20.妖精たちの報復
「雑草にも花が咲くのね。まぁ、それでも雑草の花は、雑草だけど」
マリエは咲いているカモミールの花を意味なくむしり取り、その場に捲き散らす。
ブチブチとカモミールの花だけをむしり取り、興味を失ったのかむしり取ったいっぱいの花を、両手でまるでライスシャワーのように、アンジュに向かって放り投げた。
「マ、マリエ様、やめてください!」
無残にも散らされた花が、ひらひらと舞い落ちる。マリエを止めるアンジュの声は、悲鳴に近かった。
「・・・・・・くさい」
手についたカモミールの匂いを嗅いで、マリエが嫌そうに顔をゆがめる。
止める間もなくと言うのがアンジュの気持ちだが、マリエの態度にはただただ驚きしかない。草花も生きているのに、意味もなく花だけを毟って投げ捨てるなんて許せるものではなかった。
「マリエ様、なんてことをなさるのですか?やめてください!」
「触らないで!」
花を毟り取るマリエの手をアンジュが抑えようとすると、反対にバチーン!と強い力で叩き払われた。
「きゃーっ!」
マリエは意地悪くふんと鼻で笑うと、胸を張り自分たちの行為がさも当然のように言う。こちらもまったく常識が通じなかった。
「私とマーク殿下は雑草を取り除くお手伝いをしているのです。ここには香りのよい薔薇の花を植えるといいわ。きっと綺麗な薔薇園になるわよ。薔薇園でお茶会なんて素敵だと思わない?特別にあなたも、招待して差し上げてよ」
「ここに植わっているのは、雑草ではありません。薬草です。ここを薔薇園にするなんて、冗談ではありません」
「薬草?こんな雑草が?」
(だから薬草だって言っているのに・・・・・・) アンジュは、もう溜息しか出なかった。なんだか頭も、痛くなってきた。
「この薬草たちが薬となり、傷や病気を治すのです。大切な薬草をこれ以上、散らさないでください!」
アンジュの悲痛な叫びも、マリエには届かない。
尚もマリエの手はブチブチと花を千切り捨てるのを、やめようとしなかった。
マリエが千切った花の中には、高価な薬になるはずの花も含まれていた。(もったいない。)
「マリエ様……」
何を言っても聞き入れてくれないマークとマリエに、アンジュは怒りよりも悲しみが募る。
可愛い妖精たちと一緒に育てた薬草を荒らされて、落胆しかなかった。
ふとアンジュが顔を上げると、妖精たちも同じ気持ちなのか、怒りを込めマリエを睨みつけていた。
一触即発、目の前には今にも報復しそうな妖精たちの姿があった。
『・・・・・・ゆるさない』
フルフルと怒りに震える妖精たちの声。我慢の限界が、近づいていた。
マークとマリエに報復しようと、妖精たちが針のような剣を持って集まって来た。
『マーク、おしおきする』
『マリエ、おしおきする』
『いためつけてやる』
『やっつけてやる』
「えっ、そんな・・・・・・」
テリュース殿下の時とは違い可愛い妖精たちの不穏な声を聴いても、アンジュはとてもとめる気にはなれなかった。
妖精たちと大切に育てた薬草をマーク達に荒らされたことは、決して許せることではなかった。
(二人にお仕置は必要だと思うけど・・・・・)
どうしたら良いのか、アンジュには解らない。反省して欲しいとは思うが、傷ついて欲しいわけではなかった。
「リシャール殿下、妖精たちが!」
ここは大人の判断に任せてしまおうと、伺うようにリシャール殿下を見上げる。
リシャール殿下は、苦いものを飲み込んだような顔をして、頷いた。
身内が傷つくかもって思ったら、やはり嫌だと思う。それが歳の離れた甥っ子ならなおさらかもしれない。
(リシャール殿下も複雑だよね)
それでもリシャール殿下は気持ちを吹っ切るように、ふっと吐息を吐き出すと微苦笑を浮かべた。
「あれだけのことをしたのだからマークたちが妖精にお仕置きされるのは、しかたがないことだと思うよ」
「お仕置きですか?」
「どうなるか解らないが、まぁふたりが殺されることはないだろう。これには多聞に私の希望的観測も含まれているけどね」
「こ、殺される?」(殺されることはないだろうって?)
リシャール殿下が、サラリと怖いことを言う。
いったいこれから何が起こるのか、アンジュにはわからない。
妖精たちがこんなに怒ったところを、今まで見たことがなかった。
それでもアンジュも、お仕置きは必要だと思う。なので、少し様子見、今は妖精たちを止めないことにした。
穏やかで平和主義の妖精たちを怒らせるようなことを、マーク殿下とマリエはしたのだからしょうがない。怖いことだけにはならないように祈るしかなかった。
『おしおき~♪』
『かいし―っ!』
針の剣を持った何十人もの妖精たちが、マークとマリエに襲い掛かる。
チクチクと小さな針の剣で、二人を刺し続ける。
日頃穏やかな妖精たちだが、剣を持つと性格が変わったように好戦的だった。
「痛い!痛い!何?虫?」
「わーぁっ、止めて。痛い!痛いの」
針の先でも、刺されれば痛いはず。
刺された痕は、虫刺されのように赤く腫れていく。あの針のような剣は、もしかすると毒があるのかもしれない。
「うぁ~ぁ、虫?刺された?」
「痛い、痛い。虫が、虫が。だからこんなところに来るのはいやだったのよ。なのに殿下が、どうしても来るって言うから」
誰に聞かせたいのか解らないが、さも自分は来たくなかったのだと、マリエが自己弁護を始める。自分は悪くないと言い張る声が、とても耳障りだった。
『おしおき、たりない!』
『もっと、やっつける!』
『やくそうのかたき!』
妖精たちは、マリエの言葉など聞く耳を持たない。攻撃の手を、緩めることはしなかった。
(まぁ、二人ともそれだけの事をしたのだから仕方がないよね)
「嫌―っ!もう、どうなっているのだ」
「この虫、虫、どうにかして」
「兄上たちはどうして、刺されないのだ?」
「そうよ。どうして私たちだけ?もういやーっ!」
マークとマリエが見えない虫を祓うように、手足をパタパタさせて逃げ回る。
やはり彼らには妖精の姿は、見えていないようだった。
妖精が見えていないのだから、虫に刺されているようにしか感じられない。マークもマリエも体中に虫刺されのような赤い斑点が、どんどん増えていく。
痒みもかなりあるのか、マークは手足をバタつかせながら首や腕など皮膚を掻き毟っていた。
「痛い!痒い!痒い!もう狂いそうだ」
「もういや!痛い!痒い!これも全部、マーク殿下のせいですわ」
「マーク、そんなに痛いのなら、ここから立ち去ればよいのではないか?」
痛い痛いと飛び跳ねるマークたちを可愛そうに思ったのかリシャール殿下が、助け舟を出す。それでも二人は、出て行かなかった。
「妖精さんたち、強いですね」
「王国の騎士より、剣が立つのではないか」
「本当ですね。みんな勇気がありますね」
アンジュたちには可愛い妖精たちが、凛々しく大きな巨人に挑んでいるように見えた。
マーク殿下たちには申し訳ないが、妖精たちの可愛い報復に口元が笑みに崩れてしまう。
確かに命の危険はなさそうだった。
妖精たちは可愛いし、この情景は面白い。ドタバタ逃げ回るマーク殿下達は、申し訳ないがはっきり言って笑えた。
「ぶっ、ふふふふ。笑えるね」
「あっ、リシャール殿下、ずるいです」
アンジュも必死で笑うのを我慢していると言うのに、リシャール殿下が先に笑うのはずるいと思う。横にいるテリュース殿下は、堪らず噴出していた。
「ぶっ!はははは・・・・・。お、叔父上、我慢していたのに、先に笑わないで下さい」
笑っては悪いと思いながらも、笑いが止まらない。
マーク殿下たちは周りを見る余裕もないのか、こちら側で笑いが起こっていることなど気づいてはいないようだった。
「マーク殿下、早く逃げましょう」
「に、逃げる?」
「行きますよ、マーク殿下。早くしてください。置いて行きますよ」
今初めて立ち去ると言う選択肢に気付いたように、マークが復唱する。行動はマリエの方が早かった。
マークの手を掴むと、早々に走り出す。
『にがすものか』
『まだ、たりない』
『やっつける!』
妖精たちは仕上げとばかりに、チクチクと刺す、刺す、刺すを繰り返した。
「痛い、痛い。いたたたたっ」
「もう、早く。痛い、もう嫌です。早く行きますわよ。痛い、もう痛い」
テリュース殿下が開けた扉から、マリエに手を引かれと言うより強引に引きずられ、マークは薬草園を飛び出した。
「痛い!マリエ、もう少し優しくして」
「何を言っているのかしら、逃げる方が先でしょう」
「あ、あ、うん。すまない」
二人が逃げ出したことを確認すると、テリュース殿下がすかさずバタンと、重い扉を閉めた。
一気に静寂に包まれた薬草園に、アンジュたちはホッと息を吐き出す。薬草園の中は、酷い有様になってしまっていた。
(いったい誰が、これを元通りにできると言うのだろう?)
せっかく良い環境ですくすくと育っていたのに、残念でしかたない。元の情況に戻すのは、かなり大変そうだった。
「入室の挨拶もなかったが、退出の挨拶もなかったね」
「とても痛そうで、痒そうでしたね」
「私たちはすべてが見えていたが、見えない人には虫としか思えなかっただろうね」
「あの調子だと、しばらく痒みに悩まされそうですね」
「本当に痒そうでしたよね。少し様子を見て、かゆみ止めをお届けしときますね」
先日、騎士団の遠征や魔物の討伐の時用に、前世でのかゆみ止めを作ってみた。
前世で使っていたかゆみ止めの成分を思い出し作ってみたのだが、これがなかなかよい効果のものができた。
即効で痒みも止まるし、赤みも引く、なにより痕も残らなかった。
妖精たちの剣の毒に効くかは解らないが、一応お届けしようと思っていた。
「アンジュは優しいね」
「いいえ、優しくなんてしてあげませんよ。私も怒っているんです。だからお薬は、すぐにはお届けしませんわ」
マーク殿下たちにも、反省する時間は必要だと思う。
彼らが反省するとはとても思えなかったが、痒みが治まらなければ少しはお仕置きになるのではないかとアンジュは思っていた。
『やくそう、めちゃくちゃ』
『マーク、許さない!』
『つぎあったら、やつつけてやる!』
妖精たちも荒らされた薬草を見て、怒りがぶり返して来たのか次に会ったら容赦しないなどと、怖い言葉が飛び交っていた。