第八話『今日という日に誓う』
五の月の最初の週末からは、祝日による連休となる。一週間近く続くその休日は、里帰りなどをするにはやや短いが、さりとてずっと学園で暇を潰すのがつまらなく感じられる程にはそこそこ長い。
この連休の間に街に出て羽を伸ばそう、という生徒はかなり多く、最寄りの都市と学園間の往来は一年でも指折りで活発になる。都市間をつなぐ馬車を運営する者達も、今が稼ぎ時だというのを承知しているのか。普段は本数の少ない馬車や牛車も、ここぞとばかりに激増する。
普段は制服姿の同級生達が、国際色豊かな私服に着替えて街へ飛び出していく姿は見ていて面白い。学園に来るまで『外の世界』というものを一切知らなかったシュウからすれば、その光景はまるで世界の縮図の様に思えた。
そんなシュウも、今日はいつもと若干異なる装いだ。
淡い灰色のシャツの上に白いパーカー、下は黒っぽい色のズボンを合わせる。全体的にモノトーンになってしまうので、白パーカーはところどころに青いラインの入ったものを採用した。
シュウ自身に覇気というか、オーラめいたものが無いのもあって、街角を見渡せばいくらでも見つかる様な、そんな恰好。唯一違うとすれば肩から下げた鞄だ。ハンカチとちり紙や、暇を潰すための本、それからもしものための小道具を詰め込んだその鞄は、先月の半ばの誕生日――シュウの正確な誕生日は不明であるため、厳密には極東大陸で目を覚ました日――に、マイヤから贈ってもらったものだ。黒や銀、灰、群青といったダークトーンを基調とした機能美豊かなショルダーバッグは、華美な装飾に然程拘らないシュウの好みをしっかりと把握したもので、彼女の狙い通り……かどうかまでは分からないが、すっかりこれを気に入ったシュウは、私用で出かける際はこれを愛用している。
普段のシュウは、学園の敷地内にいる場合は、家を除けば大抵制服姿だ。かつて旧文明世界において、世界中で信仰された宗教の司祭が纏うような服……カソックというらしい……を模したアイボリーホワイトの制服と、その上にだぼっとした袈裟のようなコートを被せる、普段のシュウの服装。
どちらもこの学園における男子生徒の一般的な制服だが、後者を着用している者は余り見かけない。理由のほどは詳しくは分からないが、なんでも魔族の男性が好んで着用する服に似ているとかで、あまりいい印象を抱いていない場合が多いそうだ。シュウが面識のある魔族はアリアだけなので、男性の魔族が一般的にどんな服装をしているのかは分からないが――そういえばズルワーンの下で見た異郷の魔族は、確かにそれらしい袈裟を纏っていたかもしれない。
まぁだからと言って、シュウがそのスタイルを変える理由にはならないのだが――それはさておき。
その制服と、今のシュウの格好は、色合いこそ似通っているものの分類は大きく異なっている。家の中でいつも着ているスウェット姿とも違うだろう。
では何故、そんな服装替えをシュウが態々行っているのか、と言えば。
「先輩、お待たせしました。少し手間取ってしまいまして……」
「ああ、大丈夫だよ。俺も今支度が終わったところだ」
シュウの寝室のドアとリビングを挟んで反対側に位置するもう一つドアが、恐る恐る、といった様子でゆっくりと開く。
部屋の中から姿を見せたのは、勿論マイヤだ。マイヤ、なのだが――こちらも、普段とは大きく趣が異なる格好をしていた。
まず彼女は、普段は首筋で一つに纏めている、長い青髪をそのまま流していた。女性というのは髪型一つ変えるだけで印象が大きく変わるもので、いつもよりもマイヤが数段大人っぽく見えて、シュウは勝手にどきどきしてしまう。平時の髪型では分かりづらいのだが、実はマイヤの髪は若干癖毛の気がある。ゆるくウェーブした青髪が揺れる様は、なんとも言えない優美さと色気を醸し出す。
純粋無垢な年若い少女の奥不覚にひっそり潜む、成人前の女性とは思えぬ色気をさらに補佐するのは、ノースリーブの白いブラウスだ。前立ての部分にフリルが付いており、素朴なホワイトの中に若干の高貴ささえ感じられる。人並には女性らしい膨らみに押し上げられて湾曲するそのフリルに、また一段シュウの鼓動が早くなる。
深い群青色のロングスカートは、一転してなんの飾りも無い、至って地味なものだ。うっすらとレースの装飾が入っているが、よくよく観察しなければ気が付かないだろう、と思う程度には目立たない。しかしこれが、マイヤと実によく似合う。特に今日の服装に対しては、全体の雰囲気を一段抑えて、彼女の清楚さ・上品さを逆に際立たせることに一役買っていた。
何と言えばいいのか。普段からそうではあるのだが、マイヤが一段と輝いて見える。部屋から出てきたときのにこり、と形容すべき微笑みが、年不相応に蠱惑的で、シュウの意識の奥深くを強く痺れさせる。
「……先輩? あの……そんなに長くじっと見つめられると、その……流石に恥ずかしい……のですが……」
マイヤが俯きがちに放った声で、はっと我に返る。どうやら見とれていたらしい。穴が開くほど、と言えるのかどうかは分からないが、無意識のうちに相当の時間彼女を見つめていたらしく、マイヤの耳は真っ赤になっていた。今日は肩が露出しているので、そちらがうっすら桜色に染まっているのも分かってこちらまで恥ずかしくなってきてしまう。
「す、すまない……つい……」
「もう……私の先輩は、いつからそんなにいやらしい人になってしまったんでしょう」
「誤解だ! 俺は、決してそんな、そんなつもりは……」
そこまで言ったところで、またさっきの大人っぽい笑顔を思い出して、反射的に口をつぐんでしまう。
「……少しはあったかもしれん」
「最低です」
「うっ」
いつぞやの湖での一件を思い出させる白い目が向けられる。ここしばらく感じていなかった冷たい視線に心臓がえぐり取られる様な感覚を覚えた。
あわやシュウが膝をつきそうになるほどのダメージを受けていると、しかしマイヤはそれを癒すかの様に、すぐにいつもの笑みを浮かべ直した。
「冗談です。先輩になら、そういう目で見られても構いませんよ。その……恥ずかしい、ですけど……」
「……善処する……」
何をどう善処するのか自分でも良く分かっていない。分かっていないが、反射的にその言葉が口を突いて出た。
兎も角も――シュウがそれなりに粧した格好をしていた理由はこれなのだ。
十分ほど後に出発する次の馬車で、二人は街に出る。
所謂、『私服デート』、というやつである。
***
育成学園は中央大陸全体で見た場合、中央部から少し南に寄ったエリアに位置する。中央大陸は極めて広大であるため、今一交通手段が発達していないこの世界では、周囲の都市への行き来は少し時間がかかる。現在、央都から中央大陸の主要都市を繋ぐ鉄道を敷いている最中だというが、最も開発の進んでいる央都・南方都市間のレールでさえ、開通にはあと二年ほどを要すると聞く。
旧文明時代には、『自動車』や『飛行機』といった、長距離の移動時間を大幅に短縮する乗り物が無数にあったようだが、それらは全て善悪戦争の時代に技術が紛失してしまった。
そのため、現在の主な交通手段は馬車となる。舗装された道を行く大きな車体が、車輪から伝わる小さな振動で揺れる。快適な移動のために発達した技術で、お尻が痛くなるような場面が旧文明時代よりだいぶ減ったと聞くものだから、技術というのは状況に応じて別方向に発達するものなのだな、と思う。
そんな風に、長閑な草原の風景を見る事一時間余り。最寄りの街へと到着した。
「春季休暇以来ですから……一か月と少しぶりですね」
「そうだな。流石に、往復で二時間もかかると簡単には行けない」
マイヤと顔を見合わせて苦笑する。
天気は悪くない。熱いほどの日差しでもなく、さりとて必要以上に曇っているわけでもない。まさに『最適』という言葉が合うだろう。恥ずかしい話だが、「絶好のデート日和」と言って良いのではないだろうか。自分自身の幸運を、少しだけ褒めたくなる。
時期が時期だからだろうか。同じくらいの年頃のカップルや、友人同士で来ていると思しき集団をそこかしこで見る。育成学園の生徒もいるだろうし、この街自体の、普通の学校に通っている少年少女も多いだろう。
極東大陸の片隅から、直接育成学園へ、という形で、終始『閉鎖空間』の中で生活していたシュウにとっては新鮮な、『ありふれた日常風景』。
それを送ることができる幸せに感謝しながら、シュウはマイヤの右手を握る。
「出発しようか。どこか、予定のある場所は?」
「先輩となら、どこへでも。あ……でも最近、美味しいスイーツ屋さんが増えた、という話をクラスの女の子たちが話しているのを聞きました」
「よし。なら、そこへ行ってみよう」
「はい!」
握り返された恋人の手の柔らかさと、触れ合う肌の温かさに、内心でいつも通りの緊張を抱きながら。
シュウはマイヤの手を引き、歩き出した。
文字通りの『商店街』となっている街並み。商業都市――というには規模が小さい気がするが、住居エリアと商店街エリアが明確に分けられており、外部からの来訪者が立ち入る様な場所には、いたるところに何らかの店がある。
その様式や種別は、央都ほどではないものの、非常にバリエーション豊かだ。
喫茶店一つとっても中央大陸に伝統的なタイプの紅茶専門店から、西方大陸風のコーヒー屋、極東大陸の都市部で楽しまれる抹茶と『和菓子』を出す『団子屋』といったように、国際色溢れる景観が見える。
服飾店も、比較的高価な服を売っているブランドの店や、全世界に市場を持つチェーン店、珍しい地域の服を売る怪しげな店と、どれ一つとっても同じものはない。
シュウは、そんな光景を眺めるのが好きだった。そこに出入りする人たちが、どんな思いを以てその店に足を運んだのかを想像するのも、中々楽しい。
無論――
「あら素敵ですよお嬢さん。極東大陸風の衣装がとっても似合うのねぇ。本物の巫女様みたいだわ」
「本当ですか? 彼が極東大陸の出身なので、少し嬉しいです」
「まぁまぁ! こんなに故郷の服が似合う彼女さんがいるだなんて、お兄さんも素晴らしい運命を持っているのね!」
極東大陸風の衣装を売っている店で、店主のマダム――顔立ち的に、実際に極東大陸の出なのだろう――と楽し気に会話するマイヤや、
「えっ、えーっと……にゃん?」
「そ、想定をはるかに超える可愛らしさだな……マイはそういう格好も似あうんだな」
「ほ、本当ですか? で、でも、凄く恥ずかしいので……いくら先輩の頼みでも、その、週一くらいに控えてれると、精神的に助かります……」
「あ、ああ……」
『こすぷれぐっず』なるものを専門として取り扱う店で、猫の耳を模したカチューシャを付けたマイヤと交わす会話や、
「あ……思っていたより爽やかで美味しいです」
「そうなのか? ヨーグルトの上にアイスクリームまで乗せると、随分とミルクが濃厚そうだなと思っていたんだが」
「全体的に甘さが控えめなのが良いのかもしれません。レモンのジャムなんかが合いそうです――はい。先輩も一口どうぞ」
「ありがとう。マイも食べるか? キャロットケーキ」
「頂きます。その前に……先輩、はい、あーん」
マイヤのクラスで話題に上っていたという、例のスイーツ屋で、お互いが頼んだスイーツを(マイヤはヨーグルトパフェを、シュウはショートケーキのイチゴの部分を人参に変えたキャロットケーキを)互いに食べさせあうこと。
マイヤと紡ぐ想い出の全てが、その『楽しさ』により花を添えるのも、忘れてはいけない大切なことだ。
時間が飛ぶように過ぎていく。旧文明時代の物理学者の一人で、時に関する理論を展開した者がいたらしい。彼、もしくは彼女によれば、人間(パルスという意味ではなく)の体感時間というものは、取り組んでいることが、その人物にとって興味があったり、楽しかったりすればするほど早く、辛かったりすればするほど長くなるという。
その考えが正しいのなら、シュウにとってマイヤと過ごす休日は、何よりも楽しく、愛しい時間なのだろう。
やがて日は暮れる。天高く昇っていたはずの太陽は地平線の彼方に沈み、空は夕暮れの紅と、夜の紺に染まる。街角のランプが輝き出し、道を明るく照らし出した。あの街灯に使われているのは、プリズムの一種だ。魔物から街を護る結界の役割を果たしているらしい。それだけが、ここが現実なのだとシュウに実感させるファクター。
「流石に肌寒くなってきました」
「まだ五の月だからな……夜になると、少し寒いな」
ノースリーブのシャツを着ているせいか、マイヤが二の腕を擦る。シュウは自らのパーカーを脱ぐと、マイヤにそっとかけた。
「あ……ありがとうございます」
「気にするな。俺は割と慣れてるんだ、寒いのには」
「極東大陸は、この時期もっと寒いですか?」
「どうだろう……昼夜の気温差は中央大陸ほどではないと思う……が、いつでも寒いな、全体的に」
一年と少し前まで暮らしていた邑の景色を思い出しながら、シュウはマイヤと共に夕暮れの街を歩く。
「まだ少し寒いので、腕を組んでもいいですか?」
「勿論」
伸ばした左手に、マイヤの両腕がするりと絡む。ぴったりと密着したマイヤの体が、服越しにその柔らかさを伝えてくる。緊張や羞恥という以上に、なんというか――落ち着く。そう、落ち着くのだ。
きっとこの感情が、自分がマイヤ・フィルドゥシーに対して抱いている、数多の感情の内でも、特に重要なもののひとつなのだろう。他でもないマイヤだからこそ、『落ち着く』のである。
夕食も街で取っていく予定にしていたので、それなりにきちんとしたディナーを提供している店へとはいる。実は以前から、この店での夕食を企画していた。春期休暇の終わりに、所用によりシュウ一人でこの街に来た時に、予約済みだったのである。
そのため、席自体はすぐに用意された。マイヤはハッシュドビーフを。シュウは大きなチキンの乗ったプレートを頼む。若干料理が届くまでに時間がかかったものの、少し脂っぽい肉が、夕食にはちょうどいい満腹感を与えてくれた。
食後の紅茶が来るのを待っている間に、シュウはマイヤに、伝えなければならないことと、それから、渡さなければならないものがある事を思い出す。
というより――今日のデートは、このためにセッティングしたものなのだから。
「マイ」
「はい? なんですか、先輩」
隣の席で談笑する一家を見つめていたマイヤが、シュウの声に反応してこちらを向いた。
シュウは鞄から小さな箱を取り出すと、それから、マイヤの柔らかく、小さな左手を執る。
箱の中に入っていた、銀のリングを二重に重ね、その隙間に青く色付けされたプリズムの入った指輪を、その薬指にするりと嵌めた。
「ふぇっ……えっ、あの、先輩、これは……!?」
瞬間、意味を理解したのだろう。マイヤが、耳まで真っ赤になる。恐らく自分も似たような状態であることを何となく察しながら、シュウはなんとか言葉をひねり出した。
「その……俺からの誕生日プレゼントのつもりなんだ。今日は、マイの誕生日だろう」
「あ……」
そう。
態々この日にデートを設定したのは、今日――五の月の六日が、マイヤの誕生日だからだ。その日に合わせて、どうしてもこの指輪を渡したかった。
「嬉しい……覚えていてくれたんですね」
「ああ。その……去年は、そこまで盛大に祝えなかったからな。あまり、喜んでもらえなかったのではないかと思って」
「そんな! そんなことありません。私、去年が、誰かに誕生日を祝ってもらった初めての年だったんですよ? それも、他ならない先輩に、祝ってもらえたんです。嬉しかったに決まってるじゃないですか!」
「……なら良かったんだが……なんというか、反応が芳しくなかったのでな……」
「あれは……その…………その、恥ずかしながら、照れ隠しだっただけです……」
徐々に俯いてしまうマイヤ。
去年は、当日にマイヤが誕生日であることを偶然知り、それで、料理を不慣れながら自分で作って、彼女を祝った。しかしマイヤは終始真顔で、交わした言葉も「おめでとう」「ありがとうございます」程度だったのだ。だから、あまり喜んでもらえなかったのだろうと思っていた。家族とは余り仲が良くないらしいマイヤは、去年のシュウからの祝福が、初めての自分の誕生を祝ってもらった時だった、とは、あとから聞いてはいたのだが。
が、今の彼女の言葉を聞く限り、『喜んでもらえなかった』というシュウの考えは、杞憂だったようだ。
なら——
「なら、今年はもっと、喜んでもらえただろうか? 一応、君を楽しませるつもりで、今日のデートを企画したつもりだったんだが」
「勿論……勿論に決まってます……! 最高に楽しかったです」
「良かった……それで、なんだが」
妙に気恥しくなってしまい、視線を落とす。彼女に渡した指輪が自然と目に入ってしまい、余計に耳のあたりが熱くなる。
「その……願わくば、来年も、そのまた来年も、君の誕生を、俺に祝わせてほしい。そういう意味を込めて、その指輪を買った。あまり高価なものではないのが、君にとっての失礼になってしまうかもしれないが……」
「そんな……そんなこと、ないです。嬉しい……」
奇しくもそれは、聖ミトラ祭の夜に、マイヤと雪化粧に染まったこの街で交わした誓いと、良く似ていた。
マイヤは、自分の左手の薬指を、右手で覆うように手を握り合わせると、シュウの碧い目を、その海のような瞳に合わせて、破顔した。
「約束……ですよ? 破ったら、許しませんからね」
その言葉に、あの冬の一日の様に、シュウも頷き返す。
「ああ、勿論」
マイヤと交わした約束を。
今日この日に、刻み込むべく。
前回のあとがきの通り、リアル時間5月6日はメインヒロイン・マイヤちゃんの誕生日、という設定でございます。本話はそれに合わせて投稿する予定で書き進めておりました。おめでとうマイヤちゃん!




