それぞれの道へと帰った。▼
【メギド ファイの町】
蓮花は変わり果てた母上の身体を丹念に魔法で調べ、そして冷徹な声で告げた。
「これは死者の蘇生魔法というよりは、死体を媒介に“とりあえず動けばなんでもいい”くらいのレベルの低俗な魔法を発動させたようですね」
その説明にゴルゴタと私の心に『真紅のドレス』の連中に対する新たな殺意が芽生えた。
ヤツらは母上の身体をただの道具として扱っていたのだ。
しかし、それ以上にアギエラが放つ殺意は強烈だった。
アギエラの瞳は憎悪に燃え、その表情は怒りで歪んでいる。
母上の死を愚弄されたことに対する純粋で激しい怒りが、全身から溢れ出していた。
全世界を脅かす程の実力を持つアギエラの殺意にその場の空気がピリピリとしている。
ライリーは母上の巨大な肉塊を見上げて、諦めたような、どこか納得したような表情で呟いた。
「死の法があるうちはこんなことできなかったけど、死の法がなくなった途端にこんな雑な魔法でこんなことになるとはね」
私はその状況に疑問を抱き、蓮花に尋ねた。
「何故巨大化したりするのだ」
「下手な魔法式の副作用という感じですね。取り込んだ人間の細胞が内部でぐちゃぐちゃになってます。魔人化の逆の雑な人間化……とでもいうのでしょうか」
ゴルゴタは憔悴した顔で蓮花に問いかけた。
「なんとかできねーのかよ……?」
ゴルゴタの切実な願いに蓮花は一瞬だけ表情を曇らせた。
「元の遺体の状態もいい状態とは言えませんでしたし……期待はしないでください。でもやってみます」
蓮花はそう言いながら母上の身体全体に魔法をかけ、『真紅のドレス』のかけたどうしようもない魔法式を上書きしていく。
蓮花の魔力が母上の身体に作用していくほど、上半身だけ出ている母上の身体もやせ細っていった。
ゴルゴタはその様子を見て、不安そうに蓮花に尋ねる。
「これってこのまま……また死ぬのか……?」
「もともと遺体でしたし、人間の細胞を全て剥がせば必然的に遺体に戻ります」
その言葉を聞いてゴルゴタは明らかに残念そうにした。
私もほんの少し残念な気持ちになる。
再び生きている母の姿を見ることができなくなるのかという喪失感が、胸に広がる。
アギエラはそれを聞いてまた涙を流して泣いていた。
そんな私たちの表情を見て、蓮花は珍しく感情を滲ませるようにして聞いてきた。
「人間化した状態でならギリギリなんとかできそうですが、それでもいいですか?」
蓮花は言葉の端々に慎重な様子を見せた。
「あまり期待しないでください。私は奇跡は起こせません」
そう言いながら蓮花は時間をかけて、母上の身体を慎重に魔法をかけ続けた。
途中でタカシが縛っていた部分も溶け堕ちて、『縛りの数珠』の効果が切れた。
タカシは自分の身体の何十倍もある母上の身体を縛ったその疲れで、その場に崩れ落ち、ほぼ気絶した。
よくやった、タカシ。
お前は立派な私の家来だ。
後で、そう褒めてやってもいいくらいの働きをした。
ライリーは作業をしている蓮花に問いかける。
「そもそも核の方はちゃんと入ってる?」
「クロザリルさんの核は入ってない。だから本物の核を入れる」
「核なんてどうやって入れるの?」
「……説明できない」
その言葉に私たち、特にエレモフィラは興味深そうに蓮花の手元を凝視した。
核を入れるとは一体どういうことなのか。
臓器と違って明確に形がある訳ではないものであるし、本人のものという核を選定するのは原理が全く分からない。
もう母上の身体はほぼ生前の姿に戻っていた。
だが、悪魔族特有の翼も尾もなく……本当にただの人間のように見えた。
蓮花は異空間を開く魔法式を展開し、そこからまた複雑な魔法式を複数展開した。
断片的に分かるその魔法式は母上の核を特定するためのものだった。
断片的に内容が分かっても、それがどういった仕組みなのかまでは理解できない。
そして異空間から眩く光るものを召喚する。
「それが核なのか……?」
「そうです」
光り輝く核を初めて見た。
核が抜けたときは何も見えないが、本来の核はこんなに光り輝いているものなのか。
蓮花はその核を母上の身体の中に入れた。
ドクン……
私たちは息をのんでその光景を見ていた。
ゴルゴタも私と同じようにその様子を呆然としていた。
「…………」
「………………」
蓮花は魔法を終えると疲労した様子で私たちに告げた。
「なんとか元の雑な魔法式を書き換えて、核もきちんと入れました。概ね成功です」
しかし、母上は目を閉じたまま動かないし目覚めない。
私は安堵と失望が入り混じった声で尋ねた。
「意識を取り戻さないぞ……?」
「生命活動はしています。しかし、やはり脳の大部分を完全に再現するのはできませんでした。私が魔法でなんとかできたのは、生命の維持活動を担当する脳の部位です。核の定着にも少し時間がかかるでしょうし、暫く目を覚まさないでしょう」
ライリーはがっかりしている私たちを見て諫めるように言った。
「がっかりしてるみたいだけど、本格的な死者の蘇生魔法が成功したのは恐らくこの世で初めてのことだ。蓮花はよくやったよ。蓮花以外じゃこれはできなかった偉業だ」
エレモフィラもその言葉に頷いていた。
「人間化の魔法式を展開しながら、核の選定魔法式、それから回復魔法の並行発動……私でもそこまではできない」
呼吸をしている母上の様子を見て、アギエラは泣きながら母上の身体に縋った。
センジュも母上を見て涙を浮かべている。
生き返らせるかどうかをかなり迷っていたが、私もセンジュもゴルゴタも目の前で息をしている母上を見て心の底から嬉しい気持ちを噛みしめていた。
蓮花は私たちの雰囲気などお構いなしに現実的な視点で呟く。
「一先ずは……と言いたいところですけど、エータの町付近からここに至るまでの町や村の人間が皆殺しになってる事を考えると、この後も荒れそうですね……」
「エータの町から魔王城までの間にあるのはパイの町だったな。パイの町の人間はお前たちに攫われているから無人だ」
「あぁ……不幸中の幸いだね」
私はライリーの軽口に厳しい声で言った。
「エータの町では人が死んでいるのだから軽い話ではないぞ」
蓮花は、そんな私を諭すように言った。
「でも、もう人間を庇う神は存在しないですし。それにこの騒動を起こした責任者は『真紅のドレス』という魔王信仰の異常者たちで私たちではありません」
蓮花はこの騒動の責任を完全に『真紅のドレス』にとらせるつもりなのだろう。
三神が消えた今、人間を救う存在はもういないのだ。
これからどうなるのか、正直何も分かっていない。
特に今は色々考える余裕がないのが実状だ。
落ち着いたら考えることが山ほどある。
私たちが難しい表情をしていたところ、センジュは静かに言った。
「皆様、城に帰りましょう」
「そうだな、アギエラも来い。行く場所もないのだろう」
私がアギエラにそう言うと、母上の身を案じているようでそれに同意した。
しかし『真紅のドレス』は殲滅するとのこと。
その意志はかなり固かった。
私たちは疲弊した身体を引きずって城に帰ることにした。
センジュは気絶しているタカシの身体を抱え、ゴルゴタは疲弊している蓮花を抱えながら母上も丁寧に抱えた。
その時、アザレアらが私たちに声をあげた。
「俺たちははじまりの村に帰るよ。もうタカシに剣を教えるって使命も、三神を倒すって目的も果たしたし」
そう言われて確かにそうだと思った。
センジュも母上がかろうじて生き返ったとしても、母上を手にかけたアザレアらに早く消えて欲しいと思っていたはずだ。
母上を討った伝説の勇者が、魔王の息子たちと一緒にいることが異質な状態であった。
混乱に次ぐ混乱で基本的な事を完全に失念していた。
「俺たちははじまりの村に戻ってから、現国王に話をしてみる」
アザレアの言葉に蓮花は突然ライリーを指さした。
「なら、ライリーを連れて行った方がいいよ」
「え……?」
突然話を振られて、ライリーは驚いて蓮花を見た。
「勇者連合会暗部の司令官がいたほうがいいですよ。信憑性とかもあるでしょうし。またアザレアさんたちをもみ消そうとなりそうですから」
「そんな面倒なことをしたくないよ……それに私は結局組織を裏切ったわけだし」
蓮花はライリーの言葉を一蹴した。
「でも、“魔王城に潜伏して情報を探り、問題を解決できた。魔王たちはもう人間を手にかけないと判断出来た”くらいの報告をしてもらわないと私たちの安息がないんだけど。今度は勇者連合会が魔王城に攻めてきそうだし、その辺は上手く丸め込んでアザレアさんたちの事も明るみにして現国王を引きずり下ろしてよ」
矢継ぎ早に言われて本当に嫌そうにしていたがライリーは、全く納得していなそうだったが渋々それを了承した。
アザレアらと共に私たちとは別れてはじまりの村の方向に消えて行った。
私はライリーたちを見送り、もう一度母上を見た。
そして疲労困憊の身体で呟いた。
「帰ろう……かなり疲れた。もう休みたい」
「だな……」
カナンはまだ利用価値があるということで、仕方なく連れ帰ることにした。
私とゴルゴタはカナンへの怒りを忘れた訳じゃない。
「庭の人間を括り付けていた場所にでも磔しておけ」
「“殺してください”って毎日懇願させてやるぜぇ……」
「『真紅のドレス』のリーダーみたいな人がいるならその人の事も聞きたいですしね」
「私が『真紅のドレス』を殲滅するから、心配しなくても大丈夫よ……」
私たちは魔王城に戻る岐路についた。