引き篭り師弟と、謎の傀儡9-頑張る子猫ず-
「いたっ!」
すっとすねを滑った草に、うっかりあがってしまった声。こんなことならロングブーツを履いてくるだった。いや、それを言うならそもそもスカートじゃない方が良かったか。
とりとめのないことを考えてしまうよ。
「あにみゅ、足痛いのぞ? 擦りむいたりしてないかいな?」
フィーニスがよろよろと近づいてくる。フィーニスは灯りの代わりとなってくれている瓶を抱えているのだ。
「だいじょーぶ。ありがとう、フィーニス」
笑って見せても、可愛い眉間に思いっきり皺が寄るだけだ。強がってるのが丸わかりだもんね。
「ちょっと、暗いから、気を付けないとね」
灯り代わりになっている瓶の中では、ゼリー状の花びらが静かな様子でくるくると踊っている。自分の手にある瓶を掲げても、足元を完全に照らすほどではない。
フィーニスたちの魔法を使えば、もうちょっと視界が広がるだろう。でも、傀儡に察知されては本末転倒だ。
「まっくら闇でしゅからね。いつもは根っこ飛び越えて遊ぶには、とっても楽しいのでしゅけど、歩くのは一苦労でしゅ」
「特に一段越えるまでは、ぼこぼこなのじゃ」
そんなわけで、先ほどから樹の根っこにつま先をぶつけまくっている訳でして。果物をたわわに身につけている樹は、これまたのびのびと根を伸ばしている。
森に逃げ込んでから一番の勢いでぶつけた爪先が、未だにじんと痺れている。
「フィーニのが、つらくない?」
だって、小さい体でガラスの瓶を抱えているフィーニスのが、絶対しんどい。
師匠お手製なので、魔力的にはフィーニスたちと相性は良いとは思うけど……。子猫なサイズには、相当な負担だ。
「全然なのぞ! フィーニスは力持ちじゃからにゃ!」
視線に気がついたフィーニスは、ぷいっと身体ごと背けてしまった。
そのままフィーニスを先頭に、静かに進んでいると森の空気が少し変わった。緑の香りから甘い果物のそれが強くなった気がする。
「だいぶ、奥まで、きたかな?」
鬱蒼とした森の中、甘い香りを漂わせている果実を見上げる。
「あかあかの実が増えてきたでしゅけど、泉はもうちょっと先なのでし」
フィーネの言葉通り、ほのかな光でもわかるほど、鮮やかな果実が数を増やしている。
「そっか。じゃあ、もりもり、歩かないとね」
くんと鼻を鳴らしたフィーネを、頭の上にのせる。
前に進み出ようと羽を動かしたフィーニスは強制的に腕に抱いた。
「あにみゅ? フィーニスは元気なのじゃ。まだまだ、へっちゃらなのぞ」
抵抗の意思表示かな。ぴこぴこ羽を動かしたフィーニス。
でも、振り向きつつも、ぐったりと腕に寄りかかってきている。
無意識なのか、羽も桜の花びらサイズに縮んでいる。いつもぱっちりと大きな瞳も、師匠のように半分落ちた瞼が隠してしまっている。
「足元、すごくごつごつしてきた。から、ふたり一緒、照らす、助かるなぁ」
私を見上げて瞬きを繰り返しているフィーニスに微笑みかける。
すると、ようやく、フィーニスは疲労に抵抗して体をあげようとするのをやめた。
片腕にのし掛かる体重に泣きそうになった。
「ありがとう、フィーニス」
肩で息をするフィーニスは聞こえていないようだ。丸まった頭頂部に口を寄せる。
「よし、ばりばり進むよ!」
幸い額を流れる汗は、幸い前髪が隠してくれる。
フィーニスを手に抱えたまま、だるい足を踏み出す。大丈夫。小さな体を無理して動かしてくれた子猫の気持ちに応えたい!
「あにむちゃ、フィーネ重くないでしゅ?」
「うん、ぜんぜん平気! 子猫なフィーネ、かるいかるい! 疲れたよう、見えたら、なでなでしてね!」
「あい!」
見えないのが残念だけど、可愛い声で返事をしてくれたフィーネに和む。
しかも早速、柔らかい肉球を触れてくれちゃうフィーネ。とっても優しい撫で具合だ。
「あっ、ちょっと月明り、差し込んできたね」
フィーニスを胸に抱きながら空を見上げると、重なり合った葉のわずかな隙間から星が見えた。もし、煌く星だけが見えたのなら、静かな夜だと思ったことだろう。
時折、風にのって耳に届く雷魔法の音に、小さな溜め息が落ちる。ウーヌスさん、怪我なんてしてないのを願うばかりだ。
「ちっちゃい崖、のぼるね。フィーネ、捕まっててね」
そうこうしている間に、緩やかな崖が目の前に現れた。ぐるりと周囲を見渡すが、同じような光景が広がっている。無駄な時間はない。どうやらここを昇るしかないらしい。
足をかけると思いの外、しっかりとつま先が埋まった。よかった。昇るのに適した土壌らしい。
「しょこあがったら、ちょっと平らになるでしゅよ」
「滑る土なのぞ。気を付けるのじゃ」
自分が持っている瓶は、ポケットにしまわないとだ。土に手を伸ばしかけて、握っていたものに気がついた。
桃色のリボンを瓶の栓に巻きつける。瓶と同じ素材で作られている栓は、ビー玉型をしている。
瓶の口、きゅっとしぼんだ部分にリボンを巻きつけ、首にぶら下げられるようになった!
「あにむちゃ、しゅごいねー!」
素直に感動してみせたフィーネ。一方、フィーニスには、心配の色が濃い。
「あとで、とっても肩がこりそうなのぞ……」
確かにね! だいぶ首に負担がかかるよ、これ。のちの肩こりより、今の安全だ!
ゆっくりお風呂につかれば、疲れは残らないはず! 若いんだから! ……師匠よりは。
「平気、だよ!」
左の結い紐を解いて、斜め後ろでひとつ結びにすると、首筋が涼しくなった。思いがけない産物だ。
フィーニスには、今度は肩に乗ってもらう。
「ちょっと急だね。落ちないよう、しっかり掴っててね」
「ふぃーねたちがもっと大きくなれたら、あにむちゃ乗せて、お空ひとっとびでしゅのに」
「今のまま、一番!」
どんなに汗を流そうとも、筋肉痛になろうともそこは譲れないよ!
っぱり言い切った私に、フィーネとフィーニスは「んにゃ?」と不思議そうに首を傾げた。
二人を落とさないように崖を慎重にのぼる。
「ふぅ。ちょっと、視界ひらけてるね」
なんとか最後の一踏ん張りで崖を登り切った。何度も滑り落ちかけたけど、なんとか。
小高いからか、吹いてくる風も冷たい。汗ばんだ身体にはちょうど良い涼しさだ。
「あにむちゃ。しょこ右にまがってくだしゃい」
「うん。入り口付近より、広いけど、やっぱり、樹はいっぱい、並んでるね」
「いい匂いなのじゃ。散歩思って歩くのぞ!」
再び腕に抱き直したフィーニスが、一際明るい調子で励ましてくれた。草に足をとられないよう、慎重に進む。
歩くのに集中しなければいけないのに。ふっと、昔のことが思い出された。
「なんか、ちょっと懐かしい、かも」
私が八歳、雪夜が三歳、華菜にいたってはまだ二歳になるかならないかの夏の出来事だ。
「あにみゅ? 怖すぎて、壊れたのぞ?」
フィーニスが可愛い声と仕草で、とんでもない疑問をくれた。
ちょっとまって。そんなに変顔でしたか、私。
せめて慈愛溢れる微笑って評して欲しい。っていうか、実際されたら全力で乗り突っ込みを返すけども。
「壊れてないよ。大丈夫。ちょっとね。昔、ちっちゃかったころ、弟と、迷子なった、思い出したの」
フィーニスはぱっちりしたおめめで瞬きを繰り返してきた。フィーニスは体を捻って私を見上げてくる。その愛らしい横顔に自然と影が出来た。
影の影響か。心なしか、フィーニスとフィーネがいつもより静かに私の言葉を待っているように感じられる。
「私、子どもだったころ。お母さんとお父さん、一ヶ月くらい、離れて暮らしたの。弟と一緒、おじいちゃんとおばあちゃんの、家で」
今でも鮮明に思い出せる、田舎の家の香りとわくわくした高揚感。
弾む声とは反対、頭上から落ちてきたのは小さな吐息だった。フィーネが、しょんぼりとした鳴き声を伴って、頭に擦り寄ってくる。一回ではなく、何度も柔らかい頬が気持ちよくって、おひげがくすぐったい。
「ふぃーね、しっちぇるの。あにむちゃ、おじーしゃまとおばーしゃま、しょれにゆきやちゃといっちょ、楽しかったってこちょ。いいにゃ」
もう一回「いいにゃ」とつぶやいたフィーネ。
反対に、フィーニスはぎょっと目を見開いちゃった。
「ふぃーね、うっしゃい! 余計なこと、言うな! なのじゃ!」
フィーニスが右前足をふってぷんぷこ怒り始める。
私、前にも話したことがあったかな? 二人には寝る前に色々思い出話をしているので、つい何を話したかを忘れてしまいがちだ。
「ふぃーにすのいじわりゅ。ふぃーにすは、いつも、こーいうお話なると、ふぃーねを遮るでしゅ」
「うにゅにゅ! 約束を破ってるのはふぃーねなのじゃ! ふぃーにすは、意地悪ないぞ!」
ついさっきまでは、お互いを気遣っていたはずなんだけど。二人して、ふーと尻尾を逆立ててケンカの姿勢になっちゃってるよ。
フィーネの様子は見えないけれど。
約束ってなんだろう。お話は静かに聞きましょう、的な二人ルールでも作ってるのかな。
「とにかく! あにみゅ、続きなのじゃ!」
フィーネが落ちない程度に首を傾げていると、私のポーズに気がついたフィーニスが慌てたように前足を上下に振り始めた。
あまりの迫力に、私は頷くしかない。
「えっ? あ、うん。それで、地元の子たち、いなかった日。私と雪夜、二人で、山の中ある滝、遊んでた。とても暑い日だったから、涼しげな滝、一層心地よくてね。つい真っ暗なるまで、遊んじゃって、そのまま迷子なったの」
閉じた瞼の裏に映るのは、入道雲と青い空に目を輝かした風景。
風邪をこじらせた華菜が入院して、それにつきっきりだったお母さんの負担にならないよう、私と雪夜は夏休みのほとんどをおじいちゃんとおばあちゃんの家で過ごした。近所の子ともすぐ馴染み、日が暮れるまで思い切り遊んでいた私たち。
幼い頃の体験って、不思議と心に残る。
「迷子なったのになんで笑うのぞ? ふぃーにすとふぃーねは、生まれたばっかの頃、水晶の森わかんなくなってしゅっごく困ったのじゃ」
振り返ったフィーニスが、鼻に皺をつくる。むぎゅっときつく結ばれた口元がすごく可愛い。
雪夜も同じ顔をしていたっけ。一晩くらい野宿大丈夫って笑う私の袖を握って、不安そうに涙ぐんでいた弟。
「でしゅの。まだ長い時間、飛べなかったでしゅから。あるじちゃま、迎えに来てくれなかったら、ぽんぽんすいて、ぐったりでしゅ」
フィーネとフィーニスの空気は、すっかり戻っている。突然ケンカが始まる二人ですが、その分、けろっとするのもあっという間だ。
そういう所も、華菜と雪夜に似ているなぁ。
「あの時は、ししょーも私も、二人帰ってこない、心配したなぁ。今となっては、思いでだけど。それと同じ。雪夜、私より幼かったのに、フィーニスみたく、励ましてくれたなぁって」
フィーニスは照れくさかったのか、ぷいっとそっぽを向いてしまった。
ふと、右の方向から光を感じて顔を動かすと、小さな広場のような場所が見えた。とりあえず、月明かりが降り注いでいる明るい所で、周りを確認しようかな。
回れ右をしたが、思いなおして暗い道へと後ずさっていた。下手に障害物がない位置に立つのは、得策ではないような気がした。
「こっそり、ひっそり、鉄板だよね」
選択肢の切替えを、正解だったというように。開けた地面に、鳥のような影が現れた。
思わず、息を押し殺す。背を樹に密着させて、旋回している影をじっと見つめる。知り合いの鳥さんや師匠が探している可能性も頭をよぎったけど、フィーニスが小さな前足で口を塞いでいる様子や、師匠なら転移魔法で直接私の所へ来てくれるという経験から、淡い期待は打ち消された。




