一蓮托生 〜陸
敵は多勢で強大
勝てない相手だと分かっている
其れでも共に戦いたい
血を流すだけが戦ではない
其れに気付けた群衆の気持ちは此れ迄とは明らかに違う
群衆の心が今
一人の女の言葉で一つに纏まった
結果から言えば、見晴らしの丘での桃の演説は大成功だったと言える
然し、丘からの帰り道
桃の表情は、決して明るいものではなかった
「私の思いが逸れ伝わり、皆を戦に導くことになってしまわなければいいけど...」
桃は既に紅みのなくなった月を見上げながら呟いた
隣で歩いていた与一
桃の手を優しく握って言った
「大丈夫。桃の思いは届いてる
だってほらあの子
五右衛門だっけ
あの子、最後笑ってた
お母さんも嬉しそうだった
桃の思いは伝わってる
全ての村が一つになったんだ
後は僕達が如何に頑張れるかだ
大丈夫、僕がついてる
腕の傷も大分良くなったし」
与一の言葉に、桃は安心したように優しい笑顔を見せた
月明かりに照らされる美しい横顔に、与一は照れを隠しきれなかった
これからが本番
桃の目的は分かり合うこと
領主に今までのことを悔い改めさせること
及ばぬ鯉の滝登り
連木で腹を切る
丘にいた者達の中にはそう思った者も少なからずいただろう
然し誰一人として反論する者はいなかった
桃の説いたことは、人々が願っていたことだった
誰もが胸に憧れとして抱いていた"平和な世"
恐怖、或いは不可能だと判断して誰も言い出せなかっただけ
与一が言った通り
桃の声は群衆の胸に深く突き刺さっていた
正に一蓮托生
人々は一人の少女に、其の命を託したのだった
申の村に戻った桃達は、其々が思い思いの時間を過ごしていた
桃は小高い丘に一人で座り、遠くなった月を見上げていた
「玄信、大丈夫かな」
足音を立てずに近付いていた与一に問いかけた桃
与一は少し慌てながら
「うん」
と答えた
『約束を果たしたい
此れは俺一人でやるべき事
月を二度見た後の朝、戌の村で会おう』
そう言って別行動を始めた玄信
…確かに大丈夫だろうかと不安はあった
然し、玄信の腕は超一流
寧ろ玄信がいない此方側の方が不安だった
でもいつまでも頼っていられない
弱音を吐いてばかりじゃ、大切な人を守れない
其れから桃は何も語らず唯、月を見上げていた
隣に座った与一も無言で空を見上げた
桃は与一の優しさに感謝した
暫くの間二人は無言だった
「さぁ、明日も早い
そろそろ寝よう」
与一が立ち上がり、桃に声をかける
桃はゆっくりと立ち上がり、真っすぐに与一を見つめる
まるで濁りがない澄んだ水の様な桃の瞳
本当に綺麗だ
桃に魅入っていた与一は、赤らめた顔を隠す様に空を仰ぐ
桃はそんな与一が可笑しくて少し悪戯に笑う
「えっと。その」
普段、与一の頭の回転は誰よりも早い
然しこうした状況には滅法弱い
「与一...」
桃の声でふっと我に返った与一が桃を見る
桃は与一の両の目を交互に見つめていた
時間が止まった気がした
与一が桃を優しく抱き締める
「愛してる」
漸く言えた五文字だった
桃は何も言わず、嬉しそうに頷いた
与一は、桃の両肩を優しく掴んで互いの体を離す
そして少し頭を下げて、桃の唇に自分の唇を重ねた
桃が与一と会っていた時、小太郎も御前と会っていた
「ねぇ」
漸く御前が口を開ける
「な、なんだよ?」
小太郎は胸の高鳴りを隠すようにわざとぶっきら棒に応えた
「あの、ありがとう。
炎の中から、助けてくれて」
「あ、あれはよぅ
その、与一を見てたら居ても立っても居られなくなってよ
あいつ、怪我してんのに助けに行くとか言うからさ
其れに、桃もいてくれたしな
だから、別においらが感謝されることはねぇよ」
「ふふっ」
小太郎は至って真面目に答えたつもり
然し、御前に微笑まれて混乱する
「な、何が可笑しいんだよ」
御前は小太郎の両掌を眺めていた
火傷
御前を助けるために瓦礫を持ち上げた小太郎
其の時、火の熱によって高温になっていた瓦礫によって小太郎は火傷していた
相当熱かったよね
命懸けの救出だったはず
小太郎と姉様が来てくれなければ死んでいた
御前は小太郎の両眼を見て言った
「其れでも良い
其れでも良いの
ありがとう」
「おっ、おう
其れによ...あ、やっぱ何でもねぇ」
そう言い掛けて止める小太郎
此れには御前も堪らない
「ねぇ、なぁに?」
「んーと、えっとよ、おめぇのことさ、ちょっと気になってたしよ」
小太郎が頬を真っ赤に染めながら、口を尖らせて言った
「うちの何が気になってるの...?」
目を細めながら御前が小太郎に問う
「何って、ほらその、なんだ?
あー、もういいや
おいら、おめぇがす、す、いや、気になるんだよ」
小太郎が顔を背けて御前に言った
此れは最早告白
小太郎は御前の顔を見ることが出来ない
「あのさ...」
「なっ、なんだよ?」
小太郎が恐る恐る御前の顔を見る
「うち、御前って名前があるの
おめぇじゃないの、ご.ぜ.ん!
だからね、小太郎
名前で呼んで」
今度は御前が恥ずかしそうに言った
小太郎は恥ずかしがる御前の可愛さに悶絶寸前になっていた
「お、お。お、お、おぅ!
ごごっごごごごっごおごごごごご
御、前!」
御前は照れてどもりまくる小太郎の可愛らしさに吹き出した
「可笑しい
照れ屋さんなんだね、小太ちゃん」
「べべっっっべ別に、なんだよ
ってゆうか小太ちゃんって」
「ふふっ」
「ご、御前...」
急に真剣な表情に変わった小太郎
其の声に耳を傾ける御前
さっきまでふざけていて、子供のような表情をしていた筈の小太郎
今の顔は悪い奴と戦う大人のお侍さんのよう
一体此の人は、幾つの顔を持っているんだろう
「おいらさ、父ちゃんと母ちゃん、産まれてくるはずだった弟妹、村の仲間達を鬼に殺されたんだ
知ってるだろ、鬼の刻
ありゃあ本当に地獄だった
んで、おいら鬼に対する復讐のことだけ考えてた
でも違った
桃達に会って気づいたんだ
父ちゃんたちはおいらに復讐を望んでないってこと
だから、もう鬼を恨んじゃいねぇ
復讐なんてもんは、何にも生み出さねぇ」
少しずつ遠ざかっていく月
反射する陽の光も弱まっていく
然し、小太郎の顔を照らすには充分だった
其の柔らかくて繊細な光は、小太郎の顔の彫りに合わせて陰影を生み出し
あどけなさの残る小太郎の魅力を増幅させる
少年と青年の狭間に揺れる年代
時に可愛く、時に凛々しく
見る角度によって相手に違った印象を与える
小太郎はそんな自分の魅力に気が付いていない
然し御前は、月明かりに照らされ、幾度となく表情を変えて魅せる小太郎に惹かれていた
気を抜けば高鳴る胸の鼓動が小太郎に聞かれてしまう
御前がそう思うほどに静かな、優しい夜だった
少しずつ赤らみ始めた頬を小太郎に見られぬ様、小太郎から顔を反らして口を開いた
「小太郎は、夢ある?」
「夢か...あるよ
もっかい、父ちゃん母ちゃんに会いてぇ
そんで、今のおいらを見てほしい
進んでる道が間違ってないかとかも聞きたい」
五歳で両親を失った小太郎
まだまだ親からの愛が必要だった
半蔵をはじめとした申の村人が小太郎を愛し、鍛えた
そして遣鬼使となって桃と出逢い、両親の本当の想いに気付く事が出来た
失う辛さ、痛みを知っている小太郎
色んな感情を飲み込み、精一杯生きている
きっと、両親も今の小太郎を誇りに思うはず
御前はそう思った
小太郎は自分の暗い過去の話のせいで、御前が俯いたと思い、慌てて口を開いた
「なんてな、死んじまったもんは帰ってこない
其れはわかってんだ
でも胸ん中で生きてるから、寂しくねぇ
父ちゃんも母ちゃんも、赤ちゃんも、おいらの心ん中にいて、ずっと見ててくれてる
だから父ちゃん達に恥ずかしくない生き方をしたい
そんで、いつか父ちゃんみてぇに世界中を旅する男になりてぇ
勿論、可愛い嫁さん貰ってさ
ご、御前みたいなさ...な、なんてな
と、ところで御前の夢は」
はにかむ小太郎が愛おしい
御前はにこりと微笑んだ
其のまま、真剣な表情になって口を開いた
「うちは、医者に成りたい」
「医者?雉の村の人は皆医者みたいなもんだって聞いたけど」
「みたいなもんじゃなくて、本物の医者に成りたいの
今の医学は未だ途上
感染症や、唯の風邪で亡くなる人も多い
うちは、生きたいと強く願う病人や怪我人を救いたい」
小太郎は言葉を失っていた
事実、鬼の刻では致命傷こそ免れたものの、その後に亡くなる者も多かった
原因は圧倒的な治療不足
鬼の刻から数日後に、救護班は送られた
其の中には雉の村人も含まれていた
当時は、消毒薬や痛み止めなど無いに等しい時代
救護班到着まで、間に合わずに多くの怪我人が死んだ
目の前で痛みにもがき苦しみ死んでいく同胞を、小太郎は目の当たりにしていた
感じ方が違っていたなら、小太郎も医者を目指していたかもしれない
然し、此の時代でも医術を学ぶのは困難を極めるとされていた
理由は被験体の少なさと高い感染の危険性
医者と称される者達の死因の殆どが、感染症を持つ患者からの感染での死亡だった
病気に決定的な薬や手術など存在しない
そう考えている人が殆どだった
そんな中、医者に成りたいと言った御前
小太郎は一瞬にして尊敬の眼差しで御前を見るようになっていた
「死ぬべきじゃない人が多過ぎる
一番は戦争という下らない殺し合いが無くなれば良い
姉様は本気で其れを望んでいるけど、きっと時間は掛かる
其れに、未だ未だ治せないと思われている病気も多い
必ず有る筈なの、治療方法が
雉の村で学べる事は大体学んだ
うちは、医学を身に着けるために世界を回りたい
例え其れがどんなに大変で辛く険しい道だとしてもやり遂げたいの
そして村に戻って、母様の病気を治すの」
「すげぇな、若いのに」
小太郎は目を潤ませて話す御前を元気付けるように、わざと茶化した様に言った
「歳は一つしか変わらないでしょ」
御前が少し笑顔になる
「だからね小太郎
うちを色んな所に連れて行ってほしい」
「おっ、おい
其れって...」
小太郎が素っ頓狂な声をあげる
「なぁに?
駄目?」
「だ、駄目じゃねぇけど」
「なら良いでしょ」
「お、おうよ!
おいらに付いて来い
その代わりさ、絶対に死なないでほしい
おいらを一人にしないでくれねぇか」
「うん、大丈夫だよ
小太郎がうちを護ってくれればいいだけでしょ」
「おう
其のためにはもっと強くならねぇとな
って、えっ、お、おい」
御前は小太郎に抱き着いた
小柄で着痩せして見えるだけで小太郎の体は筋肉質
体脂肪率だけで言えば玄信や与一をも凌ぐ
そんな小太郎に抱き着きながら安心感を覚える御前
小太郎は恥ずかしさと嬉しさで固まって動けない
「小太郎...」
御前が少し距離を置く
「え...?なに?」
急に離れた御前に驚き、いつもより高い声で聞き返した小太郎
「生きて帰ってきて
明日、絶対に死なないで
兄様も姉様も、一緒に連れて帰ってきて
うち、待ってるから...
ずっと、待ってるから」
大粒の泪を零しながらそう言った御前
昨年鬼ヶ島に渡って未だ帰宅しない父総士のことが頭に浮かんだのだろうか
今度は小太郎が御前の頭の後ろに手を遣り、自分の胸に引き寄せて言う
「大丈夫だ
安心しろ、おいらは死なねぇ
御前を一人にしない
おいら、絶対戻ってくるから、そしたら一緒に色んな景色見に行こう
そんで沢山勉強して、色んなこと経験して、そんで
そんで、おいらとずっと一緒にいてくれや」
最後は御前の耳元で囁いた小太郎
自分の胸で大きく頷く御前を、今度は両腕で抱き締めた
『迷ったら登り坂だ』
此れは御前、与一の父総士が良く言っていた言葉
自ら困難に立ち向かってゆく小太郎を、御前は頼もしく思った
同時に、命を賭した困難に立ち向かうのは今回だけにしてもらいたいとも思う
城へ向かうと決めた小太郎に総士の後ろ姿を重ねた御前
「約束…
生きて帰ってきて」
朧げに浮かぶ月の下
桃、与一、小太郎、御前
四人の若者は今
正に其の登り坂を歩き出そうとしていた
第七章 完




