第2話
日中の政務室は、来客も途切れ、ひとときの静けさに包まれていた。
机上には、王太子主催の夜会に関する報告書と、各家から届いた礼状が整然と積まれている。
「――先日の夜会につきまして、ご報告申し上げます」
側近が一歩進み出た。
「大きな混乱もなく、全体としては成功との見方が大勢でございます。旧来の諸家からは“落ち着いた進行であった”との評価が、新興の家々からは“今後に期待したい”との言葉が寄せられております」
王太子は頷き、礼状の束に手を伸ばす。
「また、数家より改めて面談の申し入れが届いております。昨夜ご挨拶を交わされた件について、具体的なお話を、と」
「……そうか」
封を切り、目を通す。
『このたびは格別のご配慮を賜り、誠にありがとうございました』
『穏やかな夜会でございましたこと、心より御礼申し上げます』
『今後とも変わらぬご高配を』
読み終えた書状を、机上に戻す。
「……面談希望の家は?」
「ルーゼン伯、レナード侯、それから南方商会と縁のある三家でございます」
「理由は?」
「交易枠の拡大と、来季予算の配分について、と」
王太子は小さく息を吐いた。
指先が、机上の礼状を軽く叩く。
(手応えが薄い)
報告は整っている。
問題も挙がっていない。
それでも、視線は礼状の上に落ちたままだった。
(面談希望は来ている。
だが――あの夜会で、私が何を約した?)
一瞬、記憶がよぎる。
会議の席で差し出された整理済みの資料。
話題を戻す一言。
横から整えられた論点。
――クラリス。
名が浮かぶ。
王太子はわずかに眉を寄せた。
(……違う)
「ああ。面談は予定通り入れろ。案件ごとに資料をまとめておけ」
「承知いたしました」
側近が退室する。
入れ替わるように、控えめなノックが響いた。
「……入れ」
イレイナが姿を見せる。
侍女から盆を受け取り、自ら卓へと運ぶ。
紅茶の香りが、静まり返った室内に柔らかく広がった。
「お疲れでしょうと思いまして……」
「……ありがとう」
イレイナは、机上の礼状に目をやる。
「先日の夜会のですか?」
「ああ……」
「素晴らしい夜会でしたもの。皆さま、安心なさったのでしょうね」
「……そうか」
王太子の視線は、自然と礼状へ戻っていた。
(安心……か)
確かに、波風は立たなかった。
だが――何を動かしたのか、自分でも答えられない。
カップを静かに戻す。
室内には紅茶の香りだけが残った。
◆
バルネス邸の広間は、笑い声と酒の香りに満ちていた。
「見事な夜会でしたな、伯爵」
「ええ、実に落ち着いておりました」
「それにしても、あの席次……」
「最前列でしたな、我らが」
興奮を抑えきれない声が重なる。
「旧貴族が二列目とは痛快でしたな」
「王妃陛下が、新しい流れをお認めになった証でしょう」
杯が打ち鳴らされる。
その輪とは別に、イレイナの周囲も華やいでいた。
「イレイナ様、本当に素晴らしかったですわ」
「皆さま、羨望の眼差しでしたわ」
リズベットが身を乗り出す。
「イレイナ様の時代ですもの。これからはイレイナ様が流行になりますわ」
笑い声が弾け、音楽が重なる。
「伯爵、これもあなたの功である」
「これからは我らの時代ですぞ」
バルネスは杯を掲げた。
「ああ……そうだな」
歓声が天井を揺らす。
その喧騒の中で、バルネスの視線だけが静かに沈んだ。
(最前列――我ら。
旧貴族が二列目……なぜだ。
本当に、王妃の意向か? それとも――)
祝宴の熱とは裏腹に、疑問だけが冷えたまま残る。
乾杯の声が、再び響いた。
バルネスは笑みを崩さぬまま、杯を傾けた。




