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第4話 広橋晴太は憧れの美人担任を攻略してしまうのか

「よっしゃ広橋。どっちが早く美波ちゃんを落とせるか勝負なっ」


 まだ入学して間もない頃、佐藤が晴太に放った一言である。

 対して晴太は軽く笑い飛ばしながらこう言い返した。


「いやいや無理でしょ。先生と生徒だし。そんなの成り立つのはドラマの中だけだろ」


 茶目っ気たっぷりの笑顔から佐藤のそれが冗談であることは晴太には容易に見て取れた。

 が、しかしそのときの彼の心中ははっきり言って穏やかではなかった。

 ありていに言うと、晴太の島谷に対する憧れは結構ガチなものである。

 少なくともクラス一の美少女と称される岡野莉子と島谷美波のどちらがいいかと聞かれたら、即答かつ真顔で島谷美波と答えるほどには熱を上げていた。

 男子たちの羨望の的である島谷は今日も教壇の上に立ち、チョークで楷書体に限りなく近い綺麗な文字を書き綴っている。

 字はその人を表すというが、学校での彼女の性格は真面目そのもので隙がない。

 晴太は時折ノートに板書を書き写す手を止めてはその背中をぼんやりと眺め、至福のひと時を感じていた。

 彼の性格上、彼女が正面を向いているときに直接視線を送ることは決してしない。

 あくまで視線を悟られぬよう、こうして背中を向けたときにだけこっそりと見るのである。

 島谷美波、二十五歳。五月七日生まれのA型。出身は九州で南ニュートラル大学の教育学部卒。現在独身かつ一人暮らし、彼氏なし。

 彼女の個人情報は主にファンの男子生徒たちの間で共有されており、それは晴太の耳にも届いていた。

 言わずもがな、彼にもこの美人担任と特別親しくなりたいという願望はなくはなかった。

 しかし吹奏楽部にも所属しておらず、クラスでも目立たない彼は好感度という点において、他の男子たちに比べて大きく立ち遅れていた。


「広橋くんてさ、美波ちゃんのことめちゃ好きっしょ」

「ほぇっ……」


 晴太は思わず変な声を出してしまった。

 小金沢は頬杖をつきながら、にやついた目で彼の方を見ている。

 晴太からすればお喋りな小金沢を発端に女子たちの間で変な噂が広まるのは恐るべき事態である。

 ゆえに例えそれが図星であっても、なにがなんでも否定をする必要があった。


「いや全然、まったくもって。むしろなにを根拠に俺が先生のこと好きだとか言うのかな。そりゃ好きか嫌いかと言われたらどちらかと言えば好きだけど、あくまでもそれは一生徒として先生を慕ってるってだけのことだから。だから俺は先生のこと変な目で見てたりはとかは一切していないし、ホント神に誓って」


 そのあまりに早口な言い訳が余程ツボに嵌まったのか、小金沢は吹き出しそうになるのを堪える素振りを見せた。


「バレバレじゃん。広橋くんて自分のこと慎重で抜け目ないキャラだと思ってるみたいだけど、結構抜けてるよね」

「そ、そうかな。まあ多少はその、意識してることは認めるけど、出来れば今の話あんまり人に言わないで欲しいんだけど」

「言わない言わない。別に面白い話でもないし。なんせこのクラスの男子の三人に一人はガチの美波ちゃん狙いだかんね」

「え、そんなに……?」


 薄々分かっていたことながらも、晴太はその数の多さに改めて引いた。

 小金沢はまるで他人事のように続けた。


「誰が美波ちゃんと一番仲良くなれるか、はたまた禁断の関係になれるか、勝負はもう始まってるよ? もう一学期終わりそうだけど、今のところあたしの見立てでは頭一つ抜け出た男子はいないかな。まあ個人的に広橋くんみたいなのが番狂わせを起こしたら面白いと思うから密かに君のこと、応援してたりして」

「は、いやだから俺は別にそこまでのつもりはないし……」

「こら広橋君! 小金沢さん! ひそひそ話をしない」


 突然の島谷からの注意に晴太の背筋がビクッと痙攣した。

 彼がこのように島谷から授業中に注意を受けたのはこの一学期でこれが初めてだった。

 そしてこのようなほんの一言でさえも、今の彼にとってはご褒美以外の何物でもなかった。

 ゆえに彼は舌をペロリと出した小金沢と目が合うと、無言でグーサインを送ってみせた。


「良いこと思いついた! いっそわざと問題児になって注意を引いてみる?」

「いやいや。そんな小学生みたいな真似は嫌だよ」


 無論、こんな調子では島谷との距離が埋まるわけもないのだが、この時点で晴太は別にそこまで本気で島谷を落とそうなどとは思っていなかった。



 その夜、晴太がいつものようにゆきと駄弁っていた最中のことである。


「なあゆき、一つ聞いてもいいか」


 晴太は思いついたように呟いた。

 ゆきは茎を捻じらせ、葉先を彼の方に向けたかと思うと二度ほど素早く手前に丸め込んだ。

 遠慮せずになんでも聞いてこいの意味である。


「もしも、もしもの話だぞ。仮に俺がお前の葉の力を使ったとしたら、好感度ゼロの状態からでもその、担任の美人教師を一瞬でメロメロに出来たりもするのか?」


 するとゆきは一瞬体を仰け反らせ驚いた素振りを見せた後、自慢げに自身の能力の解説をし始めた。


「なるほど。俺にどんな女性からもモテモテになるフェロモンを出させることも可能だし、逆に相手に直接飲ませることで強力な媚薬として作用し好き放題にすることも可能か。なるほど。なるほどなぁ……」


 晴太は頷くと、しばらくの間無言になった。

 緩みきった口元から察するに、なにやら如何わしい想像をしているようである。

 島谷は顔立ちもさることながらスタイルもよく、高校生男子がそのようなことを考えてしまうのは無理もなかった。

 しかし晴太はすぐに我に返ったかのように両手でパンと頬を叩くと、首を大きく横に振った。


「いやいやいやいやいや。無し無し。駄目だろ、なにを考えているんだ俺は! 第一そんなセコい手を使って島谷先生を攻略したところで胸を張って歩けないじゃないか。なあ、ゆきもそう思うだろ?」


 するとゆきは呆れたように枝を垂れ下げ、頭をゆっくりと左右に振った。


「なに? 最初から俺にそんな度胸はないと思った? 舐めやがってこの。まあ事実だけどさ」


 さらにゆきは畳み掛けるように体を動かし、追い打ちの言葉をかけた。


「恋愛は狡いくらいの奴が得をする? そんなんだからお前は一生女子と縁がないんだって? ほっとけ。いいんだよ、俺みたいなキャラは所詮、遠くから観てニヤニヤしてる役回りがお似合いなのさ」


 晴太は一人勝手に納得したように頷くと、雑誌を手に取りベッドにゴロリと横になった。


「……まあでも、出来ればもうちょっとお近づきになりたいかな」


 しかしやはり呟くばかりで、彼に具体的にどうこうする気は一切なかった。 



 * * * *



 その日、晴太は夜の街を歩いていた。

 理由は通っている学習塾の帰りだからである。

 帰宅部で時間を持て余し気味だった彼は近頃両親の勧めにより、週二のペースで通塾するようになっていた。

 塾に通うこと自体は彼にとってさほど苦痛ではなかったが、学校とはまた違った人間関係と、そこでしか得られないピリピリとした緊張感は時折こうして息抜きのための寄り道がしたくなるぐらいにはストレスになっていた。

 そんな晴太が立ち寄ったのはこの街で一番の規模を誇る大型書店、トムラ堂書店である。

 そこには様々なジャンルの雑誌や漫画、ラノベのみに留まらず、CDやゲームソフト、アニメグッズなども多々取り扱っており、まさに息抜きには打ってつけの場所であった。

 晴太はまっすぐに雑誌コーナーに向かうと無心で漫画雑誌を立ち読みし始めた。

 ここでならゆきの目を気にすることもなくちょっとエッチな漫画も読むことができる。

 彼にもたまにはゆきからも離れ、一人の時間を満喫する必要があった。


「さてと。もうこんな時間か」


 しばらく漫画の世界観に没頭し、晴太がそろそろ帰ろうとふと顔を上げたその瞬間、彼の目にあり得ないものが飛び込んできた。

 本棚を一つ挟んで、なんと島谷がそこにいたのである。

 彼女は晴太の存在には気付いていない様子で、疲れたような目で女性向け情報誌を立ち読みしている。

 晴太は反射的に素早く身を屈め、本棚の死角に身を潜めた。

 午後十時の閉店間際、高校生が出歩く時間帯としては明らかにグレーゾーンである。

 されど端からみればその姿勢は挙動不審極まりなく、晴太は店員の冷たい視線が突き刺さるのを感じながら、忍者のように忍び続けた。

 島谷の表情にはいつも学校で晴太たちに見せているような凛とした雰囲気はなく、敢えて例えるならば死んだ魚のような目をしていた。

 やがて島谷は雑誌を本棚に戻すと、ため息をつき、そして呟いた。


「クリスマス……キリギリス……。似ている……ふふっ」


 どうやら相当疲れているようである。

 晴太は同情せざるを得なかった。

 彼は島谷が彼氏を作る暇もないほどに教師として忙しい日々を送っていることは知っていたが、まさかこんな空言を言い出すまでとは思いもしなかった。

 とは言え、この場で出ていって気の利いた気遣いの言葉をかけられるはずもなく、彼に出来ることと言えばなにもなかった。

 そうこうしているうちに島谷は雑誌コーナーを離れ、ゾンビのようなふらついた足取りで奥隅の販売コーナーへと歩み寄った。そこは意外にもアニメやゲームなどのグッズが置かれている場所である。

 彼の持ちあわせている情報では島谷にサブカル趣味はないはずで、また普段の彼女の真面目なイメージともそぐわない。

 気になった彼は腰を屈めたまま、音もなくその後を尾行した。

 島谷が見ていたのは「インペリアル・コード」というブラウザゲームのイラスト集だった。

 インペリアル・コードは世界各国の妖精や妖怪を擬人化したキャラクターが多数出現する育成型ロールプレイングゲームであり、ネットなどでは面白いと評判ではあるものの晴太の学校ではいまいち流行っていないゲームである。

 彼女はそのままそのイラスト集とのキャラクターが描かれたキーホルダーを持ち、レジへと向かった。

 そのときの彼女の顔が欲しかった玩具を買い与えられた子供のように幸せそうだったのを、晴太は見逃さなかった。

 間違いない。島谷美波はこのゲームに嵌っている――。 

 そう確信した瞬間、晴太は速攻でスマホ版のインペリアル・コードをダウンロードしていた。

 別にそれによって彼女と会話をするきっかけにしようとまでは考えてはおらず、ただ憧れの存在が好きなものを味わってみたかったというだけの動機である。


「クリスマス……キリギリス……。似ている……ふふっ」


 驚くべきことに彼女が口にしたあの独り言はゲーム内のとあるキャラクターの決めセリフであった。

 プレイアブルキャラクターの一人である二枚目剣士が敵を倒すと稀にこのセリフを言うのだが、有名声優の低音ボイスによって囁かれるそれは実際に耳にすると印象が大きく変わるものである。

 その夜、晴太の夜更かしは確実に徹夜コースに突入していた。

 そんな彼がひたすらスマホの画面に釘付けになっている傍らで、面白くなさそうにしていたのがゆきである。

 ただでさえその日は帰りが遅かった上に、構ってもらえないのがよほど不満だったのか、やがてゆきは晴太にちょっかいを出し始めた。

 ゆきは枝を晴太の背後から回り込むように忍ばせると、葉の先端で彼の乳首のあたりを執拗につついた。


「ちょっ、やめろ。乳首チクチクすんな! 感じてしまうだろ」


 ようやくスマホから目を離し、晴太はその夜初めてまともにゆきの方を見た。

 そして二三秒無言で見つめあった後、少し間を置いて晴太は言った。


「すまん、悪かった。とりあえず今日あったことを話そうか」


 晴太はゆきにインペリアル・コードをダウンロードした経緯を説明し、それ以降彼はプレイするときには必ずゆきに画面を見せながらすると約束した。

 以上、これが彼とインペリアル・コードとの馴れ初めである。

 その後すっかり嵌った晴太は同ゲームを毎日のようにプレイし続けたが、やがてゆきによく似た植物モチーフのキャラクターが仲間になると立場が逆転し、いつしかゆきのほうからプレイをせがむようになっていった。


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