9.長い一日の終わりのお話
「なっ…!」
群衆の歓声と共に広場を抜けようとするミィスを、王は呆然と眺める。
少しだけ口元を緩め、目を閉じる。どうか、このまま、と隣に立つ王妃と共にほんの少しだけ祈る。
「王、どうしますか?」
祈りの途中で声を掛けるのは黒いローブで全身を隠す影。
「く…お、追え…」
震える声で再び命令を下す。そして、歯を食いしばる。
「絶対に逃がすな!」
苦渋の表情で、声を上げる。
「…お父様…?」
その姿に、首をかしげるのはバルコニーがよく見える自室から広場を見下ろすシュトリヤ。
「あの人たちは、誰?」
「今のローブの人々ですか?確かに私も見たことがありませんね」
「ええ、あんな人たち知らないわ。やっぱり何かありそうね。」
「ですが、今は逃げましょう。恐らくここも時間の問題です」
「そうね、ひとまず役目は終わったわ、ここはミヤビさんとエリューさんに任せましょう」
「では、失礼します」
アナトーレはシュトリヤの体を片腕で抱きかかえ、槍に片足をひっかける。
「っう、」
少し声が漏れる。
「ご、ごめんなさい、重たいかしら…」
しょんぼりと眉を下げるシュトリヤに慌てる。
「あ、いえあの、いつもはエリューかミィスなので」
エリューは言わずもがな、ミィスも小柄で細身なので片手で抱き上げるには困ったことがなかった。しかしシュトリヤは違う。
細いが背も高ければ出るところもしっかりと出ている。
「ご、ごめんなさい」
小さく謝罪を重ねるシュトリヤに、アナトーレの無表情が少し崩れる。
(こんなにかわいらしいお方だったとは…!)
「え、えっと、行きます。」
ごまかすように咳払いし、詠唱に入る。
「――古き処女の守り人よ」
朗々と、詠うように呪文を紡ぐ。
「――此処へ舞い降り」
槍に埋められたランク1、白の魔宝玉のうちの一つが輝く。
「――白き翼 気高き一角」
槍に純白の白い翼が生え、広がる。
「――翻し この槍に力を宿したまえ」
翼が一度、ばさりと空を切り。
「<一角獣召喚>」
魔法名を唱え終わると、翼が羽ばたき高速で舞い上がった。
「きゃあ!!」
あまりの速さに、アナトーレにしがみつくシュトリヤ
「そのまま、しっかり捕まってください」
地面が遠く見えるほど高く飛び立ち、アナトーレはシュトリヤを抱きかかえ直す。
「落ちます!」
槍の向きを調節すると、ぐんぐん速度を上げて落下する。
槍は、特区の門の一つへ突き刺さり、崩れ落ちた。
そこはアナトーレが護り続けてきた、難攻不落の門。
直前で離脱したアナトーレがシュトリヤを抱きかかえたまま軽やかに着地する。
刺さった槍を地面から抜き、構える。
「道を開けなければ死にますよ」
冷えた声で槍を部下たちへ向ける。
「負傷したものを連れてここを離れなさい」
ここの隊長としての最後の命令だった。慌ててその場を離れる部下たち。
そこへ、姿を見せるのは人々を魅了し惑わせながら道を開けさせるミヤビ。
次いで、それでもなんとか近づく敵を蹴散らすエリュー。
そして、ミィスに肩を貸しながらも飛ぶ矢と魔法を叩き落とすセレネル。
並んで右腕をきつく握りしめながら走るミィス。
「ミィス、けがが!…フェガリはあとでお仕置きだわ…」
ぽつりと呟いた物騒な台詞はアナトーレにすら聞かれることはなかった。
「ミィスは治療が必要ですね、エリューが回復魔法を使えます。が、このまま追われるのは分が悪いです。」
再び槍を構えるアナトーレ。
「姫は少し下がってください。」
こくりと頷き、逃げる面々を銃で援護するシュトリヤ。
「――風の力を司りし精霊よ」
再び槍に埋め込まれた、先ほどとは別の魔宝玉が光る。
「――戦ぐ春風 薫る夏風」
槍の先端に、風が巻き始める。
「――涼し秋風 疾き冬風」
徐々に風が強く巻き付いてゆく。
「――纏いて この槍に力を与えたまえ」
「<風精召喚>」
槍の先端から放たれた風は渦を巻き、逃げる仲間と追う敵を分断した。
その竜巻は、そこにとどまり続け。晴れた頃にはミィス一行の姿はもちろんなく。
王都の歴史上はじめての処刑は、失敗に終わった。
――王都2区・とある森
あたりは月で照らされている。長い一日が、ようやく終わる。
「追手はいませんね。エリュー、治療をしてあげてください」
「うん。ミィス、右手見せて」
差し出す右手の甲は簡単に布で縛られ、もう出血は見られない。
「痛い?」
「う…す、すこしだけ」
その言葉に眉を下げたエリューは小さな手を患部に翳す。
「<デュアル・リカバリ>」
チョーカーについた飾りは桃色、ランク5。
輝き、発動。怪我はもちろん魔力や体力も回復できる。
回復量としてはそこそこといったところだが、汎用性は高く鬼人に使える者が多い。
「よし、できたよ、ミィス…ミィス!?」
回復が終わり、顔を上げたエリューは、驚きで固まる。
「み、ミィス?ど、どうしたの?まだ痛い?」
あわあわと両手を振るエリューに、微笑みかけるミィス。
「ちがう、の。」
瞳からは大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちる。一つ一つが水晶のように澄んでいる、美しい涙。
「シュトリヤも」
「セレネルも」
「みんなも、」
言葉に詰まりながら、しかしはっきりと。
「無事でよかった」
ずっと張り詰めていた気を、ようやく緩めることができたのだった。
「ありがとう、ミィス。」
女神のように穏やかに微笑み、右の瞳からこぼれる雫を指で受け止めるシュトリヤ。
「よくやった、ミィス」
三日月のように優しく微笑み、左の瞳からこぼれる雫を指で拭うセレネル。
ミィスは無言で2人を強く抱きしめる。
震えるミィスを、そっと2人は包み返す。
「ねえセレネル、ここはわたくしに譲るところではなくって?」
不意に、視線だけをセレネルに向けてつぶやく。
「お前こそ、ここは俺に譲るべきでは?」
同じく視線だけをシュトリヤに向けて応戦。
上半身はミィスを抱きしめるように腕を回しているが、脚はこれ以上ミィスに近寄らないよう互いに牽制し合っていた。
ミィスに足を絡めようとするセレネルの足を、シュトリヤが阻止。
反対の足をシュトリヤはミィスに絡ませようとするものの、それを今度はセレネルが阻止。
「…なにやってるの、2人とも」
漸く涙が止まり、顔を上げると。上半身は微動だにせず、下半身のみで蹴り合う姿。
「ふふ、いつもどおり、だあ」
ふにゃ、と緩い笑顔を向けられ、2人はようやく足を止めた。
2020.01.17_読みやすいように少し修正。ストーリーへの変更はありません