一蓮托生 〜伍
途端、丘の空気が一変する
気温が上がった様にすら感じられる
「貴様ぁ!兄の仇!」
「屑がぁ!反吐が出るわ!」
「人殺しぃぃぃっ!」
「消えろぉ!死ねぇぇぇ」
「お前が死ねば良かったんだ」
大地が揺れているのかと錯覚する程の罵声、批難の嵐
一人ひとりの声は小さい
然し其れが十、百と集まればこうして大地を震わすことすら出来る
集団心理により、村人達の口撃が激しさを増す
面と向かってであれば、ここまで激しい言葉は出ないはず
誰が言ったかわからない匿名性という強い盾を持った村人達の言葉はやむ気配を見せない
此れは必然とも言える反応だった
梅喧は、侵略の際に最前線で人を散々殺してきた
集まった群衆の中にも、其の遺族がいたのだろう
暫くの間怒号と罵声は鳴り止まなかった
丘には先程よりも多くの村人が集まっている様な気がした
「えっっ!!?」
驚きの声の後、一瞬にして丘が沈黙に包まれる
村人が一斉に息を飲んだ
村人の視線は、丘の上に立つ梅喧一点に注がれた
梅喧が膝を崩し、額を地面に擦り付けていたのだ
そして頭を下げたまま叫んだ
「本当に、申し訳ありませんでしたぁぁぁぁっ!」
土下座を続けたまま、何度も何度も叫ぶ梅喧
次第に其の声は嗄れ始め、言葉にならなくなっていく
梅喧は未だ頭を上げない
きっと泣いている
此の懺悔は村人だけじゃなく、幼くして命を落とした妹や弟に向けられてもいるのだろう
然し、再び怒号が響き渡る
「五月蝿ぇ!」
「貴様が謝ろうと家族は戻って来ない」
「死ね!死ねぇぇぇぇぇ!」
梅喧は未だ額を上げない
其の額を擦り付けられた地面には、赤い血が滲み始めている
「申し訳なかった
本当に申し訳なかった
これからは全うに生きて…」
梅喧は頭を地面に付けながら、何度も何度も言葉にならない謝罪を続けた
暫く其の光景を見守っていた桃
無表情のまま土下座をする梅喧の隣に立った
そして、無言で雷切を抜刀した
雷切とは刀身が青く光る珍しい刀
心眼を持つ桃に、玄信が与えた至高の一振り
其の刀身の軌跡を辿るようにして青い輝きが空に舞う
例えるなら其れは青い虹
流星光底
人々は一時、其の美しさに目を奪われ、沈黙した
魅入るとは、正に此のこと
いつの間にか青みのなくなり始めた空に高々と雷切を突き上げた桃
空を覆う紅を切るように雷切を持って舞ったかと思うと、其の切っ先を梅喧の首元に刃を当てた
「なら此処で此奴を殺そうか!」
今迄に聞いたことのないドスの利いた桃の声
悲鳴にも似た迫力のある声だった
群衆は呼吸をするのも忘れ、雷切があてがわれた梅喧の首元と桃を交互に見た
「殺せと言ったから、今此奴を殺そうかと聞いているんだ
幾ら謝ったところで、此奴に殺された大切な人達は帰って来ないのだから」
梅喧に駆け寄ろうとした小太郎を半蔵が優しく制す
其れとほぼ同時くらいに、御前の肩に優しく手を置いた与一
「如何するんだ!?
殺してほしいんだろう!?」
桃が叫び声を上げる
然し、誰も答えない
「じゃあ私に決めさせて」
桃はそう言うと、雷切をもう一度振り上げた
其処にいた誰もが息を吞む
「私は殺さない!」
桃はそう叫んで雷切を鞘に納めた
梅喧の首筋から流れる一筋の血
同時に、人々は忘れていた呼吸をし始めた
「仇を殺しても、亡くなった人達は二度と還ってこない
生きる事は辛い事
死んだ人達は、私達に生きろと望んでいる
生きたくても生きれなかった俺達の分まで、強く、逞しく生きろと」
泪を流し始める者もいる
梅喧は未だ額を上げない
桃は続けた
「今此処で土下座をしている梅喧は、孤児だった
お金も仕事も家もない状況で、たった独りで幼い妹と弟を養っていた
生活の糧は窃盗だった
御世辞にも褒められる生き方ではない
然し、時代が、世が、幼い梅喧にそうさせたのもまた事実
差別、偏見、此の時代には溢れてるでしょう
そんな或る日、武士達に妹達が殺された
残虐非道な殺され方だった
其の日から復讐の鬼となった梅喧
貴方達も想像に難くないでしょう
そんな梅喧は、前領主に拾われた」
既にして其の声は枯れていた
群衆は鬼気迫る桃の演説に聞き入っていた
桃は続けた
「そんな梅喧が今、貴方達に地に頭を擦り付けて謝っている
貴方達の大切な人を奪ってしまったこと、自分が犯した過ちを償い、どんなに辛くても、苦しくても、生きられなかった人達の為に、此れから先を生き抜いてやろうと誓っている
殺された妹達に恥じぬように生きていこうと舵を切ったんだ
許す許さないの問題ではないかもしれない
やり直す機会は与えられないの?
一度でも誤ったら、もう其処で終わりなの?
こうして罪を悔いている
こうして許しを乞うてる
こうして更生を目指している
だから!
だから耳だけは傾けて、貰えませんか」
梅喧は未だ頭を上げない
号泣しているのだろう
「すいま、せん…したぁ
もう、申し訳、な、なかった」
繰り返し叫んでいる謝罪の声も既に言葉になっていない
与一は梅喧に近づき、肩を貸して後ろへと退がらせた
桃は其れを見届けると、更に続けた
「我が雉の村も、昨日炎に焼かれ、無くなりました
恐らくは領主の命
領主は、治める村に厳しい年貢を課し、攫ってきた鬼の子を死なせて鬼の刻を引き起こさせた
静かに暮らそうとしていた鬼達の生活を脅かす遣鬼使という制度を始め、多くの人が鬼ヶ島で死んだ
また、領土拡大の為に貴方達の村を襲い、若者達の命を奪った
世は戦国時代
常に何処かで誰かが争い、無駄死にしていく時代
寿命を全う出来る方が希少なのかもしれない
然し領主は、余りにも命を粗末にし過ぎている
命は何よりも優先する
尊ぶべきもの」
…桃は此処まで言い終えると、いつの間にか目の前まで来ていた少年に気づいた
年の頃は6歳前後に見える
鬼の刻があった時の桃や与一と同じくらい
少年は何も話さない
唯、俯いている
少年は突然、右手に持っていた何かを桃に投げつけた
少年が投げつけたのは砥石だった
手を伸ばせば届くくらいの至近距離
少年の投げた石は、桃の顔面を捉えていた
群衆は皆、顔を伏せた
パシっ!
顔面に当たる直前に、少年の投げた石を右手で掴んだ桃
『心眼』
桃の持つ第六感とも呼ばれる特殊能力
動体視力が良いというだけでは説明の付かない不思議な力
一手ニ手先、いや、直近の未来を見透すことさえ出来ると言われている
其の力を発揮し、常人では避けきれない至近距離からの投石を防いだ桃
群衆は驚きを隠せない
桃が心眼の所持者だと気付いたから
心眼という特殊能力は先天性のもの
其の倍率は千を超えるとされている
心眼所持者に逢えずに一生を終える者が殆どである
桃に石を投げた少年は怯まずに叫んだ
「そんなこと言ったって、結局あんただって戦争をするんだろ!?
其の為に兵士集めをしたいだけなんだろ!?
もう、戦争は沢山だっ!
誰も、誰も死んでほしくない」
少年は言い終えると泣き出して其の場に座り込んだ
「五右衛門っ!!
すっ、すみませんっ!!」
母親だろうか
少し窶れているが、綺麗な人だ
「此の子は私の息子です
先の戦で、兄と父を亡くして
砥石は夫の形見なんです
すみませんっ、お逆らいするつもりでは」
母親は、五右衛門と呼ばれた少年を優しく抱き締め、恐る恐る桃に説明した
桃は固くなっていた表情を少しずつ崩して、五右衛門の顔に合わせるようにしてしゃがみこんだ
「五右衛門
御免ね
君も辛い思いをしたんだね
君がそう思ったのは私に責任がある
でもね」
其処まで言い終えると、桃は五右衛門の母親と目を合わせて頷くと、五右衛門の手を優しく握った
「さぁ、こっちにおいで」
桃は五右衛門を導き、もう一度声を掛けた
「振り向いて、其処から丘を見渡してごらん」
桃は五右衛門の後ろで優しく囁き、五右衛門に丘の頂からの景色を見せた
「うわぁ、綺麗
絶景だぁ」
其れは途轍もなく大きな紺色の画板に無数の星が描かれたような神秘的な空だった
まるで宝石が瞬いている様
月は、先程の夕焼けを全て吸い込んだように紅く光る
月に目など付いていない
然し、月が此方を見ている様な気さえする
清風明月
集まった村人達も皆、五右衛門と同じように空を見上げていた
家族が眠る墓は、こんなにも綺麗な丘だったんだ
五右衛門は、先ほどとは違う泪を流していた
桃は空を見上げながら優しく口を開いた
「同じ場所にいて、同じ空気を吸っていても、見えている景色は違うんだ
嬉しい気持ちか、悲しい気持ちか、誰と見るか、いつ見るか
其れでも違う
私は、自分が好きな場所で大切な人達と、静かに過ごして幸せになりたい
悲しい泪を流すのはもう沢山だ
皆そうだよね
其の為に、其の第一歩の為に戦うの
でもね、私の戦いは殺し合いではない」
五右衛門は不思議そうな顔をして桃を見上げる
桃は再び群衆に目を向け、大きく息を吸い込む
「私の母は領主の妾だった
既知のとおり領主は色気違いだ
母に対し、女の子が産まれると良いなと言っていた
私が産まれた日、母は城を飛び出した
途中、別の妾に刺され、命辛々川のほとりまで辿り着いた
そして桃の木の下、血に塗れた手で私を汚さぬ様に大事に大事に布に包み、下流にある雉の村に届くようにと桶に入れて流した
母が女の私に付けた名は、『桃太郎』
私は物心つく頃から祖父母と育ての両親の下で暮らしていた
私はかぐやの娘
そして、憎き領主の娘」
桃は溢れ出しそうになる泪を抑えながら言った
母の境遇を思うだけでいつも泣きそうになる
でも、此処で泣くわけにはいかなかった
群衆は騒めかなかった
桃の鬼気迫る告白に圧倒されていたから
「私の境遇にどう感じられたかは判りません
然し、私は幸せでした
そして此れからも幸せでいたい」
桃は唾をゴクリと飲み込む
「私は…
私は明日、領主の下へ行きます」
此れには流石に群衆も響いた
桃は構わずに続けた
「ですが無駄死にするつもりはありません
母が命を賭して私を生かせてくれた
殺し合いに行くのではありません
理解してもらうのです
其の為に、人が必要
人は力、集まれば其れは剣に成り、盾になる」
桃は再び雷切を抜き、空に青い虹を描く様に舞った
美しく流れる青の軌跡が、桃の首筋でピタリと止まった
群衆は、あっと息を飲んだ
然し雷切は逆さ刃になっていて桃の首筋には擦り傷一つ付いていない
「そして剣は人を殺す為だけの道具ではない
人を活かす為に使うことも出来る
私の心眼もまた同じ
戦の為に授かったのではない
此れから先訪れる平和な世を見通し、人を導く為に授かった
貴方達の大切な人を護り、必要以上に悲しい泪が流れぬ様にと、天と母から貰ったもの
人は愛でるもの
愛を生み出し続けるもの
殺した人の数だけ賞賛される戦は、必要ではない」
桃は雷切を鞘に収め、手で泪を拭う
いつの間にか流れていた大粒の泪
泣くつもりはなかった
出来れば泣きたくなかった
大きな瞳は群衆の一人一人に向けられた後、閉じられた
桃は言った
「だからお願い...
力を、力を貸して下さい」
其の声は大きくはない
然し、耳ではなく心に
確りと届いていた
そして右手を高々と揚げて雄叫びに似た声を上げる群衆
大地が揺れる
然し、先ほど梅喧に罵声を浴びさせた時とは異なっていた
此れはまるで胎動
既にして烏合の衆ではない
桃を最前線として大きな目標に向かって突き進もうとしている
「こんなに居たのか
何処に隠れてたんだ?」
小太郎が溢す
見晴らしの丘
既にして集まった群衆は三百を超えていた
岩陰に隠れていたり、近くで様子を伺っていただけの者も、桃の話しに心動かされたのだろう
丘には本当に多くの人が集まっていた