第109話 漆黒の果実
「改めまして、この度は誠にありがとうございました。ルーイさんのおかげで本当に助かりました。そして、申し訳ございません。わたくしの事情に巻き込んでしまい、大怪我まで負わせてしまって」
無言の空気を破ったのはアテラの方だった。
最近こうして女の子から、丁寧に謝られる機会が増えた気がする。
そして、こういうことは何度経験しても本当に慣れないものだ、と痛感した。
「いやいや、本当にオレはなにがなんだか、って感じなんだが……」
「そうですね。順を追って説明しますね」
しどろもどろで答えるルーイとは対象的に、アテラは自然体でテーブルの上に置かれた砂糖菓子を指で摘み、口にほうり入れる。
星形の砂糖菓子は金平糖というそうだ。
プイスでは見たことのない菓子に興味をそそられ、ルーイは一言断ってから一つ頂いた。
金平糖は言うなれば砂糖の塊だ。
ハッキリ言うのなら特別美味しいとも思わなかったが、独特の形状がおもしろい。
ころころと舌先で飴舐めるように、ルーイが食感を楽しんでいると、アテラは咳払いを一つ挟んで身振り手振りを交えて、些か大仰に語り出した。
「ルーイさんに暴力を振るったのは王都に住まう破落戸です。大きな街には少なからずそういった方々がいるのは、罪深き我々の生まれ持った性とでもいうべきでしょうか。皆が皆、隣人に手を差し伸べ助け合うようにすれば、あのような方々もいなくなるのでしょうが……そして、彼ら自身も大地母神ダーナに祈りを捧げ続ければ、救いは与えられるはずなのです。……どうにも王国民の皆様方は、信心深い方が少なくていけませんね」
「……はぁ」
いきなりガチガチに宗教観を交えた話を繰り出したアテラに、ルーイはお茶を濁すような曖昧な答えしか言えなかった。
――アテラがちらりとルーイに目をやる。
「――と他の司教様であれば、おっしゃられていたのかもしれません」
「へっ? ……って言うと、アテラの考えは違うのか」
「わたくしは、神が、大地母神ダーナが全知全能の存在であるとは思っていません」
「!? ちょ!」
宗教に疎いルーイでも、今の発言の不味さは分かる。
聖教は大陸最大派閥の宗教だ。その信徒は一〇〇万人を下らないとも言われており、実際に王国マルスにおいても民の八割以上は聖教の信徒だ。
アテラは大司教の地位にあるという。であれば残りは唯一の教皇と数名の枢機卿。
宗教に疎いルーイでも上を数えれば、一〇人にも満たないであろうことは容易に想像がついた。
逆に言うのなら、アテラの下には数十万人もの信徒がいるということだ。
そんな彼女が――聖教の大司教が、唯一神であるはずの大地母神ダーナを、全知全能ではないと言い切ったのだ。
場所が場所、聞く人が聞く人であれば卒倒するか、瞬時に破門とされている。
あるいは異端認定でもされようものなら、その先に待つのは魔女裁判であり、それはすなわち――。
「もちろん、わたくしは毎日祈りを欠かさず捧げていますし、大地母神ダーナを心から信じています。その上でわたくしは全知全能の神はこの世には存在しない、と言っているのです」
アテラが続ける。
「大地母神ダーナが全知全能の神であるとするならば、世界はもっと平和で笑顔に満ちているはずです。飢える者はおらず、親が子を殺すことをせず、その逆もない。比較的、平和な国である王国マルスにおいても、残念なことに一部の貴族様方の中には市民を単なる糧としか見ておらず、重税を課し、生かさず殺さずの政策を強いている領地もあるとお聞きしています。そして残念なことに、帝国にはいまだ奴隷制度が根強く残っているとも」
「もし仮に大地母神ダーナが全知全能であるのならば、なぜそういう貧しい方々、不幸な方々をお救いにはならないのでしょうか。信仰心が足りないから? お布施が満足に支払えないから? そんなわけはありません。見返りを求めている時点で、それは神とは呼ばないのではないでしょうか」
「わたくしは祈りを欠かしません。それはわたくし自身のためではなく、報われない子どもたち、理不尽に嘆く人々のために祈り続けるのです」
「そして、そういった方々の心の支えとして、宗教というものはあると思うのです。他に寄り掛かれるもの、支えてくれるものがないから。本当は皆が皆、具体的なナニカに頼りたいという思いを持ちながらも、そういったものは何もない。そういった方々の支えとして、祈りを捧げれば救われる、という精神的な支柱を担うのが我々の役目である、とわたくしは考えて――っ!?」
――気付けばルーイを置き去りに、アテラは一人で延々と講釈をたれていた。
アテラが目を向ければ、ルーイは目を点にしながら規則正しく相槌を打つだけの人形と化していた。
「ご、ごごご、ごめんなさい! ついうっかり、偉そうに講釈を垂れてしまって……」
「あ、あぁ……いや。大丈夫、ちょっと驚いただけで」
ルーイは安堵した。
先ほどの発言には耳を疑ったが、どうやらアテラは盲目的に神を信じているわけではなく、きちんと現実にも目を向けているようだ。
教えに縛られず、それでいて祈りは欠かさない柔軟な思考を持つ出来た大司教らしい。
気まずさを拭うように咳払いを挟んでから、改めてアテラは先ほどの件について話し始めた。
「問題は彼らの中にいた黒服の背の高い男です。……正確には彼の所属している組織。〝漆黒の果実〟と名乗る、邪神〝ウルティマ〟を神と崇める宗教団体です」
「!?」
ルーイは目を見開いた。
まさか、ここでその名前を聞くことになるとは全く思っていなかった。
ルーイが青天の霹靂に晒されている間も、アテラの説明は続く。
「邪神〝ウルティマ〟とは太古の昔、大陸ダーナを破滅に追いやった最悪の災厄。……と言い伝えられていますが、詳しいことはわたくしも存じていません。そもそも、そんな邪神などがいたなどという記録はわたくしが知る限り、何処のどんな書物にも記されていませんので」
――どうやらアテラは〝ウルティマ〟を偶像の類だと思っているようだった。
まぁそれはそうだろう。ルーイだって正直に言えばクレハから話を聞き、カトレアが肯定した今でも半信半疑な部分はあるのだ。
大昔の規格外の怪物が今もまだ生きていて、虎視眈々と復活の時を狙っている。
なんて話は、大衆向けの娯楽小説や漫画の中だけで充分なのだ。
「……それで、その〝漆黒の果実〟とやらが、どうしてアテラを狙ってたんだ?」
ルーイは敢えて〝ウルティマ〟という存在を避けて聞いた。そのことを訝しむ様子はアテラにはない。
アテラは新たに金平糖をポイと口に入れると、丁寧に咀嚼し、紅茶で流してから話す。
「〝漆黒の果実〟の目的は、邪神〝ウルティマ〟の復活だと言われています。そのための儀式の供物として、魔素を大量に持つ存在を必要としているらしいのです。わたくしだけではなく、聖教の高位の司教様や大貴族の方々、果ては王族の誘拐まで企てていたという情報もありました」
「見境ないな……それで、あの男は」
「あの男は〝漆黒の果実〟の筆頭幹部。名をロベリア=サーシアムといいます。暴力的で過激な手口を取ることに加え、切れ者です。大陸指名手配犯にも名を連ねているそうです」
「そんな男が堂々と王都の街中を歩いているのかよ……」
「砂漠に落ちているゴミの中に、一粒の砂金が入っていたとしても人々は気付けません。コソコソと人目を気にしているよりかは、堂々としている方が案外怪しまれないものなのです」
思い返せば最初に出会した時も、あの男は堂々と港区を歩いていた。
それも破落戸の集団を引き連れて、大胆に。確かにああしていれば、破落戸の中の一人だと誰もが思うはずだ。
目を引くには引くが、正確な情報を隠すには的確なやり方だった。
「あの男のことは分かった。……ただオレが助けた、ってのは一体なんのことなんだ」
乾いた唇を紅茶で湿らせてルーイは聞いた。
ロベリアのことも確かに気にはなっていたが、それよりも一番気になっているのはそこだった。
「それは……」
アテラが視線を落とす。
指先で金平糖をコロコロと弄ぶ。シャンデリアの光にキラキラと輝く金平糖は、まるで本物の星を転がしているようにも見える。
やがてアテラは意を決したようにポイと金平糖を口に入れると、紅茶で流してから口を開いた。
「ルーイさんは昼間、港区の服飾店の前にいましたよね?」
「いたな」
「その時、路地裏に向かって何かが横切ったのは?」
「横切ったな」
クレハを待っていた時のことだろう。
「……アレはわたくしです……」
「……そういうことか」
得心した。
あの時、小動物のような何かが路地裏へと入っていったのが横目にチラリと見えた。
最初ロベリアに声を掛けられたのは、その直後だ。
「あの時、ルーイさんがロベリアと少し話している間に、わたくしは路地裏にあった物置の中に隠れたのです」
「……大司教様のやることじゃねぇだろ」
「背に腹は代えられません」
芯が強い子とは思っていたが、どうやら行動力も伴っているようだ。
――少しズレている気もするが。
「その時は上手く隠れて撒けたのですが、アスターさんたちと逸れたまま合流出来ずに、港区から中央区へと移動している最中にまた見付かってしまって……」
「ったく……髭面は何してたんだよ」
この場に居ないのをいいことに悪態をついてやる。
ドアが一度強く叩かれたような気がしたが、多分気のせいだろう。
「あちこちを転々と逃げ回るうちに夜になってしまい、またルーイさんを見掛けました。勿論その時は全く意識していませんでしたが、同じように路地裏へと逃げて行く中で」
「オレとロベリアが言い争っているのを聞いた、と」
「おっしゃる通りです。丁度その時、ようやくアスターさんたちと合流出来たので事情を伝えて、ルーイさんの元へすぐに向かいました」
「完全に巻き込み事故だな……いや、巻き込まれ事故か」
「申し訳ございません……ルーイさんに酷い怪我を負わせてしまい」
「いやいや、そういう意味で言ったんじゃないって。アテラは何も悪くないだろ。それに怪我だって治してもらったんだし感謝してるよ。ありがとうな」
彼女はただ必死に逃げていただけ、それも邪神復活の儀式の供物にされるという理不尽極まりない理由から。
アテラを責めるのはお門違いだ。
「理由が分かって納得したよ。アテラは何も悪くないんだし、気にするな」
「ありがとうございます」
「それじゃ、詳しい話も聞けたしオレはそろそろ失礼するよ。さすがに夜も更けてきたし、これ以上は」
「そうですね。……そうだ! もし良ければ宿舎に泊まっていかれませんか」
「へっ?」
――ドアが何度も激しく叩かれた。
今度は気の所為ではない。
そして、そのことにアテラも絶対に気付いているはずだが、彼女は笑顔を浮かべたままだ。
もちろん動揺しているルーイの冷や汗は、とめどなく流れ続けた。




