22.王宮内の足裏事情
話し合いの間中無表情だったリシャール殿下も、今は穏やかに微笑んでいた。 お茶を口元に運ぶ仕草も、優雅で美しい。洗礼されたとは、このことを言うのだと思う。何の憂いもなさそうなその様子に、アンジュは思わず見惚れてしまいそうだった。
(白衣ですよ、白衣。今日も白衣は、最高です!)
薬草園に出入りするようになってからアンジュは、リシャール殿下のいろいろな顔を知った。
いつもの穏やかで優しい表情は、表の顔。これに仕事が絡むと、途端厳しい表情になる。
整った顔立ちからすーっと表情が消えると、本当に怖いなんてものじゃなかった。
体感温度がぐーんと下がると言うか、冗談なんて言える状態ではない。
まぁ今回は怒られたわけではなく、ホウレンソウ(報告・連絡・相談)を約束させられただけなのだが、とりあえずアンジュは意識してしおらしくしていた。
今回はまだ何もやらかしては、いないはずである。怒られ案件ではないはずだった。
(お父様の為にフットスプレーを、作っただけですもの、ねぇ。)
なのでお茶を交えての歓談タイムに変わってから、まさかリシャール殿下からフットスプレーを褒めて戴けるとは、思ってもいなかった。
「アンジュ、またまた本当に凄いものを作ったね」
いつもの穏やか表情で言いながらリシャール殿下が、アンジュの頭を優しくいい子いい子と撫でる。
父のクロードや助手のトーイの前で頭を撫でられるのは、さすがに恥ずかしかったがしょうがない。怒られるよりはましと、ぐっと我慢した。(私って偉い!)
「凄いものかどうかは解りませんが・・・・・」
別に凄いものを作ったとは、アンジュは思っていない。
ただたんにクロードのあの足のにおいを、どうにかしたかっただけの話。アンジュの平穏な生活の為、新鮮な空気を守る為に、必要だったから作った、それだけのことだった。
「うん、でも私はとても凄いものだと思うよ」
「そうですか?ありがとうございます」
褒められてアンジュも、悪い気はしない。フットスプレーを凄いものと言っていただけて、とても嬉しかった。
「ところで相談なのだが、私にもそのフットスプレーを、譲ってもらえないだろうか?」
リシャール殿下が大変申し訳なさそうに、アンジュにフットスプレーを所望される。とても言いにくそうな上に、お顔が少し赤いような気がした。。
「えっと、フットスプレーをですか?」
意外な申し出に、アンジュは目を丸くする。まさかリシャール殿下から所望されるとは、思ってもいなかった。
「うん、私も足のにおいには、とても苦労していてね。アンジュのフットスプレーは、それ以上のことにも効果を発揮することをクロードから聞いて、是非私も譲って欲しいと思たんだ。頼む、私にもフットスプレーを譲ってほしい」
切羽詰まった声でリシャール殿下に懇願され、頭まで下げられる。お偉い方に頭まで下げられて、アンジュはオロオロと狼狽えた。たかがフットスプレーくらいのことで、王族の方から頭を下げられるなんて、困ってしまう。
(それ以上の効果を望まれると言うことは、リシャール殿下も水虫ってこと? 人は見かけによらぬものって、ほんと解らないものですね。)
「はい、大丈夫ですよ。後程お届けしますね」
リシャール殿下の頼みを、アンジュは快諾する。最初から断るなんて選択しはなかった。
(だっていつもお世話になっているリシャール殿下ですもの、私が作ったものがお役にたてるのならなによりです。それにしても皆さん、足のことでは苦労されているのですね)
などとまるで他人事のように思っていると、
「わ、私もお願いします」
突然切羽詰まった声が、割り込んできた。たまたま書類を届けに来て話を聞いた研究員らしかった。
「ぜひそのフットスプレーを、私にも譲ってください。娘にこれ以上嫌われたくないんです」
再度切羽詰まった声で懇願し、深々と頭を下げる。本当に欲しいのだと、態度が告げていた。
娘さんに足が臭いとでも、言われたのだろう。
(お父さんも、大変だよね。解るよ。うん、解る。)
クロードも気持ちが解るのか、うんうんと頷きながら聞いていた。
しかしここでアンジュも『はい、どうぞ』とは、言えなかった。
なんせクロードの為に作っただけなので、量もそんなに作ってはいない。
先ほどの話し合いでこれから売り出すうんぬんは、クロードとリシャール殿下に丸投げしたところだった。
アンジュがどうしたらよいか思案していると、
「私も」「私も」「私も譲っていただきたいです」とあちこちから声が上がった。
いったいどこで聞いていたのやら?気づくとリシャール殿下の執務室の入口には、フットスプレーを求める人たちで長蛇列ができてしまっていた。
後日談だが国王陛下からもクロード経由で、フットスプレーのご注文を戴いている。父からのメモには、【至急】と書かれていた。
(お急ぎなのですね。もしかして陛下も水虫なのかも。)
その後こっそりテリュース殿下からも所望され、1本都合したことは二人だけの秘密だった。
(ここ秘密にするところかな?)
テリュース殿下からは足のにおいが気になっているだけで、水虫ではないから安心してと付け加えられたが、弁解するところが怪しいとアンジュは内心思っていたりする。(疑惑の目である。)
この世界こんなにも足のにおいや水虫に悩んでいる人が多いのかと、驚くしかなかった。
その後、薬学研究室にはフットスプレーの注文、問合せが殺到し、その対応に苦慮したリシャール殿下とクロードは、新しく販売部門を設立することになった。
それ以降、王国では足のにおいと水虫に悩まされる人が、少なくなったらしい。
(めでたし、めでたし)
◇◆◇◆◇
それ以来はまだ何もやらかしていないはずなのだが・・・・・・。
「姫さん、とりあえず行きましょうか」
「そうですね」
思いあたる理由はないが、覚悟を決めて行くしかなかった。
怒られるにしても、二人で怒られれば怖くない。(本当に?)
アンジュは使っていた実験器具を置くと、トーイに促されリシャール殿下の執務室へと歩を進めた。
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