引き篭り師弟と、不吉な訪問者18―勝手に消えようとしないで―
ブラが丸見えになっているけど、恥じらっている暇はない。露わになった肌がみるみる赤みというか橙色っぽくなっているので、寒いはずだ。なのに、恐怖からか雪が触れても何も感じない。
問題は、メトゥスが大事なネックレスを引きちぎろうとしている事実だ。
「アニム! 大丈夫だ、すぐに助ける! メトゥス、オレへの攻撃はともかくアニムには指一本触れるな!」
「アニムちゃん! メトゥス、あんた! 乙女の柔肌を冷気にさらしてんじゃないわよ!」
師匠とラスターさんの怒声が重なった。二人の声が届いて、耳の感覚が戻った。じわじわと指先が凍って震えてしまう。安心している場合じゃないのに。
手摺りの隙間から、師匠が作り出した氷が見える。が、メトゥスが私のネックレスを掴んで密着状態なので、発動は出来ないようだ。
必死にメトゥスの手首に爪を立てるものの、先ほどと同じく全く効果はない。
「当の本人は恥じらいもないようですよ? 希少な宝石を守るのに必死で」
「私だって、嫌ですよ! 師匠以外の、男の人に、見られるなんて、死ぬほど嫌! でも、これは、渡せない!」
このネックレスだけは渡しちゃいけない! 私の命とこの世界を繋げてくれる石であり、師匠からの初めての贈り物! 結界の外に出られると言われてからも、これだけは絶対に肌身離さず持っているように釘をさされている。
ぐっとチェーンごと引き上げられ、成す術もない自分に歯が軋む。
「虫けらのくせに手間をかけないでくださいよ」
メトゥスの反対の指がブラの端に触れる。メトゥスは面倒だと口にする割に、とても楽しそうに笑っている。私の体なんて殴れば簡単に吹き飛ぶのをわかっているくせに!
ふわりと頬を撫でた風。けれど、冷たくはなくって、春風のようにあたたかい。
「はっ! 目障りな精霊ですね!」
半分閉じかけた目を開くと、桃色の薄い服を纏った小さな精霊たちがメトゥスの腕にしがみついていた。
センさん? ディーバさん? どちらにしても、ちっちゃな精霊さんたちが加勢してくれてる。私だって耐えなきゃ!
「アニム!」
浮遊魔法で現れた師匠。魔法杖から氷の針が放たれた瞬間、メトゥスが私を前に突き飛ばした。一本でもメトゥスに当たれば良い!
ぎゅっと瞼を閉じると――。
「フィーニス、フィーネ! もういいぞ、こい!」
「うにゃー‼ おまかせ!」
甘くて可愛い声が、すぐ傍で聞こえた。あぁ、良かった! 無事だったんだ!
私の前に現れたのは、フィーネとフィーニス! 二人は小さな身体をめいいっぱい伸ばして、魔法陣を紡いでいく。
「よし! アニムも二人をしっかり抱いてろ!」
師匠が叫ぶのと同時に、氷魔法は二人の前でふっと消えた。
振り向いた先、フィーネとフィーニスの魔法陣を通過したように、氷の針が再び現れる! そのままの勢いで、メトゥスに突き刺さった!
「うなな、うなにゃー、なうー!」
二人は、なおも短い両手をぶんぶんと振る。まるで繭のように重なっていく魔法陣。
無我夢中でひたすら守護魔法を生み出していく二人に、掌で包むようにそっと触れる。逆立っていた毛が、へたりと柔らかくなった。
ぴたりと動きを止めた二人に微笑みかける。
「フィーネ、フィーニス。ありがと」
ぶわっと涙が溢れ出てきた。あれ⁉ むしろ私が泣くところじゃ!
応えるより早く、フィーネとフィーニスが飛びついてきた。すり寄ってくれたり、ぺろぺろ舐めてくれたり、てしてし撫でてくれたりとせわしない。ふわっとした毛にくしゃみが飛び出てしまう。鼻血が飛んだと思った直後、肉球がふにっと触れて意味がなくなった。
「あにむちゃー! おちょくなってごめんにゃしゃーい! 鳥しゃんといっちょにきたでちゅけど、ありゅじちゃまのおけが、治すおてちゅだいしてたのでしゅ!」
「あにみゅも怪我いっぱいにゃ! 顔もなみだと鼻血でべちょべちょぐちゃぐちゃなのじゃ。怖かったのぞ? ふぃーにすたちが来たから、もうだいじょーぶじゃ!」
お菓子みたいな甘い香りに全身の力が抜けていく。
二人の背中に掌を添えると、あまりの熱で急激に自分が凍えていたのを実感した。でも、とくんどくんと響いてくる鼓動に、寒さなんて吹っ飛んでいく。激しいのに優しい音。
「ふたりこそ、無事でよかった。傀儡みたいなのに、意地悪されてなかった?」
「あい! ふぃーねたち、ヘンテコな魔法感じて、しゅぐ湖から戻ってきたでしゅけど、おうちの周り、真っ暗闇で近づけなかったにょ」
「闇の壁を叩いてたら、せんたちが、ふぃーにすたちに気がついてくれたのじゃ。したら、鳥が飛び出してきて、ふぃーにすたち乗せてくれたのぞ!」
私から離れた二人は、丸っこい体をめいいっぱい動かしながら、身振り手振りで説明してくれる。さっきまでの恐怖が嘘のように、ほぐれていく。
目の前でくるくる回っている二人を再び抱き寄せると、愛らしく鳴いて頬ずりをくれた。ふわぁ、もちもち。お腹が小さくきゅるっとなった。子猫たちはいつでも子猫ずだ。
「はっ! あにみゅ、のんきにくっちゅいてる場合ないのぞ!」
ぷんすこ叩いてきたのは、フィーニス。尻尾は絡みついたままなので、照れてるのだとわかる。にへらと笑うと、おひげまで跳ね始めちゃった。
確かに。一気に安心してしまったが、外は魔法ぶつかりあう音がすごいね。
「めとぅすとあるじちゃま、戦ってるでしゅの」
「あにみゅ、心配するないのぞ! めとぅすの魔力、どんどん弱くなってるのじゃ」
魔法陣の繭が白濁になっているので、師匠の様子は見えない。
魔法陣に耳をあてると、確かに爆発音などの回数が減ってきているようだった。
「よかった! ししょー、本調子に、戻ってるんだね!」
「なのぞ。せんとでぃーばが、ぱぱっとなおしちゃったのじゃ! ありゅじは、元気ぴんぴんにゃ!」
「おふたりは、じぶんの血を魔法粒子にちて、あるじちゃまにあげられるんでしゅって!」
そっか、そっか! 良かった。本当に良かった。
両手を握っても、すぐ傍から体から力が抜けてしまう。今になって手が震えて止まらない。
「……ねぇ。あにむちゃ」
繭の外を睨んでいるフィーニス。その隣にいたフィーネが、膝におずっと両手を乗せてきた。じっと、真剣な眼差しを向けてくる。
先ほどまでの雰囲気とは打って変わって、寂し気な呼びかけだ。出来るだけ静かな手つきで耳をくすぐる。フィーネはくふっと笑ってくれるものの、すぐにいつも以上に耳を垂らしてしまう。
「どーしたの、フィーネ」
「あのね、しゃっき、めとぅすがいっちぇた、召喚獣のおはなち」
召喚獣? えっと。あの鳥さんではなく、私を巻き込んだ方かな?
それにしたって、どうしてフィーネが気にするのだろうか。メトゥスが召喚獣を消すと言い放ったのが、フィーネを怖がらせちゃったのか。それとも、私の口から戻るとか戻らないとか出たのが、また不安を煽ってしまったのかも?
「うん?」
「あにむちゃ、ほんとうに、嫌いじゃにゃい?」
「嫌い、ではないよ。思うところは、色々あるけど。さっき、言ったのに、嘘はないよ。あの子も、私と同じ、犠牲者。本当は、だれも、傷つけたくなかったは、知ってしまっている」
瞼を閉じると、全身に浴びた想いがありありと思い出せる。冷たいも熱いも、苦しいも全部。自分の感情みたいに蘇ってくる。
それに矛盾しているようだけど、あの子の涙を浴びていなかったら、私はすぐに死んでいた。あの光たちも消えて――って、光?
「じゃあ、うまれてこなければ、よかったのには、ないない?」
記憶の海に沈みそうになった私を引き戻したのは、フィーネの消えそうな呟きだった。聞いたことがないような声に目を見開いてしまう。
フィーネはあまりにも静かでまっすぐな瞳を向けてきている。いつもなら、鏡写しになるのに。
だから、ほつりと吐息が零れた。
「うん」
一言。自分でも思いのほか、すんなりと落ちた返事だった。
どうしてだろう。否定するのは簡単だし、私には否定する権利はあると思うのだ。
けれど、それだけは絶対にしたくないと胸が痛んだ。それと同時、素直に応えたのに、息が詰まってむせてしまった。
「あにむちゃ」
それでも、珍しく遠慮がちに擦り寄るフィーネの方が大事だ。両脇を抱えて抱き上げても、フィーネは目を潤ませるだけ。いつものおませな饒舌は影を潜めている。
鼻先をこすり合わせる。湿った小さい鼻。大きなブルームーンストーンみたいな大きな目に映った自分のは、ボブのゆるふわパーマの女子大生のころの自分で――。
「まゆ、壊れるのぞ!」
フィーニスの叫びに、意識が戻る。
繭のてっぺんに大きな皹が入っている! そのままガラスのように飛び散った魔法陣。きらきらと落ちてくる光に視界が細くなる。が、本物のガラスとは違い、魔法の欠片は、すっと消える。
「こい、メトゥス!」
目の前にメトゥスがいても叫ばないように、きゅっと唇をきつく結んで構える。
が……開けた視界には、だれもいなかったよ。
「あにみゅ、あっちにゃぞ!」
「あるじちゃま、がんばれー!」
なっなんて間抜けな。部屋の方に向けていた体を、慌てて方向転換させると。ベランダに座り込んでいるメトゥスと、宙で片膝をついている師匠がいた。膠着状態だ。
よかった! ベランダが広くて良かった! 近くにいたら、心肺停止してたよ! 師匠が、私やフィーネたちの傍にメトゥスを落とすとも思えないけど。
「ししょー、きらきら、綺麗。私、ほんと、ししょーの魔法、かかってるのかも。けど、とっても幸せな、魔法」
薄暗い闇の中で、いつものように生命力溢れる魔法に包まれている師匠。
あまりのかっこよさに、ほぅと見惚れてしまう。綺麗なきらめきを流している髪も、静かな熱を感じる空気も。全部が心臓を鷲づかみにしてくる。
大好きだなって思う隣り合わせで、私なんかが想いを寄せて良い相手なのかなと切なくなる瞬間だ。
「しまった! 子猫たちの守護魔法に、オレの魔力は強すぎたか!」
私たちに気がついた師匠が、げっと表情を崩した。一気に現実に戻って、あぁ師匠だって実感できる反応だ。
「うな! あるじちゃま、ごめんにゃしゃーい!」
「いや、お前らが気に病む必要はねぇ。色んな魔力が入り乱れすぎて、お前らの存在値じゃ影響を受けすぎてんだ。オレの調整が甘かった」
こんなに様々な魔力が入り乱れる中、二人が魔法を使うことはないものね。
とりあえず、逃げよう!
しんしんと雪が降る静かな空気の中、より張り詰めた空気が肌に染みてくる。あたりを見渡せば、闇も薄れていつもの水晶の森の風景に戻っている。
「くそっ!」
師匠がこちらに魔法をかけようとするものの、飛び上がったメトゥスに阻まれてしまっている。メトゥスも相当な魔法の使い手なのは、師匠の苦戦具合からわかる。
「フィーネ、フィーニス。とにもかくにも、ここから離れよう!」
「なのじゃ! らすたーたちのところに、行くのぞ!」
手摺りから身を乗り出した先には、小さな魔法陣を取り囲んで祈りを捧げるように魔法を使役している皆さんがいた。魔法陣の中心に座っているのは、センさんの奥さんと思われるディーバさん。
ディーバさんは銀色の長い髪をふわりと広げ、小柄な体の膝に回復玉を乗せているようだ。元精霊さんというディーバさんは、回復魔法に長けているらしい。どこまでも澄んだ空気を纏っている――いえ、ディーバさんは、澄みという単語そのものみたいだ。
「ディーバさん、魔法使って、からだ、大丈夫なのかな」
「でぃーばしゃん、魔法玉ちゅかって、遠くからあるじちゃまのおけが、治してりゅの。しゅごい魔力なにょでしゅ」
「んな。にゃんで今まで出歩けにゃかったのか不思議なくらい、確固たる存在値なのぞ」
そういえば。ディーバさんがここに来れなかった理由って、具体的には教えられていない。動けない、とだけ教えられていた。
「奥さん至上主義のセンさん、連れてきたくらいだもの。無茶な状態ではない思うけど、それでも心配だね」
「あい。あちょね、でぃーばしゃんの近くいると、ふわーってむずむずって、ふにふになるのでしゅよ」
よっよくわからないけど、またたび効果みたいな感じだろうか。
ぐっと手摺りを掴んだ私に気がついたラスターさんが、笑顔で片手を振ってくれた。
「アニムちゃん! 今、行くわ! ウィータの治療は、ディーバたちに任せたわよ!」
「ラスはすぐにメーを刺激するから、よけい、危険なのよ」
「ディーバの言うとおりだよ。まったく、ラスターってばアニムのことばっかり考えて熱くなるのは、ウィータと良い勝負なんだからさ」
風にのって聞こえてきた会話。ホーラさんはどこにいったのかな。
視線を右往左往させると、召喚獣の鳥さんに寄り添っている姿が見えた。なんだか呼吸が荒い気がする。華奢な体を上下に大きく動かして、ひっきりなしに白い息が零れている。龍の召喚獣が強制的に消された影響?
「ちょろちょろと、目障りですね。ウィータが貴女などを気にかけて、全力で魔法を使えないなど非常につまらない」
ベランダよりやや下。師匠とシャボン玉同士で押し合いしているメトゥスの瞳に怒りの色が滲んだ。
「ししょーたちにだけ、面目ない、謝るですよ!」
はっ! 私も刺激するようなこと言っちゃった! 普段から思ったことを口にしている影響だ!
フィーネたちを肩に乗せて、逃げる用意をする。とはいえ、回れ右をしても崩れた廊下が退路を塞いでいる。ということは――。
「耳障りな!」
「そら、てめぇだよ!」
メトゥスが放った魔法が、顔面横、数センチの空気を裂いた。
けれど、師匠がメトゥスを吹っ飛ばしてくれたようだ。メトゥスは壁にめりこんで、うめき声をあげているじゃないか。チャンス!
手摺りに足をかけ、思い切り蹴ってやる。ちょうど良い位置に浮いている師匠に向かってダイブだ!
「ししょー!」
「ちょっ! アニム‼ 無謀すぎるだ――」
「ししょー! お願いです、受け止めてね!」
堪らなく怖い。縄なしバンジーとか有り得ない。
それでも、私の行動を見越した師匠が腕を広げてくれるから。目をしっかり開けて、必死で両腕を広げる。師匠なら、絶対助けてくれる。
「――っ!」
ぎゅうっと力の限り抱き留められた。
大きな衝撃がなかったので、師匠が受け止める直前に浮遊魔法をかけてくれたのかもしれない。ほら、ちゃんと師匠は受け止めてくれた。
「ししょー! よかった、あったかい!」
伝わった温度が嬉しくて堪らない。落下する中、師匠の胸に顔を埋めて背中を掴む。
すごく大きな心音が耳から流れ込んでくる。
「ししょー、ししょー!」
次に目を開けた時には、地面に着地していた。ほっとして、師匠の背中をさらにきつく握ると、肩を押されてしまった。
泣き出しそうな師匠を目の前に、世界が真っ白になる。口を開くより先に、足元に投げてあった外套を俊敏にかけてくれた。丸見えのブラが隠れるように、律義にボタンまで留めて。
「アニム。こんなに傷が……それに、色々怖かったろ」
師匠は瞳を潤したまま、回復魔法をかけてくれた。それも、傀儡につけられた傷を治癒してくれた際よりも、より強力なモノのようだ。あたたかい光に包まれたかと思うと、瞬く間に痛みも傷も消えた。
顔中触ってくる師匠の手との間にべたつきもないので、涙も鼻血も取れたみたい。
「オレが油断したばかりに、悪かった」
私といえば、大きく頭を振るという意思表示しか出来ない。
それでも、ほっと肩を落とした師匠。真っ青になっている師匠の頬に指を滑らせると、見た目に違わず、とても冷えていました。血が通っていないと錯覚するほどだ。受け止めてくれた時は熱いとさえ感じたのに。
「ししょーこそ、けがっ! 傷、ひらいてない⁈」
焦りの声があがった。が、返事より先に息が止まるほどの力で抱きしめられた。
覆いかぶさるように腕に閉じ込められ、全身が軋んだ。頭を引き寄せている師匠の掌は、わずかに震えている。違う。震えているのが伝わってくるということは、感じている以上なのだろう。
「って‼ ししょー、結構、本気で、痛い! 肋骨が! 肺が、つぶれるです!」
カエルを潰したような悲鳴があがるかと、喉が絞まった一秒後。師匠から離れてくれた。解放してくれたのは良いのだけど、師匠の目つきに思考が凍りついた。
「バカやろう! オレが受け止めなかったら、大怪我どころじゃ済まなかったんだぞ! 水晶の地面に激突したら、どうなるかぐらい想像つくだろうが!」
「しっ下に雪、積もってるし。二階だし、メトゥスに魔法喰らうより、なんとかなるかなって」
「まぁ、正論だよね。状況も状況だったし、アニムの判断はあながち間違いではないよね」
経験上、センの援護射撃ぽい補足は絶対にフォローじゃないって知っている。小娘の正論の奥になにがあるのか突きつける厳しさだ。
センさんの言葉の続きは、今ならわかる。続きに『僕たちがいるのだから、もっと冷静になれば最適な解決方法はあったよね』と聞こえた。
「……はい、すみませんです。私が、浅はかでした。あの隙に、メトゥスが攻撃してきたら、ししょーは全力で、戦えませんでした。みなさんにも――最近まで、体調すぐれなかったディーバさんにも、危険及んだです」
項垂れてスカートを握る。情けない。私は本当にその場限りの対応しかできない。
その手に子猫たちが乗り上げてくれるが、それが余計に胸を締め付けるのだ。大きく振られる顔に反応できないのだ。口を開けば、あまりの申し訳なさに泣いてしまいそうだから。
数秒の沈黙が空間を支配する。耳鳴りだけが響く。
「……アニムの中で、センがどんな立ち位置だったのか即座にわかったのよ」
「僕の可愛い花。後でたっぷりと説明させてね。ほら、僕はアニムのお兄ちゃん的立ち位置だからさ」
沈黙を壊したのは、ディーバさんの盛大な溜息とセンさんの珍しい汗だった。
すんと鼻が鳴る。私、また的外れな捉え方をしてしまったのだろうか。正解と言うように、師匠にぐっと顔を掴まれた。
「そうじゃねぇだろうが!」
あぁ、師匠のこんな顔は初めて見たかもしれない。きっと、いつもは私がするやつだ。イベントごとや風習や。様々な文化の違いの中、価値観の違いに突っ込みを入れるやつ。
私は怒る程の内容じゃないので、拗ねることはあっても声を荒げて怒ることはない。師匠も同じだ。
だからこそ、師匠が初めて見せた――伝わらない苦みと悲しみをぐちゃぐちゃに混ぜた得体の知れない色に戸惑うしかない。
「どうして、お前は周りのことばかり気にかけるんだよ! そうじゃない。オレは――オレたちはお前自身が……」
師匠が言葉を飲んだのは、私が予想外だと固まったせいだろう。
わかる。わかるのに、感情が追い付かないのだ。いつまでたっても、言葉がないと自分の勘違いだと考えてしまうほど、私は恵まれているから。恵まれすぎているから。
師匠の手に指を絡める。続きを聞きたい。彼はそれを私の返事だって受け止めてくれて、口を開く。
「お前自身が大事なんだよ。治癒する隙もなく、アニムが。アニムが……息絶えちまったら、オレにだってどうしようもねぇ! 死人を蘇らせることは不可能なんだ」
「うん――うん、そうだね」
死人は蘇らない。その言葉に、どうしてか涙が込み上げてくる。当然の摂理なのに。
「異世界に戻ってしまった魂だって、よしんば引き戻せたって、それはもう、今、想いを通わせているお前っていう存在じゃないんだぞ! メトゥスにどこまで聞かされたかは知らねぇが、お前はお前しかいないんだ!」
あほアニムじゃなくって、師匠が本気で私を怒ってる。こんなに真剣に怒られたのは、初めてだ。あまりの語気に頭が真っ白になる。師匠に見放されたとか、呆れられたとか。考える余裕もなく、ただ目の前の師匠から視線を外せない。
師匠はただ怒鳴りつけたのではなく、さっきよりも一層泣き出しそうなのだ。
停止した思考の中、『お前はお前しかいない』という声が胸を抉る。
「怖いんだ。アニムが消えてしまうのが」
「わっ私は、勝手になんて――」
「アニム自身のことじゃなんだよ。お前がそうするのはわかっている。ただ、突然オレの目の前に現れた時みたいに、オレの手が届かない時がくるのが怖いんだ。お願いだから、引き留める間もなくいなくならないでくれ」
耳元で囁かれたのは、風にかき消されそうな声。掠れた音なのに、心臓を一突きにされた。
師匠に首元へ擦り寄られて、堪らなく泣きたくなった。だって、あの師匠が震えてる。震えている師匠の背中を思い切り掴むと、ぴくりと体が跳ねた。そうしてすぐに、唇が後ろ首に触れた。触れている時には必ずと言っていいほど熱をくれるのに。氷を突きつけられているみたいに、冷たい。
「――っ、ししょー!」
私が考えてるよりずっと、師匠は私の存在について悩んでくれてたんだ。私が理解しているよりもっと、私の存在は不安定だったのだろう。私を召喚した本人の師匠だから、大魔法使いと称されている師匠だからこそ、怯えてくれていた。きっと、いくつものサインは師匠から発せられていたのだ。




