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引き篭り師弟と、南の森の花畑6―異世界語でのお礼―

「ししょーには、全体的に、明るい色の花ね」


 可愛いお花の郵便屋さんと師匠が届けてくれた、綺麗なお花たち。その中でも、特に華やかな花たちが冠になっていく。

 私の手の中で編まれている花。師匠はそれを指さし、顔を覗き込んできた。


「色はともかく、随分とふわふわしてるじゃねぇか」

「ししょーなら、似合うよ。ししょーの髪、一緒。綺麗で優しくて、つい触りたくなっちゃう、感じ」


 私の言葉に、師匠は至極嫌そうに喉を詰まらせた。でも、それ以上は特に何も言われなかったので、花冠を編む手に注意を戻す。

 昼過ぎまで感じていた憂鬱さは、すっかり影を潜めている。消えていなくなったと言えないのが、私の弱いところだけれど。


「よーし、ちょっとずつ、編み方、思い出してきたです」


 青い空や爽やかな風が心を解してくれる。


「力作、つくるですよ!」


 最近、へこむことが多かったけれど、もともと、私は異世界に来た頃なにもできなかったのだ。こうやって少しずつ出来ることを増やしてきたんだったと、思い出せた気がする。

 なにより、フィーネとフィーニスがいて、ウーヌスさんもいてくれて……すぐ隣に師匠がいてくれる。ぽかぽかってあったかくて、空気が優しい。


「お前、やけに嬉しそうだが。花冠編むのが、そんなに楽しいのか?」

「編むいうより、花畑、来れたが嬉しいの。水晶森の家も、いいけど、やっぱり、植物の中、気持ちいい。とっても綺麗。それに、フィーネとフィーニス、可愛いさ抜群」


 ウーヌスさんの近くで、ぴょんぴょん跳ね回っているフィーネとフィーニス。小柄で丸っこい体より、さらに小さい蝶にちょっかいをかけている。時折、花冠を触って崩れていないか、尻尾を振り返って花が取れていないか確認している姿に、胸を射抜かれちゃう!

 いけない。ラブリー毛玉な二人に見とれて、手が止まってしまっていた。


「最後はいつも言ってる気がするが。まぁ、そんだけ喜ばれたら、連れて来たかいもあったってもんだ」

「うん! ししょー、ありがと! みーんな、ししょーの、おかげだよ!」


 満面の笑みでぺこりと頭を下げる。ちらっと上目で覗き見た師匠は、思い切り眉を寄せていた。


「感謝されすぎも、怖ぇな」

「ししょー、失礼すぎ!」


 でも、無意味に草をちぎり始めたので、本気の嫌みではないとわかる。

 師匠の指から離れた草が、風に流されていく。師匠の手から離れたのに、どうしてか師匠の優しさがそのまま移っている気がして。


「風も草も、香ってる。フィーニスとフィーネのも。ししょーのも、いつもに増して、感じる」

「あほアニム」


 なんですか、その可愛い照れ方。もう片方の手で、首筋をせわしなく搔いちゃったりして。

 ちらっと視線を流されて、胸がぽっぽする。


「それにね。ししょーとの思い出の、場所が、広がる、嬉しいよ」


 あまりに可愛い師匠の反応に、ふつふつとこみ上げてきた笑い。それを隠すこともせず、師匠の腕に擦り寄っていた。

 ぐりぐりと強く当てた、こめかみ。上質な魔法衣のおかげで、摩擦の痛みはない。むしろ、肌触りがいい。


「……重い。それに、マーキングみてぇ」

「体重かけてる。重い、当たり前。マーキングって、私、動物ないし、匂い簡単に、うつるない。けど……」


 師匠の肩に頭をのせたまま、ちょっと拗ねてみせる。わざとらしいかもだが、服の肘あたりも、くいっと引っ張ってみた。

 小技を使ったつもりなのに。見上げた先にあった師匠の顔に、自分の頬が熱を持っていく。恥ずかしさのあまり、すさまじい勢いで俯いてしまった。


「あ、の……私の匂い、つくは、いや?」


 あぁぁぁ、なにを言ってるんだ、私は‼ 羞恥のあまりになぜか師匠の腕にぎゅうぎゅうとしがみついていたのに気が付いたのは、たっぷりうん十秒後だった。

 ひえぇっぇ、これ、千沙が言っていた胸をあてて意識させよう作戦みたいじゃないか! 違う、断じて違う。いくら効果が薄そうだといっても!


「わざとじゃない、けど、えっと、でも、わざとじゃなくもなくて――」


 師匠に意識して欲しいのは本当だけれど! っていうか、ぷちぱにっくである。それでも、師匠に振り払われないのをいいことに、しがみ続けてしまう。

 師匠といえば。自分の眉間を叩いたかと思うと、大きく頭を振りった。まだついていた花びらが、はらはらと落ちてくる。


「なんか、さっきまで動き回っていたって感じの体温だな」

「ぎゃ!」


 変な叫び声をあげた私は悪くないと思う。ついでに、腕をつっぱねて師匠から距離をとったよ! だって、それって、つまりは汗臭いってことじゃないか!

 急な動作に驚いたのだろう。器用にも座りながら後ずさった私に、師匠はきょとんと目を瞬かせた。


「わっ私、汗臭いよね! 子猫たちのは、汗も、いい香りけど、私のは、だめ!」


 今すぐ、元の世界の制汗剤が欲しい! それか、置き型のやつ! いっそのこと、エルバ!

 私は体術訓練後の師匠の匂いも汗だなぁって思いながらも好きだけれど、私のダメだろう。ただでさえ女子力低い自覚はあるのに!


「あほアニム。ふつうに、あったけぇって――傍にいるって意味だろ」


 師匠の声に反応する隙はなかった。わたわたって振っていた腕を掴まれたと思った直後、彼の胸に額がぶつかっていた。

 そのまま、やんわりと抱きしめられた。


「それに、お前がオレに甘えるなんて、別に、今更だろ」


 ぶっきらぼうな声色とは違い、そっと寄り添ってきた頭。かけられる体重に、うっとりとなる。師匠がこうしてくれるのって、めったにない。

 触れたままもぞっと動かれて、くすぐったくなる。師匠の鼻が髪に触れているのかな。


「今更って。私、いつも、ししょー、くっついてるみたい」


 強がって掴んだ背中は、いつもより大きくて小さく感じた。


「間違ってないだろうが。特に、ここ数日のアニムときたら、暖をとりたがるくっつき虫だからな」


 くっつき虫って、師匠の声で聴くと、とんでもなく可愛いですな。

 悶える心を落ち着けようと、閉じた瞼。目論見とは裏腹に、やけに鼓動が煩く聞こえて、喉が渇く。


「やーん、ふぃーにすってばー、ふぃーねがあにむちゃにあまあまあげりゅの!」

「うななー! まけないのぞー! ふぃーにすは、あにみゅがすきな香りしってるのぞ!」


 少し離れたところから、フィーネとフィーニスの甘いはしゃぎ声が聞こえてくる。

 そんな声も、頭の横に感じる重さも幸せだと思った。またすぐに否定の言葉が浮かんでくるが、不思議と今感じた幸せを否定したくないとも感じた。


「私が触れるも、ししょーが触れてくれるも、最近ですよ」


 それは間違いなく、師匠に触れているから。師匠が私を受け止めてくれているからだろう。もちろん、そこにフィーニスとフィーネ、ウーヌスさんの存在がすぐ近くにあるからでもあるが。


「ししょー、昔は、ずっと手袋してた。あったかい、なかった」


 ぷいっと首を捻ると、頭の上から笑いが零れてきた。小刻みな震えも伝わってくる。

 上から顔を覗き込まれるついでに、額へ柔らかいものが触れてきた。ついでに寄りかかっているのとは反対側の手が、私の手を掴む。


「あったかい、か」

「うん。今は、とっても、あったかい。私より、ひやっこいけど、あったかい」


 指で優しく撫でられて、瞼がうっとりと落ちていく。だって、師匠の体温だもん。

 フィーニスとフィーネの可愛い肉球も大好きだけど。師匠のちょっとごつっとして大きい手も大好き。


「冗談は抜きにして。アニム、お前さ。子猫たちなみに甘えてくるじゃねぇか。どうした」


 見なくっても、師匠が苦笑を浮かべているのがわかる。

 それが悔しくって、私もなんでもないみたいに、つんてすましちゃう。


「猫なら、いい。フィーネとフィーニス、仲間」

「お前、本当に子猫たちが大好きだな」

「当たり前。あんなに可愛くて、ふにふにで、存在が甘い子たち、いないですよ。ししょーが、主とは、思えないですね!」


 悪態をつきながらも、私の心は弾んでいる。好きな人――師匠に触れてもらいながら軽口を言い合うのが、こんなに嬉しいなんて、この世界に来る前の私は知らなかった。

 師匠が隣にいてくれると、色んな不安が打ち消される。こうして触れ合っていると、師匠と一緒にいるのが夢じゃないって実感出来て、安心するのだ。


「アニムは一言多い」

「一言ついでに、余計な笑いも、おまけしちゃう! へへっですよ」


 ふへっと笑った私を見た師匠が「んだよ」と不気味そうに眉をしかめた。

 それと同時に離れた体温を残念に思いながら、私も体を起こす。師匠にここまでだよって、言われた気がして。


「ししょーは、こういうところ、ずっこいですね」


 だから、泣きそうになるのを堪えて笑う。素直に体を離して膝の上の花を払う。

 師匠を好きだと自覚して、あの夢を見て……正直、どこまで踏み込んで良いのかわからなくなっている。前以上に。


「……どーいう意味だよ」


 尋ねる師匠は、まるで自分の中に答えを持っているみたいな問い方だ。どうしようもなく悔しくなって、つい、背を伸ばしてそっぽを向いてしまう。


「ずっこい人には、教えてあげない!」


 横目で見た師匠ごしの空は、相変わらず綺麗だから、不思議と優しい気持ちにもなる。

 のは、私だけだったようだ。師匠にはぐいっと顔を正面に向き直された。でも、強引だったのは最初だけ。両頬を掴む手の優しさに、思わず微笑んでしまう。


「おい、アニム。お師匠様の問いかけに答えられないのかよ」


 師匠がこういう物言いをする時は、逆の意図があるのはもう知っている。私がそんなことないって言うのを見透かしての発言だ。

 だから、今日はなんだか意地悪したくなる。私の頬に添えられた師匠の手に、そっと自分のものを重ねた。


「ししょーが、ししょーとして、聞くなら、ないしょ。でも、私はししょー相手に、降参しちゃうから。先に、言っておくですよ。ししょーは、私に、幸せ思わせて、ぎゅうってしそうになる直前、すいって逃げるですから。ひきょーものー」


 と笑っても、どうせ生意気だなんて頬を抓られるのがオチだ。

 と思っていたのに、実際の師匠はなぜか地面に突っ伏してしまった。


「だから、ずっこい」


 つんつんと、師匠のつむじを突っつく。でも、無反応だ。

 えっと、これは、私が勝ちってことでいいのか? っていうか、悲壮感溢れる師匠の丸まった背中にむしろ謝りたくなった。私の身振り手振りに呆れたのだろうか。


「すいません、アニムさん。この期におよんで、オレはお前を甘く見ていた」


 耳が真っ赤な師匠が悲壮感あふれる声で謝る。


「どーいう意味ですか。私の仕草、発言、そんな、抱腹絶倒ですか」

「それ、二回目だな」


 師匠、冷静に答えている場合ではないです。不老不死の天才の記憶力やばいですね。


「ししょー、記憶力、良すぎです」

「おもしろすぎる、お前に関してはな」


 顔をあげた師匠があまりにも楽しそうに笑った。

 けれど、私が思わずジト目で睨み返すことが出来るころには、師匠はすでに冷静な目に戻っていた。

 むすっとして、それでも師匠の横に座りなおせば、また、師匠は喉を震わせた。


「そういえばさ。私、この世界来たばかりのころ、ししょー、水晶の花畑、連れて行ってくれたね」

「あっ?」


 得体のしれない感情を誤魔化したんじゃない。花つながりで思い出したのだ。

 離れた場所にいる子猫たちを眺めるため、自然と背が伸びた。


「もっと赤ちゃんなフィーニスとフィーネ、水晶の花、感動してた。私は、可愛げない口たたいてた。二人が素直は、変わらないね」


 今でこそ能天気な私だけど、異世界に喚ばれたばかりの頃はそれなりに落ち込んでいたのだ。

 そんな私を、師匠は心配してくれていたのだろう。とっても綺麗な水晶の花畑に、連れて行ってくれた。


「水晶言っても、ぐみゃんて柔らかくもなる、不思議な性質だったね」


 花の中心には宝石がなっていて、神秘的な光景に感動したっけ。


「アニムは随分と捻くれてたっけか。今とは違う種類の憎まれ口が多かったよな」

「うぅ。当時も、自覚はあったです。八つ当たり、ごめんですよ」


 自分でも可愛げなさマックスだった。しかも、突っ込み系ではなく、ネガティブな思考満載の。


「言われて、オレも思い出した」


 落ちた顔に、ふにっと沈んできた指。頬を膨らませて跳ね返し、横に向けた視線の先にいたのは、これ以上ないってくらい優しい笑みを浮かべた師匠だった。言葉がなくてもわかる。師匠が言いたいことが。


「お前、花冠作れねぇのに、赤ん坊だったフィーネとフィーニスに作ってやろうと必死になってたよな。あの不器用な手つき。今でも鮮明に思い出せるぜ」


 にやりと意地悪に笑った師匠。

 私はお世辞にも器用とは言えない。その時はとにかく必死に子ども時代の記憶を掘り起こして頑張ろうってやたらと頑なになっていた。結局、師匠に手伝ってもらったけど。

 そういえば、背後から手を掴んできた師匠に、心臓が悲鳴をあげていたっけ。

 なんだ、私、あの頃からずっと師匠が――。


「花冠、子どもの時、つくっただけ。大人になって忘れた。でも、赤ん坊フィーネたち、水晶の花畑、喜んでたから、どーしても、被せてあげたかったの」


 二人は今よりもっと小さくて、しゃべれなかった。よたよた歩いたり飛んだりしながら、高くて甘い声で「みゃあ」と興味深そうに水晶の花を掴んでいた。


「私がこの世界きたばっかりのころから、ずっと、私に、赤ちゃんなふたり守るって役割くれて、しゃべれないころから、異世界でも、人を想うは同じって、想う心を、教えてくれたから」


 異世界で赤ん坊のようだった自分より、もっと守ってあげないといけないと思えた二人の存在は、私を私でいさせてくれた。まるで、年の離れた弟妹の面倒をみていたころのように。

 師匠が足元の花を拾い上げ、ふぅっと息を吹きかける。綿毛たちがばらばらに舞い上がっていった。


「結局、オレが手取り足取り教えてやったんだよな。いやぁ。オレってば最初っから、変わらず優しいお師匠様だったんだな」

「自分で言う、世話ない」


 呆れ顔を向けても、師匠はひるまない。やけに満足そうに、顎を撫でている。

 そうだ。あと、もうひとつ大事なこと。


「私、言葉、全然わからなかった、でしょ?」


 今でこそ、異世界言の聞き取りは問題ない私。話す方は片言だけれど。

 でも、召喚当初は、この世界の言葉で話かけられるとパニックになっちゃって、文字ですら同じだった。全然覚えられなかった。魔法か何かわからないが、師匠が私の世界の言葉を理解話せたのもあって、甘えてたのもあるのかな。


「花畑、案内は、元気も出たけど、一番嬉しかったはね……」


 ぎゅっと師匠の手を握ると、彼は律儀に私の方を向いてくれた。

 あぁ、あの時と一緒だ。じっと私の言葉を待って、私を見てくれている。


「私、お礼の言葉、言えるまで、ししょー、ずっと待ってくれた。それが、たまらなく、嬉しかったの。イライラしてもよかった、ししょーは私の世界の言葉、わかるから、もういいって止めても、おかしくなかった」


 たぶん、私は異なる言語というよりも、放り込まれた異質な空間に混乱していたんだと思う。いくら元の世界と似た部分が多いとは言っても、私の国とは人の外見から文化まで違ったのだ。

 

「ししょー、とってみたら、意識してないかもです。けどね、私、ほんと、救われたの」


 救われた、という表現は最適ではないかもしれない。

たぶん、存在が震えた、っていうのが一番。


「嬉しかったです。なんて、表現正しいか、不明けど、間違いなく、嬉しかったの」


 照れ隠しに、ひとつ多く編んでいた花冠を、空めがけて放る。

 膝元に落ちてくると思っていた花たちは、風に運ばれて思っていたよりも舞い上がっていった。


「子猫たちを心配して、勝手に膝怪我したのも、うまく、お礼言えないのも、ししょーは、責めるなく、取り繕うなく、てね」


 青い空と魔方陣の光を受けて踊り花たち魅了されながら、ぽつりと呟いていた。

 きゅっと師匠の手を握れば、そっと応えて貰えた。じわりと涙が滲む。

 当時の私は、ただ嬉しかった。ただただ、理由が浮かぶより先に、嬉しいと思ったのだ。


「フィーニスとフィーネが、私の名前、呼んでくれているも、やっと気が付けたもん。泣き声じゃなくって。教えてくれるんじゃなくって、気が付くの、待っててくれたからね、余計に嬉しかったの。きっとね、教えてくれるのは、簡単思う」

「簡単?」

「うん。もどかしい思うは、イライラだし。あ! 教えてくれるが、嫌な訳じゃなくってね!」


 もちろん、師匠が教えてくれること全部が新鮮だったり、懐かしさがあったりだけど。

 これに限っては、私が自分で理解するまで待っててくれたんだって思ったら嬉しかった。


「うまく言えないけど。私、知らないこと、教えてくれるは、嬉しいです。この世界のこと、ししょーのこと」


 腕を組んで考え込んでみて、そうだそうだと、師匠に向きなおる。

 正座で手におひざ。

 急にかしこまった姿勢になった私を、師匠は口の端を落として見つめてくる。


「でも、あの時はね、私、この世界の言葉で、話しかけられるは、パニックだったから。ししょー、私に、わからない罪悪感、抱かせるなくて、気が付けた喜びをくれたって、勝手に思ってね。だから、私、今、しる幸せに、素直に向き合えてる」


 思うがまま、声に出して。初めて、答えを見つけた気がした。

 眉間に皺を寄せたまま、師匠の手が足首から離れ、私に伸びてくる。

 でも、どうしてか。髪に滑り込んでくる直前、止まってしまった。


「私、ここいていい、思ってね。ししょーが使う、言葉も知りたい欲求、わいてきてね。あれから、混乱少なくなった」


 宙で固まっている手を取り、無理やり、自分の頬に当てる。

 

「私が、この世界の言葉、使いたい、思うまで待ってくれた」


 花冠を手伝ってくれたり優しくしてくれたり。それに心配してくれたお礼を、どうしても、この世界の言葉で言いたくて。ても、パニックになっちゃってた私を見守ってくれて。それでいて、私が知らぬ間に、そっと背を支えてくれていた師匠。

 だから、私は頑張れたのだ。


「アニム、それは逆だぜ」

「へ?」


 私が掴んでいたはずの手。なのに、いつの間にか、師匠の両掌が私の頬に包み込んでいる。今更ながら、近い距離と熱を帯びた声に、体が熱を持つ。

 口を開けて固まる私から、いったん離れてしまった体温。


「オレは贅沢になりつつある」


 残念に思う暇もなく、ストールが包み込んできた。あたたかい温度が、手に触れる。師匠らしくもなく。わずか数秒前とは違う、遠慮がちに触れられている感覚が、心をざわめかせる。


「オレはお前の世界の言葉、ある程度なら理解できるから、別に元の世界の言葉でだって良かったんだ。使えるもんには頼った方が、効率だっていいだろうし」


 そうなのだ。師匠は水晶の花畑以降、私が元の世界の言葉でしゃべるのを嫌がるようになったが、召喚直後はむしろ率先して使わせていた。

 どちらかと言うと、言葉を覚えさせるより、会話をするのに重きを置いていた印象を受けた。


「上手く言えないって何度も言いなおしてたお前に、オレは気にするなって言ったろ? けど、お前さ、こっちの世界の言葉、つーか『オレの言葉』で気持ちを伝えたいって、頑として譲らなかったよな」


 いつの間にか、私は師匠の足の間に挟まれていた。心地よい侵食。まさに、その一言が浮かんだ。また、涙腺が刺激され、喉の奥が熱くなっていく。

 耐え切れなくなって視線を落とした先にあったのは、もう少しで出来上がる花冠。


「わっ私ね、あの頃、何もできなかったから」


 師匠が、よしよしと子どもを褒めるように頭を撫でてくる。

 師匠はずるい。まるで私の揺らぎの種類をわかっているみたいに、触れ方を変えてくる。私はどんなに頑張っても、師匠のことわかってあげられないのに。


「料理道具、水周り、なんでもかんでも、要領つかめなかったから。だけど、ししょーの優しさには、ちゃんと、気持ち、伝えたかったの」


 お湯を沸かすのにも苦労して、ベッドメイキングすらままならなかった自分。へまするわ、そんな自分に怒れてしまうわ。

 小さくなった私の声に気がついたのか。蝶を追いかけていたフィーネとフィーニスが、ちょこちょこ跳ねながら近寄ってきた。


「お前は不本意に召喚されたんだ。だから、オレは、術を失敗した人間が被害者にあわせるのは当然だって主張されても可笑しくねぇって思ってた。実際、そういう奴の方が多いしな」


 師匠のやたら真剣な声に、首を傾げてしまう。

 そういえば。この世界では異世界人は異質だけど、まったく未知の存在ではないと聞いたっけ。私の他にもいるのだろうか。


「当たり前の心情だとは思う。だからってわけじゃねぇけどさ。一生懸命、無意識に拒絶している異世界の言葉で礼を言おうと頑張った――言い切ったアニムがすげぇなって思ったんだ」


 これ以上、涙腺を緩めないで欲しい。ほめないで欲しい。いつもみたいに、ツンデレ気味にあほアニムって呼ばれるだけで、私は満足なのだ。


「そんなの、全然、知らなかった」

「そりゃそうだ。始めて口にしたからな」


 苦笑してみせた師匠。どこか自嘲染みた師匠の笑みは、私を吸引するみたい。

 不意打ちに褒められて、栓を詰めていたはずの涙腺から、熱いものがこみ上げて来た。

 人の努力は、比較ではない。だって、その人が置かれた立場によって実るものも違うし、その差を羨むのも違います。元の世界では、そう自分に言い聞かせてきた。

 だけど、この世界に来てから、それは単なる自分を守っていただけの甘い言い訳だったのかもしれないと思うようになっていた。


「ふっ……」


 頑張って止めようとしたけれど。師匠からの直球な優しさが、私を弱くする。

 弱い自分が嫌で。師匠の手から身を引いて、後ろにお尻が落ちる。目と鼻の先にいる師匠には、ばればれなのに、無意味な抵抗で両腕を組んで視界を隠してしまう。


「おっ、おい! アニム、泣くなよ! 悪かったって」


 慌ててくれる師匠が嬉しくて、余計に涙腺が弱くなる。

 頭を撫でる感触が優しくて、辛くて、わけがわからないと涙が落ちる。漏れる嗚咽に、師匠がため息を落とす。


「泣いたりして、ごめんなさい。私、ちゃんと、平気です」


 きりっとした声をだしたのに、殊更強く抱きしめられて、もうしがみつかずにはいられなかった。

 指先から染み込んでくる師匠の雰囲気に、また、ふぇっとなりかける。


「今までオレたちの関係に直接苦言してくる奴なんていなかったし、勝手に伝わってるって思ってた。でも、あの吹雪の一件で、言葉が足りなかったって思ってだな」


 ゆっくりと背中を撫でられて、しゃっくりが出た。

 何回かしゃっくりをした後、はっと師匠の胸に手を添える。手を離されることがないだけで、とても勇気がわいてきた。この距離感が許されているって。


「違うの! ししょー、悪くない。私、ししょーや訪問者さん、頼ってた。私、全然、頑張ってなかった。むしろ、甘えてた」


 私はきっと、自分をわかったような振りして、だれかに認めて欲しかっただけなんだ。右も左もわからない状況で、私なりに頑張っている。そういう甘えが心の片隅にでもあったから、努力が足りないと良い子ぶりながらも、認めてもらえないことに不満を抱いていた。


「私、謙虚でいるふりして、承認欲求の塊だった、です」


 だからこそ、『アニムさん』を妬んだり、上手くやれなくて、なのに弟子として評価してもらえないことに落ち込んだりしたのだ。アラケルさんに言われたことも、夢で見たことに嫉妬したのも、自分を受け入れられないからの落ち込み。


「私、ししょーへの、ことば、嘘ないけど。でも、私、ちゃんと、弟子できなくて、でもでも、訪問者のみなさんが、甘やかしてくださるも、しっていて」


 知っているのに、甘えてしまう浅ましい自分が情けない。

 嬉しさから流れ始めた涙は、懺悔の色に変わっていく。自分が情けなくて、情けないのに泣く自分がまた情けなくて、唇を噛む。


「だから」


 ぎゅっとスカートを掴む手が強張っていく。

 皆さんを大好きだと思うほど、師匠への想いが積み木みたいに積み重なるほど、思うのだ。一方的に保護されている自分が情けなくて、寂しいと。

 私はちゃんと私と向き合ているだろうか。みなさんが――師匠が見る私の向こう側には、だれもいなくて、ちゃんと私自身を見てもらえているのかなって。


「無条件に、優しく、なんて、しないで……!」


 私、なにを口走っているのだろう。

 頭ではやめなきゃって理解しているのに、口は勝手に動く。


「私は、ししょーの、優しさ、受け取る資格なんて、ないの」


 腕を下しても。目の前の師匠は涙で歪んでしまい、見えない。鼻水が詰まって、頬が濡れて。顎を伝って流れていく熱い涙が、頭痛を誘う。

 たった今、自分が吐いたひどい言葉が、脳天を突く。師匠の優しさを全部否定した、醜い考え。師匠の優しさを『アニムさん』を通して私を見ているという、師匠をないがしろにしているモノ。


「ごめん、なさい」


 今の私は、師匠の優しさを乱暴に突き返している。ごめんなさい、師匠。どうして、一年前に水晶の森で紡いだような、素直で濁りのない「ありがとう」を口に出来ないだろうか。

 

「アニム」


 かたい声に、大げさなくらい体が跳ね上がった。

 距離をとろうとした背中にそっとまわってきた腕。戸惑い気味に触れてくる指先に、師匠の気持ちが込められている気がして、言葉を聞くより先に泣きそうになる。


「オレは無条件に愛情注げるほど、心の広い男じゃない」


 頭を撫でていた掌に、後頭部が押された。師匠の肩口に触れた額が、とても熱い。もう片方の手は、優しく背中を摩ってくれている。

 それが、どうしようもなく胸を締め付ける。


「確かに、お前を術の失敗に巻き込んじまったのは、悪いと思っている。けど、オレはお前がお前だから一緒にいたいわけで、いや、だからといって、その、お前の意志を無視したいわけでもなく」


 しどろもどろな口調。曖昧な感じに、余計に熱いものが込み上げてきた。

 私、いいのだろうか。異世界の師匠に、いなくなったら寂しいと思ってもらえる存在になっているって。


「ふふっ。ししょーってば、あいまいだね」


 くすぐったく笑ってしまう。あいまいでも嬉しかったんだ、私は。

 嬉しかったのに、師匠は苦しそうに眉をひそめて両腕を掴んできた。結構な痛さだったけれど、嫌ではなかった。ので、そっと彼の両頬に両指を伸ばす。


「お前は、あいまいでも、そうやって笑うんだな」


 両手に頬を沈めてきた師匠が、なにか呟いたが、私にはハッキリとは聞こえなかった。

 

「あにみゅぅ」

「あにむちゃー」


 いつの間にだろう。フィーネとフィーニスが、私と師匠の隙間に入ってきて、ちょこんと膝の上に乗ってきていた。心地よい重さに、胸が熱くなる。

 全身に落ちる私の汚い涙を払うこともせず、ただ受けている子猫たち。時折、可愛いピンクの舌が、雫を舐める。


「あんね! 一生懸命だったあにむちゃ見て、ふぃーねもね、頑張りゅ思ったでしゅ」

「ふぃーにすもぞ! もう、ふぃーにすのが、ちゃんとしてるけどにゃ!」


 おどけた様な二人の声が、心を解きほぐしてくれる。

 師匠は深く息を吐いて、頭を撫でてきた。


「吹雪の中でも気にするなって言ったのによ。お前、もしかして、ずっと塞ぎこんでたのは、それを悩んでたのか?」

「……うん」


 絞り出した声は、みっともなく枯れていた。私の言い方はひどい。

 ストレートに、『アニムさん』への想いを聞けばいいのに、遠まわしな言い方をして。フィーネやフィーニスにも心配をかけて、自己満足に浸っている。

 本当はね。『アニムさん』も、私自身に関しても、師匠の気持ちも。全部、聞きたい。けれど、私の心がこの世界と元の世界、どっちにも定まっていないのに、それを尋ねるなんておこがましいと思ってしまう。

 でもでも。その後に顔を覗かせるのは、もっと卑怯な思い。私の思いを知らなくても、今の師匠がどう考えているのか知りたいっていう。


「まだ、言いたいことあるんだろ?」

「そんなこと、ない」

「嘘付け。この際だから、全部吐き出しとけ」


 ほら。師匠は私の醜い心の内なんて想像もつかないなんて様子で、言葉をくれるんです。いえ。師匠なら、わかっていても全部抱きしめてくれるかもしれない、なんて期待を持ってしまう。だから、余計に苦しい。

 でも、ごめんなさい。師匠がそう言ってくれるならという言い訳をしながら、聞いてもいい? 


「ししょーたち、はね」


 ひどく掠れた声が、あたたかい花畑に落ちた。

 どっどっどと、心臓が音を立てて暴れる。


「もしね、もしかして、仮定けど。私、いなくなる――私の世界、戻りたい、言っても、笑顔でおわかれ?」


 ぽつりと零された言葉。ついに言ってしまった。激しい後悔に襲われるが、一度放ってしまった言葉はひっこんではくれない。心臓がきゅうっとしぼむ。

 もっと冗談ぽい声調で口にすれば良かった。

 これじゃ、師匠たちに情があるのか尋ねてるも同然! 何か付け足さなきゃ。


「えっと! 私、消えたら、みんな寂しい、思ってくれる、わかってるよ? けど、その、アニムな名前的にも、問題あるかもですけど、って! 存在的なくて、名前の由来、言霊的には難しいかもとか!」


 あぁ! 外道さが増した! 師匠の極悪非道面なんて突っ込めない、私が人でなしだ。しかも、『アニムさん』の存在を知っているとほのめかすような発言をしてしまった。

 そんでもって、誤魔化すための、名前的ってわけわからないよ。自分。確かに『アニム・ス・リガートゥル』って魂を縛るというような意味らしいので、この世界と切り離すのに苦労するだろうから、笑顔どころか疲労困憊状態でお別れかもしれないし。って、違う! そんな心配じゃない。


「ごめんです、かなり混乱状態! 忘れて!」


 平静を取り戻すため、膝上のフィーネとフィーニスの背を握り締める。柔らかい毛と、あたたかい体温が、ひどく私を攻め立てている気がした。

 フィーネとフィーニスはくりっと丸くて綺麗な瞳で、きょとんと見上げてくる。


「なっ名前が、私が、アニムがって、私、何が言いたいのかって、言うと。全然、深刻なくて、ししょーも気軽に、受け取ってもらえたらで、いいのでして」


 どんなに待っても、不可解そうな疑問の声も呆れた言葉も、返ってはこない。

 濡れそぼって引きつった頬もそのままに顔を上げると……満面の笑みで青筋を立てている師匠がいた。

こわっ!!


今回出てきた水晶の花畑の話は、完結後の番外編 第140・141話『引き篭り師弟と、水晶の花畑1・2』でお読みいただけます。


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