第3話 晴太とゆき その3
中間テスト最終日。
晴太が妙にそわそわしていたのは勉強が間に合っていなかったからでも、試験監督の島谷のプロポーションが気になっていたからでも、ましてや誘われなかった打ち上げのカラオケで音痴な歌を披露しなくてはならない恐怖感からでもない。
数日前に本人が宣言していた通り、今朝からゆきが花を付け始めたのである。
それは彼にとって事前に来ると分かっていたことながらも、実際に目にするとやはり思った以上に吃驚するものであった。
「やめ。鉛筆を置いてください」
少しも媚びていないにも関わらず妙に色気のある島谷の掛け声と同時に、生徒全員が各々の表情で一斉に手を止めた。
晴太の隣の席の女子生徒、小金沢結華は晴太の焦燥感に満ちた顔を見て、まるで仲間を見つけたかのように安堵の表情を浮かべた。
小金沢は金髪をツインテールのように二つに結んだ、いかにもギャルといった風貌をしている。
「あ、もしかして広橋くんもヤバい感じ? あたしこれまじで0点あるかもだよ」
親しげに話しかけてはいるが、晴太と小金沢は特に親しい関係という訳ではない。
ただ単に小金沢が誰にでも友好的に話かけるキャラクターなだけである。
「さすがに0点はないと思うけど、今日は全然集中出来なくてヤバかったのは間違いないね」
「あはっ。でももう終わったんだからさ、そんなカタい顔してたらダメだよ。ぱぁーっと遊んでさ、嫌なことぜーんぶ忘れちゃおう?」
「ああ、うん。ぱぁーっと……ね」
もちろん晴太がこのあと小金沢と遊ぶ約束をしているはずもなく、彼も彼女のその発言が単なる社交辞令であることは分かっていた。
このような軽妙な会話をこなしながらも、やはり晴太は内心気が気ではなかった。
鋼鉄の話によれば淡雪草は十年に一度だけ花を付けた後、そのまま種を残して枯れてしまうらしい。
それだけで話が終わりなら本当に絶望でしかないが、一応その種を無事に発芽させることが出来たならば、次世代の淡雪草は前世代の淡雪草の記憶をすべて受け継いでいるという。
とは言え、なんにせよ彼にとっては初めての経験であり、不安であることには変わりはなかった。
「おう広橋、帰りにゲーセン寄ってかね?」
「悪い。えーと、今日は家の用事があるんだ」
「えーと、って明らかにいま言い訳考えただろ。まあいいや、気乗りしない奴を無理に連れて行ってもしょうがねえしな」
「この埋め合わせは必ずするから。じゃあな!」
佐藤の誘いを断り、晴太は急いで帰路についた。
鋼鉄による説明の続きになるが、淡雪草の花は完全なる自家受粉が可能であり、つまり種を作るのに他の個体の花粉を必要としない。
しかし、その代わりに受粉を完了させる為には持ち主である人間の愛情を込めた介抱が必要であるらしかった。
とは言え、それが具体的にどういう行為なのかまでは説明がなされておらず、それがまた彼の不安に拍車をかけていた。
帰ったらゆきが種も残さずに枯れていたらどうしよう……。
晴太はそんなことばかりを考えながらも、とにもかくにも道を急いだ。
彼は普段、自宅から学校までの通学にバスを利用している。
しかしこの日はやけに混雑していた、というよりも何故か後ろ半分の座席が不自然に空いており、前半分に人が集中していたせいでそう見えていただけであった。
彼が目を遣ると一番後ろの五人掛けの座席にはただ一人、フードを被った小柄な女性が座っていた。その人物を中心にして、まるで人払いの結界でも貼られているかのように謎の空間が出来上がっていた。
晴太はその人物を一目見て、確かに近づきがたい、ただならぬオーラのようなものを感じたが、正直それどころではなかったため深く気には留めなかった。
その約三十分後。晴太がようやく自宅の部屋に駆け込むと、ゆきは白く小さな花を一つだけ付けたままだった。
花弁は小ぶりだが真珠のように美しく、それは淡雪草の名のごとく儚げな輝きを放っている。
晴太はひとまず安心したのか、ほっと一息ついた。
「ったく。花なんか付けて一人前に色気付きやがってこの」
ゆきは晴太の気も知らずに葉の先端で自らの花を指し、しきりにその美貌をアピールしていた。
ゆきは花を付けた今朝からずっとこの調子である。
晴太はため息をつき、人差し指で花弁に軽く触れながら言った。
「いやそりゃ何度も言ってるけどすごい綺麗だよ。だけどこっちはそれどころじゃなくてだな。だいたいどうやって接したらお前に種が出来るのかも分からないし」
するとゆきは首を横に振るように、花のついた頭を左右に動かした。
そして枝や葉を複雑に動かし、例のごとく晴太にしか分からないサインを送った。
「いつも通りに普通に一緒にいてくれればそれでいい? そうか? でもなんかして欲しいことがあったら言ってくれよ」
それからというものの、晴太はゆきの様子を片時も離れずに見守った。
いつも通りでいいという言葉に反し、彼は正直鬱陶しいくらいにゆきに声をかけ続けた。
それも「大丈夫か?」だの「具合はどうだ?」だの、言い方を変えただけの同じ質問をひっきりなしにし続けた。
しかしそれに対してはゆき自身も悪い気はしていなかったようで、自分の身を案ずる声に逐一面倒臭がらずに答えていた。
深夜に差し掛かったあたりから、ゆきの花に徐々に変化が見られ始めた。
花の中心部の雄しべの部分がゆっくりと伸び、まるで接吻をするかのように中央の雌しべの部分に触れたのであった。
深夜特有のテンションの高さもあり、晴太はそれを見て興奮せずにはいられなかった。
「うおっ、なんか始まった。えーと、小学校の理科でやったな。雄しべが要するに男のアレで、雌しべが要するに女のアレで……。うーん、なんていうか一言でいうとエッチだ」
晴太も思春期の年頃の一男子である。
植物の繁殖行為から人間の性行為を連想してしまうのは致し方のないことである。
するとゆきはそんな晴太の事情を分かっているかのように、得意気に葉をうねらせながら晴太を煽り始めた。
「え、これで自分は童貞と処女を捨てることができた? ゆき、もしかしてお前、俺にマウントを取りに来ているのか……」
コクコクとゆきは頷いた。
晴太は意地になって返した。
「いーや違うね。よくよく考えるとお前のそれは単に自分で自分のコピーを作ってるだけだ。男と女、つまり俺たちのロマンスとはまた違うんだよ」
ハイハイと頷くゆきの雌しべがみるみるうちに大きくなり、種子が出来上がっていく。
晴太が初代ゆきを見たのはその晩が最後だった。
それから一週間、晴太はいつにも増して入念に温度管理や水やりを頑張った。
その一週間は晴太にとってまさに、生きた心地のしない七日間であった。
そして現在――。
鉢の中で二代目ゆきは無事に芽吹いていた。
鋼鉄の説明通り、二代目は晴太のことをちゃんと覚えており、すぐに初代と同じ程度の大きさまですくすくとその背を伸ばしていた。
「なあゆき。聞いてくれよ。今日はさあ、最悪なことが起こったんだ」
今日も学校帰りに晴太は嬉々としてその日の愚痴をこぼす。
晴太とゆきの付き合いはそれからも今まで通り、なんら変わらずに続いていくのであった。




