18. バカがパンダでやって来た
弟妹の手で明かされる“かつての構図”。思い出と現在が重なり合う、切なさの夜。
その裏で始まる静かなる復讐劇
NeoTask社の仮設ラボ。
配信後の静まり返った空気の中で、中村氏はコーヒーも冷めたまま、端末のモニターを食い入るように見つめていた。
「……ほんとに、あの構造材、どこで拾ったんです?」
少し遅れて現場に戻った俺は、まだ仮面も外していないまま、控えめに笑った。
「言いましたよね? 映えポイント探してただけだって」
「映えどころか、会社が跳ねますよこれは」
彼の声に本気の熱が混じる。
資料として机に広げられたマテリアルスキャンのデータは、いずれも既存素材とは桁違いの特性値を示していた。
──強靭で、軽量で、自己修復性まである。
理論上、極端な話……“魔法”すら、現実に再現可能かもしれない。
「で、これの扱いなんですが……利益分配の件、正式に提示するのは時間がかかるかと。社内手続きも要りますし」
「いいですよ」
俺はあっさりと返した。
「え?」
「0.5%でも、5ppmでも、5%でも何でも良いです。貴方なら悪いようにしないだろうって──信じてますから」
中村氏が目を見開いた。
彼は何かを言いかけて、それでも一瞬だけ沈黙し、深く息を吐いた。
「……ほんと、不思議な人だ」
「よく言われます」
「こういうの、普通なら何千万だ何億だって騒ぎになるんですよ。あなたがどこまで理解してるか分からないけど、社内が今、軽くパニックなんですよ?」
「まあ、それなりには分かってますけど」
そして、俺は苦笑する。
「けど、金で解決できることは、まだマシですからね」
その一言に、中村氏の眉がわずかに動いた。
彼の視線が、一瞬だけ、俺の仮面越しの目元に刺さる。
「……まさかとは思うけど、あなたって……」
「ええと?」
俺は軽く首をかしげてみせた。
中村氏はそれ以上は詮索せず、笑って誤魔化す。
「まあいいや。あなたに払う分は、僕が責任持って通しますよ」
「よろしくお願いします」
コーヒーの香りだけが、少しだけ残っていた。
☆ ▲ ◇ ▲ ☆
──インゲン視点──
録画データの再生バーを指でなぞるたび、映像の角度やエフェクト、弾道の軌跡が少しずつ違うのが分かる。
それでも、流れるような連携の妙──
「この動き……やっぱり、パパにしかできない」
私は無意識のうちに、そう呟いていた。
ソファに座り込んだまま、毛布に包まってタブレットを抱えていた。
その右隣、いつの間にか入り込んでいたのは妹。
左には弟が、ジュース片手にご機嫌な顔で画面をのぞきこんでいた。
「ねぇねぇ、これってさー」
「おねーちゃんがパパに言ってた『バカ、バカ!』ってやつ、言ってたよね?」
「えっ?」
思わず目を見開いて、画面に意識を戻す。
──確かに、終盤。怒鳴っていた。
『パパ! ……バカっ……!』
映像の中の私は、仮面のイーブンを見上げて、目元が潤んでいた。
再生スピードを通常に戻したとたん、妹が言った。
「ねぇ、おねーちゃん、今『パパ、バカ!』って言ってた?」
「い、言ってないし!? “バカ、バカ!”って言ったの!」
「うそぉ〜、絶対“パパ”って言ったぁ〜!」
「にいちゃんも聞こえたよねー?」
「うん、聞こえた! 録画巻き戻してみよ!」
「ま、待って待って待って!!」
顔から火が出るほど真っ赤になりながら、私はタブレットを慌てて抱え込んだ。
全力で早送りボタンを押して、リプレイを封じ込める。
「もぉぉぉ……!!」
仰け反るほどにのけぞって、私はソファに頭を叩きつけた。
枕がクッション代わりになったのがせめてもの救い。
……落ち着け、インゲン・ブレイド。
ただの言い間違い。たまたま。偶然。意識してなんか──
(……でも、なんであんな自然に出ちゃったんだろ)
頭の奥で、子供の頃の記憶がチラついた。
『パパ、だーいすき!』
『大きくなったらお嫁さんになる!』
あの頃の、真っ直ぐで無防備だった私。
──そう。もうあんなの、昔の話だって思ってたのに。
でも、“パンダさん”の動きが、それを呼び起こす。
「……はぁ」
熱くなった顔を冷ますように、私はキッチンへ立ち上がった。
二人の弟妹は、ソファの上でくすくす笑っている。
「……お姉ちゃんって、ホント可愛いよねー」
「だよねー、あのパンダさんも嬉しいと思うなー」
もうやめてくださいほんとに。
☆ ▲ ◇ ▲ ☆
中村氏が帰ったあとも、パンダセンサーは何事もなかったかのように、白黒の両目をぱちぱちと瞬かせていた。
まるで、「お前も疲れただろ」と言いたげな顔で。
俺はその横で、リュックから一つの金属製ケースを取り出す。
無骨な外装、古びた留め具。鍵も電子認証もない。
ただカチリと、金属音が鳴って──中に収められていたカードが、ひょいと顔を覗かせた。
──[Exploration Permit|OOGAMI TETUYA]──
黒地に銀文字の探索者許可証。
かつて「鉄狼」と呼ばれた頃の、俺の名前。
あれは本物の俺で、仮面もゴスロリもない時代。
俺が命を賭けて社会と繋がっていた、たった一枚の証だった。
NeoTask社の法務部に身元証明を求められたとき、俺はこのカードを──迷いなく差し出した。
結果は拍子抜けするほど、あっさりだった。
「当時の法規なら、顔写真・署名・指紋にDNAデータ付き……はい、正式に有効です」
そう応じた若い弁護士は、名刺を差し出しながら妙に恐縮していた。
まるで、「本物が来た」とでも言いたげな顔だった。
──そりゃそうだろ。
俺は逃げたわけでも、消えたわけでもない。
ずっと、この世界のどこかで、生きてたんだ。
「……とはいえ、これをまた使う日が来るとはな」
苦笑混じりに呟きながら、カードを丁寧にケースへと戻す。
その瞬間、背後のモニターが音を立てて通知を表示した。
⸻
【コメント:#鉄狼の再来】
【コメント:#レリック回収配信】
【コメント:#パンダパパ説ガチ考察中】
⸻
「……おいおい」
思わずモニターにぼやきを漏らす。
「“ガチ考察”って……冗談にしとけよな」
表示されたリンクの中には、昨日の配信から“イーブン&インゲン”の連携と、“鉄狼&青い鳥”の過去動画をフレーム単位で比較した切り抜き動画まで存在していた。
──ジャンプのタイミング、射撃の角度、補助に入る位置。
まるで、記憶のミラーハウスを見ているようだった。
「……誰だよ、そんな暇なやつ」
けれど、その“暇なやつ”の指摘は──的外れでもなかった。
俺は、仮面の奥から、無言のままパンダセンサーの白黒フェイスを見やった。
「なあ、俺……バレ始めてるよな」
当然、答えはない。
それでも。
仮面の奥の俺の顔は──
ほんの少しだけ、笑っていた。
☆ ▲ ◇ ▲ ☆
「では、正式な契約書は後日送りますが……」
中村氏は、やけにスキップ気味なテンションで帰っていった。
その背中に「くれぐれも、あの名前は秘密で」と釘を刺したが──たぶん彼は黙ってくれるだろう。少なくとも、この瞬間までは信用していい。
パンダセンサーは、何事もなかったかのように、白と黒の目をぱちぱちと瞬かせている。
(……本当、お前は呑気だよな)
ふぅとひと息つき、仮面と一緒に脱ぎかけたところで、ふとスマホが震えた。
インゲンからのメッセージだった。
『今日、ちょっと弟と妹がウチに来てるから。顔出しはパンダでね。あと、変なこと言われても責任取れよ。』
変なこと?
その意味を考える前に、メッセージが終わった。
☆ ▲ ◇ ▲ ☆
──インゲン宅──
「わぁー! 今日もおねーちゃん出てたー!」
「やっぱパンダさん、かっこいいよねー!」
全力のテンションで画面を連打する二人の弟妹。
ソファに座るインゲンは、眉間にしわを寄せながらも、内心微妙に嬉しい。
「……って、え!? ちょっと止めて、巻き戻して!」
画面では、パンダ姿のイーヴンが、雑魚敵に押されるインゲンを助け──
『……っパパ、バカっ!!』
「……っっ!?」
テレビの音量が妙にクリアに響いた。
「ねーおねーちゃん、パパって言ってた?」
「結婚できるってことー? すごーい!」
「ち、違う! 今のは……!」
インゲンは真っ赤な顔で、抱き枕に突っ伏した。
でも。
(……昔、言ってたっけ。パパのお嫁さんになる、って)
記憶の底から蘇る、自分の幼い声。
(バカみたいだけど……あの人が、イーヴンなら──)
こそばゆい気持ちと、過去と、未来とが、ぐるぐると渦を巻く。
☆ ▲ ◇ ▲ ☆
後日、NeoTask社から正式な通知が届いた。
あの物質──『レリック・ゼロ』は、既存科学の枠では説明不可能な収束情報体であり、国家主導の基礎研究プロジェクトへの提供が決定したという。
契約条件として提示されていた「売上の0.5%」──
それは中村氏の裁量上限であると同時に、正式契約に向けた交渉開始点でもあった。
だが、その直後。
解析チームが関連構造に類似した特許群を参照した結果、OOGAMI TETUYA名義で大量の特許が登録されていたことが発覚。
NeoTask社は、内部調整のうえ、再契約に動いた。
「本人確認は……探索者IDだけで?」
「ええ。署名・写真・DNA照合済み。登録時の記録がまだ生きてまして」
「むしろ、あの頃のIDはパスポートより強いっすよ。国境またげますし」
法務部の担当は、驚きつつも淡々と処理を進めてくれた。
その結果──
NeoTask社は、特許群の使用にあたって、毎年の定額報酬+売上連動分配での新契約を結ぶ方針を採用。
元の特許管理会社は、価値を理解せず過去に一括買取で手放していたことが判明。法的には問題ないが、業界内での評価は大きく低下したという。
俺は、大神鉄也《俺》の名を一切公開することなく、正式な契約者として報酬を得ることができた。
なにもかも、うまく転がりすぎている気もする。
けれど──今は、それでいい。
俺は、パンダセンサーを頭に載せたまま、モニターの前でそっと笑った。
「さて……次は、どんなネタでバズるかね」
コメント欄のタグには、こんな文字が躍っている。
『#元伝説のお父さん(仮)』
『#男の娘で仮面パパ』
『#ついでに結婚してくれ』
そしてその下──
『#今度こそ守るって、決めたんでしょ?』
画面の向こう側。
別枠で配信中のインゲンが、こちらを見つめていた。
(……ああ、そうだったな)
俺は、冷めかけたアールグレイをひと口啜る。
今日も、いい配信日和だ。
【To be continued】
お読みいただきありがとうございました。
過去と今が編集動画を通じて繋がり始め、家族の中に“疑念”が芽生えました。
そして謎の物質。
次回、仮面の裏に気づく瞬間と、心の準備が問われます。
是非、評価をお願いします。