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引き篭り師弟と、南の森の花畑8―いちと欠片の意味―

 師匠の声はあまりに低く、今まで耳にしたことがないくらいのものだった。触れてはいけない線を越えてしまったのだと、すぐさま理解できた。

 身から出た錆さびとはいえ、動悸が激しくなっていく。それでも、声は形になってくれない。


「アニム」


 私の手を握っている師匠の手に力が込められた。ついでにと、肩口に埋められた顔。

 どくんと跳ねた鼓動は、心地よい物じゃないから顔をあげられない。


「うなぁ」


 あまりに肩を下げたからだろう。首にしがみついていたフィーネとフィーニスが、胸までずり落ちてしまった。そのまま、二人は膝の上にお行儀よく座る。


「なんで、急にあんなこと言い出したんだよ」


 『あんなこと』とは、私が元の世界に戻ったら寂しく思ってくれるのか、という言葉。

 ほんの少し、責める口調で零された声が、胸をぎゅっと締め付けてきた。

 緩む涙腺があまりに自分勝手な自覚はるから、子猫たちを掴んだ手に力が入ってしまった。


「ごめん、なさい。わた、し。だって、わたし。わたし、この世界では、違う存在だから。ししょーは、私、帰る手段、探してるから……平気なのかって。だから、お別れも、当たり前なのかなって」


 ここ最近、師匠との距離が急に近づいた。弟子以外の方面で。

だから師匠は私っていう存在自体を、ちょっとは必要だって思ってくれているって思ってたの。

 なのに、時折、師匠は口にしする。私が帰る術を探しているけれど、まだ見つからないって。それは、まるで夢の終わりがあることを忘れさせないような目覚めの魔法。


「アニム。オレは」


 無責任に涙が零れる。

 だって、師匠は肯定の言葉はくれないのに、見たことがない色を瞳に浮かべて、苦しそうに息をするから。落ちる雫を地面に落とさないようにと、必死に拭ってくれる指があまりにも優しいから。

 だから、余計に涙が溢れてくる。それを受け止めてくれる手を両手で掴むと、師匠の体がびくりと大きく跳ねた。


「ししょー」


 呼べば、あーとかうーとか挙動不審に唸る師匠。

 ただ静かに師匠の腕に指を添え待っていると、睨むような視線を向けられた。でも、怖くない。耳が、頬が真っ赤だから。


「オレは、お前が大切だ」


 やっとという感じで紡がれた音は、それでも、私をほだすには十分な色だった。たった一言なのに、それだけで頬を伝うモノの温度が変わる。

 私は自分がいつか戻らないといけない存在だって認識しながらも、どこかで此処せかいに受け入れて欲しいだなんて願っている。

 胸にくすぶる想いを師匠にぶつける覚悟もないのに、それでも師匠は精いっぱいを返してくれるから……。ほろほろと、頬を転がる雫を止められない。それを拭ってくれる師匠の指に、なおさら、思いが溢れる。


「ししょー、あのね、あのね」

「おぅ」


 平気な口振りと反して、頬を包み込む掌はとても優しい。俯いた額に合わされる額はとんでもなく熱い。全身から、戸惑っている私に、逃げようとしている私に、師匠が体温を寄せてくれているのがわかる。

 ここにいて良いよって。勘違いかもだけど、いてくれって言ってくれてるみたい。


「わたし、だから、わたしは」

「あにみゅ、ふぃーにすが、いっしょぞ」

「あい、ふぃーねだって、あにむちゃにすりすりでし」


 言葉通り、お腹にしがみついてくれる熱い位の体温と柔らかさ。 

 私が勝手に孤独を感じて拗ねる度、私を素直にさせてくれた存在。


「あのね、ししょー。例えば、私、この世界残った、としてね。元の世界の記憶、忘れなきゃいけない、思う? 必要ない、思う?」


 この世界に残ると決めるのに、とても大切な要素のひとつだ。

 師匠は、元の世界の言葉や洋服を封じたりするけど、私の思い出はちゃんと聞いてくれる。自分から聞きだそうとするのはめったにないけど、私が大切に思っている家族の話にだって、耳を傾けてくれる。……複雑そうな顔はお決まりでも。

 ただ、カローラさんが口にした『前の世界の記憶や価値観は必要ない』という言葉が、頭の片隅にこびりついて、不安を煽ってくるのだ。


「話を逸らすなよ」


 じろりと睨まれてすくみあがりつつも、私も負けてはいられない。

 師匠をじっと見つめてやる。


「そらすない。これ、さっきの質問、繋がる」


 いつもよりきつめな口調になってしまった。

 師匠はしばらく押し黙っていたが、ややあって小さく息をもらした。後頭部をかきながら、フィーネとフィーニスを順番に撫でる。ふみゃんと心地よさそうに崩れた二人。そんな子猫たちの頭を、師匠はちょいちょいっと可愛い調子で突っついた。


「フィーニス、フィーネ。お前ら花冠がとれてるぞ?」

「うな⁈」


 二人は、慌てて垂れた耳を後ろから前へと撫でる。てしてしと動く手が可愛い。

 必死にしがみついてきていた二人。私で頭をいっぱいにしてくれて、花冠がとれたことにも気がついていなかったんだね。


「ほんちょだ! ないない!」

「踏みつけてたら大変ぞ!」


 フィーニスとフィーネが勢い良く飛び上がる。小さな花冠は、草に埋もれてしまっているかもしれない。

 二人が私たちから離れたのを確認した後、師匠はが咳払いをした。


「オレが言うのもなんだが、まぁ、必要ないだろ」


 目の前が真っ白になる。

 『必要ない』と、言い辛そうに紡がれた。

 どっどっど、と。心臓から一気に血液が流れ始めて、とんでもない吐き気が襲ってくる。頭を殴られるより強い衝撃。すぱんと、心の神経を切られたよう。


「ひつよう、ないの?」


 涙で視界が歪んでいく。聞いたのは自分なのに、駄目だな。

 俯きかけた顔、その両頬を師匠にぐいっとあげられた。


「アニム、違うって! 言い方が悪かった! 必要ないってのは、忘れる必要がないって意味だ!」


 あぁ、よかった。私、早とちりしすぎだ。

 晴れた視界に映りこんできたのは、この上なく動揺している師匠だっだ。珍しく吹き出ている汗が、師匠のうろたえ具合を表している。

 よほど、私はひどい顔をしているのだろう。真っ青になった師匠が、両頬を包み込んで、目元を拭ってくれている。


「でも、ししょー、『私の世界』言うと、不機嫌なるし。この間も、理由、教えてくれなかった」


 過去の記憶から戻って目を覚ました時、同じ質問をした。師匠はしぶしぶ答えてくれたが、欠片がどうのこうのと、正直全く理由は判明しなかった。私的には。


「ししょー、言ってくれたら、ちゃんと理解するのに」


 師匠の太ももに手をついて、ぐっと体を乗り出す。半分浮きかけていた師匠のお尻が、すとんと草の上に戻っていった。

 そのまま、師匠は俯いてしまった。


「言ったとして。オレはアニムにその通りになって欲しいわけじゃない」

「違うよ、ししょー」


 咄嗟に出た否定に、私自身も驚いた。あまりの速さと音量に。

 でも、理由は明白だ。


「私、ししょーの気持ち、わからないままが嫌。えとね、向き合いたい、思うの。ししょーが、大切だから、ししょーの心と、私の心、ちょっとでもよいしょって、温度が、近づけばって」


 私の頬から離れていった手は、そのまま、胡坐をかいた師匠の足首を掴んでいる。

 俯いてしまった師匠に不安がつのる。血の気が引いていく私と正反対。わずかに見えている師匠の耳は、鮮やかな色を纏っていく。


「――ちだよ」


 吹いた風に攫われてしまった、囁き。


「え?」


 間髪いれずに聞き返してしまいた。だって、声は下に落ちているし、風に遮られて言葉尻だけしか聞き取れなかったのだ。


「ねぇ、ししょー? もう一回、お願い」


 師匠の顔が勢い良くあがった。あまりの迫力に、きょとんと瞬いてしまう。

 だって、師匠といったら。首まで真っ赤に染め上げて、これでもかという程、目が細まっている。口は見慣れた様子できつく結ばれているけど、いつもと違って思い切り左下に落ちている。


「わっわざとなくて、きっ聞こえなかったの、ですよ。もう一回は、ないない?」


 師匠の迫力がすごすぎて、つい子猫たちの口調を真似してみた。さっ寒すぎただろうか。

 内心焦る私をよそに、頑なな様子で閉じられていた口がゆっくり開かれていく。

 

「だから……」


 思い切り、息を吸い込む師匠。肺が限界まで酸素を吸い込んだのかというくらい胸が膨らむと、師匠の動きがぴたりと停止した。


「だから?」


 首を傾げると、師匠は天を仰いだ。


「単なる、やきもちだってんだよっ! 大人気なくて悪かったって!」


 やけっぱち気味に吐き出された叫び声が、頭の中で木霊す。

 えっと。あの。思考がうまく働かないんですけど。まさにあほ弟子という形相で、口を大きく開けたまま動けない。

 今、師匠は『やきもち』って言った? 私の空耳じゃないよね。

 ってことは、あれですか。異質なモノは異質を呼ぶというのも、元の世界の服を着せたくなかったのも、『私の世界』じゃなくって『元の世界』って言わせたがっていたのも。全部、ぜーんぶ、やきもちだった……の?


「おい、アニム、黙ってねぇーで、なんとか言えよ」

「……にゃん、とか、わん」

「にゃんって子猫たちみてぇだな。って、そうじゃねぇーよ!」


 まだ頬を染め上げた師匠が、再び大声をあげた。が、私の体はぴくりとも震えない。

 だって、だって。今、私の脳内では、意味が理解出来なかった師匠の言葉が繰り返し再生されている。熱でうなされていたはずなのに、あの時の師匠の声色から表情、香りまでリアルに蘇ってきてくる。


『興味を抱いている。だから、そいつを知りたいと思う。関心がない事柄より、興味がある内容の方が頭に入るよな』


 召喚された『私』に興味を抱いてくれた。『アニムさん』として欲しいのでなく、『私』自身を知りたいと思ってくれた。そう思って、いいの?

 師匠は、他のだれでもなく目の前にいる『私』を――。


『だけど、知識欲が満たされるつーかさ。一を形作っている欠片を吸収する度――自分の中で穴が埋まっていく程、自分が実際、過去の欠片として並んでいなかったのに、その、つまり、なんだ。もやっとするわけだ』


 一は、私。欠片は、私の思い出や元の世界の記憶。

 師匠がそれらを知っていく程、私の歩んできた人生の傍にいなかったのを悔しいと思ってくれた。もやっとしてくれた。

 美しい花畑の百年前の光景を聞いた時、百年前の師匠の傍にいたかったと零した私と、同じ思いを抱いてくれていたの?


「なぁ、アニム。聞いてなかったとか言いやがったら、さすがのオレでも立ち直れねーんだけど」


 師匠は、先ほどと変わらない色で睨んでくる。蒼い空を背負った師匠は、いつも以上に鮮やかな赤を纏っている気がする。

 否定の言葉を口にしようとしても、まだ声は出てくれない。代わりにと、慌てて大きく頭を振る。

 師匠は、一瞬だけほっと眉を垂らした。が、またすぐに


「なら、なんで黙ってるんだよ」


と唇を尖らせた。

 元の世界を私の世界と言い表す度、怒っていたのもむすりとしていたのも、全部やきもち。いくら師匠が言霊にこだわるとはいえ、些細な表現にまで心を揺らしていてくれていたってこと。


「ありゅじー! 花冠、無事だったのじゃ!」


 再び花冠を被った愛らしいフィーネとフィーニスが、戻ってきた。

 フィーニスが、こてんと頭を前に倒す姿は愛くるしい。広げられた手がパタパタ振られているのも、最高に愛らしい。


「おー、よかったなぁ」

「あるじちゃま、お顔こわいでしゅけど、ぐったりしてましゅね」

 

 フィーネは尻尾を揺らしながら、師匠の顔を肉球で押している。

 負けじと師匠に触れようと思ったのか。フィーニスがすいっと師匠の肩に乗り、頬ずりをしている。


「ところで、やきもちってなんじゃ?」

「あっー、それはなぁ……」


 師匠、さらにダメージを受けたみたい。誤魔化しだろう。再び飛んだフィーニスの喉を、疲れた顔で撫で始めた。

 人払い――猫払いなのかな。折角猫払いしたのに、結構な大きい声で叫んでたもんね。


「やきもち」


 呟いた言葉が、こんこんと熱いものを溢れさせてくる。

 師匠は私を知りたいと思ってくれた。知ったからこそ、やきもちを妬いてくれていた。決して、元の世界を忘れろというのではなく、ただ、やいてくれていただけ。


「だって。私――」


 やっとの思いで絞り出した声は、ひどく震えていた。嬉しさで喉が詰まる。

 どんなに否定しても、もう無理。私、間違いなく師匠が好き。近くにいるからとか、保護してくれるからとかじゃなくって、一人の男性として。

 師匠はすごい人。それは魔法使いってだけじゃない。ちょっとでも傍にいればわかってしまう。引き篭っているくせに、色んな人に好かれる理由が。

 そんな人が『師匠』で嬉しくて申し訳なくって、ただの『師匠』なのがどうしようもなく苦しい。


「おっおい、アニム! 泣いてるのか?」

「あにむちゃ、どーちたの?」

「あにみゅ、寒いのぞ?」


 三人に矢継ぎ早に質問されて、笑いがこみ上げてきた。嬉しさと、おかしさと。苦しいけど――どうしてか、なによりも、幸せな想いが心を満たしてくれる。

 『アニムさん』の存在から完全に解き放たれたわけではない。けれど、もう気にしないことにしよう。だって、師匠が『私』を見てくれているのが、これ以上ないくらい伝わってきたから。

 だって、もし純粋な『アニムさん』が欲しかったのであれば、あれこれ理由をつけて、元の世界の話なんて一切させなければいいはずだ。


「うん、もう大丈夫」


 師匠に私を好きになってもらえるよう、私らしく頑張れば良いんだよね。


「ししょー、フィーネ、フィーニス」

「ん?」


 きっと、今の私はとてつもなく変な顔だと思う。

 でも、いい。

 嬉しさと幸せが押し上げる涙も、あがっていく頬も。止めることなど考えずに、微笑んでいた。微笑みなんて綺麗なものじゃないとは思うけど、今、心の中で生まれている気持ちをそのまま滲ませた笑顔だと思うから。


「あのね、ししょー、あのね」

「――っ!」


 師匠が仰天して固まるくらいの笑い方でも……うん、いいや。ちょっと傷つくかもしれないけど、それを吹っ飛ばしても溢れ続けてくるくらいの幸せなんだもん。


「ありがとう!」

「って、おわ!」


 不意打ち気味に師匠に飛びつくと、二人して倒れこんでしまった。草がつぶれる音が、耳のすぐ横から聞こえてくる。ごめんね、草さんたちよ。

 私はいつも通り師匠がしっかり支えてくれたので、無事だ。どくこともせず、師匠の胸に擦り寄ると、いつもより早めの心音が響いてきた。それはまるで、幸福の鐘。


「ありゅじ、あにみゅ! 大丈夫なのぞ?!」

「いちゃい、いちゃい?!」


 心配しつつ、頭に乗ってくる子猫たちのぬくもり。声どころか存在全部が柔らかい。


「思い切り飛びつきやがったな、アニム」


 語調は怒っている風なのに、抱きしめてくる腕はとても優しい力だ。

 ちらりと視線をあげると、フィーニスが師匠の顔に前足をついて心配していた。フィーネは、よしよしと師匠の頭を撫でてあげている。

 仕方がないので、ごろんと師匠の横に落ちる。


「ありがとうの意味が、理解出来ねぇんだが……」


 師匠は仰向けのまま掌で顔を覆っている。隙間から私を見てくれながら。

 ごろんと師匠の方を向いて、目を覆っている腕を少し引っ張ってみる。


「やきもち、妬いて、くれて!」

「いや、もっとわかんねぇーし」


 あらら。言葉が率直過ぎて、心の内が伝わりきらなかったのだろうか。

 寝転んだまま腕を組んで考えてみるが、やはり、ありがとう以上の言葉は見つからない。ならば、嬉しかった内容を全部口に出すしかないね!

 ちょこちょこっと近寄ってきたフィーネを胸に抱いて起き上がると、甘い香りがした。


「私、知りたい思ってくれて、ありがと。私、見てくれて、ありがとう。元の世界、忘れなくていい、ありがと! おまけ、ぜーんぶ、ありがと!」


 起き上がった師匠に、ぐいっと詰め寄る。

 てっきり身を引かれると思っていたのに、逆に腕がまわってきた。意外だ。

 バランスを崩してしまい、横座りの状態で師匠に抱かれる形になった。


「うななー!」


 フィーネがつぶれなくって一安心。ふぅと息を吐いて師匠の肩に頭を置くと、師匠が私を食い入るように見ていた。

 あまりに強い視線で、心臓がこれでもかという程、大きく跳ねる。飛び出してきそう。最近、私の心臓はフル活動だ。


「アニム」

「ししょー」


 見詰め合ったまま、視線を逸らせない。このままだと全身が沸騰してしまいそうなのに。

 ゆっくりと近づいてくる、師匠の顔。触れてくるだろう柔らかさが容易に想像できて、そっと瞼を閉じた。


「ちゅまり、あにむちゃは、しゃーわせなんでしゅか?」

「ようわからんが、あにみゅが幸せなら、ふぃーにすたちも、嬉しいのじゃ!」


 ぺちっと肉球が弾む音が聞こえて、はっと目が開く! そうだった! 近距離でフィーネとフィーニスが見ているだった!

 おかげで、目の前まできていた師匠と、ばっちり目があいましたよ。

と、お互い、火の出る勢いで頬が染まっていく。二人の世界に入りかけていた自分たちが恥ずかしい!

 師匠と私は揃って、音を立ててそっぽを向く。


「そう、そう! 幸せ! 私も、フィーネたち、嬉しいなら、嬉しい!」

「そーか、そーか。とにかく、アニムを悩ませてた問題が解消されたなら、よかったぜ」


 あっ、そうだ。私、悩んで落ち込んでたんだっけ。

 私が帰る方法を師匠が探しているのは事実だし、帰るなとはっきり口にされたわけではない。私も家族への思いなどに心を揺らしているので、この世界に残るとはっきり決められたわけでもない。


「今はまだ、ここにある気持ちを、素直に受け止めよう」


 帰るのか残るのか決断出来るまで、私は私として一生懸命、師匠の隣で日々を過ごしていこう。少なくとも、あやふやな『アニムさん』の影に嫉妬するのは、やめよう。

 あんなに気を病んでいたのに、今は前向きな考えしか浮かんでこないから不思議だ。


「ふみゃあ」

「フィーネ、おねむ?」

「でしゅの」


 フィーネが体を震わせたかと思うと、船を漕ぎ出した。こっくりこっくり。

 今日はいっぱい動き回ったし、お手伝いもしてくれたもんね。花飾りを作るために、朝からずっと飛び回ってくれていたんだよね。お昼寝もせずに。

 そうだ。明日は、ささやかなお礼として、フィーネとフィーニスのご希望のお菓子を作ろう。


「ふぃーにすも、にゃんだか、ぼんやりしてきたのぞ」

「おぅ。まだしばらく日が出ているだろうし、起きられなくても連れて帰ってやるからさ。安心して寝とけ」


 目を擦りながら「んみゃ」と鳴き声をハモらせた二人は、あっという間に夢の世界に沈んでいった。抱きかかえている指に顎をのせて眠る姿が可愛すぎて、掲げて正面からじっと見つめてしまう。眼福。

 膝に乗せて背中を撫でると、じんわりとあたたかさが染みてきた。私も欠伸を堪えられない。


「泣きつかれて眠くなったんだろ。お前も寝たらどうだ?」

「ししょー、お昼寝済み。私、働き疲れたの!」

「へいへい」


 聞き流されてますね、完全に。びしっとバスケットを指差した私におかまいなしな様子で、フィーニスを渡してきた師匠。

 師匠は意地悪な笑みを浮かべつつも、マントを敷いてくれているので許してあげよう。大き目のマントを軽く叩かれる。遠慮なく寝転がろうと腰をあげるが、何故か師匠まで寝る体勢に入ったよ。しかも、腕がですね、伸ばされてるんですよ。


「ししょー、その腕、一体全体どういう呪い」

「優しいお師匠様が、腕枕してやるよ。つーか、察しろ」


 腕枕! 腕枕とは、恋人がベッドの中でしてくれるという、アレ?! いや、ベッドの中に限定するモノじゃないかもしれないけど。私が持つ乏しい恋人知識では、いちゃいちゃの効果音が大きい行為だ! それを、私がしてもらう?! しかも、初めてが野外ですと?!

 師匠に添い寝はしてもらったことはあるけど、腕枕はさすがに無理。添い寝も十分、恥ずかしいとはわかってはいる。だがしかし、寝ながらいちゃいちゃなんて私にはハードルが高すぎ!


「ししょーが、自分は暖を取るないもの、言った。私、フィーネやフィーニスと、一緒寝るですよ。起きて腕あがらない、悲惨」

「うっせぇ。根に持ってやがったのかよ。第一、オレの言わんとしている真意を理解してないアニムが悪い」

「うるさいないよ。真意って、なに」


 むすっと頬が膨らむ。文字以上の意味があるのだろうか。ちょっと考えてみる。けれど、さっぱり検討がつかない。

 フィーネとフィーニスの毛をいじりながら、小首を傾げる。そんな私を見て、師匠は溜め息をついた。ひどい。


「あー、もういい。とりあえず、フィーネとフィーニス寄越せ」


 瞼を落とした師匠は、私の返答を待たずに二人を攫っていった。わずかに軽くなった膝を残念に思う隙もなく、上半身を起こした師匠に抱きすくめられていた。

 気がつけば、黒いマントに横になっているじゃないか。もちろん、師匠の腕枕付き。


「ししょー?!」

「ほれ、観念して寝ろ」


 反論しようと開きかけた唇に、師匠のモノが触れてきた。

 離れた師匠はとても優しい笑みだったので、素直に力が抜けていく。体を密着して寝るより、下手に顔を見られる距離というのは恥ずかしい!

 耳が熱くなるのを感じて、俯いてしまう。


「あれ、フィーネにフィーニス。起きたの?」

「みやぅ」


 師匠によって頭の上あたりに寝かされていた二人が、ふらふらと間に入ってきた。てっきり起こしてしまったのかと申し訳なくなったのだけれど――。


「フィーニスもフィーネも、寝ぼけてやがるな」


 師匠の言う通り。触れた手に擦り寄られたかと思うと、再び、気持ち良さそうな寝息が聞こえてきた。

 二人の可愛い寝息にひかれ、私もふわふわだ。


「おやすみ、アニム」


 優しい風よりも、もっと柔らかい師匠の声。


「ししょー、も、おや……すみ」

「おう。でも、俺はしばらくは寝れそうにねぇがな」


 どういう意味だろうと聞き返そうとしたのと同時、師匠にとんでもなく優しく髪を撫でられ、あっけなく意識を手放した。


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