第1話
朝の食堂は、陽光がやわらかく差し込んでいた。
「夜会で随分目立ったそうだな」
公爵は新聞を畳み、機嫌よく娘を見る。
「あら、いつも通りに過ごしたまでですわ」
「そうか。ならば問題ないな」
満足げに頷き、続ける。
「いつも通りで王宮の空気を動かせるのは、
我が娘くらいのものだ」
「まぁ、お父様ったら」
紅茶のカップが静かに触れ合う音。
その向かいで、公爵夫人がナイフを置いた。
「……空気を動かすのは結構」
視線はまっすぐ、揺れない。
「けれど、動かしたあとの風向きまで読むこと。
それを怠れば、次に動くのはあなたではありません」
一瞬、卓が静まる。
「でも姉上が出なかったら、
あの令嬢は終わっていたのでは?」
リュシアンが口を挟む。
夫人は静かに言った。
「王宮は勝敗で動きません。
誰が誰の隣に立つかで動くのです」
クラリスは母を見返す。
「承知しておりますわ、お母様」
ほんのわずか、夫人の目が細まる。
「……ならば結構」
公爵は小さく笑った。
「厳しいな」
「現実的と言ってくださいませ」
朝食は、何事もなかったかのように続いた。
◆
「先日の夜会の件だが」
ルシアンは書類から顔を上げた。
「ブローチは見つかった。馬車の座席の下だそうだ」
向かいで紅茶を口にしていたクラリスは、静かにカップをソーサーへ戻す。
「紛失扱いで、処理された」
「でしょうね」
あまりに淡々とした返答に、ルシアンはわずかに眉を動かした。
「だが、証拠はない」
クラリスは視線を上げる。
「証拠は要りませんわ。目的は、もう終わっておりますもの」
「……その目的は、失敗に終わったがな」
「ええ。残念でしたこと」
口元だけが、わずかに笑う。
「気づいていたのか」
「ええ。袋だけが鞄に入っているなんて、不自然ですもの。
本当に失ったのでしたら、あのような形にはなりませんわ」
ルシアンは腕を組み、静かに問う。
「なぜ、シェリア嬢を陥れようとした?」
クラリスは扇を指先で整えながら、何でもないことのように言った。
「少し耳にしましたの。
ミリア嬢が懇意にされていた方が、シェリア嬢の婚約者だとか」
一瞬、沈黙が落ちる。
「……嫉妬か」
「社交界では、珍しくもありませんわ」
紅茶の香りが、静かに立ちのぼる。
「ただ――削るつもりで刃を向けたのでしょうけれど、
あの場で動いたのが誤算でしたわね」
ルシアンは、ゆっくりと息を吐いた。
「君が前に出なければ、どうなっていたと思う」
「シェリア嬢の未来が、少し削られたでしょうね」
「……それを少しで済ませたのは君だ」
ルシアンと目が合う。
クラリスは、さっと視線を逸らした。
「……」
「……?」
ルシアンはわずかに目を細める。
クラリスは小さく咳払いをした。
「それより……本日はどうされたのですの?
わたくしと出かけるお約束でしたでしょう?」
ルシアンは一瞬、机の端に積まれた書類へ視線を落とす。
そこには、見慣れぬ赤い封がいくつも重なっていた。
「……そのつもりだった」
だが、指先で一枚を押さえる。
「急ぎの確認案件が増えた。陪席を求められてな」
「陪席?」
「小会議だ。形式的なものだと言われたが、連日だ」
クラリスの視線が書類へ向く。
封蝋は、王妃印。
ほんの一瞬だけ、目が細まる。
「……ご活躍ですこと」
「成長の機会を、いただいているのだろう」
ルシアンは苦笑する。
「そう、ですわね」
クラリスは立ち上がり、静かにルシアンの隣へ回った。
深紅の袖が、視界の端に入り込む。
ルシアンは、わずかに肩を強張らせる。
「……え?」
「お手伝いいたしますわ」
ルシアンが顔を上げる。
「いや、これは――」
否定しかけて、言葉を止めた。
クラリスはすでに書類へ視線を落としている。
「……こちらの案件が最優先ですわね。
これは形式的な確認。陪席で十分」
迷いなく一枚を脇へ寄せる。
ルシアンは、黙ってその手元を見ていた。
「こちらは殿下が直接お目を通すべきですわ。
先に片づけましょう」
ルシアンは、ほんのわずかに息を呑む。
「……君は」
クラリスは書類を差し出した。
「わたくしは殿下の婚約者ですもの」
静かな声音。
「ですから――お支えするのは、当然ですわ」
ルシアンは、差し出された書類を受け取った。
指先が、わずかに触れる。
「……そうか」




