引き篭り師弟と、不吉な訪問者4―すれ違う言葉と隣り合わせの想い―
響き渡った師匠の声に、くらくらしてしまう。
距離をとろうと体を引くと、すぐさま抱き寄せられてしまった。みっ密着しすぎて胸がつぶれて痛いのですが!
そんな私の内心など知らず。師匠はナイフのような目つきで魔法映像を睨んでいる。
「ほら、早く行け!」
「はーい、はいなのですよー」
まぁ、睨まれているホーラさんは、ものすっごく素敵な笑顔なのだが。ちなみにラスターさんはホーラさんの後ろに隠れてしまっている。もちろん、大きさの問題で全く隠れてない。
「八つ当たりだわ! アニムちゃんの口から根深いとか言われて、情けなくなっちゃったのかしら! 純真無垢に疑問をぶつける子猫ちゃんたちがこの場にいないのが残念だわよ!」
「ラスター、お前覚えていろよ。大体、子猫たちはともかく、アニムが今のやり取りの真意を理解したところで、落ち込むのはお前だろうが」
ふんっと。可愛い調子で鼻を鳴らしたのは師匠。とんでもないしたり顔。どや顔だ。
私の口からって……私、師匠がへこむような内容の発言しましたかね。
「つまりは、どーいう意味合いで、私、狙われてるの?」
師匠の襟元を軽く引っ張ってみる。っていうか、師匠。はっとしたってことは、完全に私の存在忘れてたでしょ。
「あたしが答えて、あ・げ・る!」
「その喉焼き切ってやるぞ!」
「アニムちゃんはね、たった一人、ウィータがあいし――」
ラスターさんがなにやら肝心な単語を言いかけたところで、魔法映像が消されてしまった。しかも、激しく電気を発しながら。
結局、私がメトゥスさんに狙われる明確な理由はわからないままだ。
しんと静まり返った空気の中、師匠の荒い呼吸と雨音だけが耳に入ってくる。窓の外を見なければ、いつもとなんら変わらない日常。
「ったく。緊張感のねぇ奴らだな。アニム、とにかく地下に行くぞ」
腰を引き寄せられ、私も師匠の腰へ腕をまわす。
いつもよりちょっとあたたかく感じられる師匠の体温。瞼を閉じると、再び、辞書に挟まれていたメモが浮かんできてしまった。雨音も、あの文字を鮮明にする。
えもいわれぬ恐怖がわきあがってきて。口を動かしていないと、不安に飲み込まれてしまいそうだ。
「ししょーは、ラスターさん、言いかけてたの、想像ついた? メトゥスさんが、私狙う理由、みなさんは、知ってるのかな」
「……ラスターは傀儡事件の際、直接メトゥスから聞いてやがるからな。ホーラは……あいつは、まぁ、聡いから。つーか、メトゥスに敬称なんざ付けなくて良い」
相変わらず、師匠ってば自分が隠したい部分があることには明確な返答をくれない。
家の中だからだろう。小さな魔法陣が現れてすぐ、転位が完了した。
足をついたのは、地下一階の大広間。大理石に直接魔法陣が刻まれた場所は、余計なモノは一切置かれていない。薄暗い空間には、花を模った大き目のランプが数個、灯りをともしているだけ。だけど、師匠が魔法杖を床に打ち付けると、床の魔法陣が一気に光を立ち昇らせたので視界は充分にクリアになった。
私が気にしているのは、視界よりも――。
「あっあの、ししょー、この体勢は、イッタイ」
「少しの間だけ黙っていろ」
「うい」
頭上から降ってきた低い声に押され、素直に頷くしかない。
魔法陣の中心に立っている師匠は両腕を前に突き出している。手には杖が握られ、魔法陣の真ん中と触れ合っている杖先では水音が鳴る。
神秘的な光景に、ほうっとなる。でも、私、師匠の前に立たされます。しかも、師匠の腕に挟まれているというか、師匠の腕に胸がのっているというか。とにかく、背中からも横からも師匠の体温が流れ込んでてきていて、物凄く恥ずかしい。
私が一人混乱している中、大広間は宇宙空間に変化した。足元の床もなくなったかのような感覚に、あっと声があがってしまった。実際、不思議な浮遊感に襲われた。
「大丈夫だ、アニム。オレが触れている限り、落ちていったり飛んでいったりはしねぇから」
「ししょーから、離れたら、まっさかさま?!」
「おぅ。だから大人しくしてろ」
ちょっと愉快そうな調子で笑う師匠が恨めしい。師匠が私を離すとは考えにくいけれど、大人しく従っておこう。
前に突き出されていた片方の腕が腹部に回ってくると、自然と力が抜けていった。後ろに体重をかけると、その分だけ師匠の腕も距離を縮めてくれる。
あぁ。当たり前のように思える仕草が、たまらなく切ない。これは、『私』が受けて良い幸せなのだろうか。
「ここは、一番安全かな」
師匠の腕の中だから、なんて乙女的発想は当然のごとく師匠には通じない。
軽く頭を振ったのだろう。後頭部がくすぐったい。
「いや。結界が正常ならまだしも、メトゥスが内側にきちまっている以上、場所が特定されるのも時間の問題だろう。それに、この程度の空間魔法なら、あっさりと適応してきやがる実力はある奴だ」
夢の中、カローラさんに見せられた過去が思い出される。
そうだ。メトゥスという人は、どこかに閉じ込められながらも、異世界に飛んでしまった召喚獣を回収する師匠の邪魔をしたんだよね。
異世界である私の世界にまで魔力を送り込んで、あまつさえ召喚獣を弄んだ人。
本当に一体全体、何がしたいのか。
辞書のこと。師匠が失敗した召喚のこと。それに――今回の一件にも、『アニムさん』が絡んでいるのかな。
聞きたい謎は山ほどあるのに、何一つ師匠に尋ねられない。
師匠のことは信じている。この世界の誰よりも。なら、何故聞けないのか。私はみっともなく取り乱したり、自分が傷ついたりするのが嫌なだけ?
だから結局、何一つ進展させられないんだろうな。
「ったく。悲壮感漂わせてんじゃねぇって。大魔法使いウィータ様が守ってやってんだから、もっと肩の力抜けよ。それとも、オレじゃ不満か? 弟子に疑われるなんて、お師匠様は落ち込んじまうよなぁ」
「違うよ! ししょー、信頼してる! 世界で一番、頼りにしてる! ししょー、負けるなんて、絶対ない! 私、弟子として、出来ること少ないけど、気持ちだけは――」
痛いところを的確につかれたようで、全身が熱に襲われたのがわかる。
しかも、弟子だなんて……。自分が弟子としてか、はたまた私個人として狙われているのか答えてくれないのに、卑怯だよ。師匠、卑怯だ。
だけど、師匠の顔を見て言えていない私の方が、絶対に卑怯者だ。下に向けた顔だって、ぐちゃぐちゃだもの。
「おっおい、冗談だってば。やっぱり、お前、少しどころか、かなり様子がおかしいぞ? 談話室から部屋に行くまでの短時間に、何があったんだよ」
両手がふさがっているから、項垂れた頭に師匠が寄り添ってくれる。耳をくすぐる慌てた声色に、余計に泣きたくなる。
師匠はすぐに私の迷いを拾ってくれるのに、私たちの不安は堂々巡りで向き合うことはない。
「私、わからないの」
ぎゅっと。おなかにまわされた腕を掴むと、綺麗な袖に皺が寄った。
「もう、なんだか、わからないの。わからない自分に、腹が立って、でも、わからないの。何が、ほんとで、なにを、芯に進めばいいのか。私はだれで、ししょーは、どうして、私を弟子に、したのか。私は、どうなれば、いいの?」
言いたいことだけ言い放つと、溜め息が落ちた。支離滅裂なのは重々承知している。
魔法陣から発せられる鼓膜を揺らす音波に、耳鳴りが起きそうだ。
足元にある真っ暗な空間には、蛍のような星のような小さな光が漂っている。
師匠がこの大きな、どこまでも広がっている強大な魔法陣なら。私はその魔法陣に吸い寄せられている、あの小さくてあっという間に消えてしまいそうな存在の光だ。焦がれて近づいて、いくら心地よい引力と温度に浸っても風が吹けば散って、だれだか判別がつかなくなるんだ。
「だーかーらー。アニムの心を揺らしている大元の原因はなんだっつーの」
「ししょーは、理由がないと、こたえてくれないの? ししょーなら、私なんかの心、手に取るよう、わかるんじゃないの?」
って!! ぞくっと首筋に走った電気に、全身鳥肌がたつ!! 今のシリアスシーンで、首筋にキスされるとか、予想外どころのお話じゃないんですけど! 押さえた首筋には、まだ師匠の唇の感触が残っている。
どくどくと張り裂けそうな心臓は放っておいて。きっと振り返りざまに師匠を睨み上げてやる。が、師匠は悪人顔で笑っているじゃありませんか。
「薄暗い空間で、無防備に首筋晒してやがるアニムが悪いんだからな」
「しょっ、しょーがないでしょ?! 下向いてる。髪、二つに結わってる。露出するは、自然! こんな状態で、よくえろえろししょー、なれる!」
「オレはいつだって、アニムが、欲しいと思っている。全部、手に入れたいなんて、年甲斐もなく考えている。悪いか?」
ひっひぇ! 開き直った!! しかも、悪人面一変で、切なげな瞳なんて……!
暗い中で、師匠のアイスブルーの瞳はより綺麗だ。潤っている瞳に、全てが飲み込まれる。
「うぇ、えっ? えぇ?」
バカみたいに口の開閉を繰り返す私を置いて。師匠の口は小さく呪文を唱え出した。完全に置いてけぼり。ついていけません、私の思考回路。
やっとこさ喉の震えがとまったのは、足元の魔法陣の光線同士、空いた隙間が水面のようになってから。
「……ししょーは、ずるいよ」
おなかを支えていた腕が浮き、一瞬、ぎゃっと肩が跳ねちゃったじゃないですか。でもしっかり足の裏は水面についていた。よかった。
「いつも、一歩手前にいて、するっと私の指先からも、逃げるの。ふいに言葉をくれた、思ったら、またすぐに、どっかに行っちゃう。私が、どれだけ嬉しいかなんて、知ってるくせに。動揺している隙に、どっかに行っちゃう」
振り返り、思いっきり胸元を掴んでやる。勇ましく食いついてみるモノの、目尻には情けない涙が溜まり俯くしかない。ぐっと噛んだ唇。
「ぬかせ。いくらオレが天才だろうが、アニムの気持ちばっかりは全く読めないんだよ」
「うそだ。私、わかりやすいもん」
「お前はわかりやすくて、わかりにくいんだよ! そもそも、掴んだと思ったのに、するりと抜けていくのは、お前だろうが」
心外すぎる。
百歩譲って、師匠に恋している自覚を持つ前なら的外れな言動はしていたかもしれない。けれど、師匠が私の恋心を受け止めてくれてからは真っ向からぶつかっている記憶しかないぞ。
さすがにひどいと、目線だけあげて師匠を睨む。
「あっ。いや。お前の告白は、きちんと受け止めている。言葉以上の想いだって、正直、いい歳して参る位には毎日感じている。だが、そうじゃなくて、つまり、諸々つーか」
額を擦りあわせた状態での師匠の睨みは、かなりの迫力がある。投げやりな口調に反して、頬を撫でてくる手つきは、視界を歪ませるには十分なほど優しいなんて……反則だ。優しくて、どこか臆病なんだもの。こんなに大好きをぶつけているのに、一体何が師匠を不安にさせているのか。私には皆目見当がつかない。
私の心なんて単純なのに。この世界に残るかどうかの不安だって花畑でぶつけたし、大好きだってありったけの想いも伝えた。この世界に残る決心だって、した。
残っているのなんて、『アニムさん』と、ついさっき発見してしまったメモのことだけ。
「ししょーは、想いを、ぶつけてくれないの?」
その溝が要なのではと考えた自分を無視したくて、苦し紛れに詰め寄る。
『わかるだろ』などと一蹴されると思いきや……師匠は風をきる勢いで仰け反った。しかも、見る間に首まで染まっていくじゃないか。耳から湯気でも吹き出るんじゃないかと心配になる様子だ。
「なっ! アニム、お前、言葉を選べよ!」
「言葉、おかしかった? ふつうに、ししょーの言葉と声で、告白ほしいって、口にすれば、よかった?」
慌てて訂正したものの。何かが師匠のツボに入ってしまったようで、真っ赤な顔に睨み付けられてしまっただけだった。
師匠が照れているだけなのはわかる。わかるけど、精神不安定な私はめそりとしてしまう。実際、べそりと背を丸めた私を前に、師匠が盛大に取り乱し始めた。
「この状況でか!? いや、まぁ、メトゥスのことだから、オレがはっきり告げてないのなんて予想の範疇で、そこを攻めてきやがる可能性も高い。って、オレとしては、メトゥス絡みで口にするなんてのは、もっての外だ。だが、アニムが死にそうな様子がオレのせいなら――いや、お前が師匠のって音にしてくれたのなら許されるのか!?」
えーと。私、今すぐとか瞬時にとかは要求してないのですけどね。
師匠が面白いポーズで一歩下がり、腕を組んだかと思うと自分の言葉に頭をぶんぶん振って拳を握り締めていらっしゃいます。たぶん、羞恥と戦ってるんだと思う。襟足からちらちら覗く肌が、鮮やかに染まっている。
最後にはヤンキー座りになって両手を震わせながら「どうする、オレ」って繰り返し出しちゃった。
「あはっ!」
呆気に取られちゃってます、わたくし。同時に、どうしようもない笑いがこみ上げてきた。
「あははっ! ししょーってば!」
「あのな、アニム。えーと、だな」
立ち上がって肩を掴んできた師匠が、あまりにも切羽詰まっていたから。それが引き金となって、ついに大きな笑い声が飛び出してしまった。
だって、だって。つい数分前まで魔法を使役していた師匠は、凜としてかっこよかった。なのに、私の気持ちを考えてくれている師匠は、すごく慌てふためいているんだもん。真剣に、しかも盛大にテレながらも向き合おうとしてくれている。
「ありがと、ししょー。ひとまずだけど、私、大丈夫」
うん。ひとまず――とにかく、メトゥスの件が片付くまでは、辞書や自分の存在については胸にしまっておこう。
大丈夫、こんな師匠だもん。私がちゃんと口にすれば、花畑の時みたいに答えてくれるはず。
「……アニム。お前ってやつは、どーして、そう予想の斜め上を走っていきやがる」
「私、ししょーに関しては、まっすぐ。笑ってるのも、嬉しいから、だよ?」
「いや、その嬉しいってのが意味が不明なんだよ。だが、今はアニムの言葉に甘えておく」
ぼりぼりと後頭部を掻いた師匠に、ちょっとだけ申し訳なった。大丈夫。メトゥスを追い返したら、とことん問い詰めてやるんだから!
打って変わって満面の笑みになっているだろう私の頬を、瞼を落とした師匠が引っ張ってきた。それでも、にやけは止まらない。腕を振り上げて、任せろと自分の胸を叩く。
「甘えられた!」
「……言っておくが、頼りという意味の『甘え』じゃねぇからな」
思ったより低く響いた師匠の声。空気もぴりっと張り詰めた。私を怒っているんじゃない。ソウせざるを得ない自分に苛立っているやつだ。それでも、以前は混ざることがなかった感情を感じた。以前は自分だけを責めるものだった。私を言いくるめているみたいな。
なのに、今はソコに私への苛立ちが混ざっている。『ずるいオレを知っているだろうに』という。だから嬉しくて堪らない。胸が躍ってしょうがないのです。貴方の感情に巻き込んで貰っているって、感じるから。
「例えば――」
自分の唇に一差し指を立てて、にやりと笑ってやる。
「フィーニスとフィーネが、同じことを言ったら、ししょーは『甘えじゃねぇ』って、言いましたか? 受け止めるなオーラ、出しましたか?」
「それは――」
「そーいうことですよ。もちろん、私は純粋な子猫ずないから、弟子として嬉しくても、私としては納得しないし、後でちゃんと、言及するです。それでも、巻き込むいう意味の言葉は、百万力なのですよ!」
どんな意味でも師匠が『甘える』と宣言してくれたのは、涙が出るくらい嬉しいのだ。師匠はちゃんと理解しているのだろうか。自分が放つインパクトを。いや、この人はいつだって自然体だ。人への気遣いは人一倍なのに、己の言動についての対人を考えない不思議な人。
首の後ろを掴んで引き寄せる。唇が触れるだけの口づけを自分からした。さっきはもっと強引にしたにも関わらず、頬が真っ赤になるのがわかった。
きょとんと見下ろしてくる師匠の額をぺしりと叩く。どうして、さっきよりも隙がない様子なのさ。
「よし、ししょー! ラスターさんたち、応援、いくです!」
「あー、はいはい。アニムさんのおっしゃる通りにいたします」
背中を丸めた師匠が可愛くて、ついまた笑い声があがる。眉を跳ね上げた師匠に力強く握られた手を、さらに握り返してやった。




