第拾話「禁術」
ドロテアがシルヴィアを担いで部屋まで連れ戻る。一階から三階まで運ぶのは流石に骨が折れる。
「んあ、すまない。もう大丈夫だ。」
目覚めたシルヴィアはポンポンとドロテアの背中を叩く。
それに気付いたドロテアは腰を下げてシルヴィアを下ろした。少しまだ足元がふらついているが、先ほどに比べてだいぶ理性は取り戻したようだった。
「もう、お酒は控えてくださいって言ったでしょう。これで何回目ですか?」
ドロテアはため息をつきながらシルヴィアに今回の事について注意する。シルヴィアは言い返すことが出来づ、ただうなだれることしか出来ない。
「すまない、どうしてもやめられなくてな......。」
「二日酔いで会議に出れないなんてなんて説明すればいいんですか?だめとは言いませんけどせめて節度を守ってください。今日どれくらい飲んだんですか?」
シルヴィアは考えるようなポーズを取り、そして、何かに気付いたように青ざめ始めた。その様子を見て、ドロテアは尋常ではないほど飲んでいると確信した。
「えっと、30.........。」
「30杯も飲んだんですか?殿下、いつも10杯くらいでベロベロに」
「本...............。」
ちょっと一旦冷静に考えてみよう。本?あれ、聞き間違いじゃなければ今「本」って聞こえたぞ。
「えっと、殿下、今なんと?」
「だからえっと、30本.............。」
「馬鹿ですか!」
反射的にドロテアはそう叫んでいた。死にたいのか?30本とかもはや毒と遜色ない、いや毒だ。正真正銘の毒だ。
「面目ない.......。」
「そんなレベルじゃ済まないですよ!お体に違和感はありませんか?近場の医者を!」
「待て、私は大丈b」
その瞬間、シルヴィアの足がふらつく。それにシルヴィアが気付くよりも前にバランスを崩し、床にへたり込んでしまう。
「大丈夫ですか!?」
ドロテアはしゃがみ込みシルヴィアにそう声をかける。頭を抱えてうずくまり、苦しそうに唸るシルヴィア。その緊迫した表情にドロテアもただならぬ雰囲気を感じた。
「結構回ってきたみたいですね。」
瞬間、背後から気配にドロテアは見えていなかった周りが見えてくる。気付かなかった。背後を取られるなんて。眷属としての恥だ。
いや、今はそんなことはどうでもいい、可愛らしく潤いきった声とは真反対に、この頬をつねられた様な鋭い視線、明らかに只者じゃない。ドロテアはどうすればシルヴィアを守ることができるのか、頭をフル回転させて考える。
近くに戦える武器はない、シルヴィアは頭を抱えて動ける状態じゃない。まさに八方塞がり。いざとなれば、自分がクッションとなることでシルヴィアと共に窓から。
「な、何者だ?シルヴィア殿下のこの症状は貴様が原因か!」
自分を奮い立たせる様に、ドロテアは背後にいる存在に問いかける。唇は微かに震え、首元には汗もかよっている。
「はい、それはあたしが原因です。」
回答はあっさりと返ってきた。ドロテアは臆することなく次の質問を繰り出す。
「ならば今すぐ治せ!でなけれな………。」
「でなければ、何ですか?」
背後の存在はドロテアの気迫に全くと言っていいほど動じず、逆に押し返してくる。気迫で負けたことがなかったドロテアはこの事態に大きく動揺する。そして、ついに言葉が底を尽きた。
話している間は少なくとも攻撃はされないと、ドロテアは打開策を見つけるための時間稼ぎをしていた。しかし、何もいい案が思いつかないまま、ついに言葉が底を尽きた。
「言いたいことはそれだけですか?」
背後の存在はそう吐き捨てると、部屋に踏み入ろうとした。ついに覚悟を決めなくてはならない。ドロテアはすぐに動ける様に足に力を込める。その瞬間、それを阻止する一槍が飛んできた。
文字通りのその槍は、見事にそいつの頭を貫き、おまけと言わんばかりに、駆けつけた救世主の魔術により、全身に瞬く間に風穴が開いた。断末魔を上げる間もなく、そいつは地にふした。
「危機一髪って感じ?」
ドアの向こうから1人の影が顔を出す。そこにいたのは、レムだった。両手には、まだうっすらと魔術の跡が残っており、その目線の先にはシルヴィアとドロテアがいた。
「すまない、助けてもらって。」
ドロテアが一番にしたのは謝罪だった。その謝罪を、レムは気にすることなく、苦しそうにしているシルヴィアに一直線に駆け寄る。
「シルヴィア様、お怪我などはありませんか?今、医者をお呼びします。」
「悪いな、部下に上司の尻拭いをさせるとは、私もまだまだだな。」
シルヴィアは苦笑し、自分の無能さを噛み締める。やはりクリールの言ったことは正しいのかもしれない。歯噛みし、唇を振るわすシルヴィアの耳に、再びあの声が響く。
「あー、痛ったい、痛ったい。傲慢の奴、あたしにばっかりこんなことをさせて。あいつも現場に来いってもんですよ。」
つい先ほど、レムが殺した奴の声。3人はほぼ同時に声のした方向を向き、そして同じ感想を抱いたことだろう。
生きている。
確かに脳天をぶち抜いたはず、心臓に風穴が開いたはず、なのに何故こいつは細胞活動を停止していないのか。答えが出ないまま、奴の体はどんどんと再生していく。
「これはこれは、醜い言葉を吐いてしまって申し訳ありません。何せこの頃色々と大変なものでして。」
月光に照らされ、顔は影になってよく見えないが、その細長いモデルの様な体型に、思わず見惚れてしまうほどの長髪、そして、暗闇の中でただ深海の様に深い青色に光る三日月型の眼球が、3人を見下ろしていた。
「お初にお目にかかります、あたしは賢者様率いる7賢者の内の一角、色欲の賢者『プロイレス・ベルガルク』って言います。」
背中の羽を体の前に持って来て、色欲の賢者と名乗るそいつは懇切丁寧に、針に糸を通すかの様にお辞儀をした。
ドロテアとレムは、再び戦闘体制に入る。レムは背中に背負っていた2本の剣の内の一本をぶっきらぼうにドロテアに投げ渡す。
「使いな。丸腰よりかは戦える。」
「へぇ、あんたにも優しさなんてものがあったんだ。」
ドロテアはレムの行為に感謝しながら、剣を色欲に向かって構える。色欲は、まあそうくるだろうなと言う表情をし、シルヴィアに目をやった。
「ゔあああああああああああああああああ!!!!!!」
その瞬間、シルヴィアはこの世の終わりを見たかの様な甲高い悲鳴をあげる。目は右往左往し、歯がガチガチと音を立てる。
「貴様、何をした!!」
それを目の当たりにしたドロテアは力の限りに色欲に叫ぶ。レムも顔を引き締め、色欲を睨む。
「何って言われましても。強いて言うのであれば、何もかも。」
今考えるとするならば、色欲の回答は正しいものだろう。しかし、ドロテアとレムにとってその回答は煽り以外の何物でもなかった。
「ふざけるな!」
激昂したドロテアは剣を振りかぶり、色欲に突撃する。目にも止まらぬ速さで、剣で美しい弧を描きながら色欲の首を切り飛ばす。色欲はほとんど反応できず、首を失ったことにより、血の池に沈んだ。
余りにあっさりした終わりに、思わず斬りかかったドロテア自身も驚き、顔に飛び散った血液を手でぬぐいながら目を丸くする。それはレムも同じだった。
「意外とあっけなかったな………。」
「なるほど、だからあたしが向かわせられたのか…………納得、こいつら、攻撃的すぎだっての………。」
二度目となれば、流石に驚かない。ダメか、という率直な感想が先行する。今度はレムも剣を構え、色欲に向ける。
「どういうカラクリで………。」
ドロテアは色欲の再生能力の仕組みを見破ろうと目を細めながら距離をとる。転がっていた色欲の生首が喋り出したのだ。色欲の眼球はドロテアを睨みつけ、口角を上げる。
「まあ、だからこそやりやすいってもんですよ。」
その瞬間、首だけだった体の方が動き出し、首を掴み上げて頭に捩じ込んだ。無理やり捩じ込んだことで首には凹みがあり、酷く不恰好に、不気味に見えた。
その瞬間、ドロテアの目の前の景色が変わった。自分は雪のクッションの上に倒れていて、寒さのせいなのか、手足を震わしている。息は荒く、吐く息は白い。降りかかる雪は肌を刺す凶器の如く。
目の前には暖かい家が。そのドアの前には屈強な男が立っている。その表情は鬼と間違えてしまうほど恐ろしい。
「言ったよな、道端でうずくまって通りかかった奴に助けてって言っとけば金がもらえるって!」
「やったの、でも、でも、誰もくれなくて……………。」
「言い訳なんかいい、金をとってこれない奴は要らない!!!」
そして、力任せに叫んだ男はこれでもかと言うほどの音を立ててドアを閉めた。
その光景を目の当たりにしたドロテアはすぐに立ち上がり、ドアの前まで走って立ってノブをガチャガチャと回す。
「ごめんなさい、ごめんなさい!!お父さん、お父さん、開けて!!もっとしっかりやるから!開けて!!」
足が少しずつ熱くなってくる。霜焼けは逆に暑いと感じると言うのは本当だったのか。辛い、寒い。そこでドロテアは理解した。これは自分の幼少期の記憶だと。雪の日に、父親に捨てられたあの記憶だと。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい………。」
シルヴィアに続き、ドロテアにも同じ様な症状が現れ始め、レムは困惑してしまう。
「ちょっと、ドロテア!?」
「あーあーあーあーあーあーあーあー、悲しいですね…………………。」
言葉とは裏腹に、色欲の表情からは快楽に満ち満ちた感情が嫌と言うほど伝わっていく。色欲はドロテアの前に立ち、握り拳を振り上げる。
まずいと思ったレムは反射的に走り出していた。肩から色欲に体当たりし、そのまま窓を突き破る。色欲は豆鉄砲を喰らった様な顔をし、重力に従って地面に向かって落ちていく。
レムは色欲をクッションにして地面に激突する。肉が引きちぎられる音と、骨が砕ける音が同時に響き渡り、大量の返り血がレムを覆った。2人は王宮の庭園に激突した。
レムは運良く無傷だったが、目の前に広がる光景には思わず目をそらしそうになった。体はすでに原形をとどめておらず、手足は壊れた人形のように折れ曲がっていて、折れた骨が体内から皮膚を突き破り、頭部は跡形もなく砕け散った。
「これだけすれば...............。」
流石に絶命したと確信し、痛む体を気遣いながら立ち上がる。体についた血をぬぐいながら念のために心臓に向けて剣を突き刺す。
早く戻らなくてはと落ちてきた窓を見上げ、足に力を籠める。その瞬間、足を誰かにがっしりと掴まれた。足に何かぬめッとした液体を感じ、バランスを崩してしまう。
「いやーいやーいやーいやーいやーいやーいやーいやー、」
まだ死なないのか、いやはやこいつの生命力にはもはや感銘すら覚える。学会に出したら何か賞をもらえるだろう。
レムは再生し始めている色欲の顔を蹴りつける。蹴りつける度に恐怖は積み重なっていく。ゴキブリのごとく生命力を見せつける色欲に恐怖を感じない方がおかしいという話だ。
「こいつ、離せ!!」
「まあそんなこと言わないでくださいよ。」
ふざけるな、と思い切り色欲を蹴り飛ばし、色欲は芝生の中に体を沈んだ。殺せないならせめて拘束してやろうとレムは倒れた色欲へと近づいて行く。
立ち上がろうとしている色欲に突き刺さった剣を、深く食い込ませながら地面に色欲ごと突き刺し、身動きをとれなくしようとしたのだ。
しかし、その瞬間にレムの視界にノイズが走った。比喩表現などではない。本当にノイズが走ったのだ。
「な、何だ?」
レムは今まで感じたことのない異常事態にレムは思わず疑問の言葉を吐き出す。追い打ちをかけるかの如く、頭を針で刺されるような頭痛がレムを襲った。
「あーあー可哀そう、可哀そうですーーー。」
嘲るような、見下すような声。レムは頭痛に苦しみながらも上半身を起こして猫がネズミを追い詰めたかのような勝ち誇った目でレムを見ていた。
「もうあなた助からないですね、御愁傷様です。」
「どういうことだ!貴様、何を!」
「だって君、あたしの血、そんなにに浴びちゃったじゃん。」
勝利宣言、それ以外の何物でもなかった。頭痛はどんどんとひどくなっていく。針から槍に変わった気分だ。立っていられない。
立たなくては、そう思うほど頭痛は酷くなり、視界は歪んでいく。そんなレムに、体を全回復させた色欲が近づき、身を縮めてレムの顔を覗き込む。
「可哀そうに、可哀そうに、今楽にしてあ・げ・ま・す♡」
耳元でそう囁いた瞬間、レムの顔が勢いよく弾けた。脳髄や眼球、頭蓋骨が芝生の中に逃げるように散らばり、首から上は跡形もなく消え去っていた。
血は噴水のようにあふれ、指令を出す器官を失ったことにより、頭を抱えていた腕は力を失ってだらんと垂れ下がっていた。
シルヴィアは気がおかしくなるような頭痛に苛まれながらも、何とか地面をはってドアの前までやって来た。ドアのすぐ隣ではドロテアが大粒の涙を流しながらうずくまっている。
シルヴィアは周囲に助けを呼べる人は居ないかと、一里の望みを賭けて見渡す。すると、向こうの廊下から、1人の兵士がやってくるのがぼんやりと見えた。
「あ、あの、私の部下が、助けてやってくれない、か?」
呂律が回らない。ガンガンと打ち付けるような痛みはさらに増し、シルヴィアは必死に懇願する。
「頼む、ドロテアを」
「うん、わかるよーわかるよー苦しいんだねぇ、わかるよー。」
兵士にあるまじきふざけたきった応答。それにシルヴィアは確かな怒りを覚えた。
「ふ、ふざけないでもらい」
言葉が詰まった。自分の目の前にいる兵士の目に正気も感じない。ただ虚な目で虚空を見ている様だった。まるで壊れた機械人形だ。
「わかるよー、わかるよー、わかるよー、わわ?カカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカ」
その瞬間、兵士の喉笛から腕が飛び出した。
そのまま兵士の小さい口をこじ開ける様に2本の目の腕が飛び出し、兵士の姿が見るも無惨に裂けていくと共に、その兵士を掌握していた本人の姿が現れる。
「ワカルヨ。」
先程の大人びた色欲とは正反対の、少女という言葉が一番似合う人物だった。全身が血みどろで、着ているそのドレスは、うっすらと白が見えるものの、最早赤いドレスと言われても疑わないだろう。
髪も同じく血みどろで、血でドロドロになった赤紫色の髪は、その重量に耐えきれずに垂れ下がっている。そして、色欲と同じく背中には羽が存在していた。
「やあ、私様は暴食の賢者だ。お目にかかれて嬉しいよ、シルヴィア皇女殿下。」
両腰に銃剣を携えながらシルヴィアの目の前に立つ暴食。信じられない事に、暴食の星空のように澄み渡った目からは、敵意や殺意と言った感情が全く感じられなかった。
「貴様らの目的は、なんなんだ?何故私達を狙う!」
体は依然として上手く動かないものの、シルヴィアは皇族として、目の前の敵に果敢と挑む。
「さあ、知らないよー、知らないよー。」
帰ってきた答えは、あまりにも簡潔で、単純明快で、信じられないものだった。いくらなんでも、目的も無いのにこんな事をするなんて冗談じゃない。信じられなかったし、こいつらが哀れでさえ合った。
「ふ、ふざけるな!!!」
「いやぁ、ふざけるなって言われても、私様は大賢者様の命令に従って動くだけだもん。今回は、大魔王の正体を見抜いたシルヴィア皇女殿下と、その会議に参加した奴らの抹殺って言われたもので。」
「大魔王の正体を見抜いた」この言葉を聞いて、シルヴィアは眼球がこぼれるほどの勢いで目を見開いた。かろうじて正気を保っている状態だ。少しでも外部からの刺激が加わればどうなるかは測りし得ない。
衝撃、シルヴィアは全身の血が全て抜かれるような感覚に襲われた。信じたくなかった。次に襲いかかってきたのは、虚無感だった。いや、正確に言えば、様々な感情が入り混じった結果、全てが打ち消されてしまったと言うべきだろう。
「そうか、やはりルークが転生した大魔王、だったのだな…………。」
「あれ、初対面の私様の言葉なんて信じるの?」
「そうでしかお前らの行動を説明できない。信じる他ないだろう。」
シルヴィアは精神崩壊一歩手前まで突入し、最早彼女からは闘志を感じられない。
「それで、私をどうするつもりだ?殺すのか?それとも誘拐でもするのか?」
「いや、封印させてもらうよ。」
「封印!?」
「うん、封印。流石に知ってるでしょ。有名な禁術の一つだし。」
シルヴィアは悪寒が全身を駆け巡るのを感じた。使うのを禁止された禁術の一つ、封印魔術、それを使うためには一つの魂を生贄にする必要があった。
この場には3人しかいない。シルヴィア、暴食、そしてドロテアだ。消去法から考えるに、生贄はドロテアだ。暴食はその事実に気付いてシルヴィアの顔が引き攣るのを確認すると、ドロテアの胸ぐらを掴み上げた。
「ねぇねぇ、自分がご主人様の封印のための生贄にされるってどういう気持ち?今のお気持ちを一言どうぞ!」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…………。」
ドロテアに暴食の言葉は届かない。トラウマを何度も見せられたことにより、ショックで精神崩壊を起こしてしまったのだ。目は焦点が定まらず、口からは唾液が漏れ出ている。
「あーあ、残念。じゃあ、早速やっていこう!!」
狂気的な笑みを浮かべ、暴食はドロテアを生贄に、封印魔術を発動した。
色欲が満足そうにレムの首回りについた血を舐めると、残りの2人を始末せんと先ほど落ちてきた窓を見上げた。
「撃てぇ!!!」
刹那、その威勢の良い声と共に、色欲の体は粉々に砕けた。大量の魔術が色欲を撃ち抜いたのだ。爆炎と土煙が庭園一帯を包み込む。
土煙の中から現れたのは陣形を展開しながら軍用ライフルを構える王宮の警備兵と、その後ろで指示を出すクリールだった。
「ここに忍び込むなんて馬鹿な奴ね。どんな脳みそしてるか解剖して確かめてみたいところだわ。まあ。あればだけど。」
「でもさぁ、いきなりこんなことをするのは酷いんじゃないかな?」
着弾点の炎の中からそのような怒号が発せられる。クリールはこれで生きているのかと思いながらすぐさま警備兵にライフルを構えるよう指示する。
「君の方が脳無しどころか........あ、いや失礼。つい言葉が汚くなってしまいましたね。」
撃ち抜かれた傷はすでに完治に近かった。外れた関節がバキバキと治っていき、色欲はゆっくりと立ち上がる。
「へぇ、すごい回復力ね。貴方、陛下に忠誠を誓って帝国の兵になる気はない?衣食住全てこちらが負担するわ。鋼鉄の扉で警備は万全よ。」
つまりは牢屋ってことだろう、と色欲は鼻で笑う。
「あなたなら兵士のサンドバックにうってつけよ。」
「誠に遺憾ながらお断りさせていただきます。あたしが忠誠を誓っているのは1人だけですので。」
色欲はそう吐き捨てて、地を蹴って兵士たちに突撃する。兵士たちはクリールの合図で一斉にライフルに魔力を籠め、引き金を押し込む。
金切声が列をなし、音を置き去りにする。色欲は避けるどころか防御の姿勢すら取ろうとしない。こいつはまたバラバラになるのだろう。
その場にいた誰もがそう確信した。結果から言うと、半分は正しかった。確かにそいつはライフルの弾丸によって貫かれ、その場に崩れ落ちた。
しかし、次の瞬間に異変が起こった。色欲の体がまるで霧のように消滅していったのだ。それにはクリールも驚きを隠せなかった。
「な!?」
脊髄から声が出る。こんなことを感じたのは初めてだ。いや、そんなことはどうだっていい。色欲はどこに行ったのだ?
「どれだけやっても無駄ですよ。あたし達は守られているんです。」
色欲の声だ。クリールは急いで声のした方向を感知する。それは、自身の後ろだ。全身の血の気が一気に引くのを感じた。
前に居た兵士も色欲の存在に気付いたようで、振り返ってクリールの後ろにいる色欲に向けてライフルを構える。
「.............殺すのか?」
「いや、貴方は抹殺対象ではありませんから。もう完了したみたいですし、次に会えるのを楽しみにしておきます。」
落ちてきた窓を悔しそうに見上げながらそう言葉を残し、色欲の気配は消えた。三日月は、ただ静かにクリール達を見下ろしていた。
セイン戦線
王宮での惨状の翌日、灼熱に照りつける太陽が、戦争後の疲弊した兵士たちに襲いかかる。
停戦の決定により、帝国軍は帰還を順調に進めていた。軍の戦車やトラックが列をなして進む中、ひとつの軍用車両の2台に1人の兵士の姿があった。装備はボロボロで、武器は持っていない。
その後ろを走っていた車両の窓から、その光景はバッチリ見える。それを運転していた兵士が、助手席に座っている同期に話しかけた。
「なあ、何であいつあんなところいるんだ?」
同期の兵士は、少し気だるそうに窓の外を見て、兵士の求める答えを口にした。
「ああ、お前は知らされていないのか?あいつ、魔族特攻部隊の唯一の生き残りなのさ。」
「生き残り!?」
答えを受け取った兵士は、衝撃のあまり、一瞬運転が疎かになった。すぐに運転を再開したおかげか、車両が少し傾くだけで済んだ。それほどまでに、その事実は兵士を動揺させた。
魔族特攻作戦が行われたのが、2日前の停戦直前のことだ。共和国軍陣地に並べられた移動式砲台を無力化する為、自爆用の爆弾とナイフを持たされた魔族部隊が敵陣地へと飛び込んでいった。
成果は上々、見事砲台は無力化され、帝国は共和国との戦線を進める隙を切り開いたのだ。まあ、結局停戦になったが。
全滅だと思っていた。全滅を前提に作られた作戦だ。生きているなんて信じられない。
「すごいやつもいたもんですね。」
「ま、こんな使い方されてりゃ、あいつもすぐ死ぬだろ。魔族なんてこんなやり方でしか俺たちに貢献できないんだし。」
兵士は魔族の豪運を哀れみ、自分達の幸福を笑った。魔族は荷台の上で、ただ背中を預けて、座っていた。強風が彼女を襲い、咄嗟にヘルメットを抑えようとするも、間に合わずに、外れてしまった。
その下から現れたのは、周囲を魅了してしまうほどの深い黒色で、風に揺られて可憐に揺れる。宝石のような青い目がヘルメットを追いかけ、拾うために立ち上がる。
唯一生き残った魔族、それは「ルカ・フレイア」だった。8年の月日を戦地で過ごし、肉体的にも、精神的にも成長した彼女は、今、本来の居場所へと向かって行っていた。




