訳者解題(まえがき)
シリーズ21作目は、日本の文化習俗にかなり影響を与えたと思われるお経のてきとー訳です。
このお経で語られてる『餓鬼』とは、ナマイキなお子様……ではなく、その語源となった生き物です。ただし通常の人には見えず、実際に見たことあると言ってる人はお坊さんや行者さんにもごくわずか……ですが、仏教の教義にその存在が説かれています。
生前に『ケチり、貪る』という悪行を重ねた人が死後に餓鬼へ転生してしまうそうで。
いつも空腹に苦しめられててなんにでも食いつくけれど、いくら食っても満たされず、あるいは食おうとしたものが口に入れる前にすべて燃えて無くなってしまう……と言われます。
外見イメージとしてはグールやゾンビに近く、ぐぐっていただければ画像(想像図?)も出てくるでしょう。
このお経は、そんな苦しみさまよっている鬼神悪霊である餓鬼たちを、呼び集めて食べ物を施し、食って満足したところで菩提心(救われるために修行する決心)を起こさせて一気に善の神仏に転生させてしまおうという儀式……一般に『甘露門』と呼ばれてる儀式の、その前半について説明されています。
苦しんでる者を助けることは善行で、善行をすれば自分の徳が高まるというわけですね。
徳が高まるとその分だけ苦厄から離れて願いが叶ったり(功徳)、家族や故人にその功徳の果報を贈ったり(回向)することができるというのが、大乗仏教の考え方のようです。
内容的には雑密(密教の枝葉的な部分)以外のなにものでもないと思うのですけど、密教系統ではない宗派のお寺でも、お盆の期間中かその後の時期などによく施餓鬼会が行われております。お寺の檀家になってる方ならそのときに、亡くなった人に回向する卒塔婆(ストゥーパ、仏塔……現代では塔の形を模した木の板)を立てたこともおありでしょう。
ところで施餓鬼の儀式は、いつもの密教経典とは違って、どうやらお坊さんや行者さんでない、一般の在家信者さんでもやっていいらしく……。
よって餓鬼の存在を信じる方は、『甘露門』の含まれているお経本を入手して(観光寺院門前の仏具屋さんやネットで普通に売ってます)、個人的に餓鬼のみなさんに飲食を施してみるのも功徳となるかもしれませんw
一方で転生なんぞ信じてない方は、現代でも行われてる伝統的な宗教儀式の根拠となった古代の神話、おどろおどろしいけどもいちおう救いはあるファンタジー物語をお楽しみいただきたく♪
ただ……一応インパクトを弱めて表現してますけど物理的にグロかったりキモかったりする部分もあるので、そういうのが苦手な人やお食事前の人は読む前にご一考ください。(自己責任です;)
また、毎回書いてますが素人によるエンタメ志向のてきとー訳なので、学術的な正確さに欠けてたり、宗派や諸説ごとの解釈の違いを反映できてなかったりしてますけども、その点もご勘弁ください。
詳しい方やプロの方が重要な間違いを見つけた時は、ネットで晒して馬鹿にしたり折伏と称して筆者を糾弾したりとかではなく、ひっそりと教えていただけましたら恥をかかずにこっそり修正できるため、大変にありがたくあります;
ではおどろおどろい、しかし悲しい餓鬼の物語へ、どうぞごいっしょに!
大徳 跋駄木阿(バッダモッカー?) 譯出
素人 阿僧祇 戯訳