第九話 霊廟と、森
――森を出よ。
元老院はエルドベリアの遺言をあらためて語って聞かせた。
神精郷の神樹の幹をえぐって作られた会議室。
居並ぶ元老のなかには前世で見知った顔もある。当時と違って肌の色は褐色に変質してるけど。
「エルフは森とともに生きる。森なしに生きてはいけぬ」
「森を捨てれば死あるのみ」
「ゆえに森を出よとは、森を捨てよという意味ではけっしてない」
「では、偉大なる母エルドベリアはなぜそう言い残したのか」
「それは魔族なきあと、われらこそが新たな脅威と見なされることを予期したためであろう」
「人間はわれらを恐れ、森を焼いた」
「森は深く豊かだが、悪意ある炎に弱い」
「ゆえにこそ森の外に打って出るのだ」
「敵を撃ち、新たに木を植え、森を広げ、われらの生存域を増やしていく」
「いくら焼いても焼ききれぬほどに広げていく」
「黒化はそのための決意であり、力である」
「われらを敵と見なすものすべて食いつくす、漆黒の覚悟である」
元老たちは膝をついて俺に請い願った。
「御使いよ、そなたの力をふたたびエルフ救済のために振るいたまえ」
俺に与えられた住み処は懐かしいテントだった。
はじめて神精郷にやってきたときとおなじ形状、だと思う。
柱があって天井が高く、広々として心地よい空間。
テントの設計を万年経っても正確に伝えているのは、桁違いの寿命あればこそか。
エルドベリアがこの環境を冷遇だと謝ったことが懐かしい。
「ご主人さま……」
俺が遠い目をしているのと対照的に、ユニは不安そうに俺を見つめてくる。
「ユニ、疲れたから奉仕してくれ」
「はい……失礼します」
ユニは俺をギュッとした。
モフモフして、柔らかいものをぷにゅぷにゅと押しつけて。
あふうん。
俺が恍惚とするのはもちろん、ユニの体も安堵に脱力していく。
状況が依然として苦しいからこそ、緊張の糸を張りすぎないようにしたい。
「ご主人さま……これから一体、どうなるのでしょうか……」
「このままなら征服戦争の旗印にされるだろうな」
「そんな……御使いであるご主人さまを戦争の道具にするなんて……」
「たぶん御使いだからこそだよ。魔王を倒した御使いの伝説はエルフだけのものじゃないし、よくも悪くも影響は大きいと思う。おふっ、ふおんっ」
強く押しつけるほどに激しく形を崩す、底なしの柔らかフィット感。
ああ、たまらない。
彼女を世話役として留めることができたのは僥倖だった。
一緒に連行された白いエルフたちはみな、べつの場所に隔離されている。
マドゥーシアをはじめとして、全員生きてはいるらしい。
できれば処刑なんて流れにはならないでほしい。
エルフ同士が対立して殺しあうなんて、エルドベリアはきっと悲しむから。
いろいろ考えすぎるのもつらいので、いまはモフられの快楽に集中する。
おふっ、おふんっ。
もっと、もっとモフッ、モフフモっ!
モフれれるらぁーっ!
「御使いィ! 気分はどうだい!」
集中を思いっきりぶち壊された。おのれ。
大股でテントに踏みこんでくるのは、目に優しい深緑色の長い髪。
身につけているのは肌もあらわなビキニアーマー。
「出たな露出狂」
「おやおや、ずいぶんなご挨拶だねぇ! アタシと御使いは全力で愛しあった仲じゃあないかい!」
「キルをラブに置き換える系のジョークはリアルでやられると超ウザい」
「カハハッ、手痛くフラれたもんだ!」
彼女は呵々大笑してあぐらをかいた。
着ているものが着ているものなので、股のあたりがかなり危うい。
ココア色の肌に深く刻まれた股えくぼが激しく主張している。
ガン見するのも負けたような気分なので、ユニの胸を見て落ちつこう。
「おや、どうした? ララプロト大元帥に茶も出さないのかい、このご立派なお城は」
「ユニ、泥水を出してやれ」
「かしこまりました、ご主人さま」
ユニは盃で土と水をかきまぜ、丁重な仕草でお出しした。
「いただくよ! ごくっごくっんぐっ!」
「マジで飲むのかよおまえ」
「んぐっんぐっんぐっ、んっぷはぁー! 喉に引っかかって最悪な気分だ! ちょいと口直しに一杯!」
ララプロトは持参した革水筒に口をつけた。
強烈なアルコールの匂いからして、度数70%はある。
女傑、という言葉がこれほど似合うエルフはほかにいない。頭に「蛮族の」と枕詞をつけてもいい。
彼女にくらべればヒルデガルトなんて深窓の令嬢だ。
俺は風竜要塞でこのアマゾネスに敗北した。
大元帥なんて言われているが、実態はなんてことない。
こいつひとりで全軍に匹敵する戦闘力の超絶メスゴリラである。
いや、ゴリラに失礼か。
単体で戦略兵器になりうる、メス災害だ。
怒号をあげれば防衛用の竜巻が霧散。
足踏みをすれば要塞の地盤が崩壊。
大剣を振ればなんか空間が裂けたっぽいエフェクトが発生。
俺が打ち消さなかったら、要塞のエルフの大半が消し飛ばされてたかもしれない。
おまけに、本当の脅威はその破壊力じゃないんだけど……
「んでまあ、雑談なんだが――風竜要塞から逃亡した連中のことだ。カリンとヒルデガルト小隊、あと食糧ども。その動向はだいたい把握している」
ララプロトの言葉にユニは身を震わせた。
カリューシアとヒルデガルト小隊は風竜要塞での戦闘中、奴隷たちを連れて逃げ出した。
指示したのは俺で、細かな采配はマドゥーシアのものだ。
結果、死亡者は最低限に抑えられた。
数名を救えなかったと嘆くより、大勢を救えたと喜びたい。
とはいえ、逃亡組が監視されているとなれば、あまり浮かれてもいられない。
「いまは泳がせてるけどね。アタシだって幼馴染みの愛娘を潰すような真似はしたくないさ。ヒルダもガキのころ面倒見てやったしねぇ」
ララプロトはマドゥーシアの旧友で、ヒルデガルトの先輩に当たるとのことだ。
「だからねぇ、御使い。あの子らが心配なら、さっさとここを抜け出して合流してやりな」
「おまえがそういうこと言っちゃっていいのか」
「アンタを抱えこむより敵にまわったほうがずっと美味しい。はっきり言って、アタシはもう一度御使いとヤリたい」
「おまえ本当に脳筋だな!」
「アンタあのとき本気出さなかっただろ?」
出せるかボケ。
物理攻撃は力ずくでかき消すし、魔力攻撃は反射するじゃねぇか。
跳ね返された矢が要塞をズタボロにした時点でお手上げだった。
自分に降りかかる分は余裕で撃ち落とせるけど、まわりの被害がシャレにならん。
おまけに模造品のケイローンはいつ壊れるかわからない。
だからやむなく、カリューシアたちが逃げおおせるまでの時間稼ぎに徹したのだ。
「あの魔力反射クソ鬱陶しいから、勝負するなら封印してくれ」
「カハハッ、ひどい言い種もあったもんだ。あの力は《赤き夜祭》で森に与えられた神聖なる加護ってやつだよ?」
「その成人式、もう取りやめにしたいんだけど。いろいろ物騒だし」
「なら、とっとと逃げ出して、アタシごと元老院を叩き潰しゃいいさ」
ぐびり、とララプロトはまた酒を一杯。
「いや、つーか、首輪の呪いがあるし逃げられるもんじゃないだろ」
俺もユニも呪いの首輪を付けられている。
逆らったら首を締めつけて窒息させるものらしい。
「なんだい、そんなもの。首を鍛えてりゃどうとでもなるよ」
「なるか! 筋肉冷蔵庫と一緒にすんな!」
「つまんないねぇ、御使い」
ララプロトはうんざりと言うようなしかめっ面で立ちあがった。
「本物のケイローンは女王の霊廟にある。首を鍛えてアタシと喧嘩する気になったらそれパクッて暴れなよ」
「女王の霊廟?」
「祖神エルドベリアの墓だよ。神樹のちょうど裏にある。いちおう部外秘だけどね」
「それ言っちゃっていいのか」
「あの一帯は《迷いの谺》がかかってるからさ。特定の術式を用意しないと五感が狂っちまうんだよ」
「つまり無理じゃね? ケイローンパクれなくね?」
「アタシが連れてってやりたいとこなんだけど、さすがに立場があるからねぇ。ほかに術式知ってるのは、元老院と各氏族長ぐらいのもんか」
元老院ブチキレ必須の情報漏洩オンパレード。
それでいて、手が届きそうで届ききらない情報の数々。
もしかして、半端に希望を持たせてヤキモキさせる嫌がらせでは。
「そろそろ人間やらドワーフ相手も飽きてきたんだ。面白くしておくれよ、御使いさま」
ララプロトはからから笑ってテントを出た。
実に嵐のような脳筋女だった。
「ご主人さま……」
ユニが不安げに抱きついてくる。
「カリンちゃんたち……もう見つかってしまったんですね」
「どうだろう。俺を従わせるための……いや、焚きつけるための嘘かもしれない」
「合流……しなくて大丈夫でしょうか?」
ふーむ。
俺は耳を交差させて考えた。
首輪の呪いがあるかぎりヘタなことはできない。
呪いを解く手段もあるにはあるけど、そのためにはカリューシアたちと合流する必要がある。
彼女らが監視されてると仮定すると、それもいささか難しいが――
待てよ。
「アイツらはどう言ってる?」
「聞いてみます……」
ユニは目を閉じ、しばらく黙りこんだ。
このテントには俺たちのほかにだれもいない。
けれどユニはたしかに「アイツら」と会話している。
半端な希望を十全なものにするためのの手段が、俺たちの手元にはたしかにあった。
「エルドベリアの墓参りをしたい」
無理は承知の要望だったが、おもいのほかすんなりと了承された。
それどころか元老院はひざまずいて感涙を流さんばかりの有様だった。
「きっと母さまもお喜びになるでしょう……」
「われらが太母エルドベリアはつねづね御使いとの再会を求めていました」
「御使いが再臨すれば、くつわを並べて《危機》に立ち向かおうと……」
「これを機に、どうか御使いよ、祖神の遺言を叶えるための聖戦にお力添えを――」
元老院は俺に悪意を持っているわけではない。
持っているなら、珍妙なウサモスなんて弓矢を奪った時点で処分するだろう。
そうしなかったのは、御使いへの畏敬の念があるからにほかならない。
ただ、崇拝してきた存在に数千年来の文化を否定され、困惑しているというだけで。
人質を取って協力を強いたのも、御使いと手を取りあうための手段だろう。
「墓参りして気分が落ちついたら考えてみるよ」
「では――案内はマドゥーシアにさせましょう」
俺とユニは監視役のエルフに連れられ、マドゥーシアと合流した。
彼女は首輪に手枷つきだったが、背筋を伸ばして堂々と道案内を請け負った。
「これより先はつねに一列になって、前の背中だけを見てください。歩行中にすこしでも目を離せば、エルフや獣であっても見知らぬ場所に迷い出ることになります」
マドゥーシアは先頭に立ち、呪文を唱えながら前進する。
二番手に監視役A、次にユニ、俺、そして監視役Bの順番。
道程は拍子抜けするほど順調だった。
下生えの豊かな獣道であっても、俺は獣そのものだし、エルフたちも森に慣れている。
出発は朝食後だったが、日が登りきるまえに到着した。
地下に建造された霊廟の入り口が、地面に張り出した根と根のあいだに口を開けている。
「ここから先は御使いさまとわれわれだけです。マドゥーシアとハーフエルフはここでお待ちなさい」
石造りの下り階段のまえで、監視役Aが言った。
「いや、みんなで行こう」
「なりません、御使いさま。霊廟への拝謁が許されるのは選ばれた者のみ」
「俺が許すよ」
刹那。
俺は耳元で光風を炸裂させた。
散弾となった光風の矢が俺たちの拘束具を、かけられた呪詛ごと破壊する。
「い、いつの間に弓を……!」
「足下にあったの拾った」
「そんな都合のよいことがあるものですか!」
監視役ABの対応はすこしばかり遅い。
草むらから飛び出した剣が、寸止めで彼らの喉元を捉えていた。
二刀流で現れたのは銀髪のエルフ騎士。
「都合ではない。われらと御使いさまの知略だ。ヒルデガルト小隊、これより御使いさまの指揮下に戻ります!」
ヒルデガルトにつづいて、隊員四名も姿を現す。
「雌伏のときにも飽きてきたところだ。再会できて嬉しいよ、御使いさま」
「セルドリリィとふたり、助けあって切り抜けました……疲れた……」
ふらつきがちなトルルカの腰を、セルドリリィが抱き寄せるように支えていた。
「奴隷たちは邪魔くさいからすこしずつ故郷に送り返しといたからね、キャハハ」
「ほんと邪魔くさいから何発か蹴ったけど殺してはいないからね、キャハハ」
双子のナイアとネレイアは相変わらず性格が悪い。
集結した白エルフ一同に監視役ABは目を剥いて驚嘆する。
「馬鹿な、ヒルデガルト、貴様……! どうやってここを探りあてた!」
「それはボクとユニちゃんの友情パワーってやつかなー」
ヒルデガルトの背後からカリューシアが進み出て、ユニの手を握りしめた。
「お待たせ、ユニちゃん」
「はい……会いたかったです、カリンちゃん」
「ふふん、勝利の秘訣はこのユニたちの巫女体質だ」
俺は功労者であるユニとカリューシア、マドゥーシアの太ももを耳で叩いた。
年少コンビは巫女として類いまれな才能を有している。
それは神や精霊の声を聞き取る力だが、巫女同士も自然と共感してわかりあえるものらしい。
たとえ遠く離れていても、思念会話を可能とするほどの仲良しパワーである。
「ユニとカリューシアは念話でずっと情報交換をしてたんだ。俺たちと合流することぐらい、場所さえ選べればいつでもできるさ」
「し、しかし、この霊廟までの道を包みこんだ《迷いの谺》をどうやって抜けたというのですか!」
「マドゥーシアも念話に加わってたからな。術式を教えることぐらい難しくはない」
もともとメディエム氏族は十氏族でもひときわ巫女適性が高い氏族らしい。
なかでも長に選ばれたマドゥーシアの素養はずば抜けている。
出産を経て勘も鈍ったが、比較的近場のユニとであれば念話も可能。
いまだ未熟なユニの力を制御してカリューシアとの通信を安定させたのも彼女である。
待ち合わせ場所に霊廟を選んだのは、《迷いの谺》が監視の目を欺いてくれるからだ。
「おかーさんも無事でよかったぁ」
「ええ、母は意気軒昂でしてよ」
マドゥーシアは抱きついてきた娘の頭を撫で、いとしげに目を細める。
ちらり、とその瞳がユニに向けられた。
「……ユニ」
「は、はい」
「あなたのおかげで娘とまた会えました。ありがとうございます」
「はい……? え、あ、はい、どうも」
「にへへ、ありがとね、ユニちゃん」
長らく共感状態で念話していた影響か、ちょっと距離が近くなったかもしれない。
ほほ笑ましい気分だが、そろそろ前に進むべきだろう。
「いこう、みんな。エルドベリアに会いに」
俺たちは霊廟の階段を下りだした。
五十段ほどで地下通路に到着する。
幅二十メートルほどもある、ひたすらだだっ広い直路だ。
壁に彫りこまれているのは、ジジィが魔族と戦う見覚えのある情景。
「懐かしいなぁ。ほら、この魔将フラグムの鎧を破壊したら中からエルドベリアが出てくるとことか……いや、ちょっと違うような気が。なんでここ、俺がアイツを抱き留めてんの?」
「え? エルドベリアサーガの名シーンだよ?」
カリューシアが意外そうに目を丸くする。
「たしか抱きしめてはいないと思うんだけど……」
「じゃあコレは? 星空の下、たがいの耳に触れあって婚約の誓いをしたロマンスの塊みたいなクライマックス!」
「してねぇ! つーか、なにそれ。アレって婚約的なアレだったの?」
「そだよ? エルフの結婚式と言ったら、耳タッチからのキスだし」
マジかよ。そういうつもりだったのかよ。
フケ専ならそう言ってくれよエルドベリア。
わかってたらもっと優しくしてやれたのに。
チクリ……と、胸が痛む。
なんとなく、ユニの顔色を窺った。
「いかがなさいましたか?」
「……いや、なんでも」
ユニは小首をかしげているが、とくに変わった様子はない。
もともと表情に乏しい女の子だから微妙な判定だけど。
ちょっと寂しい。
「婚約の耳触れは祖神永眠以降の風習ですわよ、カリューシア」
「え、そうなの、おかーさん」
「神代においては、ただ命を賭して誓うという意味合いだったそうです。祖神伝承にロマンスを求める若い娘が多かったので、次第にそういう解釈が増えて、やがて婚約に用いられるようになったのです」
マドゥーシアの言葉に騎士たちが反応する。
「それなら私たちも聞いたことがあるね、トルルカ」
「私たちがともに助けあおうと誓いあったとき、横槍を入れてきた無粋者がいたわね、セルドリリィ」
「なんのことかなー、キャハハ」
「さっぱりわからないなー、キャハハ」
気軽なガールズトークのかたわらで、ヒルデガルトだけ真顔でプルプル震えていた。
「そんな……あの感動のシーンが捏造だったなんて。私の胸のトキメキはどこにゆくというのだ」
相当ショックを受けている。
無骨と見せかけて意外とロマンス好きなのか、騎士隊長。
「まあそうだよな。エルドベリアはそんなに甘ったるいヤツじゃないし。どっちかと言うと戦友との絆、みたいな?」
「そうなのでしょうか……」
疑問を呈したのはユニだった。
彼女は壁画を見やり、懐かしむように遠い目をする。
「エルドベリアさまはご主人さまのお心に触れて……かけがえのないものを得たから、耳を触れあって誓いを交わしたんじゃないかと、わたしは思うんです……」
「ユニ?」
俺の問いかけは不意に、開けた空間に吸いこまれた。
六つの巨大な精霊像が天井を持ちあげた広間の中心に、蔦の絡みつく祭壇がある。
安置されているのは、銀の鎧一式と芽の生えた木の弓。
「ああ……間違いない。これ、俺のだ」
見ただけで理解できた。
鎧は魔王との戦いで俺の魂の依り代となったミスリル銀の装備。
弓は本物のケイローン。模造品とは漂う空気が違う。
引き寄せられる俺を止める者はだれもいない。
祭壇に飛び乗り、ケイローンに触れた途端、広間に光が充ち満ちた。
まぶたを閉じる必要はない。
網膜を優しく暖めるような柔らかい光が集束し、祭壇上に童女の姿を形作る。
『久しいのう、ノクトよ……』
懐かしい声。かつてはじめて耳にしたエルフの声。
だけど……
『わしに会いにきてくれたのかのう? じゃとしたら、ありがたいことじゃ……』
エルドベリアって、こんなジジババ口調だったっけ?
イグニスのなかに眠っていた意志の欠片はもっと凛々しい声だったけど。
『わしの魂はすでに天に召されたが、最後の意志の欠片をおぬしのために残しておく』
エルフに残した意志の欠片は、気を張って気丈に振る舞っていたのかもしれない。
若くあろうとすれば心はいつまでも若いものだ、というのは彼女の言だ。
振り絞らなければ祖神の威厳を保てなかったのだとすれば。
数千年という時は、半神たる彼女にとっても相当長かったのだろう。
「会いに来るのが遅くなってごめんな、エルドベリア」
目が熱くなって、涙がこみあげてくる。
俺の体感だと数年ぶりだけど、実際にはその千倍も時間が経っているんだ。
顔女の笑顔は綿菓子みたいに柔らかくて、まるで気のいいおばあちゃんみたいで。
このとき俺には、エルフという長命の種がひどくはかないものに思えた。
『過去を懐かしみたい気持ちはあるが、もはやその猶予もない。おそらく御使いの現れるころ、エルフは《魔》に冒されていることじゃろう』
背後のエルフたちがざわついた。
俺も涙をぬぐって気持ちを引き締める。
聞きたかったのはまさにその話だ。
『この霊廟であれば《ヤツ》の目を欺ける。だが同時に、ここに御使いが来た時点で、《ヤツ》もまた警戒を強めるに違いない』
「……やっぱり《ヤツ》が裏にいるのか」
『《ヤツ》は静かに、したたかに、広く根深く世界を侵食しつつあることじゃろう』
「つまり――《ヤツ》はずっと俺たちの近くにいたってことだな」
べつに会話しているわけじゃない。
意志の欠片は自動再生された記録映像みたいなものだから。
ただ、彼女の言わんとするところがわかっているから、自然と掛け合いじみたことになるのだ。
――森を出よ。
エルドベリアの遺言をはじめ、違和感は情報を得るごとに増えていった。
意志の欠片を各所に残すというやり口は、あまりにも遠回りじゃないだろうか?
遺言に詳しい説明を盛りこめば話はもっと早いのに。
イグニスに封印されていた意志の欠片も、俺とエルフの協力を促すだけのものだった。
でも、そこには明確な理由がある。
地下霊廟という閉鎖空間でなければ、《ヤツ》に聞かれてしまう可能性が高いのだ。
『御使いよ、そしてここに集いしエルフたちよ、心して聞け。《ヤツ》は……魔王は滅しておらぬ』
「そうだ、ヤツは形を変えて生きてるんだ」
『気づいたときには手遅れじゃった……魔王は新たな依り代を手に入れておった』
その可能性には薄々気づいていたが、確証はないし途方もないから一時保留していた。
確信に近いものを得たのは、ララプロトから魔力反射の由来を聞いたとき。
前世で戦った魔将ドルカーンと同種の力を、ララプロトに授けたものが明確に存在する。
『魔王の新たな依り代は――われらエルフの故郷たる森そのものじゃ』
そのとき、霊廟がおぞましい鳴動に包まれた。
大地が鳴き、震えている。
ヤツが気づいたのだろう。俺たちが霊廟で真実に触れたということに。
「みんな、力を貸してくれ! 今度こそ魔王を倒すために……!」