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第七話 決闘と爆炎

「たのもーう!」


 俺の張りあげた声は荒々しい風の音にかき消された。

《風竜要塞》の周囲はつねに複数の竜巻で守護されている。

 だからと言って、外部の音がまったく聞こえなければ敵襲を察するのも難しい。

 おそらくは外敵の気配を捉える精霊魔法ぐらいは展開しているだろう。


 案の定、竜巻が横に避けて城壁があらわになった。


「いったい何用だ、盗人獣が!」


 城壁のうえから怒声が飛んできた。

 黒銀の鎧をまとった女騎士。先日、俺とユニを殴る蹴るしたダークエルフだ。

 ヒルデガルト小隊の隊長、ヒルデガルト。

 手には分厚い弓と矢が俺に狙いをつけている。


「おまえらに決闘を申しこみたい!」

「決闘だと? 畜生風情が世迷い言を!」

「弓で勝負だ! 俺が勝てばこの要塞はもらう! そちらが勝てばケイローンと人質を返却する!」


 俺が耳を折って合図すると、ユニが拘束した人質四名を押し出す。


「もし決闘を拒めば、人質どもの穴という穴にミミズをねじこむ!」

「ハハッ、ヒルデガルト隊長! どうか気兼ねなく助けてくれたまえ!」

「ミミズは、ミミズだけはイヤなのぉー!」

「ていうかさー、こんな子ども肌にされた時点で超悲惨だよねー」

「頼り甲斐マックスな隊長は超悲惨なカワイイ部下を見捨てないよねー」


 愉快なコメントを投擲する隊員に、ヒルデガルトは渋面を返した。


「……いったい何事だ、その肌は」

「俺の力で漂白したんだけど、これはこれで結構いいだろ?」

「信じられん……悪魔の所業か」


 ダーク化したエルフにとって肌の黒さは大人の証。種の誇りにも関わるものだろう。

 となれば、脅しに利用しないのはもったいない。


「決闘を拒んだ場合のペナルティその2! 俺の全力をもっておまえらご自慢の黒い肌を漂白してやる! こんな風になあ!」


 俺は瞬発的に光風の矢を放った。

 威力最低限の峰打ちアローがヒルデガルトの横に控えた兵を捉える。

 兵がその場に倒れるや、ヒルデガルトは怒号を発した。


「全軍、魔法矢射出用意!」

「し、しかし向こうには人質が……!」

「恥辱の生より栄光の死だ!」

「承知しました!」


 城壁から風の精霊がうなる音が聞こえれば、人質一同が悲鳴をあげる。


「ハハハッ、承知ときたか! ハハハハハッ、やだ死にたくない」

「いやあぁー! こんな子ども肌で死体になりたくないー!」

「キャハハハッ、せめて処女ぐらい捨ててから死にたかったぁ」

「キャハッ、まわりにろくな男いなかったからなぁ」


 俺のそばでただひとり、ユニだけが静かに目を閉じている。

 諦めてしまったのか、それとも俺を信頼しているのか。


「だいじょうぶだ、だれも死なせないから」

「はい……御使いさま」

 俺がそう言うと、彼女は小さくうなずいた。


「総射!」


 城壁の裏から大量の矢が放たれた。

 風の精霊の加護を受けて軌道を修正しながら、弧を描いて俺たちに降り注ぐ。

 その数はおよそ百を超えるか。


「――すくないな」


 俺は耳を震わせた。恐怖のためでなく、意図的に筋肉を痙攣させて。

 解き放った光風の矢もまた震えていた。振動はすなわち可能性の揺らぎ。


 一本の矢が降り注ぐ敵の矢をすべて正面から撃ち落とした。


「バ、バカな……! いったい、なにをどうしたんだ……!」


 さしものヒルデガルトも動揺している。

 俺はフッとクールに笑った。


「無数の可能性を一度に現出させる秘技――名付けて《ジジィ震えすぎ》」

「ふざけるな! どういうネーミングだ!」

「もっと厨二っぽいほうがいい? 《シュレディンガーの繚乱》とか。どっちにしろ、俺がその気になれば要塞のエルフをまとめて漂白できるってことだ」


 そのとき、絶妙なタイミングでヒルデガルトのそばから驚愕の声があがった。

 俺に撃たれたエルフが美白化していることに、ようやく気づいたらしい。


「このまま皆殺しになるか、漂白されて恥をさらすかの二択よりは、決闘して勝利するわずかな可能性に賭けるべきじゃないか? ああ、もちろんケイローンを使わない程度のハンデはやる。まさか、耳で弓を使う珍獣相手に決闘する度胸がないなんて言わないよな?」

「い、言わせておけば、好きほうだいコケにして……!」


 ヒルデガルトは怒りのあまり声も出せなくなった。

 歯をきつく食いしばっても秀麗な雰囲気が崩れないのは、、エルフの美貌あればこそか。

 そんな彼女たちに犠牲者を出すような真似は、できることならしたくない。

 だから決闘の約束を取り付けるのだ。

 誇り高いエルフなら一度交わした約束はきっと違えない。

 なによりも裏切りを憎んだエルドベリアの子孫なのだから、その点は信用したい。


「あらあら、庭先でなにを騒いでいるのですか?」


 おっとりした声が聞こえるや、ヒルデガルトが気をつけの姿勢になる。

 彼女の横に進み出たのは、とても非常に熟れた体だった。

 そう、熟れていた。


「超熟れてる……」


 乳尻太ももを彩る、形の崩れる寸前の豊熟した肉付き。

 くびれを保ちながらも、美麗さを保つ範囲で柔らかみを感じさせる腹。

 胸元と外腿を深く開いたナイトドレス風の薄絹もよく似合う。

 人間なら三十代ほどの経産婦に相当する、濃縮された色気が漂っていた。


 首から上も華やかだ。

 彫りの深いゲルマン風の顔立ちには薄い金髪と濃い口紅のコントラストがよく映える。

 こちらは二十代後半から三十代前半といった印象か。


 妙齢の美しさを死ぬまで保つエルフという種において、ギリギリ成立する年増感だ。

 どっちかと言うと若いほうが好みの俺でも、この肉感には圧倒されてしまう。


「はじめまして、毛深きお方。わたくしはメディエム氏族の長マドゥーシア。この要塞を預かる身です」

「なるほど、その熟肉で要塞を支えてるんだな」

「熟肉?」

「いやなんでもない。俺はノクト。こんなナリだけど、いちおう御使いってやつだ」

「ふふ、さすがはミツカイサマ。わが娘の成人式に贄を連れ帰ってきてくださるとは、お心遣い痛み入ります」


 ヒルデガルトと違って余裕の態度が崩れない。

 さすがに要塞司令ともなれば器が違う。


「……ユニは贄なんかじゃないからな」

 俺はユニにだけ聞こえるように小声で言った。

「はい……ありがとうございます、御使いさま」

 彼女の声は満足げでありながら、かすかな震えを帯びている。

 大勢のエルフをまえにして怯えているのだろう。


 俺が決闘で勝ったら、すこしは恐怖から解放されるだろうか。


「ねえ、ヒルデガルト。娘の儀式の前座としてなら決闘もいいんじゃなくって?」


 どうやらマドゥーシアは乗り気らしい。


「ですが、あんな得体のしれぬ畜生の誘いに乗る必要がありましょうか!」

「余興でしてよ、ヒルデガルド。スペイディル氏族は遊びであろうと弓勝負には誇りを賭けるものでしょう?」

「は、それはもちろん、ご命令とあらば!」

「なら見せてちょうだい、あなたの弓の腕を」


 大将の一存で城門が開かれた。

 こうなってしまえば、あとは神性弓術の独壇場だ。





 騎士隊長ヒルデガルト。

 剣と弓に長けたスペイディル氏族の誇り高き女騎士。

 若くして小隊を任されるだけあって、その実力は要塞でも一目置かれている。


 外見にかぎって表現するなら、ご多分に漏れず美女である。

 切れあがった目にツンと尖った鼻先は見るからに涼やか。

 ポニーテールにまとめた銀髪もあいまって、活動的な印象が強い。

 スタイルも抜群。若々しい肌の張りと大人のふくよかな肉付きが絶妙なバランスで両立している。

 強いていえば、尻がもっちりとボリュームたっぷり。

 あるいは、そのケツ肉こそが弓を引くときの土台となっているのかもしれない。


 銀髪ケツデカ褐色アーチャー、ヒルデガルト。


 彼女は決闘開始から二射目で目を見開いた。


「……無理、見えない」


 呆然と見つめる先は森の緑の果て。

 およそ五キロほど先の木の幹に俺の放った矢が刺さっている。


 決闘ルールは簡単。

 先攻が城壁上から適当に森の木を撃つ。

 後攻はおなじ木を狙って撃つ。

 外したら負け。

 以上。


 一射目はヒルデガルトが二百メートルほど先の木に当てた。

 俺はその一センチ上に矢を叩きこんだ。


 二射目は俺の先攻で、五キロほど矢を飛ばしたわけだが。

 飛ばしすぎた。

 エルフの目でも見えないらしい。


「……たしかにブナの幹に当たっています」

 マドゥーシアはどういう手段を使ったのかそう裁定した。

 口元には悠然と笑みを浮かべているが、かすかに引きつって見える。


 いくらエルフが弓上手と言っても、こちとら神からコピーしたスキルだ。土台がまるで違う。

 弓はケイローンでなく兵から借りたものだが、それも大したハンデにならない。


「わたくしの信頼する騎士隊長ヒルデガルトにかぎって、このめでたい席で醜態をさらすなんてことはなくってよね?」

「で、でも、マドゥーシアさまぁ……! そもそも的が見えません……!」

 ヒルデガルトは捨てられた子犬みたいにふるふると首を振った。


「あなたは、わたくしの娘のまえで恥をかきたいと言うの?」


 マドゥーシアの笑みが、怖い。

 娘のためにがんばるおかーさんの気迫というものか。


 彼女の娘は要塞の中心部、火の焚かれた祭壇のまえに座している。


 座している、というのは実のところ当てずっぽうの表現だ。

 儀式用の礼装だろうが、十二単並の着ぶくれで体勢もボディラインも見て取れない。

 唯一確認できたのは、こちらを見あげてきたときの顔だけだ。


 黒化前の白い顔は、ひどくあどけない造作である。

 ユニに聞いたかぎりでは、いまだ成人にはほど遠い年齢らしい。

 類い希な才能を持つため、飛び級的に成人の資格を得たのだとか。


「あの子が《神餐の黒》に染まる記念すべき《赤き夜祭》を控えて――ヒルデガルト、なにもせずに敗北することだけは許さなくってよ」

「あう、あうぅううううう……! ああ、もう、やります! やってみせます!」


 ヒルデガルトは半泣きになり、口でごにょりとなにかを唱えた。

 風が巻き起こって彼女の弓矢にまとわりつく。


「――風よ、わが一撃を導け!」


 放たれた一撃が風に乗った。

 気まぐれな精霊が友誼を結んだエルフのために矢を運ぶ。

 勢いよく、鋭く、長々と。


 そして見事に一キロを突破。


「おおー! いける、いけるぞヒルデガルト殿!」

「畜生などに負けるな、ヒルデガルト殿!」

「いまこそわれらエルフの誇りを示すとき!」


 プラス五百メートルほど飛んだところで、へろへろと矢の勢いが落ちる。


「ああ! いけない、いけないぞヒルデガルト殿!」

「畜生などに負けるのか、ヒルデガルト殿!」

「いまこそわれらエルフの誇りを示すとき!」


 どうにかこうにか二キロを越えたところで、にわかに追い風。


「おおー! やっぱりいける、いけるぞヒルデガルト殿!」

「畜生に負けるはずがないな、ヒルデガルト殿!」

「いまこそわれらエルフの誇りを示すとき!」


 さらに三キロ、四キロを突破。

 さすがに精霊も飽きてきたのか、右へ左へ矢がブレている。


「おおー! いって、いってくれヒルデガルト殿!」

「畜生に負けたら承知せんぞ、ヒルデガルト殿!」

「いまこそわれらエルフの誇りを示すとき!」


 ヒルデガルトは終始黙りこくっていた。

 息すら止めていたのではないか。

 わずかでも気を漏らせば矢が落ちてしまうと言うように。


 その気合いが精霊たちに届いたのか、ついには的の木の根っこ近くに「ぽすっ」と命中。


「――お見事ですわね、ヒルデガルト」

「おぉぉおおおおおおおおぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 ヒルデガルトの雄叫びに要塞中のエルフが呼応する。

 天を衝くほどの大声にユニがビクッと身を震わせた。

 祭壇前の娘さんもビクッとしていた。


「私は今日、自分の限界を超えた! もはや恐れるものは、ないッ!」


 ヒルデガルトは勢いに乗って、第三射先攻の矢を放った。

 矢は途中へろへろしながらも二キロほど先の木に命中。


「さあ来い、ケダモノ! ここからは根比べだ! 貴様は当てるだろうが、私もけっしておまえの矢を逃さない!」

「ほいほーい」


 もう面倒だから第三射後攻と第四射先攻を立てつづけに放った。

 とすん、と二キロ先の木に命中。

 とすん、と十キロ先の木に命中。


「へ」


 ヒルデガルトの涼やかな顔が間抜けに緩んだ。

 ほかのエルフも似たような顔。

 一気に距離が倍に伸びたのだからやむをえまい。


「……ヒルデガルト、堂々とお散りなさい」

 マドゥーシアはとうとう渋面になった。


 第四射後攻。


 騎士隊長ヒルデガルトは半泣きで矢を射て、敗北を喫した。




 要塞が沈鬱な空気に包まれる。

 せっかくの成人式がお通夜ムードに染まってしまった。


「さあ、約束どおりこの要塞は俺のものだ。納得いかないならマドゥーシア、おまえさんと決闘してもいいぞ」

「遠慮しておきますわ。こと弓の扱いにおいて、メディエム氏族のわたくしではヒルデガルトに及びません」

「じゃあ、受けいれるんだな」


 俺は鼻先をクイッとあげてマドゥーシアを見あげた。

 まぶたのやや厚い物憂げな目が、冷ややかにすがめられていく。

 彼女の視線は俺ではなく、すこし上のほうを捉えていた。


「爆ぜよ」


 耳でつかんでいたエルフの弓が高熱を孕んで膨張する。


「風よッ!」

 間一髪、ユニが飛びこんできて弓を手で払い飛ばした。


 爆発の瞬間、周囲に風の膜が生じる。ユニが呼び寄せた精霊の加護。

 だがその薄膜はたやすく引き裂かれ、俺たちはまとめて吹き飛ばされた。

 城壁の内側に落ちていく。高さはおよそ二十メートル。


「くっ……!」


 空中でユニの手からケイローンをつかみとり、真下に光風の矢を放った。

 即座に風を解放。発生した上昇気流が落下速度を軽減してくれる。

 ジジィのときに使った爆風による落下対策よりも、こちらのほうが格段に安全である。


 あとはユニの股下にもぐりこみ、彼女を背負う形で着地の衝撃を緩和した


「ふんぬおおッ、背骨がジジィだったころみたいに痛い……!」

「み、御使いさま……! わたしなんかより、ご自身のお体を……!」


 ユニは俺を気遣い、いまにも泣きだしそうな顔をしていた。

 自分は体のあちこちから出血しているくせに。

 彼女は爆発の瞬間、俺に覆い被さり楯となってくれたのだ。


「ユニが守ってくれたから平気だよ」

「よかった……わたし、御使いさまの身になにかあったらどうしようかと……」


 安堵をしても、結局彼女の目からは涙があふれだす。

 彼女の献身に胸が締めつけられて仕方ない。

 状況が許すなら全力モフりタイムを進呈したいところだけど。


「バカエルフどもめ……エルドベリアが泣くぞ!」


 俺は城壁上のマドゥーシアを怒鳴りつけた。

 彼女の顔に浮かぶのは、死にかけの蝿でも見下ろすような氷点下の無表情。


 高らかに唱えるのは俺への返答でなく、殺意の発露だった。


「要塞内の全エルフに告ぐ! 聖将マドゥーシアの名において、すべての精霊力をここに統べる!」


 ドクン、と要塞が脈動した。

 エルフたちから霧のようなものが立ちのぼり、マドゥーシアの手の平に集束していく。

 球状になった精霊力の塊を、彼女は天に掲げた。


「きたれ――炎魔イグニス!」


 なんですと。


 力の塊が膨張して半人半馬をかたどるや、轟然と炎上した。

 まるで小型の太陽が出現したみたいに、要塞の気温が一気に上昇していく。


 間違いない。

 紛れもない。


 それはかつて魔将として俺と戦った炎の精霊だ。


「古キ盟約ニ従イ――サア、敵ヲ示スガイイ。何者ヲモ灰ニ還サン」

「ならばイグニスよ、汝の討つべき者は――」

「ちょっと待ったぁー!」


 俺は弓を構えて光風の矢をつがえた。

 狙いはイグニスでもマドゥーシアでもない。


 祭壇前の未成年だ。


「イグニスに命令したら、その瞬間に娘を撃つぞ!」

「なんですって……! 子どもを人質に取るというのですか、卑怯者!」

「そっちこそ約束破った卑怯者じゃん!」

 

 今回ばかりは手段を選んでいられない。

 前世の俺が唯一敗北した相手、それがイグニスだ。

 最初からそうとわかっていれば戦い方もあるが、刷りこまれた苦手意識は拭えない。

 なにより、ヘタを討てば俺の背にまたがったユニにまで危険が及ぶ。


「二足歩行もできないケモノと対等に約束せねばならない理由など、われらエルフにはありません!」

「あ、いまの言い種めっちゃ傷ついた! 撃っちゃおうかなー? おらおらー!」


 弓を揺らして脅しかけると、マドゥーシアはほぞを噛んだ。


「おのれ、卑劣獣め……! というかカリューシア、なぜいまの隙に逃げないのですか! せっかく狙いが乱れていたのに!」

「でもこの服、すっごく重たいんだけど」

「ガマンなさい! あなたはこれから大人になるのですよ!」


 着ぶくれした幼エルフは半眼でぷくーと口を膨らませた。


「やだ、なりたくない」


 反抗期到来。

 よりにもよって、こんなタイミングで。


「なりたくないって……なるのです! どうあがいても、生きとし生けるものすべていつか大人になるのです!」

「ヤダよぅ! だって血とか肉とか内臓とか気持ち悪いし、食べたくないし!」

「なっ……!」


 子どものワガママは時に社会倫理を平然と蹴散らす。

 俺から見ればしごく当然の物言いだから、むしろ清々しい。


「す、好き嫌い言うんじゃありません!」

「だって無理だし! 鹿とかイノシシならともかく、人間とかドワーフみたいに言葉が通じる生き物を食べるなんて無理! 絶対絶対絶対に無理むりムーリー!」

「食べないと祖神に恥じぬ立派なエルフになれないでしょう! アナタほどの才能があればイグニスとの個人契約も可能なのですよ!」

「それもイヤ! イグニス怖いし!」


 カリューシアの発言に、空中で留まっているイグニスが身震いで反応する。


「ソ、ソウカ?」

「そうだよぅ! 触れるものみな燃やすじゃん!」

「デモ、我、ソウイウ精霊ダシ……」

「つまり根本的に合わないってことだよね? ハイ無理! イグニスとの個人契約とか絶対絶対ぜーったいに不可能でしたー!」


 べーと舌を出すカリューシア。


「グヌヌ……」

 イグニスは言い返すこともできずにうめいていた。

 魔王を倒した御使いを倒したイグニスを圧倒する未成年。

 子どもって怖いなーと、思ったその直後、


「……グンヌヌアアァアアアアアアアアアァアアアアアッア!」


 イグニスの全身から炎の散弾が放射された。

 全方向に見境なしである。

 要塞の建造物を次々に叩き壊し、着火し、エルフたちを巻きこんでいく。


「イ、イグニス! われらが声に鎮まりたまえ!」

「ヌグアァアアアアァアアアアア!」

「鎮まりたまえ!」

「ヤダアアァアアアアァアアアアアアァァアァアアア!」


 駄々っ子だこれ。

 怒り狂ったイグニスは一切の命令を聞かず、空を駆けまわって炎の雨を降らせる。


「あっぶねぇなぁ、もう!」

 俺は光風の矢を連射した。

 炎弾を撃ち落としながら、威力を抑えた光風で炎上するエルフたちを消火していく。


「き、貴様、なぜわれらを助ける……!」


 城壁上のヒルデガルトが俺の行為に目を見はっていた。


「もとからエルフを殺す気なんかないんだってば! いいから避難指示しろよ! こいつは俺だって止められるかわからないから!」

「聖将マドゥーシアの名において、あなたに司令代行を命じます……! わたくしがすこしでもイグニスを抑制しているうちに!」

「か、かしこまりました、マドゥーシアさま!」


 ヒルデガルトは意を決して周囲に指示を出しはじめる。


「よし、じゃあ次はカリューシア、だっけ? 動けないならそれ脱いで逃げろ!」


 俺は祭壇前の未成年に駆け寄った。

 イグニスが落ちついたら、標的になるのはたぶん彼女だろうから。


「わ、わ、御使いさまだ!」


 カリューシアは俺を恐れるでも見下すでもなく、むしろ目を輝かせていた。

 それどころか、予想外のセリフが飛び出してくる。


「ごめんなさい、御使いさま。ボク、あんまりうまく時間稼ぎできなかったよ」

「もしかして……さっきの口喧嘩って俺たちのために?」

「半分ぐらい普段から思ってることだけど……や、八割ぐらいかも、にへへ」


 えらく愛嬌のあるはにかみ笑いだ。やはり敵意は感じ取れない。


「俺を御使いだって信じてくれるのか」

「夢でお告げがあったからね。ウサモスの姿を借りた御使いが現れたら力を貸してやれって、祖神さまがおっしゃったの」

「その祖神ってどんな姿だった?」

「光ってたからよく見えないけど、ボクよりちっちゃい感じだったよ」

「間違いなくエルドベリアだ……」


 ちびっこ始祖はもういない。

 それでも夢を介して干渉はできるのだろう。

 黒化していない未成年の少女たちを通じて、俺に力を貸してくれているんだ。


「きゃあッ」

 妙に可愛い悲鳴とともにマドゥーシアが爆炎で吹き飛ばされた。

「おかーさん!」

 カリューシアは手を伸ばそうとしてつんのめる。服の裾を踏んづけたらしい。


「オオォオオオオオオオオオ……!」


 イグニスはみるみる巨大化していく。

 その形状は人でも馬でも人馬でもなく、無数の首を持つ炎のヘビと化していた。

 これまではマドゥーシアがどうにか制御していたのだろう。

 盟約という名の縛めから解放された炎魔は、もはや暴走する滅却の化身だ。


「下がってろ、ふたりとも!」

 俺はユニを降ろしてイグニスに狙いをつけようとした。


 しかし、目の前に重たげな布の塊が進み出る。

 カリューシアが服を引きずってイグニスの矢面に立ったのだ。


 ごく自然な仕草でユニの手を握りしめながら。


「ユニちゃん、手を貸して」

「ふえっ……ちゃ、ちゃん……?」


 ユニは面食らって目を丸くした。


「ボクのことはカリンでいいから」

「カ、カリン……さま……?」

「ちゃーんー!」

「カ、カリンちゃん?」

「うっしゃ! じゃあ力を貸して、ユニちゃん。ふたりならたぶん、できるから」


 交わした視線になにかを感じたのか、ユニは深くうなずいた。


 少女たちが重ねた手の平を天に掲げれば、あちこちのエルフから精霊力の霧が集束していく。


「巫女体質の感応……鏡あわせの共振……!」


 城壁に這いつくばったマドゥーシアが、驚愕の眼差しでその光景を見つめていた。


 なるほど。そういうことか。

 エルドベリアの夢を見たふたりは、言い換えれば祖神に選ばれた者だ。

 エルフとハーフエルフの違いはあれど、彼女らには神の声を聞き取る巫女の才能があるのだろう。


「ナンダ……貴様タチ、ナニヲシテイル……!」

 束ねられた力の奔流に気づいたのか、多頭炎蛇が大きく身をよじった。


「御使いさま、攻撃を防いでください! ただし絶対に殺さないで!」

「お、おう!」


 俺はイグニスを観察してタイミングを見定めた。


「ヌンッ!」


 炎蛇から瞬速の炎槍が放たれた。

 読み通り。俺の放った光風の矢と相殺する。前世とおなじ手でやられるつもりは毛頭ない。


 次々に炎槍が放たれ、時に蛇頭が噛みついてくることもあったが、すべて余裕で撃ち払う。


「なんだ……意外と大したことないじゃないか」


 戦い方さえわかっていれば、そこまで恐ろしい相手じゃない。

 ジジィのころならいざしらず、いまの俺は健康優良ウサモス少年だ。若い力がみなぎっている

 たぶんクソ長い名前の奥義を使えば普通に倒せるだろう。


「ぐふっ、ぐふははははっ、どうだイグニスめ! 力の差を思い知ったか!」

「オノレ……オノレ……嫌イダ……エルフモ、御使イモ、大嫌イダ!」

「ほーれほーれ、俺がその気になればおまえは蜂の巣だぞ?」


 余裕綽々で光風の矢を空撃ちする。

 カリューシアに念押しされたから殺しはしないけど、軽く脅すぐらい許してほしい。

 前世で射貫かれたとき死ぬほど熱くて痛かったし。


「おうらおらおら、これが俺の、というか神性弓術とケイローンの力だぁー!」


 ひときわぶっとい矢を虚空に放つと、


 ぱきーん。


 手元でなにかが割れた。


 目で確認する。

 ケイローンが破砕している。

 ぱらぱらこぼれ堕ちて、塵に変わる。


「えっ、ちょっ、もしかして経年劣化?」

「そのケイローンは本物を元に神樹の枝から作った模造品ですわ……!」

「初耳なんですけど!」


 叫ぶ俺のまえで、炎の蛇がうねうねと首を伸ばしてくる。

 開かれた口から広がる輻射熱のすさまじさといったら、熱射病で倒れたくなるぐらいだ。


「……ナニガナニノ、チカラダッテ?」

「うん、ちょっと待って。かわりの弓矢を探してくるから、いくばくかの猶予を与えてはくれないかい、イグニスくん。ね、ミスター・ハンサムファイヤー」

「ワハハ、ワハハハ。死ネ」

「ですよねー!」


 業火が俺に殺到した。


 まさにそのとき、少女らの声が高らかに轟く。


「炎よ、汝の名はイグニス!」

「その根源を掌握する……!」


 少女たちが示しあわせて命じれば、炎が俺に届く寸前で停止した。

 イグニスもまた硬直し、その身に変化が生じる。


 炎体が縮んでいく。


 多頭蛇から人馬へ。

 人馬から手の平サイズの爬虫類に。


「汝は火トカゲなり」

「何者を焼くことなく、暖をもたらすものなれば……」

「汝、われらとともにあれ」

「汝、われらとともにあれ」


 トカゲになったイグニスがカリューシアの手の平に降りてきた。

 ぷいっと顔をそむけるところが、ちょっと可愛い。


「イラナイ」

「なにが?」

「ワガ友――ニーシェ、イナイ……モウ、イナイ。ニーシェ以外、ナニモイラナイ」


 その言葉が彼の心情をすべて語っていた。

 要するにイグニスはふて腐れていたのだろう。

 大切な盟友を失い、長らく孤独を患っていたところ、エルフに命令を押しつけられて。

 腹立ちのあまり、子どもみたいに駄々をこねた。


「なにもいらないの?」

「イラナイ」

「さっきボクに冷たくされてショック受けてたくせに」

「ウグッ」


 うめくイグニス。やっぱりこいつ、ちょっと可愛い。


「俺も見た。露骨にショック受けてた」

「わ、わたしも見ました……」

「チ、チ、チゲーシ。ンナコト全然ネーシ。我マジ孤高ダシ」


 化けの皮剥がれすぎ。

 カリューシアは皮肉っぽく「ふーん?」と流し目をして――にっこり無邪気に笑った。

 ユニの肩を抱いて頬を寄せ、イグニスに鼻先を寄せる。


「意味なくまわりのものを燃やさないって約束するなら――ボクとユニちゃんとイグニス、三人で友達になろうよ」

「ふえっ……と、友達……?」

「マジデ?」

「マジ、マジ。御使いさまの立ち会いのもと約束しちゃうよ。エルフは絶対に約束を違えないって、祖神さまも言ってたからね」


 時に子どもは無敵である。

 大人では照れくさくて口にできないようなことを平然とブッ放す。


 かくしてイグニスの叛乱は、友情という名のトライアングルで終結した。


 同時に、そのトライアングルは突如として、発光した。

 ふたり&一匹がぺかーっと光を放ったのだ。


「わっ」

「あっ……」

「ムッ」


 ふたりの手の平でイグニスが球状に変化し、ぱかりと割れた。

 そこから放たれた指向性の閃光が、上空に巨大な人影を映し出す。

 全長三十メートルほどの、寸胴幼児体型。


 俺がはじめて出会った本物のエルフの姿だ。


『われはエルドベリア――すべてのエルフの祖にして原初の女王なり』


 避難していたエルフたちが総じて息を飲む。


『炎魔イグニスに託したわが意志を開示する――愛し子らよ、御使いは汝らの目の前にいる。信じ、ともに戦うのだ』


 エルドベリアはふたたび光となって俺に降り注ぐ。

 光をまとったウサモスのまえに、エルフたちは恭しげに膝をついた。


 かくして風竜要塞は陥落した。



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