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第30話 試されるユリウスの術式、現れる二人目のリズ



「……はぁ〜、やっと普通に喋れる!!」



透明化の魔術が解除された瞬間、リズは大きく息を吐き出し、異国の最高級ホテルが誇る豪華なカウチへと倒れ込んだ。



レザレスが手配したインペリアルスイートの空気は、完全な温度管理と心地よい香りで満たされている。


しかし、数時間もの間、音を立てず、気配を殺し、ただ空気として存在し続けることは、好奇心旺盛な彼女にとって苦行であった。



「リズ、お疲れ様です。喉の乾燥および体温の微細な低下を検知しました。直ちに最適な温度の白湯を用意します」



シアンが、リズの横に音もなく座り、リズの肩を包み込むように優しく引き寄せた。


彼の手から伝わる安心感と、自分を呼ぶ穏やかな声が、疲労困憊を極めていたリズの心身に染み渡る。


シアンが差し出した白湯を一口飲むと、身体の芯からじんわりと温かさが広がった。



「ありがとう、シアン。……でも、本当に凄かったね。リムジンの窓から見た異国の街並み、信じられないくらい高い建物が沢山で、宝石箱みたいにキラキラしてて……あんな景色見たことなかったから、なんだかドキドキしちゃった」



リズはシアンに寄りかかり、ようやく取り戻した自分の声を噛みしめるように笑った。



入国時は正式な手続きのために実体化していたものの、『アズライト・リリーの生みの親』としての身の安全を守るため、空港を出てからはユリウスの術式に身を委ねてきた。


透明化されている間は、誰の目にも留まらない。しかし、シアンだけは、姿の見えない彼女の手をずっと握り、その存在を一時も忘れずにいてくれたのだ。



「……ですが、リズ。これからの作戦中は、再びその術式下に身を置くことになります。私が傍にいるとはいえ、暗部へと向かう間、貴方に心細い思いをさせるのは、私の論理において許容しがたい苦痛です」


「大丈夫だよ、シアン。だって、私にはやるべきことがあるから」



リズはふかふかのカウチから身を起こし、テーブルの上に置かれた『アズライト・リリー』の種を見つめた。


この小さな命が、異国の闇に巣食う汚れた魔力炉を浄化する鍵になる。そのために、自分はここにいるのだ。



「それに……ユリウスの『お芝居』も見ものだもんね!どんな風になるのか見てみたいなぁ……。試しに今やって見せてくれたりしないの?」


「…………。義姉上、それを『見もの』などと呼ぶのはお前くらいだ」



窓際の椅子に脚を組んで座っていたユリウスが、冷淡な声を響かせた。


彼は立ち上がり、リズとシアンの前にゆっくりと歩み寄る。その瞳には、これから始まる「完璧な偽装」への、狂気にも似た自負が宿っていた。



「いいだろう、明日発動する術式の最終確認と行こうか。……見て驚くなよ?」



ユリウスが右手の指をパチンと鳴らした瞬間、彼の全身を幾何学模様の魔導回路が駆け抜けた。



『魔導迷彩・深度IV』。



光の屈折、空気の密度、さらには観測者の深層心理に働きかける認識阻害までもを完璧に同期させる、ユリウスの持つ技術の真骨頂。眩い光の粒子が彼を包み込み、再構築していく。



「えっ……!?」



光が収まった後、リズは思わず息を呑んだ。

目の前に立っていた彼の外見が、一瞬で「自分」に変わったのだ。



ふんわりとした髪の質感、瞳の輝き、そして何より、リズ自身さえ自覚していないような「少しだけ右に傾く首の癖」までもが完璧に再現されている。



「どうだ、義姉上。……あー、ちょっと待て。声のピッチを調整する」



偽物のリズが、自分の喉に指を当て、不気味なほど正確にリズの声色を模倣していく。



「これならどう?シアン、私のこと、本物だと思っちゃう?」



悪戯っぽく微笑むその表情は、鏡を見ているというより、自分の魂がもう一つ外側に飛び出したような、奇妙で圧倒的な完成度だった。


ユリウスという男の、非効率を嫌う冷徹な観察眼が、リズという人間の「非論理的な明るさ」さえも完璧な数式として解読し、再構築して見せたのだ。



それまで目を大きく見開き、口を開けて驚いた表情のまま固まっていたリズが、震える声で呟いた。



「わ、わ、私がもう一人…!!」



だが、その驚愕の表情は、数秒後には劇的な変化を遂げた。


純粋な驚きは瞬く間に「過剰な知的好奇心」へと変異し、彼女の瞳はまるで未知の希少植物(獲物)を捉えたハンターのような鋭い光を帯びていく。


リズはゆっくりと立ち上がると、目を輝かせながら、偽物の自分へと歩み寄る。



その瞬間、ユリウスの背筋を強烈な悪寒が駆け抜けた。


王立アカデミー時代からの旧友としての勘が、最悪レベルの警鐘を鳴らしている。


ユリウスは数々の修羅場を潜り抜けてきた特命幹部でありながら、基本的にこの義姉バグの直感的な行動には敵わない。


ユリウスはリズの姿を模倣したまま顔を引きつらせ、咄嗟に後ずさりし、魔のリズから逃れようとした。



「い、いけませんリズ!!」



シアンが止めに入ろうとするが、好奇心に駆動されたリズの足は止まらない。


リズが偽物の自分ユリウスへ両手を伸ばそうとした、まさにその瞬間だった。



バチィッ!!と、室内の空気が凍りつき、致死量の殺気が膨れ上がった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【シアン内部・AI推論プロセス】


[System_Alert] 警告。対象リズが、他の雄(義弟)に触れる可能性を検知。


[Cyan_Ego] 許容できない。いかに外見が妻であろうと、中身はユリウスだ。今すぐあの義弟の魔導迷彩を物理的にひっぺがし、大気圏外へ射出――


[Override] 拒否。作戦に支障をきたします。


[Status] 演算コアが理不尽な嫉妬により爆発寸前です。排熱処理、限界を突破。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


空気を切り裂く鋭い音と共に、見えない魔力の刃――シアンの『ステルス魔導アーム』が数本、空間に展開された。


そして、その鋭利な矛先はリズを止めるのではなく、あろうことか後ずさるユリウスの喉元や眉間にピタリと突きつけられたのである。



「リズ!!直ちにその男から離れなさい!!」



シアンは鋭利な矛先を向けたまま、青筋を立てて偽リズ(ユリウス)を睨みつけた。


その凄まじい殺気を見たクロムが、横でハッと目を輝かせ、手元のメモ帳を猛烈な勢いで走らせ始める。



「なるほど……!!これが、パートナーに擬態した他個体に対する『高度な威圧プロトコル』!シアン様、対象を物理的に牽制しつつ愛の独占を主張するその完璧な嫉妬の出力、極めて勉強になります!!」


「うるさいぞクロム!」



狂信的な実況を緊迫した声音で切り捨てたシアンに対し、ユリウスは眉を吊り上げた。



「勝手に義姉上の方から寄って来たじゃないか…!そもそも、義姉上が『見たい』と言ったんだぞ!?」



ハッとして我に返ったリズが慌ててシアンを引き止める。



「そ、そうだよシアン!ごめんね、ついはしゃぎすぎちゃった!」


(――はしゃぐ、だと……!? あれはどう見ても、未知の被検体を見つけて歓喜する解剖学者の目だっただろうが……)



ユリウスは喉元に突きつけられた不可視の刃に冷や汗を流しながら、義姉の恐るべき自己正当化能力に内心で猛烈な毒を吐いていた。



不意に、シアンは何かを見つけたようにピタリと動きを止め――次の瞬間、不敵に、そしてひどく勝ち誇ったような笑みを浮かべた。



「ふっ……。ユリウス、貴方の偽装は、どうやら『完璧』ではないようですね」


「なんだと……!?」



自身の最高傑作たる魔導迷彩にケチをつけられ、ユリウスの右目(魔眼)がピキリと緑色に光る。


シアンは腕を組み、優越感に浸るように鼻で笑った。



「私の視覚センサーは誤魔化せませんよ。本来あるべき位置に、一つ『ホクロ』がありません。


……貴方はその不完全な姿のまま、せいぜい三流の囮を演じることですね」



夫である自分だけが知っている、妻の身体的特徴。


その圧倒的なアドバンテージを盾にした、シアンの極めて大人げないマウントであった。ユリウスが悔しげに歯ぎしりをした、その時。



「え、どこだろう…!?……あっ、確かに!ここにホクロがない!」



本物のリズが、己の首筋を指差しながら、あっさりと正解を大声でバラしてしまった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【シアン内部・AI推論プロセス】


[Cyan_Ego] ――――ああ、教えてしまった……。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



シアンの勝ち誇った顔が、一瞬で虚無へと変わる。



「……なるほど」



ユリウスは小さく呟くと、右手をすっと自分の首元にあてがった。


魔力が微かに波打つと、次の瞬間、リズが指差したのと全く同じ位置に完璧に再現された。



「これで文句はないな、義兄上」


「…………」



シアンは眉間に深いシワを寄せ、もはや言葉もなく偽リズ(ユリウス)を睨みつける。


ユリウスもまた、リズの可憐な顔のまま、傲然とした態度でシアンを睨み返した。



その異様な光景を見て、リズは感心したようにクロムの肩を叩いた。



「なんか、シアンと私(の姿のユリウス)が本気で睨み合ってるみたいで、すごいね……」



クロムの視覚センサーは、目の前の彼らを交互に捉えた。


直後、彼の内部コアで極めて非論理的なノイズ(バグ)が弾けたが――


クロムは即座にそれを『至高のエミュレートを披露する絶好の機会』として処理した。


クロムはシアンと全く同じ設計図から構築された魔導AIであり、魔導迷彩を使うまでもなくシアンの姿へ偽装可能だ。


そして、クロムはシアンのそれと酷似した声とトーンで、言葉を紡いだ。



「ええ、極めて非論理的な光景ですね」



クロムのその声と表情管理、そして発せられた言葉は、まるで『シアン・グライア』そのものであった。



「…………」



今度は、シアンの理不尽な怒りの矛先が、偽リズ(ユリウス)から背後の偽シアン(クロム)へと向けられた。



「……ど、どうでしたかリズ様、シアン様……?今の間の取り方と声のトーンは、シアン様に似ていましたか……?」



最高峰の魔導AIと天才研究者たちが己のバグとエゴをぶつけ合う、狂気に満ちた作戦会議。


明日への不安など微塵も感じさせないこの騒がしい日常こそが、彼らが命を懸けて守るべき「奇跡」の形であった。






お読み頂きありがとうございました。


第三部完結まで毎日深夜0:00(24:00)頃に更新致します。


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