引き篭り師弟と、不吉な訪問者17―召喚獣の涙―
ものすごく幸せなのに、ぐちゃぐちゃの笑みしか返せない。熱い雫が込み上げては流れてくる。拭っても拭っても止まることなんてなくって……むしろ、師匠がくれた言葉が本物だと実感してしまう。
声が出なくて、まるでその代わりと言わんばかりに大粒の涙が溢れてくる。
南の森で、傀儡に襲われた後に。想いを伝えられて、それを受け止めて貰えたのが嬉しかった。師匠はいつだって真っすぐ受け止めてくれる。怒ったり拗ねたりしながらも。
私たち師弟の関係のスタートを考えると、それだけでも凄く幸せだった。別れありきの出会いなのに、想いは自分勝手に育っていってしまう。のんきな私は、育ててしまった。
はっきりと踏み込めないのは、お互いの暗黙の了解なんてのは呑気な私の言い分だ。自分たちだけではどうしようもない薄くて厚い膜が、私たちの間にあって師匠はだれよりもソレを理解している人だ。
なのに、その師匠が告白を言葉にしてくれただけじゃなくって、ありったけの想いを形にしてくれた。一生分の心を伝え貰ったと思えるほどに。
大好きって返したい。師匠と出会えて、好きになって、その大好きが膨れ上がるような気持ちを返してもらえるなんて、私はこの上ない幸せ者だ。
「わっわたし」
師匠は口を噤んで、ともすれば睨むように見上げてくる。切羽詰まっているように感じられるのは、私の願望なのだろうか。
師匠がくれた言葉に、私もありったけの想いを返したい。強く思うのに、何度唇を動かしても、嗚咽しか出てきてくれない。体が熱くて全部が蒸発してしまいそう。
「アニム」
強いのか弱いのか。どちらつかずの声が、耳元をくすぐってきた。魔法映像に映りだされている師匠は、真っ赤になっていると思っていたのに逆どころか、蒼白だ。
って、もしかしなくても、出血多量で血の気が引いちゃってるのか!
動揺のあまり、実態のない魔法映像に縋っていました。師匠にしては珍しく、おどおどという調子で、掌を重ねてくる。
なんと! 腕に力が入らないくらい弱ってる!
「ししょー! 怪我っ! 腰の血!」
ひどい涙声で魔法映像に顔を突っ込んでしまった。
「――っ、あほアニム! 怪我の心配より、オレに返す言葉はねぇのか……」
あっ、師匠の眉が思いっきり吊りあがっちゃった。興奮したから傷口が開いちゃったのでは……! なんか堪えてる風だし!
魔法映像ではなく、実物の師匠へと視線を映すと、腰に手を当てて仁王立ちになっていた。
「ししょー! 死んじゃ、やだぁ!」
「あほたれ!! つか、まじで意識ぶっ飛びそうだぞ! 今まで言葉にしなかった罰とはいえ! いや、罰を与えたくなるアニムの気持ちも十分理解できるが」
確かに言葉が欲しいとは思っていた。それでも、師匠は態度で示してくれてた。無意識に欲しいって表に出てて、師匠を不安にさせていたのかな。
って、違う! さっき、私が演技で師匠を責めたからだよね!
「罰とは。一生分の、ご褒美もらっておいて、私、嫌がらせする、人間ないですよ」
私の発言を受けて、徐々に赤くなっていく師匠。遠めから見ても。魔法映像からは、
「お前さぁ、本当に、どこまでオレを甘やかす気だよ」
と呻き声が聞こえた。
はっ! 主語が違ったか! 私へのご褒美じゃなくって、師匠にとっては大勢の前に告白するはめになって罰っぽいよね。
「ご褒美、言う場合ないですね! ししょー、ごめんです! ごめんなさい! 違ったです!」
「いや、謝るのかよ! ここで! 二重の断り謝罪かよ! 本気で死ぬわ!」
師匠が立ったまま白目を向いてしまった。あれ、気絶しているんじゃないの⁈ 相当傷が辛いらしい! なんとかしないと!
師匠より少し手前にいるラスターさんに視線を移す。なんか魔法映像から「おいっ!」とか師匠の突っ込みが聞こえるが、今だけは返事している場合じゃない。私が投げた外套を受け取ったラスターさんが回復玉が入った箱に手をかけているが、箱が開かないようだ。
「ラスターさん!」
師匠も私ばかりみて、ラスターさんが回復玉の箱を開け方に首を傾げ問いかけているのに気付いていない。ラスターさん、懸命に師匠の脛を叩いているのに!
ホーラさんは傷が開いてきたのか、ラスターさんの腿にぐったりと乗りかかっている。プルプル震えているよ。
「ラスターさん、箱の底、つまみを反時計回りに捻ってくだ――!」
私の叫びにはっとしたラスターさんが箱を開けたのと、ほぼ同時。
「アニム!」
ぐいっと肩を掴れた。視界がぶれるのが、やけにゆっくりだ。あれ、森の遠くに大きな鳥がいる。
そう認識したのは一瞬で。次の瞬間には目の前で火花が散った。
「ひぁっ!」
全身を襲った痛みに自分でも聞いたことがない悲鳴があがった。
ぐっと詰まった息がやっと吐き出されたかと思うと、さらなる衝撃が全身を駆け廻った。骨どころか肺が軋む! 胸を押えたいのに、地面を転げまわっているからどこもかしこも痛い。
やっと止まったと思ったら、さらに体が蹴り飛ばされてバルコニーの壁に激突した。体の内側から色んなものが飛び出た。喉が焼けて痛い。詰まったものが上手く出なくて、必死に喉を開く。
「かっはっ! げほっ!」
「異物風情がこざかしい真似を‼」
それでも、頭は守っていたようだ。意識はちゃんとしている! 傀儡と対峙した際にちゃんと学習してる!
その代わり、焼けた喉と腕はものすっごく、ずきずきする。幸いなのは、神経がどうにかなっていないところだ。有り得ない位、痛いけどね! 色んなところがざっくり切れてるし! 血の匂いがすごいから鼻血も出てるよね! こんな時は圧迫止血だ! 手に力が入らないけどね!
「アニム‼」
「アニムちゃん‼」
師匠とラスターさんに大丈夫だって返事をしたいのに、呼吸が荒すぎて声が出せない。ひゅうひゅうとしか鳴らない。
「あぁ、うるさい。ウィータもラスも煩い‼」
定まらない視界でもわかるほど、怒りをあらわにしているメトゥス。師匠とラスターさんが放ったらしき魔法とメトゥスの魔法がぶつかりあったのが、ぼんやりとわかった。
師匠、魔法なんて使ったら、また出血が……!
「ししょー、私より、自分の傷」
鉛のように重い体を、どうにか半身だけ起き上げる。ひどい痛みが走って咳が出た。同時に、体がまるまる。全身が軋んで痛い。
響き渡った、ばちんっと弾ける音。
「異物程度でこの私を謀るなど! ウィータが本気で、このような異物を――秀でた能力も容姿も持たぬ異物に、心を奪われたなど……! 有り得ない! あっては、ならない!!」
どっどうせ、私は才女でも美人でもない! でも、師匠はそんな私を好きだって言ってくれたんだから、良いの!
もちろん、綺麗にはなりたいし、師匠に見合う女性になるようには頑張るけど!
両膝に力をいれて胸を拳で叩く。ちゃんと動け、私の肺と喉! 強く叩き過ぎて喉で絡んでいた痰が出た。かっこ悪いけどすっきりとした。
「あり得ない、言われるのは、わかる。私は、魔力もない、容姿も平凡、特別な知識もない」
「アニム――」
「でも、ししょーが、受け止めてくれる。ラスターさんやホーラさん、それにセンさんが、応援してくれる。教えてくださる! フィーニスとフィーネが、一緒に、成長してくれる! その誠意と評価まで、否定したくない! だから、けほっ、私、貴方の否定は、痛くも、かゆくもない!」
今、体は痛いけど! そして、膝から力が抜けて大きな瓦礫にお尻が激突した。地味にくる。
「コバエがほざくな」
全身から黒い煙を放っているメトゥスが顔中に皺を作り、私を見下ろす。
ひえぇ。さっと血の気が引いていくのがわかる。色んな意味で怖い! 脱兎のごとく逃げたいけど、立ち上がれもしない。
「私の心を乱した罪、存在の消滅をもって償いなさい」
人には散々暴言はいておいて、心を乱されたから責任とれとか、随分と勝手すぎやしませんかー! 百歩譲っても、お互い様ですよ!
っていうか、なんという定番な悪役台詞! っていうか、いうか。突っ込みいれてる場合じゃないよ、私!
「死なない」
強がってみせても、身体は正直だ。痺れるどころか、がたがたと震えるばかりで、全く動けない。
むしろ体が地面に倒れ込む。瓦礫でこめこみが切れたのがわかるけど、もう痛みも温度も感じない。
―ピィィィィ―
鳥の鳴き声が空間を揺らした瞬間、メトゥスが放っていた黒い煙がぴたりと止まった。
ぐっと硬直した直後、耳をつんざく音が脳を揺らした。
―ピィィィィ―
―うなぁぁぁ―
再度響いた鳥の鳴き声に、良く知った甘い音が重なった。愛しい声。
「うなぁぁ!」
今後は、はっきりと届いた。あぁ、あの子たちだ。優しくて甘い声に緊張感がなくなった。
あぁ、良かった。無事だったんだとべそをかいてしまう。なんとか上半身が起きる。それでも膝は立たない。安心して立ち上がれない。子猫たちの甘い叫び声に向かって、体を引きずって前に進む。子猫たちの声を聴いたからか、あっという間に視界がクリアになる。
「フィーネとフィーニスの声」
いつの間に近づいていたのか。家に向かって、大きな鳥が口をぱっくりと開けていた。ホーラさんの召喚獣だ! 子猫たちの姿は見えないけど、存在は感じる!
「アニム! 平気かい!」
「飛んで行った、召喚獣の鳥さん……? って、センさん!」
鳥さんの頭には、薄紫の長い髪をはためかせたセンさんがいる! 羽の影に、小柄な人影が見える。奥さんのディーバさんだろうか。
私がいるバルコニーに飛び移ってこようとしたセンさん。私より師匠の怪我を治してもらわないと!
「センさん、私より、ししょーが大変です! お願い! ししょーを、助けて! 死なせないで!」
自分でもびっくりするほど、鋭い声が出ていた。
おかげで非常事態が伝わったのか。センさんは鳥の頭をヒト撫ですると、華麗に飛び降りていった。奥さんを抱えて。
よかった。回復玉とセンさんの魔法があれば、師匠の傷はすぐさま治るはずだ。
「ぐっ……」
ふっと意識を失いそうになった。けれど、メトゥスのうめき声に引き戻される。
そうだ。安心してる暇はない。メトゥスから離れないと、殺されてしまう。冷静ぶっている人ほど、切れ具合は狂人的というのはセオリーだ。
幸い、メトゥスは頭を抱えしゃがみ込んでいる。もしかしたら、鳥さんの咆哮は、強い魔力がある人ほど絶大な効果がある、魔法だったのかも。
「ししょー」
ベランダ下を見ると、眩い光が溢れていた。センさんの周囲には、たくさんの魔法陣が浮かび上がっていて、神秘的な光景だ。
「見とれてる、ない。逃げないと!」
体中の傷も、捻った足も痛いけど。死んでしまうかもしれない危機だ。
それに、傀儡の時とは違って、すぐ傍に師匠たちがいてくれる。心強いったらありゃしない。私一人じゃない。大好きな人たちの言葉と気持ちが届く距離にいてくれる。それがどれほど力強いか。
少しでもメトゥスから離れておかないと。ぐっと膝に力をいれると、なんかと立ち上がれた。心と体がいまいちマッチしていないようにも感じられるが。人間、こんなもんだと気合だけは入れておこう。
「このっ召喚獣ごときがぁ‼ あの召喚獣のように、己の世界に戻れないようにしてさしあげましょう! まぁ、召喚獣ごときに、感情などはないでしょうから、報復にさえなりませんでしょうけれどっ‼」
「メー、落ち着く。多勢に無勢。あなたは、圧倒的に不利」
ともすれば、メトゥスが練っている魔法の音にかき消されそうな……。けれど、静かなのに、どうしてか、しっかりと耳に届いた女性の声。姿はよく見えないけど、ディーバさんだよね。っていうか、メーって。羊かい。
そっそれより。あの召喚獣って、きっと、ううん、間違いなく。私の世界にきた召喚獣を指している。自分の世界に戻れないという言葉に、何故か胸を締め付けられた。悲しいくらい苦しんで、まるで戻りたいと泣いていたように見えた召喚獣の姿が、ありありと思い出される。
「やめてっ!」
鳥さんに向けているメトゥスの腕に飛びつく。
って、めちゃくちゃ電流が流れてきて痛い! すごく痛いけど、抑えられているのだ。離す訳にはいかない。
「自分の勝手な気持ちで、戻すとか、戻さないとか、していいことない! あの召喚獣だって、泣いてた! 痛いって、悲しいって、涙流してたの、私は知ってる!」
「異物は偽善者でもあるのですか。あぁ、胸糞悪い。召喚獣など命とも呼べぬ存在に情けをかけて、ウィータの気を引きたいのですか?」
かっと頭に血が上った。気がつけば、メトゥスの腕に噛みついていた。
とたん、激しい電流に呼吸が止まりかける。彼の魔法だろう。それでも、私は知っているからちゃんと否定しないといけない。
「きれいごとじゃない! だって! 私だって、家族だって、確かに、犠牲者だ! だれが首謀者であれ、私の世界で、たくさんの命、奪われた事実は、変わらない‼」
息を飲んだのはだれか。小さくて可愛い息であり、メトゥス以外の存在でもあった。おそらく、私とメトゥス以外だと思う。みんな、本当に残酷なのに優しいから。
メトゥスの腕をありったけの力で捻る。
「得体の知れない存在に、幸せな日常、壊された! 怖くて、憎かった!」
「ならば、なぜ心を闇に染めないのですか。いや、染まらないはずがない。その心、私があばいてや――」
「それでも、私は、知ってしまったの!」
いっそのこと、異世界まるごと憎んでしまえたら楽だと思った。逆に自分だけが巻き込まれたなら、気楽になれたと思う。
でも、私は違う。違うから、お互いに気楽な関係じゃないから今があると思う。色んな感情を私は知った。たくさんの人を想う形を知った。師匠を通じて。
「召喚獣の涙、浴びた私は、知ってる! あの子が、自分の世界戻りたいって、子どもみたいに、ただ泣いていたのを! この世界にきたばかりの、私と、一緒!」
私の世界では驚異の存在だった召喚獣。だから銃を打ち込んだおじさんを責める気はない。
そう思えるのは、自分が異物である世界でありったけの優しさを貰えたからだ。単純な優しさじゃない。厳しさもあって、気遣いもあって、当たり前の感情があったから。
「だから、わかるの。あの子は、本当は、だれも、傷つけたくなかった、っていうのも!」
私を巻き込んでごめんなさいって、心の底から謝ってきていたのも受け入れられる。今なら。降り注いできた涙が、全てを語っていた。あの子は、一番の犠牲者だ。
私だけじゃない。あの召喚獣は巻き込まれてなお私を追ってきたあの子たちを――あれ? あの子は誰のために泣いたのだっけ。
「くだらないっ! 異物は所詮、異物!」
メトゥスの怒号にはっとなる。私が今気に留めるべきはメトゥスだ。
呆けていた師匠にも私の意志が伝わったのか、立ち上がって魔法杖を生成し始めた。良かった! そこまで回復したんだね! さすが師匠大好きセンさん!
「アニム、無茶はするな! すぐ、いく!」
「あの召喚獣を手にかけるより、先――いえ、過去を塗り替えるのも一興ですね。ソレを奪っておきましょう」
メトゥスが魔法を消したのにほっとしたのも束の間。空いた手が私のコートを掴んでいました。襟を持ち上げられ、ぐっと喉が詰まる。苦しい。掴んでいる腕を叩いても、ぴくりともしない。
息が止まる。喉が締まった直後。
「やっ!」
飛び散ったのは外套のボタン。ずっ、と。落ちた体から外套が抜けていった。露わになった首や胸に冷風が吹き付ける。
大丈夫、大丈夫なんだから! ただ、コートを脱がされただけ。ちょっと前の状態に戻っただけだもの。
「貧相ながらに、まぁ、慰み程度にはなる体つきはしていますね」
メトゥスが愉快そうに、いやらしい笑みを浮かべた。
そして私の外套を完全に剥ぎ取り、師匠たちの方へ投げ捨てた。




