第六話『彼女たちの信じるもの』
「どうですか、お兄様! 私の活躍は! 素晴らしいでしょう、この青髪よりも!!」
「何を言っているんですか。討伐した魔物の数は私の方が上ですよ」
「うるさいですわね、一体、たった一体の差ですわ! それに一体ごとの平均討伐速度は私の方が上でしてよ!」
「それはそうでしょう。私の方が数が多いのですから。それにその差もほんの数秒です」
「この……ッ厭味ったらしい……!」
「あー……その、なんだ。マイもエリナも、喧嘩は止めてくれ」
自分を挟んで左右に座り、ばちばちと火花を散らし合うマイヤとエリナの姿に、シュウは冷や汗を止められなかった。こんな時にアリアがいてくれれば、場違いなほどの穏やかな言葉で和ませてくれただろうに、などと思いながら、今日は一日彼女がいるはずの学園長棟の方を仰ぐ。
法術師育成学園には、生徒たちが食事をするためのラウンジが何か所か設けられている。シュウは朝晩共にマイヤが作ってくれているのであまり利用したことは無いが、学生寮のエリアにも一か所、大きな食堂があったはずだ。
今シュウたちがいるのは、そんな憩いの場の一つ。図書館や職員室、来客受付など、この学園の中心を担う最大の建物、『中央棟』――その食堂だ。街中の喫茶店めいたガラス張りの施設は、生徒達からの人気も高い。今日も多数の生徒達が昼食を片手に、思い思いに談笑していた。
とてもではないが自分の周りは談笑、とは言えそうにないがな、と思いつつ、何故こんなことになってしまったのだろうか、と、シュウは内心で頭を抱える。
事の発端は先日の樹海探索、そのスコアが発表されたことにある。育成学園では、イスラーフィールの施した法術により、生徒達が樹海探索の際に何体、どのくらいの強さの魔物を、どのくらいの速度で、どのような技術を使って斃したか、といった情報を記録するシステムが整っている……らしい。イスラーフィールが以前自慢しているのを聞かされただけなので、詳しいことは良く分かっていないが、何やらすさまじいものが世の中にはあるのだ、と感じたことだけは覚えている。
そのシステムに則って算出された、魔物の討伐スコアの発表が今日だったのだ。ランキングのようなモノはないが、それなりに成績に寄与する。アリアを連れていると討伐体数は稼げない場合が多いが、逆に強力な魔物だけが寄ってくるため『倒した敵の強さ』で加点が付くし、自ら討伐できなくとも、他の法術師のサポートに徹しただけでも技術点が入る。シュウはこの二種で実技の点数をなんとか稼いでいる。さして高い点数を取るつもりもないので、落第しない程度に無理をするくらいだ。無理をしないと魔物が倒せないので、無理をするのは仕方がない。身の丈に合わない行動は危険を伴う事と、時折虚しくなるという比較的大きいデメリットは付くが。
だが、マイヤとエリナは違う。
彼女たちは武装型法術を操る、一人前の法術師。スコアに影響するあらゆる方面でトップクラスの位置にある。
これまでその『トップクラス』は、マイヤだけのものだった。だが、今はエリナがいる。二人目の武装型法術師は、マイヤに匹敵する実力の持ち主だ。
故に二人の間には不思議なライバル関係が生まれているらしく、今回のスコアでどちらが上なのか競い合っていたらしい。
が、結果はまさかの同点。ただし内約が異なっていたようで、二人はそれぞれ、どちらの内約がより優れているのか言い争っている――というワケなのだ。
別に二人とも、名声に執着するタイプではない。寧ろマイヤはそういうのを苦手に思っている節がある。だというのに、何故二人ともこうまでして結果に拘っているのか。
――その理由が、シュウにとっては少々気恥しいものだった。だからシュウは昼食時に、食堂のど真ん中で冷や汗をかいているのだ。右隣のマイヤ、左隣のエリナをそれぞれ見ながら、シュウは口を開く。
「マイは時間毎討伐数の、エリナは討伐数毎使用時間の自己ベストを更新したんだろう? どちらも頑張った、それでいいじゃないか」
「よくありません! 勝負なのですから、勝敗を決める必要があります」
「そうですわ! お兄様に相応しい女であるためには、常に最善の一歩先を目指さねば!!」
熱く語りながら、エリナはがたりと立ち上がる。周囲の視線が彼女に突き刺さるが、気にしていないのか、或いは熱中しすぎて気づいていないのか。
そう――マイヤとエリナは、『どちらがよりシュウの隣に立つに相応しい人物であるか』を競い合っているのだ。その一部として、今回の樹海遠征の結果も取り入れていた、という事らしい。
というより、樹海遠征におけるスコア争いを発端として別のジャンルにも波及したというべきか。先日・先々日は、マイヤとエリナがそれぞれ昼食の際に料理を作って来て、どちらがよりおいしいかシュウに比べてもらおうとして来た。これもその一環なのだろう。二人とも腕前が大変いいので(マイヤが料理上手なのは今に始まったことでは無いが、エリナも相当な腕前の持ち主だ)シュウは非常に良い思いができているのだが、それは二人の料理の出来栄えが極めて甲乙つけがたい状態にあることを示すため、審判を求めるマイヤとエリナの期待には応えられない、という、ある意味で心苦しい状況に陥ったのも、良いのか悪いのか良く分からない思い出だ。可憐な少女たちの美味しい手料理を食べられるというのは、相当な役得なのは前述の通り分かっているのだが。
「お兄様は素晴らしいお方です。お兄様と再会してから共に過ごした時間はまだ短いですが、幼き日の想い出と何ら変わらぬ――いいえ、かつてのお兄様を凌駕するお方へとご成長なさいました。だとすれば、私もお兄様に相応しい価値を持った人間にならなくては!」
力強くそう口にし、エリナはぐっと両手を握り拳の形に変える。何一つその言葉に疑いを持っていない、と分かる自信気な表情。その様子に、思わす苦笑が漏れる。
「エリナは、その『お兄様』の事を尊敬しているんだな」
「何を他人行儀なことをおっしゃるのです。それは貴方の事ですよ、お兄様。戦況を把握し、自分が行うに最適な戦術を取る強さ。悪さをしない様子であれば、魔物や魔族を見逃す寛容さ。そして、善性存在だけに肩入れしない精神性――私の事を覚えていらっしゃらずとも、私は覚えています。あの頃のお兄様と――私の誰よりも憧れ、尊敬した人と同じ、その精神を」
自分のそれと良く似た色の、エリナの碧い瞳が揺れる。どこか遠くを見ているようなその瞳には今、幼いい日の『お兄様』の姿が写っているのだろう。
彼女はどうにも、シュウに対しての過大評価の気がある。
エリナがシュウと同一視している『お兄様』は、きっととても優秀な人だったのだろう。彼女の言葉の端々から察することのできるその姿は、強く、慈悲深く、そして誰よりも正義に――『天則』に忠実という意味ではなく、善悪にとらわれない強い意思に満ち溢れた、そんな人。
――自分は、そうではない。
シュウは、弱い。戦闘面におけるシュウの貢献度は無いに等しい。言ってしまえば、『自分にできる事しかできない』のだ。
慈悲深いというよりは、単純に憶病で配慮が足りていないだけなのだ。だから魔物でも見逃してしまう。それがのちに与える影響など考えもせずに。
善悪にとらわれない思考は、きっと、自分勝手なだけ。自分の都合で、自分の大切なものだけを護りたがるから、善と悪に頓着していないだけなのだ。
「褒めてもらえるのは嬉しいけど……悪いが、俺はそこまでの人間ではないよ。もしそうなのだとしても、俺は『相応しい』とか『相応しくない』とか、そういったことを求めたりはしないつもりだ。寧ろ、俺の方が皆に釣り合わないくらいだからな」
シュウは自嘲気味に笑うと、首を振ってエリナの言葉を否定した。
と、その時。
「そんなことはありません」
届いた鋭い声は、少しだけ、怒っている様で。
弾かれたように右隣を見れば、マイヤが厳しい目つきでシュウを見つめていた。彼女は、出逢ったばかりの頃のような硬い声で、けれども、あのころとは違う意味を込めて、シュウにゆっくりと語り掛ける。
「先輩は少し自己評価が低すぎます」
「それは……実際、俺は誰の役にも立てなくて……」
ずっと気にしていることだ。
シュウは、戦闘面では勿論、私生活においてもマイヤに助けられっぱなしだ。イスラーフィールにも迷惑をかけてばかりだし、最近はアリアにさえ頼りっぱなしの場面が多い。例えば魔術に関する事柄であったり、マイヤと別行動をするときの戦闘の相方といったところで、アリアには力を借りっぱなしだ。
シュウは、彼女たちの行動に、まるで貢献できていない。勿論、力を尽くしてサポートに回る様に心掛けている。だが、彼女たちはシュウのサポートを必要としないのだ。結果として、ただその場面に立ち会い、眺めている傍観者に過ぎない――そんな場面さえある。
そんな自分に、どうして自信を持つことができるだろうか。いてもいなくても変わらない――そんな存在である自分に、どうして誰かに認めてもらえるだけの資格があるだろうか。
俯くシュウをじっ、と見つめて、数刻。
マイヤは、「はぁ」とため息をつく。
「先輩のばか。変な所で頑固というか、学習能力が低いというか……」
「うっ」
唐突に馬鹿にされた。一年前の、まだ仲がそれほど良くなかった頃の彼女の態度を思い出し、少しだけ胸が痛くなる。少し前までこんな会話は日常茶飯事だったのに、今はたったこれだけで大きく傷ついてしまうのだ。自分も、思った以上に変わったのだと……それだけ、マイヤを愛するようになったのだと、場違いだけれど、少しだけ感心してしまう。
そんなシュウの内心を知ってか知らずか、彼女は声色を少し優しくすると、けれど表情は変えずに、次の言葉を紡ぎ出した。
「私、言ったはずですよ。何回でも言っています。この間も、言ったばかりじゃないですか。私は、先輩に救われているんです。私は、先輩が傍にいてくださるだけで幸せなんです。それは勿論、先輩の一番になれるなら、それが最善ですけど……」
その言葉を聞くのは、何回目だろうか——
最初に愛を告白されたとき。冬の街を一緒に歩いた時。春の丘で、昼寝をした時。あるいは、つい先日の夕食の時も。
マイヤは何度でも言ってくれるのだ。シュウがいるだけで幸せだと。自分と共に過ごしてくれるだけで充分なのだと。
それ以上が無くたって、マイヤは不満などないと、そういうのだ。
だからこそ――そう、だからこそ、シュウは強くなりたいと願ったはずだ。その望みを叶えるだけの、彼女と共に過ごす日々を維持するだけの力が欲しいと、願ったはずだ。
その力は、今の自分には無い。今のシュウに、マイヤとの日々を維持する資格は―――
そこまで、考えたとき。
「それに」
マイヤは、一転して、不安そうな表情と、泣きそうな顔で、囁くように声を漏らした。膝の上で揃えられた拳は、固く握りしめられて、少しだけ震えていた。
シュウを見つめるその瞳は、うっすらと潤んでいて。
悲しんでいるのだ、と、そう気づいた。以前までのような、シュウの勘違いなどではなく、本当に。
「先輩は、私たちのことが信じられませんか? そんなに、私たちは信頼に値しませんか」
「そんな、俺はそんな事一度も――」
「ならどうして、私たちが先輩を素敵な人だと思っていると、信じてくれないのですか?」
「っ……!」
マイヤは――シュウが、自分たちからの好意を信じてくれないことを、悲しんでいるのだ。
「私たちは、私たちが好意を寄せるだけの理由が、先輩にあると信じています。それは人によって違うとは思います。私にはエリナさんがどうして、そしてどんな形で先輩を好くのかは、分かりませんが――でも少なくとも、私自身がどれだけ先輩を愛しているかは、自信を持って言う事が出来ますよ。少し、恥ずかしいですけど……ここで全部、口にした方がいいですか」
言葉にした通り、恥ずかしいのだろう。首筋から耳にかけてを少し赤く染めながら、マイヤは……シュウの最愛の後輩は、
「……いや、大丈夫だよ」
シュウは、眼がしらが熱くなるのを感じながら、彼女の申し出を断った。
ふわり、と。いつもの優しい笑顔に戻ったマイヤは、直後に冗談めかしたすまし顔を取る。彼女が悪戯をするときの珍しい顔だ。
「そうですか。先輩への想いの格の違いをエリナさんに見せつけるいい機会だと思ったのですが」
「何ですって、それは聞き捨てなりませんわね」
案の定、金髪碧眼の『妹』は反応する。だが、そこから続いた行動は、少しだけ予想外で。
彼女は、シュウの手をするりと取ると、優しく握りしめた。
絹のような手ざわりだ。マイヤの手とは、また少し違った感触。初対面の日の不意打ちの口づけでも思ったことだが、女の子の体というのはどうして人によって異なり、けれども皆一様に優しく、柔らかく、温かいのだろうか。
「お兄様。今のお兄様は、私の事を妹とは思っていらっしゃらないようですが――」
エリナは、碧い瞳に、今度は過去の『お兄様』ではなく、今のシュウ・フェリドゥーンを納めて、つづけた。
「それでも、貴方は私の、敬愛する人なのです。それをどうか、お忘れなきよう」
その言葉が、ある種の止めだった。
「――ありがとう」
溢れた声は、少し、震えていた。泣くまいと、何とか我慢する。
自分は。
なんという、思い違いをしていたのだろうか。自分には資格が無いと。自分にはそれだけの価値はないと、そう決めつけて。
それを決めるのは、シュウでは無かったのだ。マイヤやエリナ、アリアや、イスラーフィールにアルケイデス。それから、故郷の師匠や長老――彼の周りの、全ての人たちが下した評価。それが、シュウ・フェリドゥーンという存在の価値なのだ。
彼らの信頼を、自分の意思一つで、無下にする――それは、なんと失礼で、悲しいことなのだろうか。
意思の力。呪術にも使うそれは、善を生むだけではないのだと、今気づく。アリアと出会ったあの日に、マイヤに「禁止しよう」と約束したはずの、人を傷付けるための力。それを、知らず知らずのうちに自分が振るっていたのだ。
受け入れよう。マイヤやエリナからの好意を。
そして、それを受けるに相応しいと、自ら思える――そんな自分になろう。
そう、決意する。
溢れかけた涙をぬぐう。
「……すまない。料理が、冷めてしまうな」
「ではお兄様、私が食べさせて差し上げます!」
「何を言っているのですかこの金髪は。先輩にご飯を食べさせるのはの役割です」
「何を言っているのか、とはこちらの台詞ですこの青髪。一体何の権限があって貴女が――」
「私は将来を誓い合った先輩の恋人ですから」
「くっ……こ、このっ……!」
すっ、と右側から手が伸びる。マイヤの細く白い指が、シュウの右手に絡まると、きゅっ、と握りしめてきた。普段の彼女なら家の外では見せないような積極的な動作に、思わず動悸が激しくなる。前述の通り女の子の手というのは、想像しているよりもずっと小さく柔らかい。恋人になってからは何度も繋いだ手の感触であるが、いまだにシュウが慣れないのはそれが理由の一つだ。
「お、おいマイ……」
マイヤらしからぬ動きに、少し声を上擦らせざるを得ない。そんなシュウに彼女は、ふっ、と小さく微笑んで。
「何ですか? ――あなた」
「……!?」
先日イスラーフィールに揶揄われて動転していた少女とは、とてもではないが同一人物とは思えない程こなれて、妖艶な響きを持った言葉と笑顔。全身の血が沸騰するような、これまで感じたことも無い感情が溢れ出て、シュウは口は愚か身体すら動かせない状況に陥る。
――と、そこでマイヤの耳元が、まるで茹で上がった海産物の様に真っ赤になっているのを見て、ああ彼女も恥ずかしいんだな、と気づく。エリナに先んじるために、無理をしているのだろうか。シュウを奪われたくない、と。
自分の事を、それほどまでに好いてくれているのだ、という喜び。つい先ほどまでの自分なら、それに恐れをなしていた気がする。けれど、今は――どうにか、素直に受け取ることにする。折角恥ずかしがってまで彼女が見せてくれた表情だ。大切にしたい。
漸く動き出した体で、シュウはフォークを手に取った。学食の料理はこれを使わなくてはいけないので若干苦手だ。今度から自分用の箸でも持ち込もうかと思っていた所だが――慣れない手つきでそれを駆使し、料理を口に運んでいく。
「あっ」
「わ、私の役割がっ!?」
残念そうな声を漏らすマイヤとエリナに心の中で謝りながら、シュウは昼食をかきこんでいく。やはり中央大陸の食事スタイルは少し難しい。が、どうやら自分にもできるようになった様だ。なんだ、思ったよりもやるじゃないか、俺――そう、少しだけ自分に自信を持たせるような言葉で、無理やり羞恥心を抑え込んで。
マイヤの言葉で想像してしまった、彼女との未来は――さすがのシュウも、頬を赤く染めるものだった。




