タカシは勇気を振り絞った。▼
【メギド ファイの町】
地響きが最大に達し、巨大な異形と化した母上の姿がついに私の目の前に現れた。
それは巨大な肉の塊でありながら、かつての母の面影を残す上半身が苦痛に歪み、無数の腕が生きているかのように蠢いていた。
その腕で地面の表面を泳ぐように進んでいる。
というよりは、地面をその腕で叩きつけながらその反動でその巨体を動かしているようにも見えた。
人間の血まみれの肉塊は、木々や建物をなぎ倒しながらこちらへ進んでくる。
私たちは向かってくる母上を止めようと構えた。
構えたが、実際に圧倒的に身体の大きさが違うものを前になす術が分からなかった。
いざ目の前にすると、どうしたらいいのか分からない。
「メギドお坊ちゃま! 危険です! お下がりください!!」
そう叫んだのはセンジュだった。
センジュの身体はこれほどの巨大な肉塊の母上を止めようとしたのだろう、血まみれになっていた。
「クソ剣使ってみろ!! 殺すからなぁっ!!?」
ゴルゴタはタカシが肌身離さず持っている勇者の剣を使うなと牽制した。
僅かにセンジュとゴルゴタによって勢いが若干殺されているようだったが、それでも母上は止まらない。
センジュらの努力もこの巨大な絶望を前にすれば、ほんの些細な抵抗に過ぎなかった。
私は母上を止めるため、試しに氷魔法を展開してみた。
しかし、私の想像通り大気中の水分が足りず、十分な力を発揮することができなかった。
氷の魔法は母上の身体に触れる前に蒸発し、わずかな白煙となって消えていった。
身体が凄い熱量を持っている事が分かる。
「母上!! 私です! 聞こえていないのですか!?」
私は、そう叫びながら母の上半身が出ているところに翼を羽ばたかせて飛び乗った。
母上は私の呼びかけに対し、唸り声をあげるばかりでしっかりと反応がない。
その瞳は視点を定めずに白目をむいている。
私はこうなることを恐れていたのかもしれない。
だから死者の復活魔法には否定的だった。
こんな姿になってしまった母上を見て胸が苦しい。
もう二度と母の意識が戻らないのかもしれないという絶望的な気持ちに襲われた。
その時、ゴルゴタが母上の身体から手を放し、蓮花を飛びながら抱えるように回収した。
「おい! テメェの能力で何とかしろ!」
ゴルゴタは蓮花を母上の身体の部分に持ってきて、調べるように言った。
蓮花はゴルゴタの勢いに戸惑いながらも、母上の身体に魔法を展開して内部を調べようとした。
……が、母上が尋常ではなく暴れるのでそれどころではなかった。
「集中しないと無理です……! 動きをなんとか止めてください!」
蓮花は暴れる母上に振り落とされないようにゴルゴタの身体に咄嗟にしがみついた。
「クソッ! お袋、俺だ!! ゴルゴタとメギド! あんたの息子だ!!」
「母上! 落ち着いてください!!」
私たちが語り掛けると、母上は直進する身体をその場で暴れさせて何やら苦しんでいる様子だった。
それはまるで母の意識がこの異形の身体の中で、私たちに助けを求めているかのようにも見えた。
その姿に私は更に胸が締め付けられる思いだった。
ダン!! バンッ!!! ガンッ!!
母上は人喰いアギエラの封印の上で滅茶苦茶に暴れ狂っている。
封印は魔法で作られていたはずだが、母上のでたらめな暴力で封印にヒビが入り始める。
封印から不気味な気配が漏れ出し、周囲の空気が一変した。
「マズイ! アギエラの封印が解けるぞ!」
「ンなこと気にしてる場合かよ!?」
もうそんなことを気にしている場合ではなかった。
母上を止められない私たちにはなす術がない。
アザレアらもなんとか母上を足止めしようとするが、母上の動きを多少鈍らせる程度にしか効果がない。
彼らの剣や魔法もこの巨大な肉塊を前にすれば無力だった。
ポツ……ポツポツポツ……ザァアアアアアア……!
その時、急に雲行きが怪しくなり突如として豪雨が降り始めた。
――何故急に雨が……?
先程まで水分が足りない程快晴であったはずだ。
こうなる可能性をひとつだけ私は知っていた。
私は雨の中で視界が悪い中、タカシの方を見る。
タカシはアザレアらが苦戦している中、懐から『雨呼びの匙』を振ったのだった。
タカシの行動は私たちが絶望の淵に立たされている中で、唯一の希望の光となった。
雨で母上の身体が冷やされ始め、白い煙が辺りを包む。
これなら氷魔法が効くかもしれない。
それに、これだけの水があれば氷魔法が存分に使える。
そう思った私は力を振り絞って氷魔法を展開する。
大気中の水分を操り、巨大な氷の壁を作り出して母上を足止めしようとした。
私の氷魔法は母上の動きを確実に鈍らせていった。
バキンッ……!!!
そんな中、母上はついにアギエラの封印を完全に破壊してしまった。
封印が解けより一層不気味な気配がその場所から立ち上る。
しかし、この中それを気にしている余裕もなく、大量の水を凍らせ続けるしかなかった。
イベリスやセンジュも私と共に氷魔法を使って、大量の水分と氷結で母上の動きは確実に鈍って行った。
しかし、動きを止める決定打にはならない。
そこでタカシが大声で叫んだ。
「俺に任せろぉおおおおお!!!」
明らかに無謀だと思った。
タカシはこの状況でこれ以上何もできないと思っていた。
そんなタカシが持っていたのは、『縛りの数珠』だった。
私はタカシらと共に魔道具を集めた旅の事が頭の中を駆け巡った。
結局私がゴルゴタの呪いを白羽根に解かせて、魔道具は必要なくなったと思っていた。
しかし、それも無駄ではなかったと私は確信した。
タカシは見事に勇者の剣を抜いて魔神を倒した。
そして今、身体を張って『縛りの数珠』を使おうとしている。
タカシがこんなに頼もしく見える日がくるとは思わなかった。
「おらぁあああああ!!!」
タカシはその数珠を自分の身体と母上の身体に巻き付け、母上の動きを完全に封じることに成功した。
それはまさに、奇跡としか言いようのない事象であった。
「止まった……!」
「信じられねぇ……」
母上とタカシは完全に拘束されて固まっていた。
やっと母上は止まったのだ。
だが……それに安堵したのも束の間――――
封印が解けた人喰いアギエラという大量人喰い鬼が出てきたのだった。