第3話
波乱から一夜明け、翌日。
ティムは朝、日が昇る頃の時間に起床する。
闇の一族だからか、それとも単なる体質か、あまり朝が得意ではないティムは、普段の凛々しさはどこへやらというような半開きの眼で顔を洗い、朝食をもごもごと頬張る。
遅刻をしたことがないのが奇跡かのような足取りで、部屋着を脱ぎ捨てスーツを身にまとう。
「ファドラ? 入るよ?」
ファドラに挨拶だけ済ませて詳しい今後については家に帰ってから決めようと言うことを伝えようとしたが、ファドラはまだ寝ているようだった。
いろいろと疲れていただろうし、一日くらいはゆっくりさせてあげようと考え、書きおきだけでも残しておこうとドアをゆっくりと開ける。
目の前に飛び込んできた光景は、ファドラの肌蹴た姿だった。
うっ、と同様し顔を赤らめつつも、大事なところが見えている訳でもなく、変に動揺し過ぎるのは余計に下心があらわになるように感じ、動揺を抑えるティム。
なるべきファドラの身体を見ないように視線をそらしながら、くー、くー、とのんきに寝息を立てるファドラの枕元にメモ書きを置いてその場を離れようとした、その時。
「ん~……」
という声が聞こえたかと思うと、ティムの脇腹あたりに手が回され、そのまま抱き付かれるような形でファドラにからめとられる。視線をファドラからなるべく離していたいたことと、あまりに急な出来事のためにティムはそのままファドラの身体へと倒れ込むようにして飲みこまれる。
「ちょ、ちょっと! ねぇ、だ」
抵抗しようとするが、どこを触っていいものかとも分からず、手足をバタバタさせるが、逃れることができない。
ファドラの髪の毛からは、普段自分が使っているシャンプーの匂いだけではない何か違う、言うなれば、いい匂いがした。
ティムはティム内部からあふれ出てくる、このままこの地に身を埋めたいという本能的欲求と戦いつつ、もがもがともがいていると、腕の力が緩んだためか、脱出することができた。
ティムはふぅ、と一息つき、心を落ち着け、ファドラを見る。のんきそうに眠っていた。
ちょっとしたトラブルに巻き込まれたが、おかげでティムの頭は覚醒しきった。まったくもうと嬉しいやら悲しいやら出勤をすることにした。
さて、ちょっとした騒動が一件落着し、動くものがいなくなったティムの家の時間はゆったりと過ぎる。
静寂、寝息、時計の針の音。かち、かち、と時を刻む物は、果たしてその時を認知する存在がいなくても絶え間なく時を刻み続けているのだろうか。
日は昇り切った、朝十時。ファドラはゆっくりゆっくり、世界を視認する。
「ん~……」
寝起きに声をあげ、ここは何処だという認知に頭を働かせ、なかなか答えにたどり着けず、再びまどろみに襲われる。
そう──
そうして、再び、ファドラは世界と格別された。眠りにつき、くーくーと寝息を吐き出しながら、気持ちよさそうに睡眠という欲望を貪るのだ……。
そんなファドラとは全く違い、ティムは今日も仕事に明け暮れる。
「この案件は、今日の昼一で情報が入るはずだから、担当者には絶対の注意をよろしく頼む」
「はい、承知しました、ティム様」
「そのティム様っていうのは……呼び捨てで良いよ」
「いえ、そうは参りません。私はこの会社に勤めているのではなく、ティム様にお仕えしているのですから。しかし、そういえば、そう命ぜられていたのを忘れていました、ティムさん」
ティムのすぐ傍らで仕事をするのは、アルトゥールという名の金髪の男。身分としてはティムの部下という形で会社に所属しているが、人間と魔族の混血の家系で代々ティアマト家に仕える家の人間だった。
関連会社にいた頃は、ティムの強い要望で一人で修行したいとしてついてくるのを抑えていたのだが、首都に戻ってからは、父親からの「上に立つ人間は下に立つ人間との付き合いを学ぶべきだ」というアドバイスを受け入れ、そばにいることを許した。
とはいえ、今考えると、このアルトゥール、小さい時に世話になっていたとはいえ、あまりにも自分のことを過保護にし過ぎるところがあり、父のアドバイスもアルトゥールの画策したものではないかとさえ思えてくる今日この頃だった。
「アル、じゃあ後は、僕は仕事にとりかかるから、例の海外拠点の件の会議の調整任せた」
家での様子とは打って変わって、きりとした表情でテキパキ指示を出す。仕事中は眼鏡をかけているというのも、きりとしている要因かもしれない。
「はい、分かりました。本日昼までに必要な資料をまとめ、アポを入れておきます」
「うん」
アルトゥールことアルは、ティムより二回りほど高いその背を忠実そうに折り曲げ一礼すると、自席に戻る。
その容姿端麗さから社内でも相当人気のあるアルであったが、女性社員たちからのアプローチは全て「私にはティム様がいますから」という勘違いされかねない言葉で退けていることをティムは知らない。
ともに、闇を司るドラゴンの一族と魔族の血が薄いながらも混ざっている人間のコンビというだけあり、この二人は傍から見るに非常に美しく、この職場の目玉となりつつあるのだが、アルはティム以外に興味はなく、ティムはティムで自分が特別扱いされることをあまり好まないため、より一層、高貴さゆえに近寄りがたいコンビになっていた。
とはいえ、行われる仕事は正確で質が高く、さらには奇抜で過度に保守的でなく、職場の人間もその才能を認めつつあったし、何より、先述のような理由からカリスマ性は高く、ティムとアルが来てからというもの、ティムの属する部署の社内での地位は明らかに向上しており、部署の長も、そろそろ上に立ってもらいたいと思うくらいであった。
「はぁ……」
ティムは溜息をついた。家にいるファドラのことが気になって仕方がない。
集中できない。
現状のままならば、このことはいずれティアマト家の人に話さないといけないだろう。
家でどう過ごしているのかはわからないが、とにかく、気になった。
眼鏡を外し、目頭を抑えながらふぅと一息入れる。まだ話合いもしていない今では、どうにかなるという訳でもないのだが。
「ティムさん、どうかされましたか?」
異変を察知して、アルが話しかける。
「いや、なんでもない。続けよう」
アルは同い年なのに、異様に自分のことを慕ってくる。本人曰く、血筋がそうさせているの訳ではないらしいが、どうにもティムにはその慕いようが理解できなかった。
自分以外の人間には、異様に冷たい態度を取ることも少しこのアルという男の将来を考えさせられる点でもある。一方で、仕事の面ではティム以上に優秀であると言える分野も多くあり、舌を巻く。
ティムの失敗をアルがカバーすることも少なからずあった。最近はあまり頼ることはなくなってきたものの、首都に来てすぐの頃は、世話になることは多くあった。特に、仕事以外の家柄からくる用事について多くはアルに任せていた。
「はい、分かりました。くれぐれも無理をなさらないでくださいね」
ティムは、アルの一言に、ありがとうとクールに返し、再び仕事を再開した。
そんなティムの午前の仕事がひと段落つき、今日もアルと二人で昼休憩に入ろうとする頃、ファドラはアルの家で無事手に入れた平穏を満喫しようとしていた。
結局、起きたのは昼過ぎ。枕元にあったメモ書きを発見する。
「えっと、なに、昼ご飯は冷蔵庫にあるものを適当に食べてください、帰りはそんなに遅くならないと思うので、夜ご飯は待っていてください。なるほど~」
うん、うんと頷く。ティムはいい子だなぁとにこにこする。
さて、とファドラは立ち上がり、家を物色し始めた。人の家であるにもかかわらず、我が物顔で闊歩する様は、まさに名門ファーフニル家のお嬢様だからできる技なのか、はたまた、このファドラの竜人性に問題があるからできることなのかは不明だが、今この部屋には彼女一人しかいないのだ。
この世界を手にするのは彼女であり、彼女は言うなればこの部屋の魔王。魔王はかつてティムの憩いのスペースであった部屋を手中に納めていると言わんばかりに本棚やその他いろいろなところを探索していく。
一通り探索し終えた後、呟く。
「男の子の部屋なのに、なんかおじさんの部屋みたい……」
ファドラは別に誰の男の部屋に上がった経験があったという訳でもなかったが、男の部屋には何か必ず弱みになりうるものがあるという先入観から何かしらを探し当ててやろうと意気込んでいたのだが、本棚の奥やその他スペースを探っても出てくるのはやたら難解な知的な書物ばかり。主に経済関連の書きものが多かった。
ここにいない主ティムからすれば、どれもこれも素晴らしい宝物であるのだが、ファドラからしてみればどの本も等しく興味のないもので片付けられる。
ひとしきり遊び歩いた後、満足したのか、ふぅ~とごろごろ寝ころびテレビの電源をつけてみる。
ぼーっと時間を消化し、少しして、空腹に気づいた。
立ちあがるまでに数分の時間を要し、ようやく立ちあがるとふらふらと冷蔵庫へ向かう。
惰眠をむさぼってやったと言わんばかりの堕落しきった面持ちで、冷蔵庫内にある冷凍食品を取り出すと適当に温め、自室へと舞い戻り、テレビをみながらもぐもぐする。
むふーとお腹いっぱいになり満足したのか、寝転がってだらだらテレビを見るファドラの姿を視認できるものはこの部屋にはおらず、この場は完全にファドラの堕落のために存在する空間となり果ててしまったのだ。
手ごろなクッションをどこからか持ちだし、それを抱えながら身体に最も都合の良い姿勢でだらだらと過ごす様は、まさにキングオブニートといって差し支えないだろう。
いつでも寝られるような姿勢でいて、何かあったら寝てやると言わんばかりのとろけきった顔。
人の家にも関わらず、キングオブニートのファドラはすでにこのスペースの覇権を握っており、逆らえるものなどなく、各家具らは主ティムに救ってくれと言わんばかりの悲鳴をあげているのかもしれない。
昼過ぎ、ご飯から少し時間が経って、ちょうど眠気が増してくる時間帯。けれども学生は勉学に励み、社会人は仕事に励まなければならない魔の時間帯であったが、ファドラにとっては励む必要などどこにもなく、ただただ堕落し、欲望のままに生活すればよく──つまり、魔の時間帯ではなく天使の時間帯となる。
ファドラは眠気と戦うフリをしながら、まどろみ、ふんわり、ほわほわ、ローテーブルにクッションをおいているその姿勢から、眠りに落ちてゆく──
──幸せな時間。すべての感情から解放され、現世と離別する瞬間。
頭に思い浮かぶのはティムのこと。それと、やりたいこと、ネットで動画見たいからパソコンをさせてもらえるようにお願いしようとずうずうしい希望を思い浮かべつつ、さらにずうずうしいことに、ファドラは、そのまま、抗うこともなく、眠りに落ちた。
──夢を見ただろうか、見ないだろうか、ぽわと目を開け、可愛らしく擦る。
「んんん~」
と、背伸びをして、時計を見るとすでに十六時を回っていた。さすがにこれだけ寝るとファドラの眠気もだいぶ収まり、何かをしてやろうという気にもなってくる。
これまでの生活でしていたパソコンを使った作業は、今はまだティムにお願いしていないからできない。
となると、ニートとしてやらなければならないことは、あまり頭に思い浮かばない。
ここで家事の一つでもやる気になれば、ファドラも晴れてティムのお嫁さんになれたのかもしれないが、ファドラにそんな思考はなかった。
パソコンができないならば、ゲームをやればいいじゃないとばかりに再び辺りを見回してみるが、ゲーム機らしきものはない。ティムのあの頑張り具合や真面目具合からいって、そういった娯楽的なものはほとんど置かれていないということをファドラはここにきてようやく理解した。
本来ここは、己と比べて少し落ち込んだり悪いなぁと思ったりする場面なのだが、彼女はそんなことに引け目を感じない強い心を持っていた。
となると、やはりまた怠惰な生活をするしかない。しかないことはないのだが、彼女の頭の中ではそれしかないという結論になってしまった。
そうこうして、グダグダとすること数時間、ガチャリと玄関が開く音がした。
「ただいま~」
という気の抜けたような声と共に、ティムの帰宅。ニート生活一日目の一人の時間は終わりを告げたのだ。




