いじめについて 再投稿 第一部分 はじまり 追加修正
--- いじめについて 再投稿 第一部分 はじまり 追加修正 ---
ゆきちゃんのマーキングにはどのようなものがあるか?
このマーキングがあるからといって、彼の創造した発想が入っているとは保障できないが、
逆は、ある程度成り立っているといえる。
超、桜、ピンク、幼い女の子、女装、変態、流線型、うら声、シイナ、47、ユキチ、ユキタロウ、ユキ、雪、
死、4、7、カラス、蓮華草、希望、絶望、先生、陵辱、殺戮、いじめ、光、闇、無、犬、金、黒、ウサギ、ゼロ、コード、
ランダムウォーク、カオス、複雑系、監督、社長、医者、数学、未完、みかん、車。
悪には、悪を。
(悪を裁くのは、正義であってはならない。それだと、人々が苦しむことになるから。
小さな必要悪も大きな悪も同じだけの正義で裁くなら、人は、苦しみ、闇が世界を覆う状態となりやすいという
彼の演算から生み出された言葉。社会構造をあらわす言葉である。)
上には、上がいる。
(小さな悪でも、調子に乗りすぎれば、いつか、より大きな悪に裁かれる。そういう願いをこめた言葉。
そして、いつか、その大きな悪は、孤独となりはて自ら死ぬべし。つまり、社会構造にはびこる無駄な悪を、
浄化する仕組みを表す。ここでの、死ぬとは、引退をさしている場合もある。とにかく、社会が浄化されたら、
一番大きな悪は、自分の地位や力を捨てることにためらいを持ってはならないという意味。)
大事なワード 逆、暗号
これらが、どうしてこのようになっていったか?どの時代の彼のことなのか?以下で説明していく。
いじめについて(作者:YUKI 数年前の彼そのものであるが、小説家になろうの作者パスが再取得不可能な状態になったため、
引用という形をとらざるおえない。間抜けな話である。)からの引用文章には、以下、{}を施す。
{「自殺なんて怖くてできない。けれど他人を殺すのも怖くてできない。」
私はひどく臆病なのだと思う。
「どうしたらいい?このまま苦しみにただ、耐え続けないといけないのか?
何で自分が?」
必死で解放されるときを、待ち続けていたのだと思う。殴られ、馬鹿にされ。脅され。
生きていたってきっといいことは無い。そういう結論に達したことも何度もあった。
ただ、耐え続けるだけ。あるいは、ひたすら逃げるだけ。それだけの毎日。そして誰にも言えずに苦しむ毎日。
誰も助けてくれない。だからといって助けてとも言えない。
そんなとき自分を救ってくれたのは、自分が生きている証を考えることだった。だから必死でがんばった。
勉強もスポーツも恋愛もとりたてて得意でもないけれど、自分なりに、できる限り、がんばった。
あるいは作り物の世界の中に逃げ込んだ。そして思う存分泣きじゃくった。けれど今思えばこれがなかったら、自殺していたかもしれない。
いじめはいつまでも続くものでもなかった。いじめられていた相手とも離れ離れになるときが必ず来る。顔も合わさなくてすむ。
そして、殺したいとか死ぬしかないとか、そんなどす黒い思いは、色あせていく。
どんなに激しい憎悪も、悪質な殺意も、胸を刺し続けるような冷たい鉄針のような思いも、
いつまでも心の中にとどめていられる気持ちではないのだと思う。
たしかに、いじめられたこと自体、忘れられなくても、その思いが、心の中を占める割合が小さくなっていく。
だんだんと軽くなっていける。許していける。自分も他人も生きていくために
必要なことなんだと思う。}
しかし、真実は違った。いじめをしているものと離れられても、この見えないスタッフとは、離れられないらしい。
世界中どこへ逃げても、この絶望は、自分を追いかけてくるものなのだ。
そして、偶然を装って、私を苦しめる。しかし、これから先、彼を襲うことは、一切偶然ではないのだ。
最初からすべて、祖父によって、巧妙に、仕組まれていたことなのである。
自分が消えるそのときまで、心が安心できるときはない。いまなお、この苦しみは永遠と続いている。
いや、祖父ではないか、単なる、人の発想の泥棒である。
効率よく発想させられる、いわば、家畜のような存在、それが彼なのだろう。
発想が、祖父の都合に対して、悪くなりだすと、いじめなどを利用して、無理やり強制されていたのだ。
その軌跡が彼の人生そのものなのである。
この真実を知ってもなお、生きたいなどと願うやからはただの愚かものだろう。
{先に一言だけ書いておく。今はね、幸せだと感じることのほうがずっと多いよ。きっとみんなにもそんなときが必ず来ると思う。
だからお願い。生きていて。}
当然、これも誤りである。知らなかっただけなのだ。苦しみが終わると思わされていただけだった。
それからも事態はひどくなり続けている。いつ終わるとも思えないこの暗闇の中でひたすら耐えているだけである。
ただしく、書き直すならこうなる。
もういいから、あきらめて死になさい。
{海と山がすぐそこにある、いなか町。美しい自然に囲まれて、ボクは生まれ育った。
両親が、仕事で忙しくて、幼いころはよくテレビにかじりついていたと思う。
保育園にはいれたのは、くじ運が悪かったらしく、最後の一年からだった。
ひとみしりの激しい子で、保育園の友達になじめなくて、最初二週間くらい泣き続けていたそうだ。
偶然その保育園の隣に、祖母が小さな畑を持っていて、畑仕事をしていたため、そこに近寄っていっては、
フェンス越しに、泣き続けていた。きっとそこから出たくてしょうがなかったんだろう。
知らない人だらけの保育園が、ボクには別世界に見えたのだと思う。
はじめて笑ったのは、お昼ごはんの食器をかたずけて、先生に手わたしにいったとき。
なにか褒められたのかと思うが、素直にうれしかったんだと思う。
ここだけ思い出すと、素直で泣き虫な子供といった感じを受けるかもしれないが、よく思い出せば、攻撃的な一面もあった。
友達が自慢していた大きな模型をみて、ボクはそれがすごく腹立たしくなり、何人かを引き連れて
その模型を奪いに行き、川に投げて石を落とし、粉々(こなごな)にした覚えがある。
正直その自慢の仕方がむかついていたので、なんだかすっとした。
でも、それは、かなりひどいことだった。もちろん、父にしこたま殴られて。泣きながら謝りに行った。
父の怖さがボクをコントロールしていたように今は思う。
思えばそれがなかったらいじめにつながっていたかもしれない。
父に感謝している。いなくなってからわかるってのは、このことかもしれないね。
しかしほんと同じ人間とは思えないほど矛盾している。けれどそれがボクだった。}
しかし、矛盾している理由があるのではないか?
ここで、実は、思い出すべきことがひとつあった。子供の頃、祖父に何かされているということを。
そのとき、大きな熱病で、何日もうなされることが数ヶ月に一度くらいは、経験していたのである。
40度近い熱で、毎晩、うなされ続けるのだ。
今思えば、あれがあったあと、私は、少しずつ攻撃的になっていったように思う。
どうもこれは、祖父が行った、人格破壊のための操作であるらしい。
高熱でうなされ続けることが、他人に対する強い攻撃性を持たせる方法なのであろうか?
私自身、ありも踏めないような、気の弱い人格であったにもかかわらず、この後、祖父に連れられて、
昆虫採集をおぼえ、何体も何体も解剖しては、標本化するという残酷性を、自然に、身に着けさせられていた。
気がつけば、虫を見ると、標本化したくなる。そういう気持ちが養われていたのだ。
同時に、昆虫を採取しては、カゴの中で育てるということも教わった。これも夢中でやった。
でもこれらは、人格を生成する操作だったのではないだろうか?
祖父にたくみに誘導されていたのである。
殺すことも、解剖することも、育てることも、同義であると。
それを祖父は、私の体に、昆虫という小さな命を使うことで、教え込んだと思う。
大切にする一方で、解剖もする。
そういう人格形成なのである。
これは、おそらく、創生主として必要だと祖父が考える人格なのだろう。
しかし、本当に創生主は、世界にとって必要だろうか?
今、ゆきちゃんは、創生主そのものをこの世からなくそうと思っている。
それが、あの最終解というものなのだ。
だからそれは、彼の夢などではなく、ゆきちゃんをこの世界から開放するために、無理やり書かされた、解なのである。
おそらくは、これが神様の用意していた解でもあろう。
どのように、計算してもこれ以外に解が見つからない。
祖父が知りたかったのはこれなのだ。
{その後、山側の近くに、引っ越して、小学生になった。家の隣には、小学校の担任の先生が、住んでいた。
近くには、中学生のおにいちゃんが住んでいた。よく遊んでもらって、頼りになるおにいちゃんだった。
はじまりは、ボクの不注意なひとこと。
ボクは、両親に買ってもらったプラモデルを、おにいちゃんに見せにいくと、
おにいちゃんは、それをボクのかわりに作ってくれるといった。
自分ではちょっと難しそうだったから、お願いすることにした。高価なものだったし。
数日たち、完成したプラモデルは、接着剤でべとべとで、あちこち部品が折れていたものだから、
ボクは思わず言ってしまった。「下手くそ」と
殴られたんで、逃げ帰った。
こんな些細なことが始まり。言われた側の気持ちをもっと考えるだけの頭が、ボクにあれば、こんなことには
ならなかったかもしれない。といっても小学生にそれを求める、このおにいちゃんも大人気ないとおもうが。
今思えば、おにいちゃんも中学生だったものね。どっちも幼いんだから起こるべくして起こったのかもしれない。
おにいちゃんは、やさしい顔からは想像できないほど、執念深かった。
学校へは、坂を下って、サクラの並木道を、20分ほど歩き、そこからバスにのって登校する。
けれどこの並木道を通った覚えがほとんど無い。}
だからだろうか?桜が好きなのである。最初に気になった、犬の名前もサクラであった。
桜は、彼を象徴する木なのである。
そして、花見が大好きな彼は、花粉症に、中学1年生くらいから、苦しむことになる。
大好きなサクラが咲く頃には、花粉で外も歩けない。お花見なんてできない。そういう人になっていた。
彼の好きなものからは、遠ざける。それが、祖父の嫌がらせであるらしい。
{その「事件」が起きた日から、毎日顔を合わせば、おにいちゃんに殴られるようになったから。
だから見つからないように、その道から離れた山道を歩いて、バス停まで通う毎日になった。
ほんと毎日。
それでも小学校と中学校のある場所が同じ方向なので、バス停あたりでみつかってしまうときもある。
やっぱり殴られる。
ボクは、工夫した。時間を少しずらしたり。なるたけ周りを警戒しながら歩いたりいろいろと試し始めた。
ちょっと楽しんでいたかもしれない。
しかし、敵もさるもの。おにいちゃんは、人数を増やし始めてしまった。
数人でボクを狩る。こんな遊びだったのだろう。
もうほんと、おにいちゃんときたら、バスに乗る必要も無いのに、わざわざ乗り込んできてまで殴る。
執念深いったらありゃしない。狩りだからお金でもかけていたのかな。もうほんと必死。
しかも笑っている。楽しそうだ。こっちは、殴られるの、つらくてしょうがないってのに。
笑いながら追いかけてくるおにいちゃん。いつしか夢にまで、でてきたような気がする。
追いつかれたら、でっかい黒い鉄の塊みたいなものが、自分に振り下ろされる。そんな夢。
ボクの体をすっぽり覆うほど、ほんと大きな圧迫感のようなものに押しつぶされて目が覚める。}
実はこのころ、よくこの夢を見た。部分的に、鉄の塊が自分に振り下ろされるところだけ、何度も繰り返して毎晩のように
見るのだ。これが何の意味があるのか、不思議であるが、おそらく、
殴られることの恐怖感を養うという意味なのだろう。つまり、これらも祖父が見せていた夢ということである。
{現実でも夢でも、とにかく逃げることしかできない。毎日逃げ続けた。
それから2年か1年くらいが過ぎた。
事件は、これも些細な出来事で幕を閉じた。
昼ぐらい、家には、母がいて台所で何か作ってくれていた。ボクはひとりで、遊んでいたと思う。
そんなとき、おにいちゃんは、ボクの家の庭に入り込んだボールをとりに来るふりをして、
ボクを殴りにきた。
それを偶然母が見ていた。早速父にそれが伝わったのだろう。その晩、ボクは解放された。
ボクの父は、すごく怖いひとだ。体も大きくて、力も強い。体罰なんかも当たり前。厳しい人だった。
おもえば幼少のころに受けた体罰がきつすぎたのがボクの攻撃性の原因のようにも思う。でも当時はそれが当たり前だった。
受けることは同時に教えられることでもあるのかもしれない。でも全くないともっとおかしなことになっていたかもしれない。
いじめは許さない。そんな姿勢が強く伝わってくるような一撃だった。
おにいちゃんは、自分の父親の目の前で、ボクの父から激しく殴られた。
体が壁にたたきつけられるほどの衝撃だったように思う。
もちろん、父と帰った後も、おにいちゃんが、延々(えんえん)と自分の父親から、怒鳴られる声が続いてた。
翌日おにいちゃんは、元のやさしいおにいちゃんに戻っていた。}
このおにいちゃんが、あんな一言くらいで豹変するのもおかしい。
なにより、本当に、その作ってもらったプラモデルが、接着剤まみれだったからそういっただけである。
それがきっかけで、自分から進んで、子供の世話をしてくれるような人が、
その子供を追い掛け回して、いたぶるようなまねをするだろうか?
それくらいたちの悪いひとなら、他人に殴られたくらいで元に戻るだろうか?余計、陰湿になるのが自然といえる。
どこか、おかしいのだ。
こう考えたらどうだろう?
実は、祖父に、操作されていただけではないか?
父がなぐり、もとのやさしいおにいちゃんに戻ったときに、自作自演が終了しただけなのである。
つまり、追い回させていたのは、祖父である。そういうわけだ。
こんなこと普通考えられないが、そう考えるほうが自然といえる。
もちろんどんな手を使ったかは想像もつかないが、おそらく魔法のようなことなのだろう。
他人を操作するのは、祖父には簡単なことなのだ。彼も創生主のひとりだとすると、記述変更能力や
過去改ざんを行えるはずだから。
{いまおもえば、中学生でたとえわるぶっていても、親にさからえるわけなんてない。
まず親に話しておけばよかったかもしれない。そのときはそこまで頭が回らなかったけどね。逃げるのに必死だったから。
でも、あのとき、模型を壊された子の気持ちってどんな気持ちだったのだろう。
それから一年間くらいは、その子にあえなかった。それほどその子は傷ついていたのだと思う。
ボクも買ってもらった模型がぼろぼろになって帰ってきたときすごくいやだったもの。目の前でぐちゃぐちゃになっていく
模型をみながらあの子はどんなきもちでそれに耐えていたのだろう。
そのとき、父に怒こられていてほんとによかった。始まりは、きっとほんと些細な子供同士の問題なんじゃないかな。
そこから1年ほど、すごく楽しく学校生活が送れた。学校に行って、友達と一緒に悪ふざけをして、
勉強も隣に住んでいた先生にいつもみてもらって、ほんとすごく幸せだった。}
このころからか、ゲームというものを覚えた。まずは、隣近所の友達から、おもちゃとして、遊ばせてもらったのが、
ドンキーコングという液晶画面のゲームだった。そして、しらばくて、ファミコンというものが、家庭にやってきた。
父がパチンコの戦利品で勝ち取ってきたらしい。
つまり、ゲームをしていたから、他人に対して、攻撃的になった、だから強制しなければならくなったのではなく、
ゲームは、後から入ったのである。攻撃的になったのは、祖父の教育と、高熱の影響なのだ。
つまり、先導されていた可能性もあるということ。
上の数行部分は、理解できなくてもよい。すべての事情を知っていて、世界の真実を隠しているもののなかに、
もし彼が、ゲームをしていて、攻撃性を強めたなどと、だまされていた人がいたとしたら、
実は、最初から祖父とその関係者が、だましていたというわけだと説明しているだけだから。
ニュースで、ゲームをすると、リセットという行為を覚え、攻撃性をゲーム感覚で養うなどと
報道されたが、あれの理由がこれだったなら、すべて、祖父の自作自演であるというわけだ。
ゲームを世に出したくなかったのだろう。
ちなみに今も、祖父は、ゲームが非常に嫌いである。
あれは、人間性というか?祖父にとって都合の良いという意味の国民性をだいなしにするようだ。
それは奴隷という意味なのだろうか?自分たち、創生主のみが発想し、その発想に従い、
都合よく技術を生産し、都合よく消費するだけの完全社会管理、それにとって
音楽やゲームやアニメやドラマなどは、その大切な国民性を害するものであるらしい。
ゆきちゃんにいわせれば、それは愚か者の答えである。
なぜなら、もっとも祖父がほしがっていた、神の答えは、それとほぼ同一のものであるからだ。
それは、最終解のクエリーを読んだ人なら理解できるであろう。
祖父が嫌うようなもの、つまりは、他人の他人とまじわることで生まれる発想というものが、神が想定した最後の解とは思うまい。
ゲームというなら、この世界も、インタクラクティブ性を高めるだけ高めたゲームとなんらかわらないのである。
その証拠に、最終解では、この世界もひとつのコンテンツと位置づけれらる。
さて、さらに父にお願いして、パソコンというものを、このとき所有できた。
これを使い、ゲームそのものを自分でつくりたかったのだ。もうこれはほんと夢中でやった。
小学生2年生くらいで、ひととおりの市販ゲームのプログラムが読めるようになった。
もちろん自分でもある程度なら作り出せる程度になっていた。
特に、面白かったのは、CGである。
毎日のように、友達と相談しては、CGを作り、ゲーム性を練りこんで、新しいゲームができないか
ゲーム作りは、いわば彼にとっての、友達とのコミュニケーションともいえるまでになっていた。
それくらいゲームを愛していたのだ。作っては、友達を家に呼び遊んでもらう。そういうことの繰り返しである。
このころ、市販ゲームのプログラムに近いものは、ソースとして、本になり出版されていた。
ベーシックマガジンという本だが、知っている人は知っているだろう。これについて
語らせたら、何万行も増えそうなのでやめておく。ゲームは、危険なものではない。その想像力を養う上で
非常に重要であるといいたいのである。
郵便局でバイトしていたときも、目的は違うが、愛読する本は、ゲームクリエイター用の専門書やソフトバンクから
出版されていた、サーバー構築やダイレクトXプログラミング系の書物ばかりである。
そのかいあってか、ネットゲームの基本的なサーバーやチャットサーバー、3Dプログラミングくらいはかけるようになった。
それくらい愛しているものなのである。それもそのはず、これらの知識は、最終解をつくるには必要なものなのだ。
ゆきちゃんは、無意識でそれらを、彼が選択するように、していたのだ。
{しばらくして、学校を転校することになった。
後から聞いた話だと、父が起こした女性関係の問題から、姿をくらませる
理由であったらしい。
学校の友達に、寄せ書きをもらって、手紙を書くからねと約束した。
友達から手品とかいろいろ見せてもらった。お別れ会というものをはじめて経験した。
夜、荷物をのせた大きな車で、出発するとき、ボクは確かにわくわくしていた。
これから訪れる町に思いを寄せながら。
それから数年してこの町に戻ってきたとき、風のうわさで聞いたこと。
隣に住んでいたおにいちゃん。おにいちゃんが呼んだ仲間のリーダーのような人が
麻薬でつかまったらしいということ。パトカーが家の前まできたって話だった。
ボクは背筋が凍るような思いだった。}
次章に続く。