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可愛いあの子は男前  作者: 秋月真鳥
二章 奏歌くんとの二年目
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11.真里さんというひと

 怯えて泣いてしまった茉優ちゃんはやっちゃんが膝の上に乗せて慰めて、美歌さんが奏歌くんに話を聞く。その間私は後ろでそれを聞いていた。私のことが分からない奏歌くんに下手に話しかけても混乱させるだけのような気がしたのだ。


「私のことは分かる、奏歌?」

「かあさんだよ」

「このひとは?」

「やっちゃん」

「安彦の膝の上の子は?」

「まゆちゃんでしょ?」


 問いかけにすらすらと奏歌くんは答えていた。

 問題は私のことだ。


「それじゃあ、このひとは分かる?」

「……ごめんなさい、だぁれ?」


 私のことだけ分からない。

 ショックを受けて立ち竦む私に、美歌さんが沈痛な面持ちで告げる。


「運命のひとのことだけを忘れさせる暗示をかけたんだわ、あのひと」


 奏歌くんが庇わなければ茉優ちゃんがやっちゃんを忘れていた。そういうことだと分かっていても、私は泣きそうになってしまう。

 奏歌くんと出会った去年の夏から今年のクリスマスまで、嫌なこともあったけれどかけがえのない日々だった。それが奏歌くんの中から失われてしまった。


「運命のひとも得ずに百年を超えて生きてる人外は大抵どこか歪んでるけど、あのひとは特におかしいから」

「昔からそうなんだよ……高校の俺に近付いて来たときから!」


 苛立ちを抑えられないやっちゃんの姿など初めて見る。普段はやる気なく気怠い雰囲気なのに、今はぎりっと奥歯を噛んでいた。抱き締められている茉優ちゃんがびくっと震えたので、やっちゃんは茉優ちゃんの背中を撫でて宥める。自分がどんな怖い顔をしているか自覚がないのだろう。


「俺が高校のときに真里さんとは出会ったんだ。若い高校生を餌にして血を吸って、記憶を消すためにあのひとは高校に入り込んでいた」


 童顔だったから高校生に混じっても違和感のなかった真里さん。高校生の血を吸って記憶を消している場面を見てしまったやっちゃんは、真里さんが一目で吸血鬼だと分かった。真里さんの方もやっちゃんを一目で吸血鬼だと気付いた。


「輸血パックの期限切れの廃棄するものをもらって飲んでいるけど、新鮮じゃない血液は美味しくないし、冷えているんです。とても飲めたものじゃない」

「真里さんは人間から直に吸うことを好んでた。人間を餌としか認識してなかったんだ」


 美歌さんとやっちゃんの言葉に今更ながら真里さんがどれだけ危険な人物かを思い知る。


「記憶を消したら茉優ちゃんのことを安彦がただの餌だと思うと考えたのね」

「そんなはずはないのに」


 入り込んでいた高校で出会ってやっちゃんのことを気に入った真里さんは、やっちゃんに付き纏ったのだという。やっちゃんも高校時代は母親が出て行った関係もあって荒れていて、真里さんとつるむこともあった。けれどやっちゃんは人間から直には血を吸ったことがない。

 やはり運命のひとではないといけないという考えと、友達でもある同じ高校の人間を餌とは思えなかったのだ。

 そうこうしている間に真里さんの矛先は美歌さんに向いた。美歌さんも若くてまだ頼れる相手が欲しい時期だったので、甘い言葉に乗ってしまって、奏歌くんを妊娠した。


「父親として最低だし、吸血鬼としても最低な男だと思っています。でも、あのひとが奏歌の父親だということには間違いがないから」


 苦悩の表情の美歌さんに私は恐る恐る問いかけた。


「奏歌くんは戻るんですか?」


 そのことが一番私が聞きたいことだった。


「奏歌はまだ幼いけれど吸血鬼だから、完全に忘れているということはないと思います。封じられているだけで。それが解けるかどうかは、奏歌次第ですが」


 奏歌くんの記憶は封印されたまま解けないかもしれない。

 事実を突き付けられて、私は涙がぼろぼろと零れていた。


「私、真里さんが奏歌くんにひとの操り方を教える場面を見ちゃって……美歌さんに言わなきゃいけないと思ったんだけど……真里さんがこんなに危険な相手だなんて思っていなくて」


 涙が止まらない私の背中を美歌さんが何度も撫でてくれる。眉を下げて奏歌くんも心配そうに悲しそうに私を見上げて来る。

 ハニーブラウンの目が映しているのは、運命のひとと私を認めてくれて、私を慕ってくれた可愛い奏歌くんではなくて、私のことを知らない奏歌くんなのだ。考えると涙が止まらなくなる私に美歌さんは奏歌くんを押し付けた。


「海瑠さん、明日は休みでしょう?」

「は、はい」


 クリスマスの特別公演の翌日は劇団自体が休みで全員休めるようになっていた。クリスマスは家族と過ごせない劇団員も、翌日は過ごせるようにという劇団からの配慮なのだろう。


「奏歌を連れて帰ってください。一緒に過ごした方が思い出す可能性も上がるでしょう」

「でも、奏歌くん、知らない私と一緒で嫌じゃないですかね」


 ひっくとしゃくり上げて言うと、美歌さんが奏歌くんに説明している。


「このひとは、瀬川海瑠さん。奏歌は忘れてしまったけれど、奏歌のことが大好きで、奏歌も大好きだった、大事なひとよ。私も海瑠さんには安心して奏歌を預けられる」

「かあさんがしんらいしてるひと?」

「そう。あなたの運命のひとよ」

「ぼくの、うんめいのひと!」


 ぱぁっとハニーブラウンの瞳が輝いたのが分かった。

 奏歌くんが私に近付いてカットソーの裾を摘まむ。しゃがみ込むと奏歌くんは私の涙をティッシュで拭いてくれた。


「なかないで。おねえさんがなくと、ぼくもかなしくなっちゃう」

「奏歌くん……」

「ぼく、がんばっておもいだす。なかないで」


 泣かないでと言われると涙が止まらなくなる。すんっと洟を啜り上げた私に奏歌くんはぎゅっと抱き付いてくる。奏歌くんを抱き上げて私は心を決めた。


「奏歌くんとマンションに戻ります。奏歌くんと過ごす時間で思い出すかもしれない」

「海瑠さん、よろしくお願いします」


 美歌さんに頭を下げられて、車で送ってもらって、私は奏歌くんとマンションに戻った。最上階の部屋に上がるエレベーターの中で繋いだ奏歌くんの手が冷たくなっているのに気付く。

 初めての場所に緊張しているのだ。

 初めてではなくて、何度も寛いだことのあるはずの場所なのに悲しくなりそうだったけれど、私が泣いていてはどうしようもない。

 奏歌くんと手を握り合って玄関を潜る。

 電気をつけると奏歌くんが「わぁ」と声を上げた。


「ハンモックがある! テントも! このソファはとりかごみたいにやねがついててかわいい。こっちのいすもとりかごみたい」

「全部奏歌くんが私のマンションに来るようになって買ったんだよ」

「そうなの!?」


 それまではリビングはオーディオ機器は揃っていたし、巨大なテレビとDVDや雑誌のラックはあったけれど、それ以外の家具はなくてがらんと広く寂しかった。

 奏歌くんが来てくれるようになってから、私の部屋のリビングは過ごしやすくなった。


「ハンモックにのってみたいし、あのとりかごのいすにもすわりたいけど……きょうはねむくなっちゃった」

「そうだね。ご飯を炊く準備をしてからお風呂に入ろうね」

「うん、おてつだいする」


 奏歌くんが炊飯器に無洗米をカップで計って入れてくれる。水を入れてタイマーをセットするのまで私はできるようになっていた。

 最初はお米を炊飯器に入れて水も入れずスイッチも押さなかった私はもういない。全部奏歌くんが変えてくれた。

 お風呂に一緒に入るのに奏歌くんはちょっと恥ずかしがっていたが、髪と背中を洗ってあげると気持ちよさそうだった。


「みちるさんはちゃんとしってるんだね。さわっていいばしょと、いけないばしょ」

「それも、奏歌くんが教えてくれたんだ」


 触っていい場所と行けない場所があることも奏歌くんが教えてくれた。お風呂上りにドライヤーをかけながら、奏歌くんが麦茶で水分補給できるのも、奏歌くんが私の部屋に麦茶のパックを持ち込んで、薬缶を買って煮出すことを教えてくれたからだった。

 この部屋にはもう奏歌くんの思い出が溢れて仕方がない。

 このまま奏歌くんが私を思い出さなければどうしよう。

 目が覚めたら全部が夢だったらいいのに。

 私はその晩なかなか寝付けなかった。

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