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救国の英雄が残飯を毎晩食べに来るので、まかない付きにしました

作者: よるの 余白
掲載日:2026/07/04


 うちの店には、残飯を食べに来る幽霊がいる。


 気づいたのは十日前だ。閉店後、裏口の脇に出しておいた残飯桶の中身が、朝には減っている。それだけなら野良犬の仕業で片づく。問題は、桶の横にうちの皿が重ねて返されていることだった。


 ぴかぴかに洗って。水気まで拭いて。取っ手の向きまで揃えて。


 律儀な幽霊である。


 うちは下町の食堂だ。名前は「ロッタの店」。ひねりがないのは、看板を書き換える金を惜しんだ父のせいで、その父はもういない。店と鍋と、食い物の恨みは一生ものだという教えだけを残して逝った。だから私は、残飯を黙って食われるのがどうにも我慢ならなかった。盗まれたことにではない。どうせ捨てるものだ。


 冷めた飯を、洗い立ての皿で返すような人間に食わせていることに、である。


 十一日目の夜、私は帳場の灯りを落とし、勝手口の陰で張り込んだ。


 月が高くなった頃、それは来た。


 最初、本当に幽霊かと思った。塀の影から音もなく現れた背丈は、扉の枠より頭ひとつ高い。肩幅は樽二つ分。そのくせ足音がまるでしない。巨影は残飯桶の前で足を止め、懐から布を出して手を拭き、それから桶の中の冷えた麦粥を、驚くほど綺麗な所作で食べはじめた。


 空き樽の上に座って。月を見ながら。背筋を伸ばして。


 ――どこかで見た顔だった。


 思い出すのに三口ぶんかかった。春の凱旋式。大通りを埋めた人垣。紙吹雪。花。その真ん中を、大剣を背負って歩いていた男。


 魔王を討った、救国の英雄ガルド。


 国王陛下が抱擁し、聖堂の鐘が一斉に鳴り、パン屋のマルタおばさんが号泣していた、あの英雄が。


 うちの残飯を食っている。月夜に。樽の上で。


 は?


 国中が、あの人の帰還を祝って三日呑んだくれたのだ。酒場は英雄の名の酒を出し、広場には花が絶えず、子どもは木の棒を背負って英雄ごっこをしている。その当人が、冷めた麦粥を。


 気がついたら、勝手口の戸を開けていた。


「そこの英雄様」


 巨影が、跳ねた。


 文字どおり跳ねた。樽が倒れ、巨体が塀にぶつかり、積んであった薪が三本転がった。魔王を討った男は、薪の上に尻餅をついたまま、皿を胸に抱えて私を見上げた。


「も……申し訳ない」


 声は低く、深く、そしてか細かった。


「盗みのつもりは……いや、盗みだ。代金を。代金を払います」


「いりません。捨てるものなので」


「では皿の……皿は洗って」


「返ってきてます。毎朝。ありがとうございます」


「…………」


 英雄は薪の上で小さくなった。体積的には全然小さくなっていないのだが、気配だけが子犬ほどになった。魔王とやり合った人がこれでいいのか。


 私は腕を組んだ。


「ひとつだけ聞きます。なんで残飯なんですか。あなた、今この国で一番、温かい飯が出てくる人でしょう」


 英雄は少し黙って、それから、ごく当たり前のことのように言った。


「温かい食事は、並んでいる者のものですから」


「……はい?」


「遠征では、そうでした。炊事の列に並んだ者から、温かいものを受け取る。自分は殿(しんがり)ですので、列には……最後で、大抵は冷めていて。それで足りていました。今も、それで」


 真顔だった。冗談でも、卑下でもなく、この人の中ではそれが世界の法則なのだ。戦争は二年前に終わったのに、この人の飯だけまだ戦場にいる。


「それに」


 英雄は、抱えた皿に目を落とした。


「恥ずかしながら――味が、あまり分からないのです。長く戦場の飯を食っていたら、いつからか。だから、温かかろうが冷めていようが、自分には」


 同じです、と言いかけたのだと思う。


 言わせなかった。食い物の恨みは一生ものである。そして目の前で食い物が恨まれていた。作った私にも、食わされてきたこの人にも、たぶん両方に。


「明日から、残飯は禁止です」


「……はい。二度と」


「代わりに閉店後、まかないを出します。温かいのを」


 英雄が顔を上げた。月明かりでも分かるくらい、困っていた。


「それは……受け取れない。並んでいない者が」


「並ばなくていいように、仕事をつけます。皿洗い。うちは人手が足りてません。労働の対価にまかない。等価交換です。あなたが受け取るんじゃない、私が払うんです」


 我ながら見事な理屈だった。父さん、見てるか。娘は今、国家の英雄を皿洗いで雇った。


 英雄は長いこと黙って、それから、深々と頭を下げた。


「……では、明日から。よろしくお願いします、店主どの」


「ロッタの店へようこそ。うちの残飯桶より、うちの飯のほうが強いですよ」



 翌日の閉店後から、英雄の皿洗いが始まった。


 発見が三つあった。


 第一の発見。英雄は猫舌だった。


 初日のまかないは芋のスープにした。湯気の立つ椀を出したら、英雄はしばらくそれを両手で包んで眺め、意を決したように口をつけて、無言で天井を仰いだ。


「熱いなら熱いって言っていいんですよ」


「……戦場では、熱い汁が出た時に冷ましている余裕は」


「ここは戦場じゃないです。ふうふうしてください」


「ふうふう」


 英雄は椀に向かって、生真面目に、ふうふうした。大剣で魔王の首を落とした男が、芋のスープに、ふうふう。この光景に値段をつけるなら金貨十枚は下らないと思う。


 第二の発見。英雄は野菜の名前をほとんど知らなかった。


「店主どの。この、白い……剣のような、これは」


「大根です」


「だいこん」


「知らずに食べてたんですか、今まで」


「戦場の鍋に入っているものは、すべて『具』でした」


 なるほど戦場では具でよかったのだろう。だがうちの店では駄目だ。私は棚の籠をひとつずつ指差して、大根、人参、玉葱、蕪、と教えた。英雄は一つ一つ、本当に一つ一つ、深く頷きながら復唱した。翌日には全部覚えていた。魔王より野菜のほうが手強かったらしい、ということはなかった。


 第三の発見。これが一番まずかった。


 豆のさや剥きを頼んだのだ。皿を洗い終えて所在なげにしていたので、軽い気持ちで。


 英雄の手は、私の顔くらいある。指の付け根に剣ダコが並んで、甲には古い傷が走っている。その手が、親指の腹でさやの筋をすっと引いて、豆を一粒も潰さず、一粒も転がさず、器に落としていく。ひと粒ごとに、ちゃんと見て。壊れものを扱うみたいに。


 なんだその手つきは。


 聞いたら、英雄は少し考えて言った。


「壊すのは、得意なので。……壊さない方は、練習しないと」


 私は豆を茹でる係に戻った。それ以上その手を見ていると、胸の奥のほうが変な音を立てそうだったからで、断じて他意はない。ないったらない。



 まかないは夜の契約だったが、ある朝、私は英雄を市場に連れ出した。芋の袋と粉の樽が届く日で、荷運びの人手が要ったからだ。対価は昼のまかない。等価交換の輪は広がる一方である。


 英雄は市場で、たいへん目立った。


 当然である。大通りを歩けば紙吹雪が降った男だ。八百屋のおやじは直立し、魚屋の兄弟は喧嘩をやめ、通りの犬までお座りした。当の英雄は樽を二つ、俵をひとつ、芋の袋を小脇に抱えて、私の後ろを静かに歩いてくる。荷車の立場がない。


「ロッタどの。あれは」


「蕪です。この前教えました」


「いや、その隣の」


「……赤蕪です」


「赤い蕪が、いるのか」


「います」


 英雄は八百屋の店先で、蕪と赤蕪を長いこと見比べていた。おやじが震える手で赤蕪をひとつ差し出し、英雄様これはお近づきの印に、と言った。英雄は生真面目に首を振った。


「受け取れない。並んで買う」


「並ぶも何も、誰も並んでませんが」


「では、買う。おいくらか」


「ど、銅貨二枚で……」


「言い値で」


 私は横から英雄の脇腹を肘でつついた。届かなかったので腰をつついた。


「駄目です。市場では値切るんです」


「値切る」


「相場より高く買うのも、店には毒なんです。英雄様が言い値で買ったら明日から全部の値が上がって、町のおばあちゃんたちが困ります。いいですか、こう言うんです。『二枚は高いよ、傷もあるし、一枚半』」


 英雄は赤蕪を宝珠のように掲げ、真剣に傷を探した。どこにも無かった。魔王を討った男は、しばらく苦悩したのち、絞り出すように言った。


「……二枚は、高い。と、思う。自分は」


「疑問形になってます」


「一枚半では……駄目だろうか」


 おやじは笑いを噛み殺した顔で「一枚半で結構で!」と叫び、袋に赤蕪を三つ余分に入れた。値切った意味がない。帰り道、英雄は戦利品の赤蕪を大事そうに抱えて、少しだけ得意げだった。


「ロッタどの。次は、もっとうまく値切れると思う」


「その顔と体格で値切られると町の物価が崩壊するので、ほどほどでお願いします」



 雨の夜もあった。


 客足の絶えた晩、閉店の鐘のあと、英雄はいつも通りの半刻後に現れた。ずぶ濡れで。


「……傘は」


「降っていたので」


「答えになってません」


「濡れても、風邪をひかない体質です」


「体質に頼らないでください」


 手ぬぐいを頭に投げて、その夜は生姜を効かせた熱い汁にした。ふうふう、と真面目な音が湯気の向こうから聞こえる。次の日、私は古傘を一本、裏口の脇に掛けておいた。傘は翌朝、ぴかぴかに乾かして返されていた。返さなくていいんですよ、と言ったら、英雄はしばらく考えて、では雨の日にまた借ります、と言った。それは持っているのと何が違うんだろうか。まあ、いいけれど。



 まかないと皿洗いの夜は、静かに積み重なっていった。


 英雄は毎晩、閉店の鐘からきっかり半刻後に裏口へ現れる。皿を洗い、豆を剥き、薪を割り(一撃で樽ごと割ろうとしたので止めた)、そして湯気にふうふうして、まかないを食べる。


 味は、分からないままらしかった。


 それでも英雄は毎回、器の中身を全部たいらげて、両手を合わせて言うのだ。


「ごちそうさまでした」


 味の分からない人間の、世界で一番ちゃんとした、ごちそうさまだった。


 だから私は意地になった。香りで立たせた焼き飯。歯ごたえを重ねた根菜の揚げ物。とろみの汁、冷たい和え物、焦げ目の音までごちそうのパン粥。味がだめなら、湯気と香りと歯ざわりと、他の全部で殴ればいい。食い物の恨みは一生ものだが、食い物の意地も一生ものである。


 その夜は、干し魚と昆布で出汁を引いた。


 朝から水に浸けて、火にかけて、沸かさぬ手前で引き上げて。澄んだ金色の汁に、塩をひとつまみ。それだけの椀を、湯気ごと英雄の前に置いた。


「具がありません、店主どの」


「今日はそれが具です。ふうふうしてから、ゆっくり」


 英雄は言われたとおり、ふうふうして、ひとくち含んだ。


 箸が、止まった。


 巨体が、椀を持ったまま動かなくなった。私は流しを拭くふりをしながら、横目で見ていた。英雄はもうひとくち飲んだ。それからまたひとくち。三口目の後で、ようやく声が出た。


「……味が」


 湯気の向こうで、英雄がこちらを見た。


「味が、します。店主どの。これは、その……なんと言えばいいのか、旨い、というものだと思う。多分。いや、確かに」


「そうですか」


「旨い、です」


「知ってます。私が作ったので」


 声が上ずらなかった自分を褒めたい。英雄は椀の中の金色を、宝物の目録でも読むみたいにじっと見て、残りを最後の一滴まで飲んだ。


 それから、空になった椀の底を、しばらく見ていた。


「……うちの隊は、飯炊きが早くに死にまして」


 静かな声だった。


「それからは、誰かが作った、誰のものでもない飯をずっと。味が消えたのは、たぶんその頃です。――こういう、味のするものを。隊の連中にも、食わせてやりたかった。生きているうちに」


 私は何も言えなかった。慰めの言葉は、私の商売道具ではないからだ。だから私は、私の道具で答えた。


「……おかわり、あります」


「……いただきます」


 その夜の英雄は、椀を三杯空けた。両手を合わせる。いつもの言葉。でも今夜のは、意味が入っていた。


「ごちそうさまでした」


 私は四杯目の湯気の陰で、少しだけ泣いた。誰が泣くか。玉葱のせいである。今日は玉葱を使っていないが、そういうこともある。



「ごちそうさまでした」


 と言って、英雄が皿を返す場所は、最初は裏口の桶の横だった。


「ごちそうさまでした」


 いつからか、勝手口の棚になった。


「ごちそうさまでした」


 そのうち、流しに直接になった。並んで洗うようになったからだ。大きな手が洗い、私が拭く。うちの流しは二人で立つには狭いのだが、狭いと文句を言う者はこの台所にはいなかった。


「ごちそうさまでした。……ロッタどの」


 名前で呼ばれた夜のことは、よく覚えている。私が椀を落としかけて、英雄が跳ねて、薪がまた三本転がった。名前くらいで跳ねるな、と思う。跳ねたのは椀を落としかけた私が先だが、それはいい。


「ごちそうさま。今日の大根、うまかった」


 敬語が少し崩れてきた頃には、味のほうも少しずつ帰ってきているようだった。



 一度だけ、閉店間際に面倒な客が来たことがある。


 よその町の行商人で、たちの悪い酔い方をしていた。会計の段になって銅貨を放って寄越し、足りない分を「まけとけ」と笑い、私が断ると腰を浮かせて声を荒らげた。


 こういう時、うちは私一人の店である。――だった、と言うべきか。


 厨房の暖簾が持ち上がって、皿を拭きながら英雄がぬっと出てきた。何も言わない。殴らない。睨みもしない。ただカウンターの内側に立って、布巾で皿を拭きながら、行商人を見た。


 静かだった。動かない山が、急に店の中に生えたみたいだった。


 行商人は覚めた顔で座り直し、足りない分どころか釣りもいらないと言って帰っていった。二度と来なかった。


 英雄は皿を拭き終えて、少し不安そうに私を見た。


「……壊して、いないな?」


「壊してません。満点です」


 壊さない方の練習は、ちゃんと実っていた。


 町のほうは、とっくに慣れていた。衛兵のドナおじさんは英雄を「大飯食いの兄ちゃん」と呼んで夜回りのついでに油を売っていくし、マルタおばさんは「体がでかいんだから」と言ってパンの耳を袋いっぱい押しつけていく。凱旋式で号泣していた人と同一人物である。広場では英雄が子どもらに囲まれて木の棒の構えを教え、「剣は、抜かないのが一番強い」と大真面目に説いて、つまんねー、と総ツッコミを受けていた。救国の英雄が。下町の広場で。完敗していた。


 救国の英雄は、この町では、よく食べる働き者の兄ちゃんになった。


 それでいいのだと思う。うちの店の帳簿的には、まかない一食で皿洗いと薪割りと豆剥きと荷運びと用心棒が片づくのだから、これはもう歴史的な等価交換である。断じてそれだけの話である。ないったらない。



 その少しあと、英雄が「作る側」を志願した。


 きっかけは、向こうの一言だった。


「ロッタどのは、いつ食べているのですか」


 聞かれて、答えに詰まった。店主の飯は立ったままの味見と、残り物のつまみ食いで済んでしまうことが多い。父もそうだった。作る側は、いつだって列の外にいる。


「……それは、自分と同じでは」


 ぐうの音も出なかった。魔王を討った男に、正論まで討たれた。


 というわけでその夜のまかないは二人前になり、一品だけ、英雄が作った。教えたのは握り飯である。炊きたての飯、塩、手水。以上。うちの店で一番簡単で、一番ごまかしの利かないやつだ。


 英雄の手の中で、握り飯は消えた。物理的に見えなくなった。手が大きすぎるのである。心配になった頃に大きな手が開いて、そこには俵ではなく、ほぼ球体の、しかし米が一粒も潰れていない飯の塊があった。


 豆のさやの手つきだった。壊さない練習の、成果だった。


「……形が、すまない」


「形は丸でも三角でも握り飯です。いただきます」


 塩が、少し強かった。戦場の塩加減だと思ったら、なんだか可笑しくて、それで、旨かった。旨いです、と言ったら、英雄は湯気もないのに、ふうふうするときの顔をした。



 王城から使いが来たのは、そんな頃だった。


 叙勲。爵位。宮廷付き武官の椅子。ようするに、国が今さら英雄の置き場所を思い出したのだ。式典と晩餐が七日続くという。


 出がけに英雄は、七日ぶんの薪を割り、豆を剥けるだけ剥き、皿という皿を磨き上げていった。最後に裏口の傘の位置をまっすぐに直して、「行って参ります」と言って、行った。当然だ。国を救った人の、正しい居場所である。


 うちの閉店後は、静かになった。


 一日目。まかないを一人分だけ作るのは、量の加減が難しかった。多めに作って、結局残した。残飯である。誰も食べに来ない残飯ほど、始末に困るものはこの世にない。


 二日目。ドナおじさんが夜回りのついでに顔を出して、兄ちゃんは、と聞いた。王城です、と答えたら、そうかあ、偉くなっちまうなあ、と笑った。偉いのは最初からです、と答えて、なぜか自分が少し腹を立てていることに気づいた。


 三日目。豆のさやが溜まった。剥き手がいないからだ。それだけの話だ。


 四日目。マルタおばさんがパンの耳を持ってきて、渡す相手がいないことに気づき、二人で黙って耳をかじった。しけた夜だった。


 五日目。椀を二つ出して、一つを棚に戻した。戻しながら、これは重症だなと他人事のように思った。食い物の恨みは一生ものだが、こういうのは、なんと呼べばいいのだろう。


 六日目。城のほうで祝砲が鳴った。晩餐は佳境らしい。町は乾杯していた。私は鍋を磨いた。とてもよく磨けた。顔が映るほど磨けた。映った顔は不機嫌だった。


 七日目の夜。帳場を締めて、灯りを落として、裏口の閂に手をかけた時だった。


 窓の外、月あかりの中に、見覚えのある巨影が見えた。


 塀の際。空き樽の上。背筋を伸ばして、月を見上げて座っている。膝の上に皿はない。ただ、座っている。初めて見た夜と同じ場所に、所在なさそうに、まるで並ぶ列を探すみたいに。


 私は戸を開けた。


「そこの英雄様。うちの樽に何か用ですか」


 英雄は、今度は跳ねなかった。ゆっくりこちらを向いて、少し困った顔で笑った。


「晩餐は、七日ありました」


「豪華だったでしょう」


「銀の皿に、白鳥の形をした何かが乗っていました。それが……その」


 英雄は、正直に言った。


「味が、しませんでした。七日とも」


「…………」


「舌の問題ではないと思う。あれはきっと、旨いものです。ただ、自分の味は、どうやらこの店の流しの横に置いてきてしまったようで。取りに来ました」


 言い方というものがあるだろう、と思った。心臓に悪い。魔王でも討ってろ。


 英雄は懐から、白い布の包みを取り出した。開くと、砂糖菓子が出てきた。白鳥の形をした何か、の小さいやつだった。


「晩餐から、ひとつだけ。……ロッタどのに、鑑定を頼みたく」


「鑑定」


「自分には分からなかったので。これが旨いものなのかどうか」


 持って帰ってきたのか。宮廷の晩餐から。砂糖の白鳥を。私のために。懐に入れて。


 私は大きく息を吸って、店の中を親指で指した。


「鑑定します。お茶を淹れるので、中へ。それと、まかないと皿洗いは継続でいいです。溜まってますから。ただし」


「ただし?」


「今日からは、店の中で食べてください。樽は禁止。裏口も禁止。カウンターに席を作ったので」


 英雄は立ち上がって、のっそりと戸口をくぐり――頭を鴨居にぶつけて――カウンターの椅子に、遠慮がちに収まった。椅子が悲鳴を上げたが、まあ持つだろう。私は棚から椀を二つ下ろした。今夜は、戻さなくていい。


 鍋を火にかける。出汁の香りが立つ。湯気の向こうで、英雄がそわそわと両手を膝に置いて待っている。


「ロッタどの。今日の具は」


「大根です。よく煮えてます」


「だいこん」


 英雄が、笑った。


 ちなみに砂糖の白鳥は、二人で半分こして食べた。甘かった。英雄は「甘い」と言って、それから、湯気の向こうで付け加えた。


「この店のものは、味がします。……理由は、たぶん、もう分かっています」


「……出汁の引き方が良いので」


「そういうことに、しておきます。――当分は」


 当分の先を聞く度胸は、今日のところは、まだない。それがどういう意味なのかは、もう少しだけ、二人で気づかないふりをしておくことにする。


 うちの店には、まかないを食べに来る英雄がいる。


 皿はぴかぴかに洗って返してくれる。取っ手の向きまで揃えて。


 律儀な常連である。


 おしまい!


お読みいただきありがとうございました!

湯気とふうふうと大根のお話でした。

「飯と勘違いとほのぼの」がお好きな方は、連載中の『俺、当て馬なんで逃げます。――なんでついてくるんですか、ヒロインさん』もぜひ。畑で大根を育てる元営業マンと、口の悪いヒロインのすれ違いラブコメです。

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