第七十一話
一五二四年一月 越後春日山城
「忌々しい! 何ともうまくいかぬ!」
ガシャーン!!!
湯気が立ち上りそうなほどの怒気をはらんだ男が盃をを投げつけた。
一五二四年の始まりを迎えるこの一月。
本来であれば家臣や友好的な国人を迎え新年の宴席が催されるべき時だ。
しかしこの城・春日山城の広間に人はまばらだ。
「と、殿。落ち着いてくだされ!」
今にも暴れ出しそうな男を嗜めようとするのはまだ若い侍だ。
その他の国人はまるで通夜のような雰囲気で視線を落としていた。
「これが落ち着いていられるか! 我が愚息も姿を現さぬ! 揚北衆でここにおらぬ者共も御屋形様を詣でた後でもここに来ぬのだぞ!」
荒れているこの男は越後の有力国人であり守護代長尾為景であった。
「お、恐れながら今日は新年の良き日にございます!。どうか平に、平に!」
先程の若い侍が長尾為景の前で平伏しながら言った。
それを受けた長尾為景は不機嫌そうに上座の位置にドカっと座った。
近習が新しい盃を差し出すと、長尾為景は乱暴に受け取った。
「酒を注げ、神五郎。」
「はっ。」
神五郎と呼ばれたのは直江神五郎実綱、後に景綱と名乗る事になるこの男は、史実ではかの有名な直江兼続を婿養子に迎えた人物だ。
「フー!」
長尾為景は直江実綱に注がれた酒を一気に飲み干した。
「やはり考えれば考えるほど忌々しい事よ。」
現在越後における長尾家の情勢は史実とはかなり異なっていた。
越後は名目上の君主である守護上杉家を筆頭とはしているものの、北部に揚北衆と言う独立色の強い国人領主が割拠していた。
守護上杉家や守護代である長尾家としばしば対立することもあったのだ。
その中に置いて長尾為景は自身の勢力向上に努め、いくつかの揚北衆を時には力で、時には懐柔することで力を増してきたのだった。
しかし現在、その勢いは以前より影を潜めて来た。
長尾為景の嫡男である長尾定長(史実では定景・後の晴景)は長尾為景から距離を取り始め、守護上杉家と同調する様な動きを見せ始めていた。長尾定長は家臣の宇佐美定満の居城であった琵琶島長尾家と揶揄するものもいるほどだ。
「定長…、我が長尾家が嫡男の立場にも拘わらず愚か者めが…」
この一派は守護上杉家を倒していく過程においては完全に敵になる事だろう。
要するに越後長尾家は当主と嫡男で二つに割れている訳だ。
(まだ当主のほうがかなり力が強いのだが。)
その他の一門衆や揚北衆等の国人領主達もこの対立構造の趨勢を見て身の振り方を決めるものもいる事だろう。
「しかし若は御屋形様(上杉定実)への忠義を示しているというお立場ですから、今はこちらから何か仕掛けると言う事は出来ぬでしょう…」
直江実綱が口を挟んだ。
今いる長尾家家臣団の中において、直江実綱は当主為景にモノを言える立場だ。
「道一丸め、能登から帰ってきてから体が良くなったようだが生意気になりおって…」
その言葉を聞いた中条藤資が体をビクっと震わせた。
中条藤資は長尾定長が能登を訪問したときに目付として同道したからだ。
もちろんその内容は長尾為景には報告済みではあるが、内容としては穏やかでは無いものだ。
「これも全て越中の神保長職のせいよ。」
「…若の体調が良くなられたのも神保殿の計らいだそうですな。」
「他にも定長めに色々と吹き込んだに違いなかろう。」
琵琶島城で上杉定実を交えて会談した時にも、何か密談をしていたようだ。
その中で長尾定長が何かを決心したのは容易に想像できる。
「神五郎。」
「はっ!」
「夏までに兵を挙げる準備をせい!」
「殿、それは…!?」
直江実綱が表情を変えた。
「…御屋形様が定められた越中との停戦期限は五月だ。神保家がごときに我が長尾が舐められるのは到底容認できぬ。」
「では…!」
「うむ。停戦期限を過ぎ次第、手始めに新川郡へ侵攻する。神保の小倅に我が長尾の意地を見せてくれよう!」
「はは!万事準備を進めまする。」
直江実綱が平伏すると、家臣・国人衆が同じく平伏した。
この後、越後の虎<の父>は隣国・越中との戦争準備を進めていくことになる。
そうなれば武器・兵糧などの軍需物資の購入や雇い兵の雇用などで地域の経済が戦争経済へ動いていくことになる。
それは少し後に神保家の薬売りに察知され、越中へ情報が伝えられる事となるだろう。
長尾為景、動きます!




