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引き篭り師弟と、悪夢の後2

 肌にタオルを滑らせる度、ハーブの良い香りがする。洗面器状の器に張られたお湯。その中に数滴垂らされているのは、エルバとも呼ばれるハーブから作られた精油だ。ほんのり甘い匂いが、呼吸を整えてくれる。

 

「いつものより、すっきりした、香り。ちょっと果物のも、まざってるのかな」


 一通り拭い終わる頃には、汗でべとついていた体が大分さっぱりした。髪用のタオルを手に取ると、一段と強い香りが広がっていく。あ、これ。あらかじめ、タオル自体に大目の精油を染み込ませてくれているんだ。


「ふぃ。気持ちいい」

「そりゃ、良かったな」


 吐き出される息に混じるほどの独り言にも、師匠は律儀に返事をくれる。

 夢の中では、目の前にいても全く見てくれなかった師匠。夢だし過去だし、当たり前だけれど『アニムさん』のこともあり、とても辛かった。

 

「ししょーもウーヌスさんも、ありがと」


 そういえば、友達の亜希あきが、恋をすると心が弱くなると愚痴っていたのを思い出す。恋愛経験の多い千紗ちさは、感情の起伏が激しくなるだけよと、大人びいた微笑を浮かべていたっけ。恋愛などしていなかった私は、パフェを頬張りながら、大変だねと人事のように聞いていた覚えがある。

 こんなことなら、千沙の恋愛講座をきちんと聞いておくんだった。


「この間、お前が摘んできたエルバを使って作ったやつらしいぜ」


 さすがウーヌスさん。

 本当は魔法調合も家事も、私が手伝う必要なんてないくらい、何でもこなす式神さんだ。


「ウーヌスさん、ほんとに器用。精油、嬉しい」


 私が摘んできたエルバは、師匠から頼まれたモノとは違っていた。茎や花は似ていたけど、根っこの本数が間違っているのに気がつかなくて。

 ウーヌスさんは、しょんぼりしている私を見て、「ちょうど私が摘みに行こうと考えていた物です」と引き取ってくれた。

 私は、本当に恵まれた環境にいる。髪を拭く手に、力が入った。


「明日、伝えておく。それか、直接言ってやってくれ。あいつ、喜ぶぜ」

「もしかして、ウーヌスさん、もういない?」


 パーテンションから顔だけを出してみると、すでにウーヌスさんの姿は見当たらなかった。フィーネとフィーニスを、膝の上で愛でている師匠とだけ。師匠は、ベッドに腰掛けている。

 てっきり背を向けて座っていると思っていたので、目があったまま、呆けちゃった。まっまぁ、体は見えていないので、大丈夫!


「あほ弟子。恥じらいつーもんを、汗と一緒に流したのか」


 でも、師匠的にはアウトだったようだ。じと目で睨まれた。


「ちょっと、顔出しただけ。ししょー、こっち向いてる方が、すけべだよ」


 本心ではないけれど、売り言葉に買い言葉。つい、いつもの調子で返してしまった。


「背中向けてたら、お前の異変に気がつくの遅れるだろ? つーか、そんなこと良いから、早く終わらせろ。調子こいてると、熱があがるだろうが」


 師匠ってば、どこまでも過保護だ。いくら風邪をこじらせているとは言え、話している最中に突然ぽっくりいくわけない。

 でも、そうか。私の場合は、魂と体の定着とか、色々諸事情があるもんね。


「昼間よりは、断然、体調いいですよ。元気」

「さっきまでうなされていた奴の台詞とは思えねぇな」


 私、どんだけ唸っていたのか。

 ウーヌスさんがタンスから出してくれていた新しい下着と夜着を身につけると、わずかに爽やかな香りがした。ウーヌスさん、服にも違うエルバの精油をかけてくれたのか。


「ほれ、突っ立てないで。こっち来いよ」


 私、師匠に見惚れてしまっていたようだ。一気に頬が熱くなる。暖炉の火と、ほんのりと灯かっている魔法に感謝だ。薄暗いから。

 ちらっと横目でとらえた師匠は、フィーネとフィーニスを枕元に寝かせているところだった。


「いつまでも、んな所でしゃがんでんなよ」


 再びベッドの淵に腰掛け直した師匠は、自分の方へ手招きをしてくる。とにかく、一度横に座れという指示だろうか。

 躊躇とまどいがちに、少し重い足を踏み出した先にいた師匠は……両手を広げた。しかも、どこか楽しそうに。


「え、あの、ししょー?」


 後一歩前に進めば、師匠の足の間に収まってしまいそうな距離に来ても、腕が降ろされることはない。

 無意味に自分の裾を握って、まごついてしまう。私にどうしろと。


「アニム」


 正面きってアニムと呼ばれ、痛んだ胸。息が苦しい。

 すると、私を見上げていた師匠の表情が、ふっと柔らかいモノに変わった。少年のようだった笑みは、おだやかであたたかい眼差しに衣替えだ。眠たそうに落とされている瞼が、それを強調している。


「アニム、おいで」


 呼ばれて、溢れてきたのは身を焦がすような想い。泣きそうになってこぼれた息が、暖炉の火と交じり合ったように、熱を含む。

 気がつけば、吸い寄せられるように師匠へ抱きついていた。頭を抱えるように腕に包まれ、よけいに体を押し付けてしまう。


「よしよし。家族の夢でも見て、恋しくなったのか?」


 先ほど私がさらした醜態のせいだろう。『家族』という言葉だけ、わずかに硬く発せられたように感じられた。


「思い切り、お子様あつかい」

「恨めしそうな声出しつつも、擦り寄ってきてるのは、どこのだれだか」


 師匠の足の間に座り込み、というよりはまたがっているに近い姿勢は、結構恥ずかしい。

 でも、腿の内側に感じる師匠の体温も擦り寄っているのも、全部子ども扱いされても仕方がない格好のおかげだと思うと、羞恥心しゅうちしんなどかなぐり捨てられた。


「ししょー、甘やかしてくれるなら、こどもでもいい」

「ったく。さっきのフィーネの言葉、真似てるつもりか?」


 素直じゃない言葉を吐く私に、同じような台詞を返しながら。師匠の手は、髪や背中を甘やかして撫でてくれる。


「だって、ししょーが、べたってしてくれるは、まれだもの」

「あー、アニム、お前、自覚ねぇだろ。自分の言い回しがやばいって」


 つむじに置かれた師匠の顎。ついでにと落ちてきたのは、疲労感たっぷりの声。師匠の胸にくっつけている頬に、ちょっとだけ早めの鼓動が響いてくるから気にならない。

 夢じゃなくて、私は現実にいるのだと教えてくれる心音。師匠の背中を掴む指をぐっと曲げ、心底ほっとできた自分がいた。


「アニム……」

「うん」

「ごめんな」


 師匠は『何が』とは言わず、耳元でささやいた。

 反射的に顔をあげかけるけど、強く頭を抱きこまれてしまった。緩やかに背中を滑っていた手が、強張った調子で体をきつく絞めてくる。


「ししょー、謝るは、どうして? ぐりぐりって、甘えてるは、私なのに」

「アニムはもっと素直に甘えてこい。強がってんじゃねぇよ。じゃなくて」


 時折、零される師匠の謝罪。前は、無関係の私を術の失敗に巻き込んでしまったからだと思っていた。けれど、今は失敗の裏にある意味が気になる。

 師匠が、私ではない『アニムさん』を望んで意図的に召喚したのを悲しく思えども、師匠を恨みはしない。


「私、ししょーに謝られる理由、さっぱりだよ」


 どう何を伝えて良いのか、わからない。

 ただ、私がしたことと言えば、一心に頭を振っただけ。師匠の腕の力が強くなる


「……理由はわからねぇけど、この世界とアニムの存在固定が急激に進んでる。アニムの情緒が不安定になってるのは、今まで現実味が薄かった次元超えを、魂や体が実感しちまってる影響かもしれねぇ」


 解釈が難しい。たぶん、師匠は、魂や体の状態が思考にも影響してくると言っているんだよね? 

 体はともかく、魂という概念は、元の世界ではいまいち馴染みがない。なので、そちらに重きを置いて、自分を無理にでも納得させておこう。深く考えると、どつぼにはまってしまいまそう。


「今まで、あんまり家族を思い出さなかったのは、アニムの存在が宙ぶらりんになってたからかもな。だから、オレも触れなかったんだが……話しておけば、あんな風に動揺して泣かせることはなかったかも知れねぇのに。悪かったな」


 少し低めの声で話す師匠。

 体を起こすと、師匠は予想以上に真剣な目をしていた。いつものように解説してくれている時の目にも見えるけど。アイスブルーの瞳が訴えかけてきているようにも思えた。


「急激、進んでる? それ、私、この世界馴染んでるって、意味?」


 図らずも、明るい調子になってしまった。

 この世界に自分が馴染んできている。受け入れてもらっているという事実に、心が躍る。それと同時に、いつも私の気持ちを敏感に察してくれるくせに、変なところで理屈っぽい師匠が、おかしかった。

 馬鹿にしてるとかじゃなくて、純粋に嬉しくて、くすぐったかった。


「お前としては、喜ぶところじゃないだろ……確かに、オレには都合が良いが」


 耳を掠めた声。頭の中で反芻しようと試みるが、深く考えては駄目だと脳が拒否してしまう。

 仕方がなく、緩む頬のまま、師匠の顔を覗き込んだ。


「ししょーの、都合いいは、なんで?」

「その。つまりは、アニムの存在が固定されてきて安心つーか。不安定だって、目を光らせてる必要も減って、手間が減るつーか。いや、面倒くさいってのはねぇんだぜ?!」


 師匠の体から力が抜けていく。にやけている私に、面食らったのかな。

 私の腰を掴んでいた手が、頬にあがってきた。顔に髪がかかっていたようで、耳にかけてくれた。


「それより、お前、変な植物とか魔石とかに触れたりしてないよな」


 『変な植物』という言葉に、馬鹿正直に反応してしまった。ついっと、視線がそれちゃう。

 もしかして、存在の固定が進んだのって、カローラさんが意識に入ってきた影響かもしれない。

 けど、カローラさんの件を話すと、芋づる式に夢の内容も語る形になってしまいそうだ。


「おい、アニム。まさか、本当に拾い食いとかしてねぇよな?」


 私の髪を梳いていた師匠が、不審げに手の動きを止めた。


「ししょー、私、なんだと思ってる。私、ずっと、家で、寝てたですよ。それはさておき、ししょー、さっきの、ちょっと違うよ」


 あからさま過ぎる話題逸らしだった。でも、ここは勢いだ!


「私、家族のことで、ぴーぴー泣かなかったは、存在が宙ぶらりんだけ、ないの。確かに、家族への意識薄い自覚あった。元の世界に……帰りたい、も強く思わなかったの、自分でも、ちょっと不思議思ってた」

「……ん」


 師匠から、小さな返事が漏れた。消えそうな声に、なにやらまずいことを言ったかと焦ってしまう。

 でも、ちゃんと自分が抱いていた疑問と一緒に、気持ちも伝えたい。

 じっと次の言葉を待っている師匠の後ろには、心地よさそうに寝息を立てているフィーネとフィーニスがいる。フィーネは横向きで手をクロスして、フィーニスは仰向けで大の字になっています。心が和む。誰かさんたちを思い出すなぁ。


「召喚されたばかりの頃。ししょー、家族や私の世界の話、いっぱい聞いてくれた。だから、自分しかわからない孤独感溜め込んで、号泣するなかった。うるっとしても、ししょーや赤ん坊フィーネたち、慰めてくれたもん。ありがとう」


 拙い言葉だけど、この世界の言葉で一生懸命伝えたい。そういえば、こんなこと、随分前にもあった気がする。

 複雑そうな顔で固まっている師匠の両手を、ぎゅっと強く握り締める。私と師匠の手の大きさには差があるので、完全には包み込めない。でも、言葉だけじゃなくって、私という存在も一緒に伝えたかった。


「えっと、つまり。さっき子どもみたい泣いたは、久しぶり、家族の夢見たから。それに、熱出てる、弱ってたから。でも、ししょーたち、これ以上甘える、良くない思ったの」

「あほ弟子が。弟子が師匠を頼らずに、だれに世話になんだよ」


 私が師匠の両手を掴んでしまっているからだろう。額同士が、ぐりぐりと擦り合わせられた。おぉ。熱が師匠にうつっていって、気持ち良い。

 ではなく。怖い目つきの師匠が、間近にいらっしゃる。けれど、口元を見ると、ただ拗ねているだけなのかなとも思ったり。


「だって。最近、ししょーってば、私の世界って言う、不機嫌なる。どうして?」

「あー、悪かった。それは、まぁ、なんだ。気にするな」

「無理、教えて。だって、私、自分の気持ちも、伝えたいけど、なによりね、ちゃんと、ししょーを、知りたいの」


 自分で近づいておきながら、あとちょっとで唇が触れそうな距離に呼吸が止まった。

 そりゃ、おやすみの挨拶は何度もしてる! でも、目を開けた状態で師匠のどあっぷはきつい! かっこよくって! 反対に、私は変な顔してるだろうし。

 でも、先に体を離したのは、師匠だった。薄暗い中でも見える、真っ赤な顔。怒ってるみたいな表情に、目つき。


「私のアップ、耐えられない、ですね。ごめんです」


 すっと距離を取ろうとした瞬間。痛いくらいの強さで、両腕を掴まれた。心なしか、持ち上げられてるような。


「ちげーよ! あんま、かわい――無自覚なことばっか言ってっと、食いつくぞ!」


 食うとは。内心では、はっとしつつ。思い当った食べられるものに、ゆっくりと指を触れていた。

 ずっと寝込んでいたので、荒れていないか不安だ。


「おやすみの挨拶の時? 触れるだけだと、唇の皮、気になるかな」

「うっせぇ! アニムは、ほっんと危機感もて!」

「ししょー、さっき、弟子がししょー甘える、当然言ったばっかり。私、ししょーに、危機感持つは、いじわるされる時、くらい」


 ですです。師匠がいじわるに笑う時は、対戦モードに入りる! 警戒モードだ!

 きりっと決め顔ですぜ。


「だぁー! もういい! オレの事情だ、ほっとけ! お前は気に病むな!」

「えー、納得不可能。ししょーたるもの、弟子の疑問、答えるは義務」


 びしっと指先を師匠に突きつけてやる。あぁ、こんなやり取りがすごく幸せ。師匠が私を見てくれているって感じられる。

 師匠から重々しいため息が落ちた。


「師弟は関係ねぇんだよ」


 ついさっき、師弟を説いていた口が関係ないとおっしゃるのですか。お師匠様。 

不満いっぱいに睨みあげることしばらく、師匠がぶすりと唇を尖らせた。


「うっせぇな。ったく、言えば満足するんだな?」


 胡坐あぐらをかいている足首を掴んでいる師匠は、疲労感たっぷり。逸らされた視線は気になるが、とりあえず答えをくれることに満足しなければ。

 大きく頭を動かすと、ちょっとだけめまいが起きた。ぐっと唇を噛んで、師匠を見つめる。


「例えばだな。初めて顔を合わせた人間、しかも、おもしれーかなって興味を抱いた奴がいるとするだろ?」

「うん」


 突然始まった例え話に面食らいながらも、思い切り顎を引く。即答だ。

 師匠の一言一句、聞き逃すまいという気迫が伝わったのだろう。前のめりになった私から逃げるように、師匠は重心を後ろに倒した。しかも、何故か口元が一瞬ひくついたよ。同意しているのに、何故。


「興味を抱いている。だから、そいつを知りたいと思う。関心がない事柄より、興味がある内容の方が頭に入るよな」

「わかる。当然です。私も、この世界きて、そーだったもん! あのね、ししょーや子猫たち、ウーヌスさん、訪問者さんたち、親身に、教えてくれるし! 料理だってね、ししょーに、おいしく食べて欲しい、思ってるから、頑張れるの」

「だから、お前は、普通に言う」


 顔を覆ってしまった師匠。はてはて。ちょっとは喜んでもらえてるのかな?

 勉強も然り。私も、料理や魔法調合には興味があるので、吸収しやすい。


「えと、言語は苦手、ごめんです。いつまでたっても、意味、理解してもらうのに、時間かかってるですね」

「オレは、そんなアニムも悪かねぇよ」


 掌で顔を覆ったまま、ひらひらと振られた片手。わわっ、どうしよう。一見そっけなく思える仕草にも、胸を押さえてしまう。触れている足が、急に恥ずかしくなる。

 あっ! もちろん、言語は生活に密着しているし、少しでも自分の気持ちを正確に伝えたいという想いはあるけれ。元々、語学が苦手なので、こつを掴むのが難しい。聞き取りに関しては、ほとんど困ることはないが、話す方は考えすぎると声にならない。


「まぁ、けどさ。知識欲が満たされるつーかさ。一を形作っている欠片を吸収する度――自分の中で穴が埋まっていく程、自分が実際、過去の欠片として並んでいなかったのに、その、つまり、なんだ。もやっとするわけだ」


 熱の影響だろうか。いまいち師匠が言わんとしている内容が理解出来ない。というか、言葉の裏を掴めない。

 欠片って、どういう意味だろう。


「ししょー、私、病人。理解不能。もっとくだけて説明、欲しい。あいまい、わからないよ」

「――っのあほ! これ以上、男として情けねぇ台詞、吐けるか!」

「欠片と男、どう、関係あるです?」


 必死に思考を回転させるけど、どうにも理解が追いつかない。欠片の話が、師匠の男として情けないという言葉に、繋がらない。

 探偵よろしく、腕を組んで一生懸命推理してみる。けれど、一向にめぼしい回答は浮かんでこない。


「ししょー、もっと手がかり、ください。ししょーが、男なのと、弟子の私、関係あるですか?」

「うっせぇ! この話は、終わりだ」


 師匠の目じりが、きゅっと上がっている。

 私としては、ものすごく消化不良なんだけど。熱でふらふらする体を、一層揺らして全身で抗議しておこう。


「えー、ししょー、優しくない」

「どの口が言うか。ともかく、この話については、もう質問は受けつけねぇ! 代わりに、ひとつだけ違う質問になら答えてやる」


 師匠は、後ろに両手をつき思い切り仰け反っている。腰を悪くしないかと心配になる姿勢だ。耳まで赤くなる辛い体勢をとるほど、言いたくないみたい。

 優しいのか、はたまた意地っ張りなのか不明な師匠の言葉に、不満の色濃い声しか出ない。


「それ、意味ない思うで――」

「不平不満こぼすなら、とっとと寝かしつけるぞ」


 がばっと、のけ反っていた姿勢を正した師匠の腕が、腰に回ってきた。こめられた力に、師匠の本気度が伺える。


「まって、まって! 私、まだ、ししょーの声、聴いていたいの。もとい、話したい」

「また、お前は」


 まだ師匠と話していたいので、慌てて師匠の肩を掴む。

 色々普段から疑問に思っていることを聞くチャンスだとは承知しながらも、いざ、突然機会が設けられても、思考の棚から引っ張り出せない。

 かと言って、『アニムさん』のことを聞く勇気は皆無。

 苦悩した結果、とても遠まわしな質問にたどり着いた。


「私の、名前、意味がある? 由来、とか」


 おどおどと出した声は、予想以上に詰まってしまった。

 焦って付け加えた言葉に、師匠が瞬きを繰り返した。


「今更、どうして気になったんだか。『アニム・ス・リガートゥル』。魂というか、この世界にお前の存在を留めておく、一種の言霊だな」

「呪文的な、よくある、名前?」


 内容だけ聞くと、まさに私のための名前なのだと思えてしまう。

 急激に動悸が激しくなっていく。出してしまった言葉を後悔しても遅い。


「いや、正真正銘、お前の名前だよ。それに、少なくとも、オレが二百六十年生きてきた中で、お前以外は聞いたことねぇな。オレがつけたんだから、聞いたことねぇって表現も、おかしいか」


 私以外では知らない。それは、間違いなく嘘だ。

 だって、夢の中で見た師匠は、『アニムさん』の名を何度も呼び、熱望していた。私じゃない、『アニムさん』の影を追って、私に重ねていた。


「そっか……珍しい、名前、なんだね」

「珍しいっていうか。珍しくはあるが、特別っていうか。お前だから、贈ったつーか。お前意外にいたらおかしいし」


 師匠に後ろめたさは感じない。普段は感情豊かな師匠だけど、小娘な私には師匠の心の内なんて図れない。

 でも、きっと、これは師匠の優しい嘘。明らかに気落ちしている私を慰める、苦くて甘い偽り。そう思えば、胸の痛みを見ないふりくらいは出来そうだ。


「アニム?」


 頭の上から、師匠が訝しんでいる声が降ってきた。

 大丈夫。今日は元から瞳は潤みっぱなしだ。普通にしていれば、気付かれないはず。ランプと暖炉の火が灯っているとはいえ、ある程度は影の方が勝っている。

 師匠の肩に寄り添ったまま、顔を横に倒す。首筋にかかった、レモンシフォンの髪が額に触れてきた。反対側の首筋に手を伸ばすと、不揃いな毛先が指の腹をくすぐる。


「おい、アニム。聞こえてるのか?」


 無言で髪をいじり始めた私に、師匠は戸惑っている。密着している胸から、わずかに早まった鼓動が伝わってきた。


「ししょー、ちょっと、髪伸びたね」

「ん、まぁ、そうだな。起きたら切るか」


 再び師匠の足の間に、体を置き――足を開く。自分の髪先をいじっている師匠の目元は、ほんのりと赤みをさしていた。薄暗い中でもわかるくらいだから、本当はもっと鮮やかな色なのかもしれない。


「ししょー、ずっと髪長かった、言ってたね」


 もしかして、短い髪って恥ずかしいのかな。普段なら、そんな馬鹿なと笑い飛ばせる考えも、世界の壁を改めて感じた私には重要な疑問だ。


「魔法使いの髪には、魔力が凝縮されてるからな」


 師匠は懐かしそうに、顎を撫でた。からかわれた時を思い出したのか、師匠は苦虫を潰したような顔。


「こどものころから、ずっと?」

「物心ついてからは、ずっと長かったんだぜ? そういや、短くなってから、会う奴全員に、驚かれたり笑われたりしたなぁ」


 師匠が小さな頃からずっと髪を伸ばしていたのは、初耳だ。

 訪問者の方々が髪の短い師匠を見て目を見開かれていたのは、ただ単純に髪型が変わって童顔がさらに強調されたという驚きだけではなかったんだね。

 大魔法使いの髪が短くなる。それが持つ意味は、私が思う以上に重かった。世界の壁は、こんなに近くにもあったんだ。師匠が感じさせないでくれていただけで。


「ごめんです。私、知らなかった。無責任に、短いの似合う言った」


 情けなさから、肩が落ちてしまった。

 召喚されたばかりの頃とは言え、世界の差を実感している今は、十分な落ち込み要因だ。


「あほ弟子。オレ位になると、髪程度で魔力が左右されるなんて、有り得ねぇんだよ」

「……そっか。でも、ごめんです」


 私には、師匠の言葉が本当なのか、はたまた気遣いなのかはわからない。

 もっと魔法に関する知識が欲しい。そう強く思った。魔法を知ることは、ひいては師匠との距離が縮まるのに、繋がると思えたから。


「私はね、好きだけど。他の人には、ダメだった? 好きは、私だけ?」


 そっと。師匠の髪に指を埋める。柔らかい感触が、指先に絡んできた。

 前はもっと気軽に触れられていたのに……熱の影響かな。無性に泣きたくなるのに、それでも止められない。


「好き」


 吹雪の中で零したのよりも、さらに消えそうな音。でも、静かな部屋では、これ以上ないくらい、響いた。

 師匠は、私の言葉を理解するのに、珍しく手間取っているようだ。ほうけた表情で口を開けて、私を見上げてくる。


「あのね、好きなの。私の、ししょー。わたしの」


 髪の長い師匠も素敵だった。けれど、髪の短い師匠は、私が唯一独占出来ているような気がする。私が一番知っていて、私がずっと一緒にいる師匠。ここまで短くしたのが初めてなら、『アニムさん』すら知らない師匠だ。


「私だけが、一番、知ってる、ししょーだね」


 嬉しいのか切ないのか。ただほろ苦い想いが、胸を突いてくる。

 膝立ちになると、上質なベッドに体が沈んだ。髪の長さじゃなくって、師匠が好き。その意味を含めて。


「なんだ、その。そりゃー、短い方が似合いそうだって言った本人に駄目出しされたら、さすがのオレでも、へこんじまうぜ」


 じわじわと、師匠との距離を詰めていく。

 途端、師匠は挙動不審になり始めた。私の腰を支えている力加減に、抵抗がみえる。でも、負けない。

 

「ししょー」


 思い切り、師匠の頭にしがみつく。首にぎゅっと腕をまわすと、師匠の髪に顔が埋まった。私が使ったのと同じエルバの香りが、鼻腔から全身に染み込んでくる。あぁ、幸せ。

 可愛いつむじが見えて、無性に嬉しくなった。私、現実世界でも、ネジが外れちゃったみたい。


「おい、アニム――」

「髪短いししょーは、私、だけの、ししょー、だね」


 私だけの師匠。それは、なんて傲慢ごうまん我侭わがままな表現。醜い独占欲。弟子としてだけではなく、女としての立場からもわきあがってくる、子どもじみた想い。


「おい、アニム。お前、熱があがってんのか」

「うん、熱ある。こーしてるとね、すごく熱いの。鼓動が、うるさい」


 後ろめたさから、必然と囁く形になってしまった。遠慮がちに動かした唇が、それでも、吸い寄せられるように、師匠の耳に触れた。自分の吐息が、一段階、濃くなった錯覚に陥ってしまう。くらくらする。

 びくんと、珍しく師匠の体が大きく跳ねた。そんなに驚かなくてもいいのに。


「うん、私、だけの、ししょーだもん。だれにも、あげない」

「って、おい、アニム。あぶなっ――!」


 体重をかけすぎたようだ。師匠のうろたえた声が飛び出たのと同時、体がシーツを滑る。

 ぼすん、と大き目の音が静かな部屋に響いた。私の体も、師匠の体の上で弾んだけど、師匠がしっかりと体を支えてくれたので、転げ落ちることはなかった。さすが師匠。もちろん、私も師匠の頭を離さない。


「今日は一緒、寝てくれる?」


 自分らしくないと自覚しながらも、甘ったるくおねだりしてみる。師匠が頼れと背中を押してくれた。

 師匠にも私の鼓動を感じて欲しくて、胸に師匠の頭を引き寄せる。


「オレに拒否する選択肢があるって思ってる、お前がすげぇよ」


 肯定する言葉なのに、語調がつっぱねるものだったから。襲ってきた得体の知れない不安を振り切るため、師匠の頭をぎゅっと抱え込んだ。不思議と心が落ち着いていく。


「アニム、とりあえず、オレの、胸あたりまで、降りて来い」

「でも、気持ち良い、なくて。えっと、心地よいの」

「いいから! オレの忍耐力がふりきれる!」


 子猫たち顔負けに師匠の髪にすりすりしていると、師匠からぶつ切りの言葉が絞り出された。

 絡み付いていた腕も離され、ちょっと不満は残る。が、命令形な割に懇願の色が強かったので、素直に従ってあげることにする。おじいちゃんなので、あまり強く抱えると、窒息してしまいそうだ。

 密着はそのままに、樹を降りるように師匠の胸元に自分の頭がくるぐらいまで、移動する。師匠のご希望の場所にくると、はふっと息を吐いて落ち着いた。


「ししょー」


 今度は、私が師匠を見上げる形になる。じっと見つめると、師匠は掌で顔を覆って、そっぽを向いてしまった。

 手を剥がそうとすると抵抗されてしまったので、即座に諦める。

それよりも、師匠の体温に安心したせいか、睡魔が一斉に襲ってきた。もちろん、どきどきも煩いけど、ひとまず、ほっとした安堵が大きい。


「ししょー、甘えろ、言った。傍にししょーの体温ある。一番の安心。ししょー、一緒なら、悪夢はないの」

「あー、はいはい。喜んで、ご一緒させて頂きます」


 投げやりな物言いだ。とっても面倒くさそう。

 でも、目に飛び込んできたのは、口を真一文字に結んで真っ赤になっている師匠だった。にへりと笑みを浮かべると、思い切り髪をぐしゃぐしゃにされてしった。


「うなぁ。あにみゅー。なでなでー」


 と、視界の端に映ったのは、可愛いフィーネとフィーニス。夢を見ているのか、小さな前足が宙で踊っている。


「ししょー、おやすみです」


 もぞっと体を動かして、軽くおやすみの挨拶をする。ちょっと冷えた唇が、逆に心地よかった。

 自分からした恥ずかしさから、逃げるように師匠の腕にもぐりこむ。なので、師匠の様子はわからなかった。ちょっともったいないことした気もする。


「アニム、おやすみ。いい夢、見ろよ」


 師匠が腕を動かしたのが、伝わってきた。直後、部屋の明かりが一斉に消えた。

 暗くなった部屋には、暖炉から火の香りが優しく漂っている。

 薪が爆ぜる音、それに隣からフィーネとフィーニスの寝息。そして、師匠の存在。


「おやすみなさい、です。ごめんです」


 『アニムさん』、ごめんなさい。貴女と師匠の百年、それに今を奪っている私を許してください。と、謝りつつも。ここに流れているのは、私だけの時間とも思ったり。だれにも譲りたくない。すりこむように寄せられる体温は、私のだから。


「ちっとばかりの窮屈さなんて、気になんねぇよ。思う存分、弟子らしくすんな」

「なに、それ。私。弟子、なのに」

「うっせぇ。お師匠様が許可してんだ」


 明日から、ちゃんと考えるから。今だけは、熱を言い訳に、幸せに浸らせてください。

 会ったことのない『アニムさん』に謝りながら、重い瞼を閉じた。


「ありが、と……ししょー」


 眠気に飲まれ、言葉は続かなかった。その代わりにと、夢に落ちる直前、師匠に擦り寄る。

 頭の上に落とされた、


「仕方ねぇーな。お師匠様の忍耐力に感謝して寝ろよ」


と言う声に、意味もわからず、微笑を浮かべていた。

 師匠が私を抱きしめて、私に話しかけてくれる。それだけで、とても幸せだった。


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