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第七十三話


一五二四年三月 魚津城



三月、季節が進み春のよそおいが感じられ始めたこの日、僕は越中新川郡魚津城を訪れていた。



「これは殿におかれましてはご機嫌麗しゅう…」



上座に座る僕の対面で平伏しているのは家臣の椎名慶胤(よしたね)だ。

かつては神保家と同列の越中守護代として新川郡を治めたが今では僕の家臣となり、近頃嫡男の康胤(やすたね)に家督を譲り出家し剃髪したのだった。

もっとも史実では四年ほど前に討ち死にしていた筈だから、目の前の坊主は本来存在しない筈の人間だ。



「うむ、出迎えご苦労。…いまでは慶角(けいかく)と名乗っているんだったかな。」

「ははは、いかにも。まぁ酒も肉食(にくじき)もやる生臭坊主でござるがな。」

「家督を譲って老け込んだかと思ったが、そのようなことは無さそうだ。」

「面倒事は康胤に任せておりますからな。ははは!」



椎名慶胤改め、慶角(けいかく)が豪快に笑った。



「まぁ欲望に忠実に生きる方が華があると言うものよ。」

「左様にございますな。…して殿は何用にて魚津城へ?」

「ああ、そのことだがな。おい!」



僕が声を上げて合図をすると、近習の狩野職信(もとのぶ)と共に薬売り(ちょうほういん)の藤助が入ってきた。



「ふむ、殿の薬売り(ちょうほういん)にございますか。」

「そうだ。この藤助は主に越後で諜報活動を行っておるのだが…」

「ほう、越後の。」

「…どうも越後の長尾為景が越中に対する戦争準備をしているらしい。」

「何ですと?」



慶角(けいかく)の表情が険しくなった。



「表向きは平穏だ。…だが春日山周辺の経済に影響が出ている。藤助!」

「はっ!」



藤助が一礼してから話し始めた。



「我等が組は数人で行商を行い地域の有力国人や豪農、商人等との顔つなぎを行っておりますが、その中に長尾為景が春日山城出入りの商人が含まれております。長尾為景はその商人に命じ、兵糧や武具の準備を行っている事を掴みました。」

「ふむう。しかしそのような戦争準備は内密に行うもの。如何にして突き止められたのだ?」

「如何に内密に進めようとも数多くの人が絡んでおりますれば、金や色を好むものは多少なりともおります。御坊の様に欲望に忠実な者がいればしめたものです。」

「…言ってくれるのう。」



慶角(けいかく)は顔をしかめた。



「…それに表の経済にも少しばかり影響が出てくるものだ。まぁこれは狩野屋からの受け売りだがな。」

「ふむう、恐ろしいものよのう。…これはますます殿に隠し事はできませぬわい。」

「…隠し事をするつもりだったのか?」

「殿に背くことあれば堂々と背くことに致しましょう。」

「冗談はさておき…、俺達の見立てでは越後守護上杉定実様から約定を頂いた停戦が期限を迎える五月頃には動きを見せるものと睨んでいる。まぁ、早ければ、だがね。」

「では我々も戦の準備をせねばなりませぬな。」



慶角(けいかく)が腕を組んだ。



「そうだ。おそらく長尾為景は一万程の兵を動員できると考えている。我が神保家は常備軍が一万、国人衆と安養寺衆を合わせて四千程か。数の上では我が方が多いが、それは戦力を一極集中出来る場合に限られる。」

「…西の加賀一向一揆の備えを減らすわけにもいかぬ、と言う事ですか。」

「ああ。安養寺衆の全てと我が軍の四割は動かせぬ。」

「つまり長尾軍に対することが出来るのは七千から七千五百程になりますな。」



そう、つまり劣勢なのである。

長尾家と一向一揆が同盟を結ぶと言う事はおそらくはあり得ないことだが、各々別の戦いとして越中に戦を起こすことは十分にあり得る。

我が国は敵に挟まれているのだ。



「能登の畠山様にご助力を願う事はできませぬか?」

「ああ、義総(あにうえ)なら我が方にご助力は頂けるだろうが、義総(あにうえ)義総(あにうえ)で加賀の一向一揆と相対しておられるのだ。連中、数だけは多いからな。」



宗教に裏打ちされた勢力と言うのは恐ろしいものだ。



「…そこで殿はどのようにされるおつもりで?」

「うむ、そこだ。先日松倉城の康胤にも言ってきたのだが、ここは椎名家と新川郡の民には少々辛い役回りを頼まねばならぬ。」

「…それはどのようなことで…?」

「うむ…」



僕は策を慶角(けいかく)に説明した。

その作戦とはまず越後からの陸路での侵攻ルートと想定される親不知子不知(おやしらずこしらず)の海岸の街道を破却する。親不知子不知(おやしらずこしらず)とは北陸道における交通の要衝でもあるのだが、海岸線に沿って進まねばならず古くから難所として知られていた。

この地で防衛線を敷くと言う作戦も考えられるのだが、かつての承久の乱では防衛側が撃破されてしまったそうだ。



「越後守護上杉定実様の御理解は得られましょうか?」

「そこは越後国内を抑えられぬ上杉様に文句を言わせぬよ。まぁ戦後に長尾為景が力を失った暁には神保家が再建すると言う約定を致せばよかろう。」

「それは確かに。で、我が椎名家と新川郡の辛い役回りとは如何様なもので?」

「…ああ。陸路で攻められると分かれば長尾家は海路で進攻しようとするだろう。そうなればこの魚津城周辺から攻めてくるはずだ。それに備え、我が方は先の一向一揆(ぼうずども)との戦いでも使用した塹壕戦…遅滞戦術を用いるものとする。街道の破却は、この準備をするための時間稼ぎとも言えるな。」

「ふむ…」



慶角(けいかく)が腕を組んだ。



「それは海岸線にて防衛するのではなく、敵を上陸させるのですか?」

「そうなる。敵を引き込ませ、分断できた敵から各個に撃破したい。」

「そうなればわざと新川郡に攻め込ませる機会を敵に与えなければなりませぬな。」

「そうだ。その為にはいくつかの地を敵が手にすることになる。俺の最悪の想定ではこの魚津城から北東方向は死守せず、城も一時的に破却する。…田畑もな。」



つまりは焦土作戦を行うのだ。

その範囲は出来るだけ狭くできるのが望ましいが、全くのゼロと言うわけにもいかない。



「…それが我が椎名家と民に強いられる役回りですか。ちなみに康胤(わがむすこ)は何と…?」

「最初は苦渋の表情を浮かべていたが、最終的には納得してもらったよ。」

「…それならば是非もありますまい。殿の下知に従いまする。」

「すまぬ…。少しでも状況を有利にできるよう、越後国内の工作活動も進めている。戦に勝てた暁には我が神保家が責任を持って復興に尽力する事を約束する。」



来るであろう長尾為景との戦はおそらく簡単では無いだろう。

心を決めて準備を進めていくしかない。














某歴史ゲームでの長尾為景は恐ろしい性能でしたよね…

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