第27話 なんだかんだ、メインヒロインはゆきしかいない
「なあゆき。俺たちもう帰るんだよな、元の世界に。このグラスワールドでやり残したこととかないはずだろ。だったらなんで歩かされてるんだ、俺」
『燃やされる直前の私が言ったのでしょう? 甘くて美味しい木の実が沢山なっている場所があるって。帰る前に是非一度晴太に食べさせてあげたいと思いまして』
「ああなるほど。まあそういうことなら喜んで付き合うけどさ」
晴太はゆきを抱え、再び商店街を歩いていた。
品評会優勝の噂がもう広まったのか、通行人たちの注目の視線が彼の小さな相棒のもとへと注がれている。
そんな中を歩くというのは晴太にとって、まんざらでもない気分だった。
『ところで晴太、さっきのあれはなんですか』
「なにってなんのことだよ」
『ほら。優子さんですよ。なんで最後の最後でナンパなんてしたんですか』
「いやいやいや。どうやったらお前の目にはあれがナンパに見えるのか、説明してくれよ」
晴太は確かに別れる直前に優子に一言、声を掛けていた。
しかしそれは彼からすればナンパなどと言われる覚えのない、全く下心のない発言であった。
『よかったら友達になってくれませんか、だなんてナンパじゃなかったらなんなんですか。晴太は男女間の友情が成立すると思っているタイプですか? しかも女の子が不意のアクシデントで動揺した直後のタイミングを狙って。あれがナンパじゃなかったらなんなんです』
「二回言うなよ。あれは本当に言った通りで、俺もあの子と同じでまあなんというか淡雪草に依存した仲間だからさ。お互いにしか分からない気持ちのやりとりが出来るかも知れないと思っただけだよ」
『ふーん。過去の私を平気で燃やすような女を、根は悪くないと思い込むわけですね。それにしても依存ですか。自覚はあったのですね。まあ私としてはもっとベタベタに依存してくれても構いませんけど』
「いや俺も周囲の環境が違っていたら、彼女のようになっていたかもしれないって思うとな。あの人、優子さんのことをまったく他人のようには思えなかったんだよ」
『ふーんそうですか。まあそう言うなら私は晴太の言い分を信じますけどね』
ゆきはツンとした様子で茎をねじ曲げた。
晴太がそんな相棒の機嫌を取るのに苦労していると、いつの間にか景色は姿を変え、道の脇には変な形をした草や木が目立つようになっていた。
「もう大分街の郊外に来てると思うけど、その例の木はまだなのか?」
『ああ確かそんな流れでしたね。ええと確かこの辺りに……。ありました! あの木です』
「おお、アレか! たしかにすげぇたくさん木の実がなってるな」
ゆきが枝を伸ばして指した先にある木には、苺ほどの大きさの小さな赤い木の実がたくさん生えていた。
晴太はちょうどお腹を空かせていたこともあり、小走りで木の根元まで向かった。
「なるほど、見るからに美味そうな色艶をしているな。じゃあさっそくいただきまーす!」
モグッ。モグモグ……。
『どうですか? お味は』
「……あれ? なんだこれ」
摘み取った木の実を豪快に口に入れて数秒、晴太は眉を潜めていた。
その理由はメロンのような甘い木の実というゆきの触れ込みとはまるで違い、まったく味がしなかったからではない。
気付けば大胆に胸元を露出させた薄水色のロングドレスを着た、見知らぬ美女に抱きつかれていたから激しく困惑していたのであった。
「え、ええっと……」
「晴太、私が誰だか分かりますか?」
「いえ全然……。その、失礼ですがどちらさまですか」
その美女は雪のように美しい白銀の髪と、透き通るような白い肌をしていた。
彼女は大き過ぎず小さ過ぎず、それでいて形のよい胸を晴太の腕に押し当て、あざとく潤ませた瞳で彼の顔を見つめている。
ここで晴太はようやく、足元に置いていたゆきの鉢がなくなっていることに気づいた。
「まさか……」
「ふふ、ようやく気付きましたか晴太。これは食べた者の目に写る異性を理想の異性に見せる木の実です。やはりどうやら晴太は私を異性として認識していたようですね」
「はっ、お前ゆきっ!? ど、どういうつもりだよっ!?」
「どういうつもりって、元の世界に帰る前に擬人化した私の姿を晴太の頭に焼き付けるためですよ。晴太が将来、優子さんや他の女にうつつを抜かして私のことを蔑ろにしないために」
「……お前、意外と束縛強いタイプなのな。蔑ろになんかしないから離れろ。なんか落ち着かないんだけど」
「嫌です。だって晴太にまだメロンのような甘い果実をご馳走してないですから」
「は、なにを言って……んんっ?!」
晴太の唇を突然痺れるような心地よい感覚が襲った。
それは彼にとって確かに二年半前にも味わった覚えのある、異性との口づけの感触だった。
しかしフローラルな香りを伴った今回のそれは過去に彼が味わったものよりもはるかに長く、激しい情熱の篭ったものであった。
「っ、なにすんだよいきなり! まさかとは思うけど、今のキスがメロン味とか言うんじゃないだろうな」
「ええそうです。ふふ、晴太のファーストキスゲットです」
「……ったく、相変わらず恐ろしいほどのナルシストだよお前は」
晴太は厳密には今の接吻がファーストキスではないことをあえて口に出さなかった。
そして不覚にもほんの一時だけゆきのことを異性として強烈に意識してしまったことは、口が裂けても言えなかった。
「さ、元の世界へ帰りますよ晴太。私の手を握ってください」
「いや、なに自分だけ賢者モードみたいにやりきった顔してんだよ」
「今の私が言うのもなんですが、どうでしたか? こっちの世界での時間は」
「まあ色々あったけど、終わり良ければすべて良しだよ」
晴太が差し出された手を取ると、ゆきはにっこりと微笑んだ。
その美しくも優しい笑顔はどことなく島谷の雰囲気と重なるものがある。
晴太は咄嗟に再び先程のキスシーンを思い出し、照れ臭さのあまり視線を逸らしてしまった。
「チェンジ・ザ・ワールド! 晴太の世界!」
晴太の視界は一気に光に包まれ、次に目を開けた時には彼は元の世界の自分の部屋に戻っていた。
時刻を確認すると卒業式の日の深夜0時。
彼のスマホには半日前に突然消えた彼の身の安否を気遣う友人たちや島谷からの連絡が多数入っていた。
「うわ、なんて言い訳するかなこれ。ゆきも一緒に考えて……」
言い掛けた途中で晴太は言葉を飲んだ。
観葉植物の姿に戻ったゆきは小首をかしげていたが、それもそのはずである。
現在のゆきは三年近くも記憶が飛び、佐藤たちと知り合っているという事実すらも知らない状態である。
晴太は机の上に置かれた卒業アルバムを手に取り、言った。
「いや、そのことはやっぱり俺が自分で考える。それよりもゆき、今からお前にこの三年の間にあった出来事を全部聞かす。今夜は寝かさないからな」
するとゆきはドンと来いと言わんばかりに葉をクイクイッと手前に手繰り寄せた。
その後晴太はアルバムのページを捲りながら、またときにはスマホの写真を見せながら、ゆきとともに三年間の思い出を丁寧に振り返った。
その語らいは日が明けるまで続き、そしてそのまま彼は午後になるまで死んだように寝落ちした。
「よう広橋、来たぜ。三年間長い付き合いだったが、お前ん家に来たのはこれが初めてだな」
「ああよく来てくれたな。佐藤、岡野さん、鬼灯さん、川島、田辺、森さん……ってそんなに来たの!? いや、普通に家に入りきらないんだけど」
「いや、なんつーかみんなゆきちゃんを一目でいいから拝みたいらしくてよ。ほら、受験に成功したのはゆきちゃんのお陰だってやつも結構いてさ」
彼の元クラスメイトたちが参加出来なかった彼のため、打ち上げの二次会と称して彼の家に押し掛けて来たのは後日のことだった。
その頃にはゆきも彼らの顔と名前が一致するようになっており、彼らに拝まれながらも実に気持ち良さそうにしていたのだった。