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引き篭り師弟と、痴話喧嘩1

「――にむ。おい、アニム! 師匠の呼びかけを無視するとは、いい度胸だな!」

「わっ!」


 師匠の声を認識したのが先か。はたまた、頭頂部に受けた衝撃しょうげきで我に返ったのか。ともかく、円卓についていた肘が、ずりっと滑った。

 頬がついた円卓は、玄関ホールの脇にあるだけあってとても冷たい。どきどきして、あがっている体温にはちょうどいい。

あまりの気持ちよさに、瞼が落ちる。


「たく。いつもに増して反応が鈍いじゃねぇか。どうした?」


 落ちた前髪を払った師匠の指。腰を屈めて顔を覗き込んでくれている師匠に、熱があがっていく。

 怒っているはずなのに、ちゃんと目線を合わせようとしてくれるんだもの。嬉しいはずなのに、どうしてか目を見られない。


「どうもしないけど、ししょーの手も、机も、ひやっこくて、気持ちいい」


 あぁ、でも。失敗だ。完全にまぶたを閉じてしまったら、よけいに師匠の温度が沁みてきた。

 ゆっくりと目を開いた先にいたのは、思い切り眉をしかめた師匠だった。でも、不機嫌じゃないのはわかる。


「熱がまたあがってんのか?」

「ううん、平気。大丈夫けど、違うの。なんか、ちょっと、だるいだけ」


 額に当てられた手をそっと掴むと、師匠の口の端がさらに落ちてしまった。

 そんな師匠に、私の頬は緩んじゃう。実際、そうだったのだろう。


「体調悪いやつが、なに、にやついてんだ」


 ぐいっと摘ままれた、机についていない方の頬が焦げてしまいそう。


「僕、もう帰るんだからさ。いちゃつくの、もう少しだけ我慢出来ないのかい? 二人の世界、作っちゃってさ」


 体を起こし玄関へ向きを変えると、マントを身につけているセンさんがいた。 目が合ったセンさんは、にこりと微笑みかけてくれた。

 一方、師匠はむすりとして私に親指を向けてくる。


「うっせぇ。アニムのあほ面見てみろ。どうしてそこに行き着くのか、意味がわからねぇよ」


 って、あれ! もう、そんな時間⁉ スイッチが入ったように、急に頭と体が動き始める。

 椅子を鳴らして立ち上がってしまったよ!


「ごめんなさいです! センさん帰る時間、気がつかなくて!」


 いつもの如く、外界からの依頼を師匠に届けにいらしたセンさん。そのまま泊まって、ちょっと早めのお昼を食べて、それから師匠とセンさんは談話室でお茶してて――。


「今日は珍しく、アニムは一緒にお茶をしなかったからね」


 お茶には、私も誘われた。けれど、お二人が一緒にいるところを見ていると、先日の夢の件を尋ねてしまいそうだったので、遠慮したのだ。


「わっ私、すみませんです! お茶どころか、お見送りも、できなくて。ちゃんと」

 

 センさんがお昼過ぎには帰宅されるというので、せめて気持ちよく帰って頂こうと玄関先を掃除しようと思っていたのに。掃除道具片手に、ぼんやりしてしまっていたんだ。


「私、ほんと、ちゃんと、できなくて」


 センさんに駆け寄り、無意味に手を動かしてしまう。そんな私の頭を、柔らかく撫でて下さるセンさん。

 あまりの優しさに、自分勝手に落ち込みが増す。


「アニム、慌てなくても大丈夫だよ。それより、時折ぼうっとなっているみたいだけど、まだ熱が下がりきってないのかい?」

「熱は、もう、ほんと平気です。ご心配、すみませんです」


 カローラさんに過去を見せられてから早三日。体調は万全なはずなのに、やることなすこと失敗続き。自己嫌悪と恥ずかしさで、蹲ったのは何度だろう。


「料理も、味、変だった。ごめんなさいです」


 魔法が使えないのを実感してから、おもてなしや身についていることからしっかりやろうと、心に決めた。今まで以上に。

 なのに、色んな感情がこんがらがって、逆の結果になるばかり。いままではそれなりにこなしていたことさえ、できなくなっている。


「なんだ、そんなこと気にしていたのかい? 病み上がりに味覚が定まらないなんて普通だし、初めて作る料理だったんだから仕方がないよ。それに、僕は美味しいと思ったしね。僕は」


 センさんは、俯いている私を覗いてくれた。腰を屈めて。

 薄桜色の瞳が、細められている。あまりにあたたかい眼差しに、うるっと視界がにじむ。


「セン」


 センさんを咎めるような師匠の声。後ろから師匠が溜め息混じりに近づいてきたのが、靴音でわかる。

 ちらっと横目に入れると、案の定、師匠は不機嫌そうに眉をしかめていた。きっと、私を甘やかすなって釘をさしているんだ。


「今、考える、と。お客さんに、初めて料理出す、自体、失礼でした」


 口から出した後、自分の言葉にはっとなる。ぐっと噤まれた唇がひりっとした。

 いつもの私なら、次は頑張るからチャンスをくださいねって、笑顔で言える……なのに。折角、センさんが慰めてくれているのに、余計心を曇らせちゃう愚痴を言っちゃうなんて、迷惑もいいところだ。


「うーん。どうやら、僕とアニムの間にはちょっとばかり、温度差があるみたいだね」


 あぁ、やっぱりだ。センさんは背を伸ばして苦笑を浮かべている。

 俯いて、ぎゅっとスカートを握ってしまう。センさんは私にとって、師匠の親友ってだけじゃなくて、お兄さんみたいな存在だって勝手に思っているから。


「ごめんなさい、です。私、きっと、センさんだからって、甘えてた」


 センさんにとって私はどんな存在なのかな。私、個人として仲良くなりたいって思うのは、迷惑かな。

 喉の奥が熱くなって、ダメだって何とか笑みを浮かべた。よし、これなら大丈夫。そう顔をあげた先にあったのは、ちょっと困ったような微笑み。


「アニムにとって、僕はただのお客さんなのかな」

「え?」


 センさん、怒ってらっしゃらないのかな。意外な言葉に、目を瞬いてしまう。

 と、両頬に軽い弾みを感じた。どうやら、センさんの掌が、私の頬に触れているようだ。

 まるで他人事と思えるくらい、センさんが私に触れてくるのは珍しい。


「アニムが、僕をほかの訪問者と同じ距離感で見ていたのなら、寂しいよ」

「寂しい、ですか?」


 首を傾げると、センさんのウィンクが飛んできた。絶好調な王子スマイルだ。壊れ成分のない、完璧な王子っぷりだ。


「僕としては、お兄ちゃん的立場を狙っているんだけどね。だから、気を使うことなんてないんだよ?」


 相変わらず、センさんの口から「お兄ちゃん」と出ると、怪しく聞こえてしまうのは偏見だろうか。いつぞやの、マニアックなご要望が思い出されるからだろう。

 けれど……嬉しくて、視界が歪んでいく。


「せっセンさん、私」

「うん。それと、意地悪な師匠は、ちゃんと懲らしめてあげておいたから、安心してよ」


 センさんがおっしゃる意地悪とは、師匠がはっきり「いつもと違う」と口にしたことだ。

 センさんのお茶目な表情から本気の『懲らしめ』ではないのはわかる。けれどと、焦ってしまった。


「ししょー、意地悪は、思ってないですよ⁉ 私、ししょーが、私の料理、食べてくれるの、嬉しいし、嘘は言わないですから、頑張りたいし、嬉しくもあるですよ。って、でも、センさんの、お気遣いも、幸せで!」


 師匠の意見はいちゃもんだとは思わない。私が失敗した、格好つけた晩御飯。確かに、はりきりすぎて纏まりのない味だった。

 でも、かばってくれたセンさんも嬉しくて。うまく伝えられない言語能力がもどかしい。


「あの、どっちもって、気持ちは、だめですか?」

「アニム、お前。センだからいいものを。正直すぎるのも問題だぞ」


 理不尽だ。思わず、師匠を睨みあげちゃったよ。師匠はわずかでもたじろいだのか、口の端を落とした。

 出会ったころの私は、長女なうえに年の離れた弟と妹がいることから、甘えるどころか、辛い気持ちや文句が口にできなかった。そんな私に見かねて、なんでも正直に口にしろって言ったのは師匠なのに。


「大体、セン。お前は、お兄ちゃんとか気色悪ぃ。この変態が。それに、どさくさに紛れて、人様の弟子の頬に、がっつり触れてんじゃねぇよ。とっとと離れろ!」

「思い切り腕を叩き落さなくても、いいじゃないか。ウィータってば、殊更、独占欲がひどくなってないかい?」


 センさん、変態という言葉には反論しないのか。むしろ、今日一番の笑顔だし。


「うっせぇ! 師匠として、弟子にまとわりつく変態を警戒してんだよ。昨日グラビスの話ついでに、諸々説明しただろ」

 

 変態、という単語が引っ張ってきたのは、吹雪の中で聞いた粘りのある声。頭の中で、嫌と言うほど、鮮明に再現される。

 声の主は、師匠とセンさんの召喚術を邪魔した人だろうか。下手に、知っているはずのない情報を得てしまったので、単純に何者なのか尋ねられなくなってしまった。過去を盗み見たのを、うっかり口を滑らせない自信がない。


「アニム、眉間」


 また呆けてしまっていたようだ。きゅっと寄った皺を、師匠が人差し指でぐりぐりと押してくる。


「いたた。ししょー、押さないでよ」

 

 結構、痛い。首が後ろにそって、今にも倒れそうだ。

 それでも容赦なく押してくる師匠の手を取り、がっちり両手で包み込んで動きを封じてやる。師匠ってば体温が低い。私の熱が師匠に流れ込んでいくみたいで、苦しくなる。


「アニムの隙が多すぎるからだろうが。身体的に問題なくなったとして、いつまで経っても、外界へ出るのを許可できねぇぜ?」


 最近、異世界の生活に慣れてきて、警戒心が薄れてきているのは間違いない。

 けど、私もいい大人だ。無知な子どもじゃない。


「私だって、不特定さん懐いてる、違う。だれにも、触れられて大丈夫、思ってない。最近、私、ししょーには、甘えてる。から、ししょー、勘違いしてるだけ」


 ふぐ顔負けに、頬を膨らませる。握っている師匠の手を自分の肩口に押し付けてやる。すると、仕返しのように、反対の手で髪を掴まれた。

 私に負けまいと、師匠も不機嫌オーラを放出だ。負けるもんか。


「……二人してさ、物凄く自然に、僕の存在忘れてるよね」


 はっ! そうだった、センさんに見られているんだったよ! 恥ずかしい!

 一気に上昇した体温で、全身が茹で上がる。

 握り締めていた師匠の手を投げ捨ててやる。あまりの勢いのよさに、師匠の体がよろけた。というか、女の力で、ぐらつかないで頂きたい。


「ちょっと会わない間に、前にも増して甘い香りを放ってるみたいだけれど。何かあったのかい?」


 センさんの苦笑に、師匠は大きなため息をついた。ついでに、疲労感たっぷりな気だるい調子で、私の頭を叩いてくる。


「ねぇよ。むしろ、なんもねぇーんだよ」


 へ? 師匠の言い方だと、なにかあってもいいみたいに聞こえる。

 きょとんと間抜け面で見上げた私に、師匠はさらに眉を跳ね上げた。


「それどころか、このあほ弟子は、オレを単なる抱き枕か暖をとれる対象ぐらいにしか、考えてねぇみたいだからな」

「ししょー!」


 師匠、照れ屋なくせにさらっと言いやがりました! 平然とした態度で、私の大声に耳を塞いでいるし!

 私を赤ん坊レベルだと思って、まさかセンさんが夜的連想しないだろうという前提があるかもしれないけれど……!


「本当のことだろうが。明け方にお前の腕にもぐりこんできたフィーニスとフィーネ、抱きしめながらも、足先はオレに絡めてきたりな」

「ばかばか、ししょーのばかー! 私、足先、冷え性なの!」


 熱が出て弱気になっていたとはいえ、あの夜の自分の擦り寄りっぷりは、確かに異常だった自覚はある!

 きっと、私は今、爪先まで真っ赤になっているに違いない。


「あの、センさん、抱き枕いうは、たとえ! 私、赤ちゃん、みたく、甘えてない、ですよ?!」


 さすがに子どもっぽすぎると呆れられてしまうよね。センさんは師匠と同じ不老不死なので、私を赤ん坊レベルだと思っているかもしれないけど。

 師匠だって、普段なら私を目の前にして、訪問者の方にこんな話を暴露なんてしないのに。折角、赤ん坊から小娘に格上げになったのに、あの夜の一件で師匠の認識が元に戻っちゃったのだろうか。


「君たちって、本当にさぁ」

「センさん、聞いてください!」


 私が、あまりに鬼気迫っていたからだろう。センさんは、苦笑を浮かべて私の両肩に触れてきた。それが余計に羞恥心をくすぐって、ばっと師匠に向きなおる。


「ししょー、ひどい! 乙女の心、まる無視ですよ! 例えでも、無神経おじじ魔法使い!」 

「例えじゃないだろうが。大変だったなぁ。寝ついてからも、擦り寄ってくるわ、足絡めてくるわ、寝顔はにやけてるわ。苦しいやら重いやらで、老体を労わらない弟子に抱き潰されるかと思ったぜ」


 罵りをへともせず、なおもしゃべり続ける師匠。大げさに肩を竦めて、両手を万歳している。あまつさえ、顎をあげて底意地悪そうに、にやりと口の端をあげた。長めの前髪が影を作って、久しぶりに黒い煙が周囲に見えてる。


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