第4話
ティムはファドラがぐうたらしてることにもさして驚きはなかった。
仕事終わりで晴れ晴れとした気分というのもあったし、何より、昨日の言動で、ファドラが思っていたより色々と問題をもつ子だということを理解していたからである。
昨日の話を聞くに、コンピュータなどを触っていないだけまだマシだと思った。昼ご飯もきちんと自分で食べてくれたようで、まだ安心する。
そんな非常に低レベルなことに安心されているとは露知らず、ファドラは玄関に向けておかえり~と言いつつ駆け寄っていった。
「お疲れ様ティムくん~。ところで──」
仕事帰りでティムが一息つく暇もなく話しかける。「ん?」とスーツ等を脱ぎながら返すティム。それより下はファドラの目の前で脱ぐわけにはいかないが。
「下着とかが欲しいの……」
と、要求される。
「んん、ごっごほぅごほっ!」
ティムは、恥や照れ、その他色々なものが喉に引っかかって咳き込む。
下着という言葉を聞き、そういえばと今朝がたのことを思い出したというのもある。しかし、冷静に対応することを忘れない。
「ん、うん、わ、分かった。ていうか本当に何も持ってこなかったんだね。やっぱり一度帰った方が……」
「…………ぐす」
ファドラの露骨な泣き真似。真似とは分かっても、こうされるとティムには今のところ立ち向かう術はなかった。やはり、帰す交渉はまだ時間がかかるようで、ティムは早急に話題を元に戻す。
「う、うん、いや、じゃあ、必要なものがあったら、外に買いに行ってくれていいから……」
我ながら、情けないなと思いつつ、これが惚れた弱みの心理というやつかとなるほどと一人で納得し少し大人の階段を歩むティム。
仕事中ぼんやりと考えていたことだが、やはりこれまで支えとしてきた目標が目の前に来てしまったら、それが例え理想と離れていたとしても、おいそれと手放すことは難しかった。
かといって、ファドラを恨むこともできない。
夕食の準備はティムが行った。仕事を大切にしていたとはいえ、身を粉にして働くということはなく、家で自分のための時間を使う──といっても、読書が主だが──ことを大切にするティムは、特別な用事がない限りは、あまり会社に長い時間残ることはなく、夕食も自分の手で作ることが多かった。
夕食の準備を見る役はファドラが行った。怠惰を大切にしていたとはいえ、そういえば明確なパソコンの使用許可を得られておらず、明日から家で自分のための時間を使う──つまり、ゲームやネットが主だが──ことを大切にしようとするファドラは、今この時このタイミングで、ティムにそれらの要請をしなければならなかった。
ティムがキッチンに立ち、食材を手際良く洗い、皮を慣れた手つきでむき、手ごろなサイズに切っていく傍らで、ファドラは物珍しそうに見て、要請のタイミングを計る。
「ファドラは、何か好きな料理とかある?」
職場と違って眼鏡は外しているものの、作業中のティムの姿はとても凛々しく、視線は柔らかいようでいて、凛としており、調理中の食材へ向けられている。
それでいて、口調は優しげで、そのギャップは見る人が見ればしびれる一品だ。
さらりと垂れるショートヘアの黒髪が竜耳にかかっている様子と下にゆく流れるような視線がなんとも言えぬ写真におさめたくなるような横顔。
「野菜以外……」
「お子様だね」
ティムはふふと軽く微笑む。背丈は違えどやはりティムの中で、ファドラはまだまだかわいい女の子だった。
家族間の食事会で、ファドラがよく料理の一部を残して怒られていたこと、そして、こっそりと自分の皿へとその嫌いなものを入れてきたことを思い出す。
思えば、あの頃から、自然をファドラのわがままを受けれてしまっていたのかもしれない。今となっては、仕事でも大事をポンと任されることの多いティムだが、まだ若者で頼られた経験がほとんどなかった頃、なんであれ、女の子に頼られるということは幸せだったのだ。頼られていたというよりは、甘えられていただけなのだが。
ファドラは、お子様という言葉に、特にむっとすることもなく、別の話題を口にする。
「ところで……ティムくん、私、インターネットをしたいんだけど~」
それを聞き、ティムははたと思い出す。
そうだった、何故かなあなあと夕食を作っているが、そうではない。このファドラの今後について、どうするかきちんと話さなければいけないのだった。インターネットを使いたいというのは──
「なんのために?」
「ん~、私自身のために!」
それは、要するに、
「僕が働きに出ている間、夕食も作ることもなく、部屋を掃除することもなく、好きなだけ自分の欲を満たしたいってこと?」
食材を切る手を休めることなく、ギラッと瞳だけをファドラの方へ向け、ここは一言きちっと言っておかなければならないと問うた。
しかし、悲しいかな、そのティムの威圧する様子も、ファドラにとってはただ少し格好を付けている男の子としか映らなかった。
「だめ~?」
まるでずっと昔からティムの扱いを知っているかのように、こなれた様子で返す。
「ダメ!」
しかし、ティムも負けてはいなかった。そして、思っていたことを続ける。
「大体ファドラは、なんでうちに来たの? また家でしてたようにニートが出来るから? 遊べるから? それじゃあ僕はファドラにとってただ──」
それじゃあ僕は──ただの都合のいいだけの存在じゃないか、とまでは口にできなかった。
本当にそんな風に思われていたのなら、立ち直れなくなるような気がしたから。
ティムの思っていた以上に、ファドラの存在は、今までのティムにとって大きな支えとなっていた。
嫉妬や依存といった、黒い感情ではない。ただ、ただ、憧れであり、光だったのだ。その思いが暗転するかもしれないということに対する恐れは、はなはだ恐怖であり、胸が抑えつけられた。
数秒の間が空く。ティムはファドラの方を見ることがかなわない。
キッチンには、トントンという食材を切る音だけが無情に響き──すべての食材を切り終わって、音は止まった。ティムの前髪がわずかに垂れる。
静寂。
そして、切り終わるタイミングを待っていたかのように、すっ、と軽く息を吸う音がして、ファドラの口が開かれる。
刹那、ティムは顔をファドラの方へ向ける。
向かい合う二人の顔の高さに距離はあったが、ティムからファドラの表情はよく見えた。そして、ファドラの表情は、悲しみでもなく、涙でもなければ、笑顔でもなかった。
ファドラはじっとティムのことを見つめていた。何故彼女がここに来たのか。
「確かに、私は、家を追い出されたからここに来た。家を追い出された理由が、私が学校に行かなくなって、もちろん働くこともなかったから、っていうのは事実だよ」
これまで家に来てから見せていた表情とはまるで違う引きしまった表情に、ティムは驚き、話している言葉をあまり理解できない。
「でもね、これだけは言わせて。私は、ティムがいたって知ってたから追い出されても希望が持てた。ティムじゃないとダメだったんだよ?」
少しむっとしたように言うファドラ。ティムはその言葉を聞き、内容を理解するのに数秒を要する。普段全開にすることのあまりない目を見開いてぱちくりさせ、次の作業に移ろうとしていた手は完全に止まっていた。
「覚えてる? 昔いっぱい遊んでくれたでしょ? 私は、いろんな人にファーフニル家の娘だからって気を使われるのが嫌だったの。五つも年上ってことや、ティアマト家っていう家柄を背負っていたからかもしれないけど、でもそんな背景は関係ないの、ティムはそんなことなかった、楽しかったの、ティムと一緒にいることが」
そこまでファドラが話し、ようやくティムは我に返る。
我に返り、言われた言葉を理解する。理解して、噛みしめて、照れくさくなって、視線をファドラからそらし、わずかに頬を赤らめる。よくもまぁそんなことが面と向かって言えるな、と照れくさくなり、食材を焼く作業へと無言で戻る。
「もぉ~照れちゃって!」
にやにやとティムを見つめるファドラと視線をあわせることなく、うるさいな~と言いながら、作業を続ける。
一見平和が訪れているのだが、あんまり事態は解決していない。しかし、この部屋で起きている事態を認識出来ているのは今はこの場にいる二人だけであり、この二人の間で解決されたと言うことは、まぎれもなく解決足りうるのである。
ファドラはここぞと言わんばかりにティムの背後に回りこむと、ティムを抱え込んだ。
「ちょ、ちょっと、火使ってるから!」
ティムは慌てて振りほどこうとするが──ファドラはぎゅっと抱えて離さない。ティムの心音は高まり、どうしたものかと目をくるくるさせる。あわあわとするティム。
「安心した?」
と、何故か上から目線である言葉だが、ティムにはひとまず頷く。
どうにも納得いかない部分もあるが、思い返せば、自ら慌てて口走った言葉で落ち込んだティムが落ち込み心を乱したのは事実だし、その後、無事その混乱状態から脱却できたのは間違いなくファドラのおかげだ。
ファドラが本当にそう思っているのか、思っていないのか、その真偽は定かでないにしても、ともかく、ティムは安心させられたのだ。
安心したどころでなく、仕事の疲れもいつの間にか吹き飛んでいるような気さえした。危うく、この安寧に心を完全にゆだねてしまう一歩手前にいることをティムはまだ気づけていない。
「あ、それで、パソコンを……」
「う、うん、あ、今ファドラがいる部屋にあるやつ使っていいから、ね、もう離れて!」
どさくさに紛れて無理やり元の話題に戻っていること、そして、返答が変わっていることも忘れ、ティムは、ファドラに離れてもらうために、その要求を飲むのだった。かくして、ティムは心の安寧を、ファドラは最強のニート環境への第一歩を手に入れたのである。
ティムはまだ気づいていない、これはギブアンドテイクでもなんでもなくただのギブだということに。
その後、様々な工程を経てティムによる一人暮らしの社会人男性とは思えないほど完成度の高い夕飯が完成する。
主食副食がきちんとあるどころか、竜人らに必要な栄養素をきちんと網羅したバランスの取れた食育採点満点を取れるであろう食事。
ファドラが昼食にした冷凍食品は、ティムがよほど忙しいときにしか使わないものなのであり、普段はこうして自作で料理もこなす完璧超人なのだ。
とてもファドラにより翻弄されるようには見えないのだが、その辺は、やはり、相性というものがあるのかもしれない。
「ティムくん~わたしテレビ見ながら食べる~」
というファドラからの自室でご飯を食べるという願いはさすがに却下され、ファドラもここは大人しく引き下がり、キッチンのすぐ横のダイニングへと料理を運びこみ、双方向かい合うようにしてテーブルを挟み、椅子に着席。
「いただきます」
挨拶を終え、自作の料理をファドラが口に運ぶのをさりげなく見守る。
ティムは、混乱の中でも、実は普段よりひと手間かけて気合を入れて作ったのだ。この日のために料理の練習に励んできた、という訳ではないのだが、そうでなくとも、かつての憧れの人が満足してくれないようでは何とも悲しい。
もぐもぐと咀嚼するファドラの様子をじっと見る。自身の手が止まっているのだが、それに気づいていない。ファドラの様子を見守るさながら従者のようになっているティムに気づいたファドラは、こと、と食器を置き、にこにことする。
「おいしい~!」
料理の味は格別だった。
その言葉に、よかったぁ~と素の感想を漏らすティム。気を良くしたのか、野菜が嫌いと言っていたファドラに、続いて野菜も食べてみるように促し、ファドラも渋々ながら従う。
「あ、でも、これなら私食べられるかも……」
と、自分でも驚くファドラにティムはなおさら気を良くして得意げににこにことする。
会社ではめったに見られないようなレア表情なのだが、ファドラにとってはそんなことはない。会社の人間が見たら、およそ、このにこにことしている生き物がティムだとは信じられないほどのほのぼのとした光景だった。




