竜姫 立ち尽くす
(わ、忘れていたわ……!)
自分の事ではあるが、仕方ない。何しろシュナはデュランと違って常に余裕がない。彼が乗っている間自分の事もシュナの事もニルヴァの事も、果ては竜の面倒まで見ていられるのに対し、我が身だけで限界だ。
同様に、ニルヴァの救出作戦というなかなかの一大事を間に挟むと、その前の事も頭の中からすっかり追い払われていた。一方、デュランの方はちゃんと覚えていたし、ほとぼりが冷めた今になって「ところでさっきの続きだけど」とばかりに場を整えてくる。
「ニルヴァ、ちょっと二人で話があるんだ。すぐ済むと思うけど、ちょっと待ってて。その間にこれ、使っていいから」
彼は少女に竜砂糖のお代わり(どう見ても鞄より大きな瓶がずぼっと取り出されるのを見て、シュナは言葉を失った)を差し出し、露骨に二人で話したい空気を醸している。
ニルヴァは元々邪魔をするような性格の娘ではない、なんとなく察した顔で……いや、餌やり時間の延長が入って嬉しさ半分不安半分という顔だろうか、これは。
「た、食べてもらえるのでしょうか……」
「コツは怯えないこと。不安が伝染して向こうも警戒するからね。人間においしいからどうですか、って勧めるような気分でやってみて」
偉大なる先輩にアドバイスを受けた冒険者は、「怖がらない……!」なんて言いながら瓶を構えた。気のせいでなければ、あれは瓶の中身を空中に投擲するためのポーズなのではなかろうか。確かにおっかなびっくり出されて食べようとした瞬間に手を引っ込められるなどすると、与えられる方としては「出すのか出さないのかせめてそこははっきりしろよ!」と苛立ちを覚える気持ちが出てくることもわかるのだが――だからと言ってそんな戦いの姿勢で挑むようなこともでないように感じるのだが。
《あん? やるのでありますか? やっちゃうのでありますか? 此方の力を見せる時がやってきたのでありますか?》
《……ちょっと静かに食べていて!》
ウィザルティクスは彼らの守護対象となにやらよろしくない雰囲気になろうとしているデュランを追い払うこと、そして小娘の挑戦を叩きのめすこと、両方ともこなそうと並々ならぬやる気のオーラを出しかけていたが、シュナに一喝されるとすん、と途端に大人しくなった。
(話が流れてそのままになってしまうのなら、それはそれでいいけれど……こんな風に改めて聞かれて、それすらごまかそうとするのはさすがにどうかと思うの。それにウィザルティクスに任せて状況が好転するとは思えないの……あらゆる意味で!)
別に銀色の竜が嫌いなわけではないし、よく頑張ってくれていると思う。
ただ、それとは別にやはり仕事に対する信頼感とか見積もりというものは存在する訳で。
銀色の竜(とついでに桃色の竜も便乗していた)が少女の放つ竜砂糖を、一つ残らず余すことなく口に収めている様子を少しの間だけ見ていたデュランだったが、ニルヴァが下手にいじめられるようなこともないと確認して安心したのだろうか。シュナの方に改めて向き直る。
《シュナ。さっきは話の途中になっちゃったけど……君はトゥラのことを知っている。今、無事であることもわかっている。だけど、それ以上のことは理由があって言えない。それでいい?》
《ええ》
《……そうか。わかった。俺に何か、言っておきたいことはある?》
先ほど、シュナが言いかけたことを受けての問いだろう。優しい口調だった。けれどシュナには言葉がない。あの時だって考え考え、ようやく絞りだそうとした瞬間――かき消されてしまって、今もう一度すぐに同じ事をと言われてもうまくいかないのだ。
どうしよう、と思っていると、シュナがまごついている様子を見たせいだろうか、デュランの方が先に口を開いた。
《それなら、できればでいいんだけど……彼女に伝えてもらえる?》
《……何を?》
《俺の気持ちは変わらない。力になりたい。だから……もし、戻ってきたくなったらいつでも姿を見せて。困っているなら呼んで。皆君を待ってる》
シュナは自分が一瞬、大きく目を見開いたのを――そしてぽかんとするように開けようとした口から声が漏れるのを、感じた。
《――ありがとう》
言い切ってから、一度言葉が句切れた。次の言葉までは再び迷いが訪れる。デュランは特に急かさない。言うべき事は言った、という雰囲気がある。
《……伝えるわ、必ず》
《うん。ありがとう、シュナ》
後悔ならたくさんある。あの時ああしていれば、と思う事には数限りない。
それでももう、過ぎてしまったことをなかったことにはできない。
なら、この人の優しさを忘れず――もらったたくさんのことを、少しでも一緒にいられる間に返そう。
だから、ありがとうでいい。ありがとうと言えてよかった。
(叶うなら、最後の時もそう言いたい)
ぼんやりとそんな考えが浮かんだ。
別れを意識するのは辛く、胸が痛みを訴える。
ずっと一緒にはいられない。全て本当の事が明るみになったなら――二人の生きている世界はあまりにも違う。
(でも、それはまでは――それまではせめて)
一瞬の時間を、できる限り長い間に伸ばして、笑っていたい。
そんな自分の小さくも傲慢なる欲望を、シュナは確かに自覚し、改めて決意する。
ぽんぽん、と身体を叩く手は、竜のシュナからすると小さく、人のシュナからすると大きい。感触が心地よく、シュナはしばらくとろりと目を細めて撫でられていた。
残念そうな声が上がって、はっとする。シュナが首を振ってからきょろきょろ見渡すと、あれだけ大きな瓶に一杯の竜砂糖をニルヴァは全部撒き終わったらしい。そして竜達と来たら、完食した上に更に追加をねだろうとしていたらしい。
(なんてこと……!)
少女に迫って不満の声を上げている竜達の間に飛んでいき、シュナは速やかに彼らを追い払った。
《食べ過ぎよ、二人とも!》
《だってこんなに貰える機会滅多にないのでありますー!》
《肯定!》
《ウィザルティクスはともかくネドヴィクスまで……!》
悲しみの声を上げている二竜だが、シュナからしたらとっくの昔に気持ち悪くなっている量だ。彼女よりは大きめサイズとは言え、他の竜にも全く影響のないと考えるのはちょっと楽観にすぎる気がする。悪影響、というものはないかもしれないが、何にせよ足を知ることから逸脱した態度は、ファリオンにつけられたシュナにとって好ましくない。
《もう十分いただいたでしょ! ごちそうさまでした、ありがとうございますって言うところよ!》
睨みつけられると竜達は順に従う。どちらがお目付役なのだかわかったものではない。
しかしその情けない姿が功を奏したらしい。ニルヴァが再び笑顔になると、シュナの所から戻ってきたデュランが彼女の隣に立つ。
「竜って本当に、ずっと見ていられますね。私は適性が低いから、あまりもうこういったことはないかもしれませんが……」
「このままのこともあるし、急に変化することもある。リーデレットだって最初はほとんどの竜に見向きもされなかったさ」
竜騎士に空になった瓶を返しながら、少女は何か考え込む顔をしている。
そんな彼女の顔色を見計らったように、騎士は爽やかな声を上げた。
「さて、ニルヴァ。帰る気にはなった? それともまだ、ここにいたい? 迷宮内部で野宿もできるけど、泊まる場所に困ってるならそれも手伝うよ」
なんだか変な物言いをするな、とシュナは首を傾げたが、ニルヴァの驚きはそれ以上だったようだ。ぴょん、と跳ね上がってからデュランをマジマジと見つめ、そしてがっくり脱力する。
「……さすがです、閣下。どこまでご存知なのですか?」
「お父さんとはそれなりにお付き合いのある仲だからね。最近何か変わったことがあった?」
ニルヴァの父は前に会った冒険者という話だったはずだが、どうもなんだか雲行きというか流れというかが不穏だ。
心配そうにきゅう、と鳴くシュナの横に、いつの間にか近寄ってきていたネドヴィクスがすっと首を伸ばし――同じぐらい自然な動作で毛繕いを拒否されていた。
竜達の密やかな攻防はさておき、人の少々深刻そうな話は続いている。
「もう既にお聞きのことかもしれませんが……先日、ドクターストップがかかりました。抜き打ち検査で……腕にポーション抜きの注射痕が、複数あったと」
「離脱症状が既に過去何度も出ているということだね。自力対処してなんてことないように振る舞っていたようだが――最近あまり深い所まで潜っていく様子がなかったからな、なんとなく予感はあった。黙っていたのは褒められたことじゃないが、難易度を自主的に下げていた辺り、本人も警戒と覚悟はあったんだろう。この前会ったのも待機所だ。砂の間ぐらいまでは行ったかもしれないが」
《デュラン。あの人、冒険者を辞めるの? 大丈夫なの?》
《外にも山ほど仕事はあるさ。ラングリースならいくらでも次の行き先はあるし、今動けるうちに引退するなら全然大丈夫だよ。それより迷宮神水の限界に達しているのに潜り続ける方がずっと危ない……というか組合では禁止されている行為だな》
心配そうに話しかけてきたシュナにさらりと返してから、竜騎士は再び冒険者見習いとの会話に戻る。
「それで君は少しでも家計の足しになりそうな物がないか探しに来た? あるいは、冒険者を志望していることをお父さんに認めてほしかった?」
「……本当に、なんでもお見通しなんですね」
はあ、と少女はため息を吐き出し、苦笑いの形に顔を歪める。
なんとなく二人の会話から、気になっていたことがわかったし、ニルヴァの事情も見えてきたけれど……とおろおろしているシュナの前で、少女はお下げの髪を弄びながらぽつりぽつりと話した。
「父は……もっと安全で、安定した仕事がいいと言うんです。術士適性もない、竜との相性も悪い、戦闘技能がずば抜けて高いわけでもない。そんな冒険者のできることはたかが知れている。ましてお前は女の子なんだから――」
「それで喧嘩になった?」
「最初はただ、話し合っていただけなんです。でも、自然と話題が母のことになって……そうなると、私も父もどうしてもカッとなっちゃって、お互いに……私も少し、言い過ぎてしまったと思います。だけど――よりによって、離脱症状を隠していたのが、許せなくて。そんな状態で、安全がどうのとか言われても……何も響かない」
気にはなるが――予感がして、聞くのも憚られた。
そんなシュナに、そっとネドヴィクスとは反対側からよってきた銀色の竜が、つとめて小さな声で耳打ちしてくる。
《気になったのでちょっと記録データを参照してみたのであります。ヒットあり。あの小娘の両親は共に冒険者でありますな。父親の方は姫様もご存知のようなので省略。で、母親の方――ランクの高い冒険者でありましたが、二年前迷宮で死んでいるのであります。魔物に襲われてポーションを使ったのでありますが、離脱症状――ってわかるでありますかね。迷宮神水の限界量の話、覚えているでありますか? あれなのであります。記録を見ている限り、同行していた仲間がすぐにポーション抜きも試みたようですが……身体が保たなかったのでありますなあ》
すらすら述べられた言葉に、シュナはうまく反応することができなかった。全部聞けば部外者がそのまま聞いていいようなことには思えないが、途中で不謹慎だと声を上げるのも何か違うように感じる。
《まあ、不運でありましたが、珍しくもない。よくあることであります》
ウィザルティクスは最後にそう締めくくった。
ああ、だからか、とシュナは納得する部分がある。
彼らにとっては日常の一つ、本当によくあることでしかないのだろう。
――一人のかけがえのない命が失われると言うことは。
(デュランと一緒にいると、危ないことがあっても、結局この人がなんとかしてくれそうで……すぐ忘れてしまいそうになる。けれど、違うのだ。一歩間違えれば、全部終わり。ここはそういう場所なんだ……)
「お父さんは君を迷宮に潜らせたくない。でも、自分は無理をしてでも冒険をしようとした。それを知って、許せなかったんだね」
呆然と立ち尽くしているシュナの前では、竜騎士がしばしの沈黙の後、そっと声をかけていた。少女はゆっくりと頷き、それからうなだれる。
「最初はカッとなって飛び出してきて――でも、そこまで無理をするつもりはなかったんです。ただ、ちょっと……一人になって、頭を冷やしたくて。それに……もしかしたら最後になるかもしれないし、と思っていたら、なかなか帰れなくて。砂の間でうろうろしていたところを、通りかかったチームの方が声をかけて下さって……」
そこで少女の声が一度ぶつりと切れた。その先は言葉にならなかったのだろう。
関を失ったように、彼女の目から大粒の涙が次から次へと流れていく。
デュランは自分の荷物の中からタオルを取りだして、差し出した。
受け取った瞬間、彼女はわっと声を上げた。
まるで限界までせき止められていた川が一気にあふれ出すように、しばらく少女の泣き声が止まることはなかった。




