裏の顔
驚きの告白を聞いて、それでも私は彼女役を引き受けたのだけど。
頭の中が混乱している。
え?
一体どういうこと?
「あの人は入社以降ずっと僕に付きまとってますよ。だからこそ、昨日はかなりびっくりしました」
そりゃあそうでしょうとも。
つき合って欲しいと言い続けてきた相手が別の人の恋人として登場したんだから。
混乱したのは私だけはないはず。
「ああ、それで私なのね」
結衣の相手が剛人だからこそ、黒川くんの彼女役は私が適任なのだろう。
元婚約者の恋人である限り、結衣は私の前で彼に「つき合って欲しい」と言うことはできない。
「それだけが理由ではないんですけどね……」
ボソリと呟いた声は聞き取れなかった。
聞き返そうかと思ったけれど、お願いには関係なさそうだったから何となくそのままになってしまう。
「とにかく、先輩がOKしてくれて助かります」
そして黒川くんがそう締めくくった。
多少の疑問はあったけれど、引き受けたからにはちゃんとやる。
そう思った私が細かな恋人の設定をどうするのかを問えば、それなりに具体的な答えが返ってきた。
だから内容をつめてお互いの認識を擦り合わせていく。
「先輩が婚約者と別れてフリーになったことを知った僕からつき合いを申し込んだことにしましょう」
「それでいいの?」
「そうしなければ先輩も浮気していたことになってしまうので」
……たしかに。
「ずっと先輩のことを好きだった僕が傷心の先輩につけ込んだということで」
話が重くならないように気を遣ってくれたのか、彼はそんな言い方をする。
「それはちょっと……言い過ぎじゃない?」
私の言葉にも動じず「本当のことですから」と言う辺り、彼の中でのシナリオはきっちりと決まっているのかもしれなかった。
社内で注目の的である彼の相手ということで、少し躊躇する部分がないわけではないけれど、結局私は就業時間まで黒川くんとこれからのことを相談したのだった。
そうして、婚約破棄から急に仮初の恋人を得た私だけど、今度は昼休憩にさらなる事実を知ることになる。
朝から驚きの事実にさらされ、たった一日ちょっとが濃密すぎてすでに何日も経ったような気持ちになった昼休み。
私は食後のコーヒーでも入れようと給湯室に向かっていた。
いつもであれば簡単に自動販売機で買って済ませてしまうことも多いけれど、今日みたいな日はゆっくりとコーヒーをドリップしながら考えをまとめたい。
良い香りを嗅ぎながら、少しずつ落ちていくコーヒーを眺めていると心が落ち着くからだ。
だからマグカップとドリップコーヒーを持って移動していたのだけど。
そもそも給湯室はフロアの端にある。
利用する人が限られていることもあり、用がない人は近寄ることもないだろう。
そんな給湯室には扉がなく、その代わり廊下との間を暖簾が隔てていた。当然防音効果なんてあるはずもなく声は筒抜けだ。
ただ、利用するのが固定メンバーということもあり、彼女たちはそのことをあまり気にしていないようだった。
そしてたいていの場合がそうであるように、女性が集まれば噂話が囁かれる。例に漏れず、ここもそういった場と化していた。
「本当、全然頼りないんですよね」
給湯室に近づいたところで聞こえてきた声に私は反射的に足を止める。
「年も上だし給与も私より多いからいい店に連れて行ってくれるかと思いきやスーパーですよ?」
「ええ⁉︎ スーパーに行ってどうするの?」
「そこで食材を買って家で料理するんです」
「誰が?」
「もちろん私がですよ! 信じられます? 結婚もしてないしつき合って何年も経っているわけでもない彼女に料理を作らせるって。ケチだし所帯染みてるし最悪」
愚痴をこぼしているのは昨日私を見下すように見ていた結衣だ。
「せっかく口うるさい先輩から略奪したのに、これじゃあ予定と全然違うわ」
「ああ。そういえば昨日対決したんだっけ?」
「そうなんです。先輩何も言えずに黙り込んでましたよ」
ふふふ……と忍び笑うような声が聞こえた。
よく考えなくてもわかる。
今話題にされているのが私と剛人だということが。
略奪された『口うるさい先輩』が私で『ケチで所帯染みている』と言われたのが剛人だろう。
そういえば、剛人は外で食事をするよりも家で食べることを好んでいたのよね。
家の方がリラックスできるとかで。
……もしかして本当にケチってたのかしら。
下手に外で食べるよりも私の料理の方が美味しいと言っていたのも外食にお金をかけたくなかったからかもしれない。
見栄を張るタイプだから外で食事をしたら奢らずにはいられないだろうし。
おだてられていいように使われていたとしたら馬鹿みたいよね。
いや、結婚することなくこのタイミングで別れられたことを良かったと思うべきなのか。
まだ全然癒えることなくズキズキと痛む胸を押さえながらそんなことを思っていたら、結衣の声がさらに聞こえた。
「もう本当、どうしようかな。これ以上つき合っていても今よりも良くはならないと思うんですよね」
「まさかもう別れるの?」
「あまりいい思いできないんですよ? それに、奪ったことで先輩の悔しそうな顔も見れたし」
「出たー! 可愛らしく害のないような顔をして略奪が好きだなんて、趣味が悪いわよ」
「その略奪話をお茶のとものように聞いてる人に言われたくありませんー!」
キャハハと笑った数人の声が聞こえたところで、私は気づかれないようにその場を後にした。
悔しそうな顔なんてしていない。
していたのは悲しそうな顔だ。
そんなどうでもいいようなことを思いながらひたすら足を進める。
そしてたどり着いたのは、結局いつもコーヒーを買うあの自販機の前だった。
「……はぁ……」
大きなため息が出て痛みを訴え始めた頭を押さえる。
今聞いた話が信じられなかった。
でも、たしかな現実だ。
「どういうこと?」
あれが結衣の本音だとするならば、裏の顔と言ってもいい。
剛人は知っているのだろうか。
いや、人の気持ちに鈍感だから気づいていなさそうよね。
でなければ昨日あんな態度を取れないはず。
それに、結構プライドが高いから結衣の本音を知っていたらつき合っていないだろう。
つまり、剛人もまたいいように騙されているということだ。
まぁ、私には関係ないけど。
そう思いながらも気分が悪くて、私はまた大きなため息をついたのだった。




