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公爵令嬢クラリスの矜持  作者: 福嶋莉佳
二章

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第7話

エルヴァン公爵の執務室。


公爵は報告書を閉じ、息を吐いた。


「……クラリスが、また何かしたな」


向かいの夫人が紅茶を置く。


「夜会でしょう?」


「ローデンとヴァルツが動いた」


「止めますの?」


「止めぬ。あれは止めるものではない。

 ……だが、後始末は必要だ」


机の上には、数通の書簡。


王妃側近宛。

宮廷書記官宛。

そして、第二王子側近宛。


「まったく……美学で国を揺らすな」


呆れたように言いながら、印章を押す。


「似ましたわね」


夫人の声に、公爵は苦笑した。



朝の陽が、学園の石畳を淡く照らしていた。


馬車を降りたクラリスは、軽くスカートの裾を整え、ゆっくりと門をくぐる。


登校してくる生徒たちの流れに加わり、そのまま校舎へ向かう通りを歩き出した。


「クラリス様!」


明るい声が飛ぶ。


振り向くと、顔見知りの令嬢たちが駆け寄ってきた。


「おはようございます、クラリス様」

「今日もお美しいですわ」

「昨日の刺繍会、いかがでした?」


矢継ぎ早に声が重なる。


クラリスは表情を変えぬまま、軽く頷きながら歩みを進めた。


「ええ、おはよう」


隣を歩く令嬢が、心配そうに顔を覗き込む。


「クラリス様、ご気分でも悪いのですか?」


「別に……なんでもなくてよ」


低い声で答える。


令嬢たちはそれ以上踏み込まず、自然に話題を変えながらクラリスの周囲を歩いた。

廊下を進むにつれ、周囲の視線が少しずつ増えていく。


そのときだった。


廊下の奥から、やけに賑やかな声が聞こえてくる。


「――それでね、昨日もアランが!」


一際高い声、

笑い声が交じる。


クラリスは足を止めた。


「……なんだか騒がしいわね」


視線を向けると、廊下の一角に人だかりができている。

男子生徒が半円を作り、その中心に一人の少女が立っていた。


栗色の髪。

くりっとした目。

身振りも大きく、よく動く。


クラリスの背後で、令嬢たちが小声で囁き合う。


「……あの方また」

「例の……」


クラリスは特に興味もなさそうに視線を外した。


「誰なの?」


別の令嬢が尋ねると、一人が扇で口元を隠しながら答える。


「カレン・ヴァルディス嬢……最近編入してきた新興貴族の方だそうですわ」


さらに別の令嬢が小さく続けた。


「なんでも、随分と……その……」


言葉を選ぶように視線を泳がせる。


「殿方と距離がお近いとか」


「いつもああして囲まれているそうです」


クラリスは一瞬だけ人だかりを見た。


中心の少女は、男子生徒たちに向かって身振り大きく話していた。

何か言うたびに周囲が笑い、本人もけらけらと笑っている。


その様子を見ても、クラリスの表情はほとんど変わらなかった。


「……そう」


それだけ言うと、踵を返す。


「行きましょう」


クラリスは何事もなかったかのように歩き出した。


令嬢たちも慌てて後を追う。


廊下の向こうでは、まだ笑い声が続いていた。



貴族サロンは、午後の柔らかな光に包まれていた。


クラリスは窓際の席で紅茶を口にしていた。


周囲には数人の令嬢たち。

静かな会話と控えめな笑い声が、穏やかに流れている。


「……クラリス様」


隣の令嬢がそっと声をかけた。


「先ほどから、あまりお話しなさっていませんわ」


「そう?」


クラリスは紅茶を一口飲む。


「別に、いつも通りよ」


「ですが……」


別の令嬢が言いかけた、そのときだった。


サロンの扉が開いた。


「ねえねえ、ここって入っていいんだよね?」


数人の男子生徒とともに、カレンが入ってくる。


栗色の髪を揺らし、部屋をきょろきょろと見回した。


男子生徒の一人が、ふと視線を上げる。

そしてクラリスに気づき、姿勢を正した。


「ご機嫌よう、クラリス嬢」


もう一人の男子も続いた。


「ご機嫌よう」


カレンは、その様子を不思議そうに見ていた。


そして小さく首を傾げる。


「……だれ?」


男子生徒がぎょっとして振り向く。


「おい」


声を潜めて言う。


「エルヴァン公爵令嬢だ」


「公爵?」


それから、あっさり頷く。


「へえ」


特に気にした様子もなく、部屋の中を見回す。


「ねえ、この席空いてる?」


そう言って、近くの椅子を指した。


「ここ座ろうよ」


「……ああ」


三人はそのまま席へ向かう。


「それでさっきの続きなんだけど、アランがね――」


話しながら、カレンは身を乗り出した。


「え、ほんとに? そんなこと言ったの?」


男子は苦笑する。


「だからそれは誤解だって」


「でも昨日も一緒だったじゃん」


「偶然だって」


「もう、アランってほんと面白いよね」


男子生徒たちもつられて笑う。


令嬢たちは、そちらをちらりと見る。

そして、すぐに視線を戻した。


「……なんなの、あれ」


小さな声が漏れる。


「サロンですのに」


「声が大きすぎますわ」


「しかも、あの話し方」


ひそひそとした声が重なる。


クラリスは紅茶を飲んでいた。

その表情は、ほとんど変わらない。


ただ――


カップを置いたとき、わずかに視線が遠くへ流れた。


(……殿下)


胸の奥が、ほんの一瞬だけ沈む。

しかし、何事もなかったかのように言う。


「放っておきなさい」


令嬢たちは頷いた。


「……ところで」


先ほど言いかけていた令嬢が、ようやく言葉を継ぐ。


「最近、ルシアン殿下はお仕事が立て込んでいると聞きましたわ 」


クラリスはカップを持つ手を、一瞬だけ止めた。


「……殿下は有能ですから、仕方がありませんわ」


「まあ、そうでしたの」


「クラリス様とご婚約なさってから、

 お立場も変わられましたもの」


「宮廷でも重要なお役目を任されているとか」


「それでお忙しいのでしょうね」


別の令嬢が、さりげなく言葉を継ぐ。


そのときだった。


背後から、軽い声が落ちる。


「え、かわいそー」


サロンの空気が止まった。


クラリスの周囲の令嬢たちが、ゆっくりと振り向く。


少し離れた席で、カレンがこちらを見ていた。


「婚約してるのに会えないんでしょ?」


男子生徒の一人が慌てた。


「おい」


カレンは気にした様子もなく続ける。


「それって婚約してる意味あるの?」


令嬢たちの顔色が変わり、

扇が静かに上がる。


「カレン様……」


カレンはクラリスを見た。


「好きなら普通、会うよね?」


「やめろ」


だが、もう遅かった。


クラリスはカップを置き、

立ち上がった。


一直線にカレンの席へ、ゆっくりと歩く。


カレンはきょとんとした顔で見上げた。


「なに?」


次の瞬間。


クラリスはテーブルに置いてある紅茶を、

そのままカレンへとかけた。


「わっ!」


カレンが声を上げる。

茶色の液体が、ドレスを濡らして広がった。


クラリスは空になったカップをテーブルに置き、静かに言った。


「――黙りなさい」


カレンは濡れたドレスを見下ろし、

目を丸くした。


「な、なんで?

 私、変なこと言った?」


クラリスは冷たい視線を向ける。


「あなた、ここをどこだと思っているの?」


「どこって……サロンでしょ?

 だから何?」


クラリスは一歩近づいた。


「学園のサロンですわ。

あなたは何をしに、この学園へ来たの?」


カレンは眉をひそめる。


「何って……勉強?」


「貴族の流儀を学ぶのも、その一つですわ」


カレンは少し黙った。


「……そんなの。

 誰もそんなこと言ってなかった」


そのまま、ふと周囲を見回す。


男子生徒たちは視線を逸らしている。

令嬢たちは扇の奥から冷たい目でこちらを見ていた。


「……え」


カレンの声が止まる。


男子生徒の一人が、小さく舌打ちした。


「行くぞ」


「え?」


男子生徒はカレンの腕を軽く引く。


「ちょ、待って」


カレンは濡れたドレスを押さえたまま、よろめく。


男子生徒たちは視線を逸らしたまま、扉の方へ歩き出す。


カレンは一度だけ振り返った。


サロンにいる令嬢たちの視線は、冷たいままだった。


やがて扉が閉まり、静寂が戻った。




翌日。


回廊には、朝の澄んだ光が落ちていた。


クラリスは一人、静かに歩いている。


「ねぇ」


背後から声がした。

だがクラリスは振り返らず、そのまま歩き続ける。


「……昨日のこと」


カレンは言った。


「ごめん」


頭を下げる。


クラリスは足を止め、口を開く。


「それが謝罪の仕方?」


カレンは顔を上げた。


「……え?」


「何について謝っているのかしら」


カレンは一瞬言葉に詰まる。


「……昨日、サロンで言ったこと」


少し視線を逸らす。


「失礼だったんだと思う」


「思う?」


クラリスはそこで振り向いた。


「あなた、自分の行動が何を意味するか

考えたことはあるの?」


「意味……?」


「あなた一人の問題ではないのよ」


クラリスはゆっくり言った。


「あなたが無礼を働けば、周囲はどう思うかしら。

 誰の顔が潰れると思う?」


クラリスは続けた。


「あなたのご両親よ」


カレンの表情が少しずつ固くなる。


「あなたの振る舞い一つで、家の名は軽くなる」


「……」


カレンは視線を落とした。


クラリスはそれ以上言わず、

そのまま踵を返した。


本来なら、ここまで言う義理はない。


貴族社会では、無礼を働く者をわざわざ正すことはしない。

距離を置き、関わらないだけだ。


だが――


(……わたくし、どうしたのかしら)


クラリスは歩きながら、ふと空を見上げた。


青空が、静かに広がっていた。

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― 新着の感想 ―
 普段は多少の事は聞き流し、殿方に関する事になると怒鳴りはせずとも苛烈になるのは相変わらずなんですが、なにかがワンテンポずれ気味ですね、クラリスさん。  そして、相変わらず紅茶は折檻道具……口調といい…
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