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やがて天則の救世主  作者: 八代明日華
第四章:あの橋の向こう側へ
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第二話『覇者の来訪』

 エリナに連れられて、学園長執務室へと向かう。シュウたちの家の方から歩いてきたエリナだが、学園長からの指示を受けてシュウを探していた、ということは、よく考えたら彼女は元々この石塔の内部にいたわけだ。これは大層な遠回りをさせてしまった、と申し訳なく思う。今度何か埋め合わせをしてあげなくては。


「しかし……央都からわざわざ使者がやってくるとは……」

「それだけお兄様の功績が高く評価された、ということですわ! このエリナ、妹として、そして未来の妻として誇りに思います!」

「わたしもー!」

「そういうことではないように思うのだが……というか、アリアも付いてきて大丈夫だったのか?」


 ぴょいーん、と元気よく手を挙げるアリアの姿に微笑みながらも、シュウは一抹の不安を感じてしまう。


 今や法術師育成学園の中で、アリアのことを悪く思う人間はほぼ全くと言っていいほどいない。

 彼女が学園に籍を置いた当初は、いかに彼女が人間に好意的な反応を示し、親しみやすく愛らしい性格をしている、と言っても、これまで『魔族は見つけ次第即刻滅ぼすべき存在である』という価値観を刷り込まれてきた見習い法術師達には受け入れがたかったようで、風当たりの強い場面が多かった。アリアの小動物を思わせる可愛いところは、そういうモノが好きな生徒達から高い人気を博していたが、一方で差別的な言葉をかけてくる人々も散見された。


 そんなアリアが一年という、長いような短いような不思議な時間の間に、すっかり彼らの中にも受け入れられたということを、シュウはとても嬉しく思う。結局のところ皆、人懐っこく会話を仕掛けてくるアリアのペースに乗せられて、いつの間にか彼女と友達になってしまうのだ。

 アリア=ザッハークには、そういう『人々の中心になる力』が備わっている気がしてならない。そして実際、そうなのだろう。

 

 だがその力は、彼女と長い時間を共に過ごした者にのみ通用する力だ。

 今日初めて出会う人間が、アリアの事を敵視しないとも限らない。特に央都は『教会』本部の城下町。悪性存在滅すべし、という思想にとっては、源泉のような場所だ。

 そこからやってきたという人物が、何の迷いもなくアリアを斬り捨てないとも限らないのだ。


 かくして胸の奥に小さな不安を湛えながら、シュウは執務室のドアをノックする。「入れ」というイスラーフィールの声が返ってきたが、彼女には珍しく焦りの色が見えた。

 その理由を、ここで考えていても仕方がない――そう結論付け、失礼します、と頭を下げると、シュウたちは部屋の中へと足を踏み入れた。


 即座に、イスラーフィールの焦りの理由が分かった。

 それと同時に、シュウは先ほどの不安をもっと深刻にとらえるべきだった、と深く後悔した。

 何故ならば、執務机の前でイスラーフィールと会話をしていた、『使者』と思しき人物。赤毛の目立つその男の纏う気配は――


 彼が、最低でもイスラーフィール以上。

 最悪の場合、マグナス・ハーキュリーとほぼ同格の存在であることを示していたからだ。


「へぇ」


 男は育ちの良さを感じさせる、非常に整った顔を、にやり、と禍々しく歪ませた。野生の獅子、あるいは狼を思わせる、好戦的な表情だ。観察するようにこちらを見つめる、ぎらぎらとした鋭い瞳はオパールの色。素肌を曝した上半身を被うのは、髪の毛と同じ、赤銅色のローブマントだ。アルケイデスの改造法衣とよく似ている。心なしか顔立ちもどこか似たような雰囲気がある。

 それは同郷の者達のみが共有する、言葉には表しがたい共通項だ。この男は、アルケイデス・ミュケーナイと同じ、中央大陸南西部の出身なのかもしれない。


 彼はローブの裾をはためかせると、一歩、シュウたちに近づいた。


「こいつらがそうか」

「おい、ズカルナイン――」

「心配すんな、俺ァ気に入った奴に危害は加えねぇ。テメェもそれは分かってんだろ、イスラーフィール」


 警戒心もあらわに叫び、立ち上がりかけるイスラーフィールを、ズカルナイン、と呼ばれた男が高らかに静止する。学園長の動きも止まる。納得した、という表情ではない。恐らく分かっているのだ。自分がこれ以上何か咎めたところで、意味のある相手ではない、と。


 イスラーフィールの、『情報の女王』の手を以てしても対抗しがたい存在。

 それでいて、アルケイデスとほぼ同格の存在。

 だとするならば、その正体、称号は、おのずと絞られてくる。


「テメェがあれか、『救世主(サオシュヤント)』ってやつか」

「……そう呼ぶ人もいます」


 ズカルナインに問いかけられ、シュウは静かに答える。ことさらに誇示することも、その名に違和感を訴えることもなく。

 記憶を取り戻した今でも、その言葉の意味は良く分からない。字面通りならば、この世界を救う存在、ということなのだろうが、どうしても自分がそういう人物であるとは思えないのだ。

 だが数多くの人が、シュウのことを『救世主』と呼ぶ。そして自らの特別な出自を知ってしまった今、そのことと、この称号が無関係であるようには思えない。

 

 だからほんの少しだけ、言葉を濁すのだ。

 そう呼ぶ人もいるし、そう呼ばない人もいる、と。


「ふぅん……」


 返答に満足したのか、あるいは満足がいかなかったのか。

 ズカルナインはつまらなそうに唸ると、シュウの目前にずいと近寄る。もっと顔をよく見ようというのか、赤い指ぬきグローブに覆われた右手を伸ばす彼。

 

 その手を、銀の閃光が叩き返した。

 エリナの十字槌だ。西方大陸北部に見られる、円形を組み合わせた大型の十字架、その頭で、ズカルナインの腕を吹き飛ばしていた。直後、その輪が深紅の輝きを宿し、光の刃を現出させる。

 彼を睨みつける瞳は両方とも紅――エリナ・キュリオスハートの戦闘人格、己を魔族であると『認識』する『エリナ』が、義兄を護らんと獲物を構える。


「その汚らしい手でお兄様に触れないでくださいまし。いくら特級法術師(アスラワン)第三席とは言え、(わたくし)の家族に対する愚行は許しません」

「かえって」


 加えてアリアまでもが、警告するようにシュウの前に立ったではないか。両手を大きく広げてズカルナインを阻む姿は、普段の彼女の何倍も凛々しく見える。


 そんな彼女たちの態度に、自分は幸せ者だな、と思うと同時に、シュウは大きな衝撃と納得を感じていた。目の前のズカルナインという人物。やはり彼に秘められた力は、想像通りの領域にあるものだった、という証明が、エリナの口から紡がれたのだ。


 近接戦闘最強の法術師として特級法術師第二席、『英雄(ザ・ヘラクレス)』マグナス・ハーキュリーの名を上げるなら、その対となる法術師が絶対に必要になる。その時、まずはじめに名の上がる人物こそが、この男の正体だ。

 遠距離戦闘最強の法術師――特級法術師第三席、ズカルナイン・アルイスカンダル。一振りの剣たるウルスラグナを構えるマグナスに対して、彼は『武装台』の異名をとる巨大な武装型法術――『武装型アキレウス』を駆る。中距離から遠距離までを圧倒的な火力で蹂躙するその戦術から、今は亡きハレルヤザグナル翁が授けた称号こそ、『覇者(ジ・アレキサンダー)』——


 そのような名の知れた人物が目の前にいる、という状況が、マグナスと初めて刃を交えたときのような緊張感を、シュウの全身にも張り巡らせていく。

 

 エリナはハレルヤザグナルに随伴して、彼と何度か顔を合わせたことがあるはずだ。その彼女がここまで警戒している。それは即ち、今でこそ何も仕掛ける様子は見えないが、本来ならばシュウたちに害を与える側——忠実な教会の剣である、ということだ。


「いいねぇボウズ、可愛い女の子に守ってもらえてよ」

「このっ……」


 くくっ、と獰猛な笑みを浮かべるズカルナイン。

 その奥に侮蔑を見たか、『エリナ』が十字斧を高く掲げる。アリアまでその影を蠢かせていた。いけない、こんなところで二人に、それも特級法術師と戦わせるわけにはいかない。

 シュウはさっと彼女たちを制止すると、二人を庇い直すように前に出る。


 ズカルナインが、ほう、と方眉を上げる。別段特別なことをしたつもりはないのだが、何か気にかかったのだろうか。 

 考えるのは後だ。今は皆を落ち着かせなければならない。


「確かに俺はまだまだ無力です。彼女たちを守り切るだけの力もないし、むしろあなたの言うように、彼女たちに守ってもらうような場面の方が多い」

 

 ですが、とシュウは言葉を繋げる。


 エリナと出会ったばかりのころ、シュウはマイヤやエリナが、自分の事を想い、慕い、誇りに思ってくれることに対して、気恥しさと、一種の不信感のようなモノを抱いていた。自分はそんな風に思われる存在じゃない、自分はもっと弱く、君たちの期待に応えられるような人間じゃない、と。


 だが、彼女たちと長い時間を過ごすうちに、シュウの考えも変わった。

 今のシュウは、彼女たちの誇りに思う『シュウ・フェリドゥーン』になりたいという気持ちを、何よりも強い自分の目標に掲げている。それは他でもない、愛する少女たちのためだ。


 おかしな話ではあるが――シュウ・フェリドゥーンという人物は、決してシュウ自身だけのものではないのだ。別に自分自身が愚弄されることはどうだっていい。だが、シュウを愚弄することで、その姿を想い、愛し、慕ってくれる少女たちをも嘲るというならば。


 例え相手が、戦って勝てるような相手ではなくても――


「俺も、貴方を許すことはできないかもしれません」

「なるほどな、面白れぇじゃねぇかガキ……半分魔族の『救世主』、どんなタマかと思ってみれば、随分と俺を滾らせてくれる……!」


 半分魔族――自分の血統の詳細を、一体何処で聞いたのだろうか? シュウがそれを疑問に思う前に、状況は大きく動いてしまった。


 かっ、と、その黄色と緑の入り混じったような、蛋白石色の瞳が見開かれる。

 ズカルナインのごつごつとした長身、その全身から、渦巻く灼熱のような気配が噴出した。『覇者』の示す『信じる力』——マイヤの過剰光(ハロウ)やアルケイデスの王気(オーラ)のように、その身に纏う法力が可視化しているのである。


 法術を使うつもりだ。

 直感的に悟る。いいや、今のシュウにとってそれはもう直感ではない。自身の身体に組み込まれた世界呪術、『スラエオータナ』の権能が、魔力と法力の流れを全て主に教えてくる。膨大な量の法力がチャージされていく光景は、紛れもなくズカルナインがその力を解き放つ前兆だった。


 エリナたちには戦わないようにと指示しておきながら、自分は火に油を注いでしまったらしい。しまった、と一瞬思ったものの、最早如何ともしがたい。

 これは後で絶対にエリナに怒られる。あと多分このことを知られたらマイヤも怒る。シュウは自覚があるくらいには馬鹿正直なので、きっとどこかで話してしまうだろう。

 その時にマイヤから、昔のように冷たく怒られないためにも。今は授業に出ているはずの彼女が、「その場にいればよかった」と後悔の涙を流さないようにするためにも


 ここで、なんとかしなければ――そう胸に決めて、シュウが『スラエオータナ』を顕現させようと、右手を付き出した、その時。


「何をしている、ズカルナイン」

「——!!」


 声が響いた。

 発生源はすぐ後ろ。シュウたちが入ってきた、執務室のドアの向こうだ。

 そこに、偉丈夫が立っていた。魔族たちのパールホワイト系統とは別種の色味を帯びた、銀、あるいは白の髪を靡かせた男性法術師。褐色の素肌の上に纏った改造法衣の裾が、ズカルナインの法力が巻き起こす突風に煽られて、ばたばたとはためいていた。


 だがその足元から噴き上がるのは、正義を映す純白の波動。

 背負った巨剣をぎゃらりと抜き放ち、アルケイデス・ミュケーナイがそこに立つ。


「アルケイデス先生——」

「下がっていろ」


 声を上げかけたシュウを黙らせると、アルケイデスは庇う様に自分たちの前に立つ。見上げたその顔はいつになく厳しい。青色の瞳が、荒れ狂う王気に中てられ真鍮色に光輝く。じっと見つめたその先に佇むのは、他でもない、ズカルナイン・アルイスカンダル――


「央都から使者が来たと聞きつけ、一度顔を見ておこうと思って来てみれば……まさか貴様だったとはな、ズカルナイン・アルイスカンダル」

「く、くくく、くはははははは!!! ああ、俺もだよマグナス・ハーキュリー!! まさかテメェがこんなところで燻ってやがったとはなァ!!」


 ズカルナインの表情が崩れる。これまでの戦士の顔から、第一印象と同じ、獅子か狼――そう、闘争を求める獣の顔に。紅い髪をかき上げて、『覇者』は『英雄』と対峙する。

 

「丁度いい……そこのガキと一緒に、テメェも俺を楽しませてくれよ……!!」

「断る」


 だが彼の熱く湧き立つ覇道の闘志を、アルケイデスは冷たく斬り捨てた。

 空間振動さえ引き起こし始めたズカルナインの法力にも一切動じることなく、白銀の巨剣を鞘に納める。はぁ、と深いため息をついた元・特級法術時第二席は、呆れた様子で忠告する。


「貴様は伝令として来たのだろう。それ以上のことは命令されていないはずだが」

「チッ……」


 その内には、シュウの想像の外にある、全く別種の意味が込められていたに違いない。

 ズカルナイン・アルイスカンダルは、すう、と戦意を消失させた。先ほどまでの光景が白昼夢であった、と言われても、きっと信じてしまうだろう。怪物を思わす見開いた瞳は、獲物を見つめるようなぎらぎらとしたものに戻り、纏った覇気もどこにも見えない。

 強く舌打ちをして、彼はアルケイデスへと一歩近づいた。

 敵意を持った接近ではない。打って変わって、どこか友好的にさえ思える。


「相変わらずつまんねぇ野郎だ」

「私からすれば貴様の方がよっぽどつまらん。かつてなら非効率性の故に。今であれば、その残虐性の故に」

「聞き飽きたよ、その御託も」

 

 はん、と鼻で笑うと、特級法術師第三席は、その肩書に違わぬ厳粛な表情を取った。

 背後でエリナが、慌てて居住まいを正した。癖だろう。彼女は特級法術師が何人も並ぶ場所で、似たような場面に遭遇したことが幾度かあるはずだ。

 そういえば、イスラーフィールは兎も角アルケイデスはエリナと会ったことがなかったんだよなぁ、などと場違いなことを思ってしまう。よく考えれば当然なのだが。マグナス・ハーキュリーが『教会』の本部に滞在することも、訪れることも、殆どなかったと聞いているから。


 ズカルナインが仰々しく声を張り上げる。


「我らが『天則』の告げ手、ファザー・スピターマ様はそこのガキを始めとし、『呪甲魔蛇(アジ・クールマ)』と直接対決した法術師たちに対して褒章を取らせるとの思し召しだ。ついては十の月の十日までに央都まで出てこい。宿はこちらで手配する。表彰は十一日に行う。それまで央都の観光でもしていろ。テメェらはただ称賛される準備だけをしていればいい」

「……それだけか?」

「まさかそのためだけに、お前を私の学園に送り込んだ、と?」

「クソつまんねぇことにそれだけだ。教父サマはどうにもそこのガキがいたくお気に入りらしくてな。世界の危機を阻止したことへの感謝と、『救世主』覚醒の祝辞を述べたいんだとよ」


 訝し気に問い返すイスラーフィールとアルケイデスに、ズカルナイン自身、退屈を隠せない様子で応答する。

 シュウ自身には自覚がないが、己の引き起こした出来事は、それほどまでにファザー・スピターマにとって重要だったのだろうか? 確かに、ハレルヤザグナルによって偽りの顕現を果たした海洋の魔王は、あのまま放っておけば間違いなく中央大陸に甚大な被害をもたらしたはずだが……シュウがしたのは、仲間たちを守るという、至極当然なことの様にも思う。


「世界の危機を阻止したことへの感謝、か――相変わらず傲慢だな。さもこの世界が自分の所有物であるかのような発言だ」

「似たようなもんだろ。実際この世界であの野郎を超える力の持ち主は誰もいねぇ……いや、いなかった、というべきか」

 

 蛋白石色の瞳が、じっ、とシュウを見つめる。

 戦士の雄々しさを纏っていないときは、アルケイデスのそれとも似た、どこか人懐っこい印象を受ける。きっと彼の事を兄貴分と慕う法術師も多いのだろうな、と、一瞬前まで敵であり、今もなお危険なはずの相手に、妙な感想を抱いてしまう。緊張感がなさすぎる、と、またマイヤに怒られてしまうかもしれない。


 ズカルナインは真剣そうに、声を低く落として語り掛けてきた。


「ガキ。テメェがそれだ。あの野郎にとって、テメェは生まれて初めて出会う、自分と同等の価値を持った存在だ。俺が言えた話じゃねぇが気を付けろ。何をしてくるか分かんねぇからな」

 

 ——きっとその情報は、この法術師が、自分を高ぶらせた一人の呪術師に与える、最大級の賛辞に等しかったのだろう。

 大男はそれだけ言い終わると、くるり、と踵を返して右手をひらひら。


「んじゃ、役割は果たしたから。俺は帰る」

「ああ。とっとと帰れ」

「チッ、つれねぇ奴だな、相変わらず。そんなんじゃ上手くいかねぇぞ」


 ズカルナインはイスラーフィールの方を一瞥すると、それからアルケイデスに向かってニヤリ、と笑う。あの表情は、「鈍感だなお前は」とシュウをからかう時のイスラーフィールと同じ類のものだ。もしかしたらこの人物も、何だかんだアルケイデスたちとは仲が良い方なのかも知れない。


「次に会った時は一戦交えて頂きたく――あばよ!」


 叫ぶ『覇者』。

 彼は執務室の窓を大きく開けると、マントを翻して、なんとそこから天空へを身を投げ出した!


 ——直後、吹き上がる闘気が形を成す。

 実体のない馬の引く、機械のチャリオット。小さな城さえ思わせるその姿こそ、噂に聞く『武装型アキレウス』に違いあるまい。


「……どう思う」

「どう思うもこう思うもないだろ。ちっ、ずっと隠してたつもりだったのに……どの段階で気付かれた?」

「恐らくは最初から、だろうな。私が少年に敗北した時点で、ファザー・スピターマは彼との対面を想定して行動を起こしていたのだと推測する」


 何やら状況についての意見を交わし合う教師たちをしり目に、シュウは妹へと話しかける。

 

「……エリナは、ファザー・スピターマに会ったことがある、と言っていたが……」

「ええ。お父様に付いて、何度か謁見を」

「どういう人なんだ? その……『教会』のトップ、というのは」


 少し気になってしまう。

 善悪大戦の終結後、分かたれた世界の片方――善性存在の世界。それを数百年に渡って支配する唯一の機関こそが『教会』だ。当代のファザー・スピターマは三代目だと聞くが……。


「……人間としては、恐らくそうおかしな人ではないはずです。寧ろ、パルス的な意味での『人間』としては模範、基軸に近い存在と言えるでしょう。この世界のあらゆる人間は、あの者を基準として何かしらを足し引きした、と言っても過言ではないくらいに」


 ですが、とエリナは言葉を切る。

 碧と紅に戻ったその瞳に写っているのは、畏怖や恐怖……それに、一種の困惑、といった感情だ。きっと彼女自身、あまりよく分かっていないのだ。そのファザー・スピターマという人間について。

 あるいは――それこそが、『教会』を統べる長の特徴なのかもしれない。

 

 誰が詮索してもその正体の分からない、余りにも完璧な、『人間(パルス)的』に過ぎる人物。


「それは翻れば……というより、言うまでもなく異常なことですわ。ファザー・スピターマからは、『人間としての個』と呼べるものがおよそ感じ取れないのです。真っ白な容姿、銀色の目……外見からは性別も分かりません。あれではまるで、人間ではなく聖霊の類です」


 エリナの説明で、ふと、シュウは自分の中に在ったとある疑問が氷解していくのを感じた。

 マグナス・ハーキュリーは、魔族を甲種指名手配――発見次第即殺害の条件で捜査していた。それは『教会』の命令によるものであり、その命令は善性存在たちの絶対法則――初代ファザー・スピターマのもたらしたという大予言にして大預言、『天則(サダメ)』に基因する。

 だがシュウがかつて、育成学園の資料室で読んだ初期の頃の『天則』について記した本では、とてもではないが「魔族は発見次第即殺害するべし」、というような思考が編み出されるような要素を見つけることができなかったのだ。

 むしろもっと――あくまで善性存在優位の形として、ではあるが――両世界の融和を目指す橋掛かり――そんな機関に、『教会』を導こうとしていたような。


 そして『魔族滅すべし』の法則が決定づけられるのは、先代ファザー・スピターマの死後。

 つまり三代目となる、今のファザー・スピターマが台頭してからなのだ。


 彼、なのか彼女、なのかは分からないが。

 ともかく、三代目ファザー・スピターマは、歴代の誰よりも、悪性存在に執着している、といえる。


「そんな奴がお前を呼び出して、何もしないなどと言うことがあるはずもない。恐らく褒章を遣わす、というのは方便だ。見え透いた罠とも言える……どうする、フェリドゥーン?」


 投げかけられた問いは、シュウが「央都には行かない」と答えるのを、暗に期待しているように思えた。学園長が独断決定するのではなく、シュウの意見を求めるというのもかなり珍しい。というかこれまで一度も見たことがないような気さえしてくる。いや、探せばあったのだろうが。


 仕方のない反応だ。実際に会ったことのある人物が軒並み警戒し、敵対的な行動をとったズカルナインですらたった今警告を残して行ったような存在だ。そんなものの誘いに素直に乗って、無事で済むはずがない。シュウ自身、それは間違いないと思っている。

 けれどもその『無事では済まない』が、所詮最低ラインでしかないことを、きっとシュウは忘れてはいけないのだろう。


「……それほどの人物であるのなら、恐らく俺がどんな選択をしたとしても、必ず俺がその目前に立つように仕向けているはずです。追加で何か問題が起こるよりは、ここで素直に従った方が良いように、俺には思えてしまうのですが……」

「まぁ、お前はそう言うよなぁ……うん、予想通りだわ」


 はぁー、と深いため息を吐く学園長。お世辞にも行儀が良いとは言えないが、不思議と似合ってしまうのがこの女傑のずるいところだと思う。


「じゃぁ行くかぁ。どうせ定期報告の時期もそろっとだしなー」

 

 イスラーフィールは面倒くさそうにソファへ身を投げ出すと、それからアリアの方をちらりと見た。定期報告、というのは彼女の経過観察に関するものだろう。忘れがちだが、アリアは『人間に友好的に接する魔族と、それに伴う人間側・魔族側双方への影響の観察』を理由に抹殺対象から外されているのだ。本来ならば魔族は発見次第即時殺害——それが『教会』の方針なのだから。

 思えばアルケイデスと、そしてアリア本人とも、そのような規則がもたらした混乱の中で出逢ったのだった。もう長い間忘れていたことだ。随分と、遠くまで来たものだと思う。


「フェリドゥーン、フィルドゥシーにも央都行きの予定を組ませておけ。あいつも今回の召集対象だ。メンバーは私、アルケイデス、お前、フィルドゥシー、キュリオスハート、それからアリアだ。長旅になるぞ、しっかり準備しろ」

「了解しました」


 とは答えたものの。

 一体どんな準備をすればいいのだろうか。

 央都には行ったことがない。当然だ、シュウは一年半前まで極東大陸の山奥で暮らしていたわけだし、取り戻した記憶によればそれ以前も似たようなモノだ。学園にやってきた後も出かけてせいぜい最寄りの商業都市。行政の中心たる央都には、距離が離れていることもあり、出向く様な機会はなかった。

 

 考えてみれば、仲間内で央都に行った経験がないのは自分だけだなぁ、と内心で独り言ちる。

 アリアはこちらの世界に転移してから最初にたどり着いたのが央都であったというし、エリナにとって央都は事実上の故郷だ。マイヤも幼少期に家の行事で何度か出向いたことがあるというし、イスラーフィール、アルケイデスの二人に至っては言わずもがなである。

 

 ここはやはりマイヤに聞くのが一番だろう。

 とはいえ、この間の昏倒騒ぎ以来、彼女は随分過保護というか、心配性になった気がする。今回の召集のことを伝えたら、どんな顔をするだろうか……。


「おいおい、あまり気張をるなよ。安心しろ、私たちが可能な限り何とかする。お前らは、ちょっと早い冬期休暇の旅行だとでも思っておけ」


 イスラーフィールは苦笑しつつ、そんなことを言ってくれる。

 だがシュウの内心には、漠然とした暗雲というか――きっとこれが、マイヤの心配するような何かに発展してしまうのではないか、という、奇妙な直感が滞留し続けたのであった。

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