、なおさらに。
彼に、そんな苦悩は味わわせたくなかった。
私は身をかがめ、子供をあやすようにダルフェイの頭を胸に抱き寄せる。
「ダルフェイ、私とて偉そうなことを言ってみても、彼女を完全にゆるせたわけではない。だからこそ、時間が欲しいのだ。お前には辛い思いをさせて、本当に申し訳ないと思っている」
私の言葉に、ダルフェイは一応は納得してくれたのか、唇を噛み締めながら、頷いた。
「ラルム……わかったよ。でも、僕は――……」
ダルフェイの唇が、そっと私の唇に触れる。
真摯な眼差しが、胸を締め付けるようで……。
「せめて、君の傷が癒えるまではと思っていたけれど……」
初めは遠慮がちに、しかし確かな力で私を抱きしめる、ダルフェイの腕。
あまりにも優しい口付けに、涙がこぼれそうになる。大切な人を悩ませ、苦しませているのに……その切ないくらいの愛情が、私は嬉しい。
それを受け止めるためならば、傷の痛みも、レィスアルの存在も、もはや何も気にならなかった。
互いの想いを、存在を何度も確かめ合い、私たちは眠りに落ちていった。まるで初めから1つであったかのように、深く深く、その身と心を寄せ合いながら。
***
翌朝、いつものように食事を届けに行くと、レィスアルは不機嫌に私を睨みつけ、「いらないわ」と吐き捨てるように言った。
「汚らわしい。仮にもエルフの血を引くものが、オーガに身を任せるなんて。信じられないわ、あなたにはエルフの誇りというものがないの!?」
部屋は分かれているとはいえ、所詮は扉一枚を隔てているに過ぎない。ましてや聴力に優れたエルフである彼女にとって、夕べ居間で何が行われていたかは、目で見るように明らかだっただろう。少々気まずい思いはあったが、それでも恥じることではないと私は信じていた。実際、何もかも聞かれても構わないと、見られたって構わないとさえ、思っていたのだ。
「私はエルフではない」
私は言った。
「彼も、オーガではない。それに、彼は私の恋人だと、そう答えたはずだ」
その言葉に、レィスアルは間髪をいれず反論する。
「半分はオーガよ! 汚らわしいモンスターの仲間だわッ! そんな相手に抱かれて、あなたは満足なの。そうなの……まあ、あなたの趣味をとやかく言うつもりはないわ。でもやっぱり、あなたの本質は女なのね。まるで男の子のような振りをして、ちゃっかりあたしのアムレをたぶらかしたこと、あたしは決して忘れないわ」
レィスアルの言葉に、サイドテーブルにトレイを置こうとしていた手が、思わず止まる。震えそうになる手を何とか離しそれを置くと、私はレィスアルのほうを見ないまま、答えた。
「それは……君にはすまなかったと思っているが、断じて私が望んだことではない」
「あらそう、じゃああなたは男だというの?」
嘲笑を含んだレィスアルの声に、何故か私は彼女を振り返ることができなかった。
彼女は続けた。一転して、ひどく優しげな声で。
「ねぇラルム、あなたはきっと、他に人を知らないから彼を愛しているような気分になっているだけよ。そうでしょ? でなければあなたが、あんなオーガの血を引く男に抱かれてやることなんてないはずだわ」
「……」
「なんならあたしが相手をしてあげましょうか? あなたが望むなら、抱かれてあげてもよくってよ」
「……黙れ」
それ以上何も聞きたくない。
私は、耳を塞いでしまいたかった。
しかしレィスアルは、優しく残酷な笑みを浮かべながら追い討ちをかけてくる。
「あたしのことが好きだったんでしょう? ラルム。それともあなたは、やっぱり男にはなれないのかしら!?」
「黙れッ!」
思わず胸倉を掴んだ私を、レィスアルは冷ややかな眼差しで睨み返した。しかしその表情には、驚愕と恐怖の色が、隠し切れず残っている。
何を言われても怒るまいと決めていたのに、つい激昂してしまった。しまったと思いながらも、私は一度吹き上がってしまったその怒りを、抑えきることができなかった。
「なによ……放してッ」
彼女は私の手を振り払おうとした。しかし小さくか弱いその手は、私のそれを押し返す力は持っていない。
彼女の額にうっすら汗が浮かぶのを、私は自分でも不思議なぐらいに冷酷な気持ちで見下ろした。同じエルフの血を引いていても、彼女は女。私は半分とはいえ男で、しかも人間の血も引いている。腕力の勝負なら、その差は比較にもならなかった。
私は言った。
「レィスアル、私が何もしないとたかをくくっているのだろうが、それは大きな間違いだ。君の言うとおり、私は女性を知らないし、ダルフェイも純粋な女性の体は知らない。君がそう望むのなら、あの日君が私に対してしたことを……そっくり返してやってもよいのだ。私も、純粋な女の体がどうなっていて、どんな風に反応するのか、興味がないとは言わない」
「……」
「私はもう、少女でも少年でもない。半分は女かもしれないが、半分は男だ。半陰陽の体が純粋な男とどれほどの違いがあるのか、そんなに知りたければ教えてやる」
レィスアルの表情から、余裕が消えた。
しかしその顔に明らかな恐怖の色を宿しながら、それでもなお決してわびようとはせず睨み返してくる彼女の姿に、私は怒りよりも悲しみを感じて、彼女の胸倉を捉えていた手を放した。
彼女は、他人に頭を下げることのできない人なのだ。どんな危機におちいろうと……たとえ命を落とすことになろうとも、最後の瞬間まで彼女はこうして全力で敵意のみをぶつけてくるのだろう。
それは多分、とてもつらい生き方だろうと私は思った。
「すまなかった。脅すつもりはなかったのだ」
再び彼女から目をそらして、私は言った。
「ここの居心地が悪いなら、早く傷を治して出て行くといい。そのためにも、食事は必要だ」
「……わかったわ。でもラルム、夕べのようなことは不愉快よ。やるならあたしの聞こえないところでやってちょうだい。そうすれば、あなたとあなたの大事なモンスターさんとの関係について、とやかく言うのはやめてあげるわ」
この期に及んで、まだそんな口の聞き方しかできないレィスアル。
私はふと、この時初めて彼女に対して、哀れみを感じた。
憎しみを憎しみを持って癒すことはできないと……そう言ったのは私自身だ。彼女を憎む前に、何故彼女がこうなってしまったのかを、考えなければならない。
「ありがとう、善処しよう」
私はそう言葉を残し、部屋をあとにした。
何故だろう。あの日彼女に裏切られ、全てを失ったと思ったときよりも……今の方がずっと心が痛い。
レィスアル、君は可哀想な人だ。
私は君のそのどうしようもなく激しい敵意を、少しでも和らげてやりたい。
顔を上げると、そこにダルフェイが立っていた。
私は、泣きそうな顔をしていただろうか。ダルフェイは何も言わず、ただ優しく微笑んでみせた。
その手に、いつの間に作ったものか、一組の松葉杖が握られている。
「入っていいかな?」
そう問いかけるダルフェイに、私は黙って道を譲った。
窓の外は、今日も綺麗に晴れている。
あとで少し、森を散歩してこよう。そうすればこの晴れない心も、少しは晴れるに違いない。
そんなことを思いながら、私は窓辺の椅子に座って、1つ大きく溜息をついた。




