表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
45/202

引き篭り師弟と、南の森の花畑7―子猫たちの不安と包まれる唇―

「え、あの、ししょー?」


 座り込んだまま後退する私に、無言で迫ってくる師匠。怒られる覚悟はあったけど、どうして笑顔で青筋立てていらっしゃるんですか⁈ なぜ、笑顔⁉

 師匠のとてつもない迫力に怯えて、思わず立ち上がって逃げの姿勢になる。追うように伸ばされる師匠の腕。


「――っ! ずるいっ!」


 ただただ。真っ直ぐ私に触れようとする指先に、声があがる。暖かい日差しを受けた綺麗な花と、心をくすぐる甘い蜜の香りとは違いすぎる感情に、涙腺が緩む。

 ぷくりと涙が溢れたのを自覚したのと同時、師匠が思い切り眉をしかめた。


「はぁ? どの口が――」


 たまらず目を瞑ったせいで、よけいに師匠の呆れた声色が胸を刺してきた。

 苦しい、くるしい、クルシイ。


「あにむちゃ、どーちたの?」

「あにみゅ、うるるんなのじゃ」


 甘いフィーネとフィーニスの声にはっとして。なぜ自分が潤っているのか理解したくなくて。息が止まった。

 二人の優しくて裏のない声は、正直になっても良いよって言っているみたいだから、はふっと息を吐いてしまいたくなる。

 でも、駄目。

 気が付けば、膝の上のフィーネとフィーニスを抱えて、師匠の方に突き出していた。


「ふみゃー! ありゅじちゃまに、ぽんぽん掴まれたのでし!」

「ぽんぽこぽんなのぞー!」


 師匠が反射的に二人を受け取っている隙にと、膝を伸ばしてしまう。けれど、すぐさま、師匠のちょっとだけひやっとする体温が、指先を掴んできた。


「オレがはっきり言葉にしねぇから、鈍いお前に察しろってのも無理な話しだとは思う」


 あまりの冷たさに上がった瞼の向こう側。飛び込んできたのは、呆れているっていうよりも、苦しそう瞳をした師匠だった。

 どこか、怒っているようにも見える?


「けどよ、それでもかなーり気持ちは漏れてる自覚はあるんだが……。それとも、吹雪の中で聞いた声、意味不明なこと言ってたってのは嘘で、ほんとは何かしら思いつめるような材料与えられたのかよ」


 師匠が私を大事にしてくれてるなんて、ちゃんとわかっているよ。でも、漏れているって何が? 


「私、鈍く、ない。ししょー、弟子の私、大切思ってくれてる、わかってる」


 私を捉えつつ、子猫たちをしっかり片腕に抱いている姿が、涙腺を突いてくる。愛しさが溢れてきて。


「……わかってねぇじゃないか」


 私だって、師匠が私を憎からずは思ってくれているとは思っている。

 だって、師匠ってば無関心なようで、実はそうじゃない。私にとっての当たり前を知らないだけで、それに気が付いた途端、懸命に寄り添ってくれようとする。


「ししょーのが、わかってないもん」


 私は、そんな師匠に少しずつ魅かれていったんだ。

 ただ。ただね。私を見てくれる師匠の想いの奥に『アニムさん』ありきなのかと思ってしまう今、胸が張り裂けそうになるの。私を見ていてくれるのか疑っている自分が、嫌になるの。


「私の心、見てないのは、ししょーだよ」


 嘘だ。師匠はいつだって、私をちゃんと見てくれている。だから、私が揺らいでいるのに気が付いてくれている。

 でも、純粋に師匠って慕っていた頃みたいに、素直になれないの。師匠を大好きで、だから全部独占したいっていうとんでもない嫉妬があるから、穿った見方をしてしまう。

 醜い私を知られて師匠に嫌われたくなくて、私も気持ちを伝えるのに二の足を踏んでしまうのだ。


「話を戻す。誰に何を言われた。特に――吹雪の中、変な声が聞こえたって言ってただろ」


 ひどい。師匠は自分が私を揺るがせているだなんて、思いもよらないんだ。

 ということは、つまり。私を熱している感情は、師匠に関係ないって思われている訳で……。


「吹雪きの声、ベッド中で言った、全部」


 つんと、答えてしまう。

 私は、二の腕を掴んでいる師匠の指が僅かに震えるだけでも、喉の奥が詰まるのに。師匠はお構いなしにと肌に埋もれてくる。力も体温も、存在も。

 師匠の皮膚がこすれる度、私は行き場のない想いに泣きたくなるのに。


「嘘じゃねぇーだろうな」


 師匠は怒った口調でたずねてくる。保護者みたいに。

 私の中でくすぶる色と違うのを突きつけられて、八つ当たり気味に睨みあげてしまった。


「嘘ない。だって、ししょー、私ベッド押し倒して、無理矢理――」

「ちょっと待て、おい。その言い方、色々やばいだろうが」


 遠慮なく迫ってきていた師匠が、極悪人面を掌に隠した。

 ほっとしたのも束の間。緩んだ空気に付け込まれたのか、ぐっと掴まれた両肩。いつの間にか、子猫たちは見当たらない。


「いたっ」

「アニム、観念して捕まれ」

「捕まったら最後。地獄へのご招待」


 じりじりと追い詰められ、ついに、一本ぽつんと立っている樹に背中がぶつかった。どうせ追い詰められるなら、もっと色っぽい状況が良かった。保護者の表情で詰め寄られたくなかった。

 慌てて樹の後ろに身を隠そうとしても、時すでに遅し。眠そうに落とされている瞼ではなく、お怒りモードな目つきの師匠に額を合わされてしまった。


「遅えよ」

「神様、お許しを!」

「あほアニム。こっち向け」


 この世界では『お代官様』に相当する言葉がないのが残念。あっ、『宰相様』なのかな。

 じゃなくて。両側を師匠の腕に挟まれ、身動きとれない。これが世に言う、壁ドンっていう奴か。師匠は樹に両手をついているので、樹ドンだろうか。

 顔を寄せてくる師匠に負けじと、私も胸に両手をついて対抗だ。けれど、もちろん、力で適うはずもなく……。一歩ずつ、師匠との距離は縮まっていく。


「ししょー、近いの、いや。離れて!」

「さっきから地味に傷つけてくるな。あほアニム」


 急に弱くなった語調。

 びっくりして見開いた目に映ったのは、ばつが悪そうに頭を搔いている師匠だった。「いや、その、忘れろ」とぶつぶつ呟きながら、視線を逸らされた。

 いつものやり取りなはずなのに、どうしてか、師匠は傷ついている。


「ごめんなさい、です」


 違う。優しい師匠を傷つけているのは、他のだれでもなく私だ。私の不用意な発言の数々が、師匠を悲しませている。

 悪いのは私なのに、じわりと目が熱くなっていく。最近の涙腺さんは、さぼり過ぎだろ。もうちょっと、きゅっと締まっていて欲しい。


「私、ししょー、傷つけたかった、わけじゃ、ないの。ほんと、です」


 足元の草が、風にそよぐ。


「ただ、最近、私ね――ううん、なんでもない」


 次の言葉を声に出していいのかわからなくて。ぐっと喉が詰まった。客観的に考えたら、駄目だと理解しているから。思うのさえ、元の世界で私を大切にしてくれた人たちを裏切っているのに、師匠に伝えるなんて、音にするなんて。

 余計、沈んだ頬に触れてきたのは、師匠の掌。肌に吸い付いてくる、優しい指先。


「とっても幸せ」


 その手に自分のものを重ねたら、自然と零れてしまっていた。

 あっさりと覆った意志の弱さに泣きたくなっても、肌に感じる体温のせいで発言を撤回する気にはなれない。


「だから、逆に、不安なる、いうか。私、ここいて、いいのかなって。何言ってるんだろ、私。……考え足らず、発言ばっかり、ごめんなさい」


 師匠にとって私は私だったらいいなって思ってしまい、気持ちが零れる。


「あー今のはな。あれだ。いつもの軽口だっての。オレはアニムが傍にいるの、嫌じゃねぇつーか、あぁ、泣くなって! オレ、お前のはっきり言うところ、気に入ってるし」


 反対の頬も包まれたかと思うと、顔をあげられていた。

 逸らした視界の端に映ったのは、あおい空と煌めくレモンシフォンの髪。それに、吸い込まれるほど澄んだアイスブルーの瞳。


「アニム、オレは――」


 息を飲んだ瞬間、目元にキスの嵐がふってきた。涙をきゅっと吸われて、胸が苦しくなる。嫌いじゃないという言葉に、余計涙が落ちていく。

 嬉しい。師匠が精一杯譲歩というか、頑張ってくれているのがわかって。言葉の代わりに伝わってくるぬくもりが、嬉しくて――切ない。

 この嬉しさを師匠に返したい。どうしたら良いんだろう。


「ししょー」

「なっ!」


 思いつくより先に、体が動いていた。

 唇が触れたのは、師匠の頬。それでも、物足りない。


「あのね、ししょー。もっと、触れても、いい?」


 自分でも意味不明な言葉が出てしまっていた。


「はっ?」


 目の前の師匠も、瞬きを繰り返す。演技ではなく本当に呆けているようだ。確かに、今までの会話を丸無視な流れだよね。

 師匠の返事がないのをいいことに、師匠の頬に空いた方の手を添えて、つま先に力を入れた。


「っん」

「――っ!」


 大人なキスなど知らない私は、唇の押し付けしか出来ない。ただ、師匠に触れたくてたまらない。

 とりあえず、ぐっと師匠の唇をはんで、きゅっと吸って。すぐ離れてしまったそこを、また角度を変えて触れさせて……とにかく、必死で色々試してみる。どうしたら一番気持ちが伝わるかなって。


「し、しょ」


 唇が離れた合間に呼べば。師匠の腕にぎゅっと背中を掴まれた。

 強さに心地よさを感じていると、口内にもぐりこんできたのは、あたたかいモノ。


「んっ」


 ずっと欲しかった感触。軽い挨拶のじゃないキスに、鼓動が一気に早くなる。

 だけど、歯列をなぞられ、体の芯が痺れて。ちゅくっと耳に入ってくる粘着質で足が震えて、師匠の背中を掴んでしまう。自分だけでは立っていられない。それでも、優しく絡んでくる舌が気持ちよくて……。


「あんまり煽るな」


 そんな私が可笑しかったのか。一瞬唇が離れた隙に、ふっと師匠の息が漏れた。でも、腕はきちんと私の体を支えてくれている。


「ふぃ」


 離れる際にひいた糸が、口の端を垂れていくのを感じて我に返る。

 とろんと全身蕩けてしまって動けない私の口を、師匠が袖で拭ってくれた。それさえも心地よくて、体から力を奪っていく。


「アニム」


 すっと、師匠の背中を滑り落ちて言った指。師匠の体が、ぴくりと反応したのがわかった。いつもより硬い声が、ざわめきを呼ぶ。

 顔を覗き込もうとすると、思い切り抱きしめられてしまった。


「アニム、お前さぁ。あんま可愛いことしてくれるなよ」

「かっかわっ?! 私は、ただ、気持ち、伝わればいいな、思って」

「まさか、謝罪のつもりだったとか言いださねぇよな」


 師匠の肩口に心地よくもたれ掛かっていたのに、体を起こされてしまった。両側から腕を掴んでくる師匠の瞼は、半分以上落ちている。


「ばっばかししょー!」


 師匠ってば、私を一体なんだと思ってるんでしょうか。「ごめんなさい」で、あっあんな深いキス受け入れるわけないじゃない! ばか!

 思わず師匠を睨み返すと、一瞬、ひるんだ師匠から力が抜けた。いまだと言わんばかりに、鼻先に唇を寄せる。

 案の定、私の不意打ちに師匠はあっけに取られているよ。ふふん。かなり恥ずかしいってのは、この際無視しておこう。


「あのね、ししょー」


 追い討ちで首に腕を回して、耳に唇を寄せると、私史上最も甘ったるい音を作った。ありったけの想いを込めて。


「ししょー、だいすき。苦しいくらい、すきだよ」

「なっ――!」


 真っ赤になった師匠は耳を押さえて、がばっと音を立てて離れた。首まで染め上げて、ぷるぷる体を震わせている。あっ、面白いポーズ。かっこいいのが一転、可愛い師匠だ。

 っていうかですね。ちょっとどころか、だいぶ無理して出した声には、我ながら鳥肌が立った。けど、めちゃくちゃ頑張ってみたんだよ? ここはもっと甘い空気になっても良かったじゃないですかね。


「どーせまた、赤ん坊の戯言、思ってるでしょ。別に、いいけど、それでも」


 自分で言っておきながら、とても切なくなっていく。むすりと上目で睨んでも、師匠は身をひいて、目を見開くだけ。

 それとも、私の言葉いせかいごが間違っていたかな。


「もう、いいもん」


 虚しさのあまり、師匠の横をすり抜けて、癒しを求めてフィーネたちの方に駆け出す。

 待っててね、もふもふ癒しっこ!!


「つーか、待て! 誤魔化すな!」

「ししょー、追ってこなければ、逃げない!」


 猛ダッシュで逃げますよ。でも、あれだ。走りなれていない草原を、全力疾走するもんじゃない。

 足元にバッタみたいな虫が見えて避けたまではよかったけど、草に足をとられて盛大にすっころんでしまった。前のめりに。


「いたた」


 お約束でこけるにしても、もうちょっと可愛い転び方したかった。言い逃げした天罰だろうか。


「あにむちゃ! おでこ、まっかでしゅ!」

「あにみゅ、なにやっとんのじゃ」


 寝転んだままでいると、駆け寄ってきたフィーネが額を撫でてくれた。フィーネの後ろから跳ねてきたフィーニスは、思い切り呆れ顔だったけど。

 肉球の気持ちよさに浸っていると、ふいにフィーネの手が止まった。


「あにむちゃが消えりゅって、どういう意味でしゅ?」

「ふぃーにすも、よくわからなんのぞ」


 ちょこんと並んで、同じ方向に首をかしげている二人は、とても可愛い。が、純粋な疑問を真っ直ぐぶつけられて、先ほどの師匠に対するのとは別の戸惑いが生まる。

 フィーネとフィーニスも、私が異世界から来たことは知っている。けれど、私が戻るという選択肢を持っているというのは、理解出来ないのかもしれない。


「えとね、私は異世界人だから、つまり」

「アニム、お前」


 師匠も同じ戸惑いを抱いたようだ。ちらりと後ろを振り返ると、少し離れた場所で歩みを止めていた。苦虫をつぶしたような顔で固まっている。

 私と師匠が二の句をつげずにいると、ウーヌスさんが二人の後ろに腰を下ろした。相変わらず、しゃんと背中が伸びていてかっこいい。


「アニム様は異世界の方です。そのアニム様がこの世界から消えるということは、元の世界に帰る、という意味です」


 ウーヌスさんは淡々とした口調で、わかりやすく説明する。

 体を起こしてフィーネとフィーニスの前に座りなおすと、ウーヌスさんに向けられていたフィーネとフィーニスの視線が、私に戻ってきた。

 二人の頭は、さらに横に倒れる。地面にこてんとぶつかっちゃいそう。


「帰る? いっちょのおうちに住まないってこちょ?」

「ふぃーにす知ってるのぞ。別居にゃ。ケンカしたお婿しゃんとお嫁しゃんは、別居するのぞ。でも、それ消えるないじゃろ?」

「フィーネもフィーニスも違います。別々に住むだけであれば、会うことは可能です。しかし、次元を越えて異世界へ戻れば、二度と会えないと断言できるでしょう」


 ウーヌスさんの『二度と会えない』という言葉で、フィーネとフィーニスの小さな体が、勢い良く真っ直ぐになる。直立不動だ。普段は垂れている耳も、ぴんと空に向かって伸び、全身の毛が逆立っている。

 ウーヌスさんは、珍しく満足したように頷いた。


「つまり、未来永劫のお別れです。それは『死』と似ているかもしれませんね」

「え、あの、ウーヌスさん?」


 なんだかすごい表現になりだしたのにびっくりして、思わず口を挟んでしまった。


「まぁ、『死』という概念は私たち式神には理解しにくいモノですが。フィーネとフィーニスも絵本などで読んだことがあるでしょう」


 私の問いかけを気にした様子のないウーヌスさんは、先を続ける。

 二人の教育係でもあるウーヌスさんは、きっと二人が納得するまで説明を続けるだろう。いつもは、式神とは何たるものかを説く機会が多いようだが。


「絵本で読んでもらったのぞ。お城の下働きになっちゃ女の子のお母さんは死んで、動かなくなるのぞ。しゃべらなくなるの……じゃ」


 涙声になって、きゅっと胸元を掴んだフィーニス。

 フィーネは、そんなフィーニスに頬ずりしつつ、首を傾げました。


「おんにゃの子。おかーしゃまに抱きついて、泣いてたのでしゅね」

「そうです。その点では『死』とは違います。アニム様が元の世界に帰られたら、触ることも出来ません。余韻もなく、まさに体も魂も全て消えてしまうのです」


 触れられない。

 フィーネやフィーニス、それに師匠と言葉を交わしたり触れたりも出来なくなる。わかっていたことなのに、がつんと頭を殴られたような衝撃に襲われた。

 今までは自分の頭の中でだけ考えていた未来を、言葉と言う形で突きつけられたからだろう。心臓が止まった気さえする。


「私、は。異世界では、そういう存在」


 ついさっき感じた師匠のぬくもりも、感じなくなる。遠くから見ることも、自分に向けられる感情が他人へのものだって悩むことさえ、なくなる。

 『アニムさん』を通してどころか、私を見てくれることも、笑いかけてくれることも、怒ってくれることもない。


「私の存在、この世界から、消える、当たり前」


 後ろから、息を飲む音が聞こえた気がした。 

改めて『消える』と口にしてみて――ちゃんと音にしてみて、悪寒が走った。全身が粟立って、震えが止まらない。見つめた自分の両手は、がちがちに固まって揺れている。


「うっうな? あにむちゃが、きえりゅって、もう、ぎゅうぎゅうもなでなでも、めーってこちょ?」


ウーヌスさんの言葉を理解したのか、フィーネとフィーニスは、目を見開いたままゆっくりと私を見上げてきた。


「ないない、なのぞ? おねむもご飯も、一緒ないのぞ?」


 かわいそうなくらい、毛が逆立っている。小さな口が、ぱくぱくと上下に動いている。


「私――ぐぇ!」


 顔をあげて花畑へ視線を逸らした次の瞬間、胸に突っ込んできた衝撃。

 フィーネとフィーニスの「みゃうぅー!!」って泣き叫びが耳に響く。

 子猫な二人なので、認識していれば大丈夫だ。けれど、予想外の衝撃で、視界が揺らいでしまった。


「うみゃぁぁ‼」

「わっわ!」


 あっ、このまま後頭部を地面にぶつけそう。二人は守らなきゃと無意識に思ったのか。しがみついている二人の背を抱きしめていた。

 小さいけど、すごくあったかくて、ふわふわで、甘い香りがした。


「あほアニム」


 覚悟した痛みはなく、いつまで経っても大きな音も鳴らなかった。


「ししょー?」


 代わりにと背にぶつかったのは、かたいけど優しいぬくもり。


「さっきオレに爆弾発言して逃げしやがったのと、同じ喉から出たとは思えねぇ声だな」

「あの、ししょー?」


 口調は小ばかにしたようなモノだ。でも、羽交い絞め状態。思い切り師匠の胸に寄りかかっている姿勢で、腕に閉じ込められている。心臓がばくばくってうるさい。

 熱い顔には、フィーネとフィーニスが抱きついている。苦しい熱に優しい温度が混ざって、わけがわからなくなる。でも――嫌じゃなくて、どこまでも優しい。


「だめ、だよ。だって、わたし。わたし、忘れられなく、なる」


 ぐっと、師匠の腕を掴んでぼやけば。師匠の顔が、さらに髪に埋められてきた。ずり落ちてきたぬくもりが、首に柔らかい痛みをもたらす。

 ふみゃふにゃになりながらも、ウーヌスさんに視線で助けを求めるが、当人は「飛んでいったストールを探してきます」と一言残して立ち去ってしまった。

 ちょっと、待って! まさに説明し逃げ! まぁ、私が説明を押し付けちゃっただけなんだけど。


「やーん! あにむちゃ、いなくなりゅ、なんででしゅのー! 朝、ふぃーね、あにむちゃがお菓子食べすぎだめって言っちゃのに、こっそり持って出かけたの、怒ってりゅでしゅかー?! もうしないでしゅ、ごめんにゃしゃーい!」


 ひとつマフィンが減っていると思ったのは、勘違いじゃなかったのか。というか、フィーネと同じくらいの大きさがあったと思うんだけど。よく落とさずに持ち出せたね。フィーニスと協力したのかな。

 言い終わったフィーネは、また泣き出しちゃった。撫でてあげたいけど、がっちり師匠に腕をまわされていて、動かせない。


「ごめ。ちが、よ」


 私が悪いのに、泣かせてごめんね。違うよ。師匠だけじゃなくて、二人をも傷つけた至らなさに、涙がこみ上げてきた。

 声に出したいけど、フィーネとフィーニスのクリームパンなおててが口を塞いでいて、上手くしゃべれない。大粒の涙も両側から口の端に零れている。

 なんとか頭を小さく振ると、今度はフィーニスから「しょしたら!」と大きな声があがった。


「もしかして、ふぃーにすが、昨日の夜、お風呂嫌にゃって逃げたからぞ? しょん時、あにみゅが描いたレシピ、間違って暖炉に投げ入れちゃったかりゃ、ふぃーにす、嫌いになっちゃのか?」


 失敗レシピの反省をまとめてた紙だし、ちゃんとフィーニス謝ってくれたので、大丈夫だよって言ったんだけど、まだ気にしてたんだね。

 フィーニス的には白紙を掴んで投げたつもりだったみたい。文字が書かれているってわかった瞬間のフィーニスといったら、もう。「ひょうっ!!」って頬を押さえて固まっちゃってたね。私は別に気にしなかったけど、すぐ慌てて火に飛び込もうとしたフィーニスを抑える方に必死だったっけ。


「ししょー、ごめんです。もが。ちょっとだけ、力抜いて」


 子猫たちの泣き叫びように師匠も驚いたのか、すんなりと腕を動かしてくれた。代わりにお腹に腕が下りてきて、完全に師匠に寄りかかる体勢にされちゃったけど。

 フィーネとフィーニスは、泣きすぎでしゃっくりをし始めちゃっている。自由になった手で、何度も撫でる二人の背中はちいさくてあたたかい。


「だいじょーぶ、大丈夫。私、フィーニスとフィーネ、大好き」


 頭を撫で、魔法の呪文を唱える。

ちっちゃい雪夜と華菜に良くしていた。悪戯が大好きな割に、怒られるとすごくへこんで、甘えてくる二人に。

 

「あったかくて、甘くて、だーいすき」


 本当に人間の子どもと一緒だ。夢から覚めた時もだけど、自分が悪いからって考えちゃうんだ。

自分の醜い嫉妬と落ち込みから出た言葉で、二人を傷つけてしまった。自分の浅考に申し訳なる。


「フィーネにフィーニス、ごめんね」


 でも、今は自分の至らなさにうじうじするより、二人に謝る方が先。

 顔に擦り寄ってくる二人を、一度ぎゅっと頬に押し付ける。顔を上下に動かして私からも擦り寄ると、少し落ち着いたのか、二人ほぼ同時に体を浮かせてくれた。


「二人は、全然、悪くないの。ふたり、大好きだよ」

「ほんちょ? あにむちゃ、怒ってないでしゅ?」

「うん。でも、今度からは、こっそりなくて、ちゃんと、言ってね? 食べて大丈夫な量、考えて、ちっちゃく切るから」


 今度から、という部分に力を込める。同じ言葉を呟いたフィーネに笑顔が広がって、「あい!」と右手を高々とあげてくれた。

 フィーニスを見ると、そわそわと尻尾を動かしていた。地面の方に向いた尻尾が心を表している。


「フィーニスも、いっぱい遊んだあと、お風呂、ちゃんと入ろうね。あと、レシピ、気にしてないから、新しいの一緒に描いてくれる?」

「わかったのじゃ。今度、レシピかく時、お手伝いするのぞ」


 二人を傷つけておいて、随分と偉そうな口をきいている気もする。でも、私があまりに謝ると逆に二人が気にするのはわかっているので、あとで思い切り希望を聞くことで許してもらおう。私が嬉しいだけな気もしるが。

 顔から離れた二人。今度は首にぎゅっと抱きついてきた。まだ背中を撫で始めると、しゃっくりはおさまった。

 あたたかい温度。ずっとすすった鼻。


「……アニム。お前、オレの存在を忘れてないだろうな」


 と、後ろから回ってきている手に鼻をつままれてしまいた。

 横柄な口調と正反対な仕草に、呼吸が掠れる。


「もちろんです。おししょーさま」


 やっとのことで呟いた声は、ひどく揺れていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ