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公爵令嬢クラリスの矜持  作者: 福嶋莉佳
三章

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第6話

投稿遅れまして申し訳ございません。

ルシアンの指先が、地図の端で止まった。


「……離宮の近くか」


「殿下?」


ルシアンはそこでようやく視線を戻した。


「いや、問題ない」


クラリスはわずかに首を傾ける。


「殿下には、お馴染みの場所ですの?」


「……幼い頃、しばらくあそこで暮らしていた」


「そうでしたの……」


王家の離宮。

だが、ああした場所ほど、実際の人の出入りも、日々の差配も、王妃の意向が濃く出る。


クラリスはルシアンを見た。


幼い第二王子と、その母君が過ごした場所。

それがただの静養先で済んだはずがないことくらい、想像はついた。


「……大した場所じゃない」


そう言って、ルシアンは視線を地図へ戻した。


けれど、その声がわずかに硬いことに、クラリスは気づいていた。


王妃。


その名が、胸の内で静かに沈む。


ルシアンへ政務を流し込み、孤児院の件でも好きに盤面を動かし、クラーラの出入りさえ、あの女の手の内にあった。


このまま王妃に好きに動かされ続ければ、この婚姻とて安穏とはいかない。

せっかく繋ぎ直したものまで、いずれまた切り離される。


それに――。


クラリスの知る最初のルシアンは、ただ生気を失って静かに立っているだけの人だった。


(……そろそろ、償っていただきましょうか)


「クラリス?」


ルシアンの声に、クラリスははっとして顔を上げた。


「いいえ、何でもありませんわ」


そう答えた声は、とても穏やかだった。


けれどそのとき、クラリスの中ではもう、王妃に対する勘定の付け方が変わり始めていた。



そして、南苑離宮を訪れた日。


「――以上が、今のところ掴めた範囲です♡」


にこやかに言って、マリアは手帳を閉じた。


クラリスは満足そうに頷く。


「ご苦労様、マリア。先にあなたを送って正解でしたわね」


そこでようやく、ルシアンが小さく息をついた。


「……最初からそのつもりだったのか」


「離宮の中を確かめるのに、こちらが正面から入っていては遅いでしょう?」


「よく潜り込ませられたな」


低い声に、クラリスはわずかに顎を上げた。


「別筋を使いましたの」


「別筋?」


「ええ。友人に、地元へ戻る元王都勤めの侍女への紹介状を書いてもらいましたの」


「……友人」


ルシアンが一瞬だけ黙る。


「いたのか……」


ぽつりとこぼれた言葉に、クラリスの目がすっと細められた。


「どうかしましたの?」


「いや、別に……」


ルシアンがそっけなく返した、その時だった。


「王都勤めの侍女というだけで、ずいぶんねちねちいじめられました♡」


マリアが、にこにことしたまま口を挟む。


その一言に、古株たちの肩が目に見えて強ばった。


けれどマリアは気にした様子もなく、胸元の手帳を軽く振る。


「でも、そのおかげでいろいろ見やすかったです♡ 誰がどこを仕切っているか、誰が何を隠したがるか、よぉくわかりましたので」


「よろしくてよ、マリア」


やわらかな声音だった。

だが、その場の空気は一気に冷える。


「わたくしの侍女を虐げたこと、見過ごせることではありませんわね」


古株たちの顔色が変わる。


クラリスはその様子を見て、ふっと口元だけで笑った。


「けれど――」


その一言に、何人かがびくりと震える。


「上に立つ者が愚かであれば、下がそれに染まるのも無理はありませんわ」


その場の誰もが、その言葉が誰へ向けられたものかを悟った。


クラリスは目を伏せることなく続ける。


「もっとも、それで罪が消えるわけではありませんけれど」


古株のひとりが、はっと息を呑む。


クラリスはもう彼女たちを見ていなかった。


「ではマリア、案内を」


「はい♡」


弾んだ声で応え、マリアが一歩前へ出る。


その背を追うように、クラリスも歩き出した。

ルシアンが無言で続く。


誰ひとり動けないまま、古株たちはただその姿を見送るしかなかった。


離宮の廊下を、マリアは迷いのない足取りで進んでいく。


「先ほど申し上げた侍女の持ち場はこの先で、帳面類を置いている小部屋も近くにあります♡」


「随分詳しく調べられたのね」


「皆さま、わたくしにはあまり関心がありませんでしたから♡ そのぶん、動きやすうございました」


クラリスはふっと目を細めた。


「仮にも王家の離宮だというのに、新入りひとりに対してずいぶん不用心ですわね」


「愚かですね♡」


マリアとのやりとりのあいだも、ルシアンは終始無言だった。


けれど、クラリスは気づいていた。


離宮へ入ってから、彼の歩調がわずかに硬い。

表情は変わらない。視線も落ち着いている。

ただ、沈黙だけが少し重かった。


廊下をひとつ曲がる。


途端に、ルシアンの足がほんの一拍だけ遅れた。


マリアは気づかず先へ行く。

クラリスだけが、隣を見た。


「殿下?」


「何でもない」


短い返事は、普段より少しだけ低かった。


――離宮へ行ってみないか。


そう切り出した時、ルシアンは「あまり勧めはしない」と言って、視線を逸らした。


それでも、マリアからの文で中の様子が明らかに怪しいとわかると、最後には何も言わず頷いたのだった。


離宮へ向かうため馬車へ乗り込もうとした時も、ルシアンは一瞬だけ足を止めた。

それから何事もなかったように、乗り込んだ。


嫌だったのだろう。


けれど、止めはしなかった。


その様子が、今の沈黙と重なる。


(……殿下を、連れてくるべきではなかったかしら)


一瞬そう思う。


けれど、ここで目を背ければ、また王妃の好きにさせるだけだ。

ルシアン自身も、それがわかっているから来たのだろう。


曲がり角の先には、古い意匠のランプ台が置かれていた。

窓際には細身の卓があり、その奥には閉ざされた扉がある。


「こちらの部屋です♡」


マリアが、小さな扉の前で立ち止まった。

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― 新着の感想 ―
 敏腕スパイ兼業の従者マリアさんにより、労務中のイジメ日常化の腐敗だけでなく、上級貴族の利用施設でありながら杜撰な警備まで露呈……この南苑離宮、ホントに荒療治が必要かもしれませんね。  ルシアンさん…
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